経済・政治・国際

2009年11月10日 (火)

コーヒーブレーク~20年~「ステート・ウィズイン」

「いいものを見せてあげよう」

そう言って、その人はにやりと笑った。

 

なので、好奇心満々のおこちゃまなワタクシはノコノコとついて行って、目の前の差し出された新聞紙に包まれた「ブツ」に「???」の連発。

しかもその新聞紙をくるくると広げてみると、そこからゴロンとでてきたのは、みすぼらしいコンクリートブロックの欠片なので、ますます事態が呑み込めない。

「何だと思う?」

「さあ??」

「ベルリンの壁」

しばらく前、ヨーロッパでの仕事に出かけて戻ってきたばかりのその人は、またにやりと笑ったのだ…

 

 

 

お久しぶりです!

いや~、いつものことですが、またまたブログの更新が長いこと止まっていて、その間、時々見に訪れてくださったみなさま、ごめんなさい&どうもありがとうございます!

自分的に仕事がバタバタしてきてるってのもあるんですが、まあ、映画「ハゲタカ」DVDが出るまでの間、何を書いても自分の願望やら記憶の捏造(笑)やらになってしまいそうなので、ここはひとつ例によって「長期更新休み」にしようと思っておりまして。

でも、あんまりなので、ちょっとだけ浮上してまいりましたです。

このあと、またしばらく「地下に潜る予定」(大笑)

 

 

冒頭の文章は、今から20年前の11月末のある日。

私は驚いて、その「歴史的悪名高き建造物」のなれの果てのコンクリートの欠片を、マジマジとみつめたものです。

今日、CNNや海外発のニュース番組で、「ベルリンの壁崩壊20周年記念式典」の華々しい映像を見ながら、その時の映像がフラッシュバックして戻ってきていました。

 

20年…

長く、そして、あっという間。

矛盾だらけの20年が過ぎてしまったのですね…

 

東西冷戦が本当はどんなものであったのか、日本という島国でのほほんと暮らしていた私には全然ピンと来てなかった。

ましてや、日本は当時、浮かれモードなバブル期で。(ただし、私や私の家族の周りでは全然バブルは関係なくて、素通りでしたが(笑))

世界がどんなにギリギリな状態にきていたのか解かってなかった。

あんな風に壁が崩壊して、信じられないような平和な展開で、東西冷戦がうまく終結したことの奇跡が、どんなに「奇跡」であったのか。

その「奇跡」に感謝することもなかったなあ、と今にして思う。

たぶんほとんどの日本人が。

 

その後の、21世紀初頭からこっちの悲劇的展開。

9.11から始まって、アフガニスタン・イラク両戦争、世界金融危機、世界を巻き込む軍事的、経済的、両方の側面からの震撼とした事態を考えると、これは、うまく終結したと思いこんでいた「東西冷戦」の積み残した「課題」が、その後、恐ろしい形で蘇ってきたのだ、ということがわかる。

そう簡単には収まらない。

しかも、「東西冷戦」ということになっていたものが、ほんとうの本質は何であったのか、そのことの検証もまだ始まっていない。

そのままで、「世界」は現在進行形で動いている。

「過去の清算」も終わっていないまま…

 

 

イギリスBBC制作の海外ドラマ「ステート・ウィズイン~テロリストの幻影~」が、12月にDVD化されて発売されます。

今年の1月から3月にNHKのBSで放送されていたのですが、私も久々にTVドラマにハマり込むという感じで(普段あまりドラマを観ないので、ドラマ版の「ハゲタカ」以来(笑))熱心に観ていたのですが、例によってドラマを録画するという習慣がないため「大失敗した!」という気持ちで再放送を心待ちにしていたのです。

それが12月25日にDVD発売予定!

しかも、再放送も始まるとか。(12月2日からの予定らしいですが、興味のある方はNHKの海外ドラマホームページをご確認ください)

 

いろいろワタクシ的にも面白かったこのドラマ、放送中は「えーい!マーク卿しっかりせい!(でもジェイソン・アイザックさんの青い瞳が美しい)」とか「ニコラス、あんた怖すぎます!(でも、ベン・ダニエルズさんはかっこいい!)」とかTVの前でほざいていたのですが(笑)

「アメリカ政府」「イギリス大使館」「中央アジアのグレート・ゲーム」「ペンタゴン」「MI6」「諜報戦争」というキーワードに興味津々な方にお勧め!!

ついでに、「スーツのおじさんたちが続々登場」というキーワードもありか(爆!)

 

NHKさん再放送ありがとう!そしてDVD発売もありがとう!

ついでに、やはりBBCが制作した「ザ・ラスト・デイズ・オブ・リーマン・ブラザーズ(The Last Days of Lehman Brothers)」(リーマン・ブラザーズ最期の日々)も買い付けて、放送してください!

お願いします!!(笑)

 

えー、とにかくですね、この「ステート・ウィズイン」も「過去の清算」が重い課題となっている、今の世界のありようを描いています。

どっかで決着をつけないと、って。

 

 

ホントにね~、「東西冷戦」、いや、「第二次世界大戦」のおとしまえをちゃんとつけないと。

しみじみと「ベルリンの壁崩壊20周年記念式典」の映像を見ながら、今日思うワタクシなのでした。

 

 

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2009年7月 6日 (月)

映画「ハゲタカ」 Vol.7

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5週目です。

地方はそろそろ上映終了とか。

でも、東京23区内繁華街の映画館の週末は、まだまだたくさん入ってます。

私が週末行った時も、ほぼ満席でした(ぽつぽつしか空席なし)

雰囲気でかなりリピーター率高し、とみました。

今後も都内のどこかでやっていたら、足を運ぶ人多いと思います。

 

そして、こうなってくると欲も出てきます(笑)

週末に、ドラマ版全6話プラス映画版上映、などという企画モノをやる映画館が出てきてもいいんじゃないでしょうか?

オールナイト込みで日に2回くらいしか上映できないかも、ですが。

でも、入場料設定が高めでもきっと来る人はいるぞ!とみました(かくいうワタクシも!(大笑))

東宝さん、NHKさん、映画館のみなさま、ご考慮お願いします!!

 

 

 

当ブログは純粋な映画レヴューではありませんが、映画「ハゲタカ」の内容に結構踏み込んでおりますので「ネタばれあり」の「注意喚起」をさせていただいております。

 

 

 

2008年、秋。

「今回の金融危機はすべて、青い眼で白い肌のCEOたちに責任がある!」

と過激な発言をしたのは、ブラジルのルラ・ダ・シルバ大統領。

たしか、金融危機対応のためにG8じゃ間に合わん、ということで新興国も入ったG20金融サミットが開かれた11月15日前後のことだったと思います。

ルラ大統領のこの発言は「人種差別的」と逆差別レッテルを貼られてしまい、彼は早々に謝罪するはめに陥ったのですが、

「新興国ならびに開発途上国が、先進諸国に対して、猛烈に怒っている」

ということがはっきり示された機会でもありました。

 

 

いまや、開発途上国と先進諸国のあいだに大きな断絶が横たわっているのは明白です。

先進諸国がこれまでやりたい放題をしてきて、その「欲望」がついには危機的状況を呼びこんで、世界的な金融メルトダウンの淵まできた。

だが、いったん危機が始まれば、一番弱い部分にその「負荷」が強烈にかかってくるのが、「グローバリズム」で結ばれた現在の世界。

世界的不況が始まって、飢餓線上に陥る可能性も出てきた開発途上国の人々。

彼らが「もはや泣き寝入りする気は全然ない」と猛烈に主張し始めた。

 

言ってみれば、貧困から抜け出すために、

「その車に乗せてくれ」

と言い始めたこと。

でも、間違った車に乗り込もうとしていたら、どうするのか?

あるいは、車は正しくても、その車を作る方法が間違っていたら?

売る方法が間違っていたら?

 

先をゆく者たちが、自分たちの失敗を、あとから来る者たちに伝えられない。

彼らが選び間違えていても、そのことを彼らに伝える機会がない。

たとえ世界中に公害に苦しむ都市が生まれ、貧困のスラムが生まれ、絶望的な格差社会が生まれても…

その「絶望的な分断」が、現在の世界を支配している。

 

 

ルラ大統領、あなたは概ね正しい。

ただ、「青い眼で、白い肌のCEOたち」だけではない。

その責任は「黒い眼で、黄色い肌の社長たち会長たち」にもあるのだ。

そんな風に、私は思いますが。

 

 

 

日本はかつて第二次世界大戦で無謀な戦いをして、主要都市を「焼け野原」にするという愚行のすえ、敗戦。

戦後の復興はもう二度と戦争をしない、というところから始まった。

「けして人を殺さないで強くなること」

それはつまり、

「戦争をしないで経済的に繁栄すること」

日本の一大テーマだった。

そのポリシーに従って、日本は今日までやってきたわけです。

そして、世界2位の経済大国、先進諸国の一員となった。

 

 

確かにこれまでのところ、日本は国内をふたたび「焼け野原」にしないですんでいる、幸いにも。

でも、一旦、日本国外に目を転ずれば、実は「焼け野原」は世界の隅々に出現している。

 

 

よく知られていることですが、アメリカが開発し、グローバリズム推進の道具としてきた「金融工学」は、実は「東西冷戦の兵器」のなれの果てです。

アメリカがソ連と「冷戦」を戦ってきた時代。

戦争(特に核戦争)のためのシュミレーションをやるために、大量の数学やらシステムやらが動員され、人的にも財政的にもたいへんな資源・資金の投入をおこなってきたわけです。

 

ところがソ連が崩壊、ロシアも東ヨーロッパも共産主義を捨て去って、資本主義陣営に参入してきた。

もはや冷戦シュミレーションは無用の長物。

なのに、人間も組織も大量に存在している。

そこで、金融界に転じて、軍事の民生転用をすることにする。

そして誕生したのが「金融工学」

 

その「金融工学」が生み出した「証券化」の魔法が、アメリカを並ぶもののない世界ただひとつの「超大国」にしたわけですが、同時に、それは一種の砂上の楼閣、ひとたびバブルがはじけ飛んだら…

世界を巻き込んでたいへんなことになっているのが、現在。

やはり、これは「兵器」なのですから。

富を収奪する兵器。

疑いもなく、

世界に「絶対的貧困」という「焼け野原」を出現させてきた兵器。

 

 

その「金融工学」に力を貸してきた日本が、「責任ない」とは絶対に言えない。

それを日本経済の「罪」というか。

あるいは、先進諸国の「罪」というか。

その「罪」から、目を背けることはできない。

 

 

 

鷲津政彦の壮絶な人生に、またひとつ付け加わってしまった、と人は言うでしょうか。

鷲津さんファンとしてはその痛ましさに胸が詰まりますが…

 

 

しかし、彼は絶対に目を背けない。

だから、映画ラスト、劉一華の故郷に見届けに行く。

ふつう、日本人なら見たくないもの、知りたくないもの、

自分たちが作り出した「焼け野原」を。

 

 

ひとり、荒野に立つ鷲津の眼に映ったものは何だったのか。

 

 

過去、無謀な戦争をして焼け野原になった日本国だったのか。

あるいは、現在、世界中に存在する、絶対的貧困の焼け野原だったのか…

しかし、未来。

ふたたび日本が「焼け野原」になることはないと、いったい誰に言えるだろうか…?

 

 

 

なにも日本国の外だけではなく、国内だって同様なのです。

 

「ハゲタカ」ドラマ版ではラスト、熟練工の加藤と協力して新会社を立ち上げるのに、映画版の中で、鷲津や芝野はついに派遣工の守山に直接会う機会はない。

それどころか、守山は加藤にあたる人物に出会うことさえできない。

「部品」として消耗され、同じ国に生きていながら、まるで存在しないかのような扱われ方をする存在。

本当は加藤のような人たちの「後継者」にならなければならないはずなのに。

そんな状況で「日本の本業はモノ作り」と言ってみても、虚しいだけ。

はっきり言って、これはもの凄くマズイ状況です。

 

映画「ハゲタカ」では、守山の最後は「アカマの赤い車」に乗って何処ともなく去っていきますが、これは守山が劉の「願い」を受け取って新しいスタートを切った、と解釈していいものか。

それとも「日本人の夢と希望の象徴だった赤い車」はその後継者となるべきだった青年とともに、何処かへまぎれて消えていってしまった、と解釈していいものか。

 

私には、今は、決めかねます。

はっきり言って、楽観的と悲観的、天と地ほども違う解釈ですが。

 

 

 

映画「ハゲタカ」公開の少し前。

カントクだったかプロデューサーだったか、制作された方が、

「安易な解決は描けない。現実が厳しい状況だから。でもその中で観終わって元気になるものを」

というような内容のことを言っておられたかと記憶しています。

 

経済的に厳しいということだけじゃなく、分断されて、けして交わらない状況が厳しい。

永遠の断絶感。

国内でも国外でも、それが溢れている状況が厳しい。

この映画をラストまで観て、そう思います。

回数を重ねて観るほどに、本当に思います。

なんとか、この状況の「ブレーク・スルー」を見つけ出せないものかと、切実に思います。

おそらく、映画の制作者さまたちもそう思っておられるのだと痛いほどわかります。

 

そして、

映画の中の鷲津も。芝野も。

きっと。

芝野に言わせてますよね。

「このまま終わってたまるか。まだまだこの国は捨てたもんじゃない」

 

 

 

だから、もう1本作ってください!!

この映画「ハゲタカ」の続きを。

また数年後に。

 

 

鷲津が見つめている先が観たいから。

どんな厳しい未来でも、きっと彼は眼を背けない。

きっと彼は立ち向かっていく。

新しい方法を見つけ出していく。

 

そして。

 

彼の行く道は、私たちの行く道。




 

 

 

 

 

 

 

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2009年7月 1日 (水)

映画「ハゲタカ」 Vol.6

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週末、もちろん行きました!

4回目です。(まだまだ未熟(笑))

すでに週末の生活の一部に組み込まれつつありますよ、「ハゲタカ」鑑賞(笑)

例によって23区内繁華街の映画館で、客席は満席御礼でした!!

こんな週末が少しでも長く続くといいな。

東宝さん&映画館のみなさま、よろしくご配慮お願いいたします!

 

 

 

当ブログは純粋な映画レヴューではありませんが、映画「ハゲタカ」の内容に結構踏み込んでおりますので「ネタばれあり」の「注意喚起」をさせていただいております。

 

 

 

鷲津政彦がいつから「決意」を固めていたものか…

 

 

「鷲津は映画のはじまりでは、日本を捨て、外国に去っている―。」

映画の内容が少しずつ報道され始めて、この設定を聞いて少なからず驚いたのは私だけではないはず。

ただ、現実の日本の状況を考えれば、それもむべなるかな。

ドラマ版の最終回時点の2004年からの4年間。

日本の歩んでしまった方向は、この感想文(?)でも書いてきたような状況で、けして鷲津や芝野が望んだようなものでなかったことは、明白です。

まさに「こんな国に誰がした」状態。

 

こんな日本で孤軍奮闘していたのだろうけど、理解されず、裁判にも負け、日本を後にした…。

鷲津の苦い選択が目に浮かぶようです。

それでも脳裏から日本のことが離れることもできず、うっ屈して昼間からアルコールの日々。

これまた、目に浮かぶようです。

でも、「捨てた」と言いつつも、きっといつも心は日本のことを心配して…

ああ、まったく!くっきりと目に浮かぶようですよ、鷲津さん!!(笑)

 

 

そんな鷲津を探しあてて、日本への帰還、現場への復帰を要請するのは、例によって芝野です。

芝野さんの姿を見て、「こんなとこまで追っかけてきて、くそーっ!」という気持ちと、一種の「安堵感」が交錯したんだろうな…

しかも芝野さんは「こんな腐ったマーケットを作ってきたのは俺達なんじゃないか」とか挑発的に言っちゃうし。

さぞや葛藤しただろう、鷲津さん…と観ていて苦笑いのワタクシでしたよ。

 

 

芝野という人は、ドラマ版で語られたように、「日本のバブルの時代(80年代末~90年代初め)」と「その後の失われた10年(92年ごろ~2000年代の初め)」の「責任」を我が身のこととして引き受けて、そのための「贖罪」として「企業再生家」になる道を選んだような人物です。

だから芝野には、この時の鷲津の気持ちがとてもよくわかったのだと思うのです。

 

「失われた10年」のあとに、日本を改革するといって始まった次の10年(2000年くらい~2008年)について、この「改革」が結局失敗して、全然望んでいない方向に行ってしまったことを、鷲津はきっと強く「自分の責任」として意識していただろう、ってこと。

 

鷲津はアメリカという「外圧」を使って、日本の腐った部分を大改革しようとしたのだけれど、肝心のアメリカが腐ってしまってバブルに踊ってしまい、日本の腐った層と結託して、世界中に問題をバラまいてしまった。

いまや日本とアメリカの辿った間違いが、「グローバリズム」の名のもと、世界を間違った方向に導いていこうとしている。

鷲津はそれを見つめながら、そのアメリカを率先して持ち込んだ「自分自身」に対して、内心、忸怩たるものがあったと思うのです。

それは、自分の「責任」だ、と。

 

 

鷲津はその「責任」をとるために、ついに日本に戻ってくることを選びます。

たぶん、その時点でいずれ「大ナタを振るう」ことになる可能性を、予感して。

そして、その「決意」が固まったのは、劉一華の会見をTVで見たので。

この会見で劉は「アカマ自動車の現状維持」を約束しています。

鷲津にとっては「現状維持」など、もってのほか。

 

その瞬間。

劉は鷲津にとって

「敵対する者」

のポジションになってしまった…

 

 

ホテルのレストランで待ち伏せ、劉の真意をさぐろうとした時も、鷲津にとって劉は自分と敵対する者。

ただの「成功の野心に燃える若者」に見える。

だから言い放ってしまったのでしょう。

「おまえに何がわかる」

と。

 

 

 

鷲津の、日本への秘められた「愛」は苛烈です。

もうそれは、ドラマ版の時から本当に首尾一貫しています。

いずれ日本のためになるとわかったら、どんな手段でも強行してバッサリと切りつける。

そして、返り血を浴びて、自分がどんなに「穢れた者」になり果てようとも、それを厭わない。

 

三島社長を死に追いやって後悔に暮れたその時から、もう決して同じ轍は踏むまいと決めているから。

自分の本意ではないことをやって後悔するなら、どんなことになっても、自分の本意を通そうと決めているから。

 

今回もたぶんアカマ自動車を「お引き受けしましょう」と答えた時点で、鷲津にはすでにその覚悟ができている。

この時点でアカマと日本、そしてアメリカをひっくり返して、バッサリとやる覚悟。

そして、漠然とではあるけれどその覚悟を感じている芝野。

 

 

 

かくして、鷲津はすべての手を読んで、自分の布石を打っていくわけなのですが…

どうしても、読めなかった「想定外」の事実が出てきてしまう。

 

 

劉一華の「赤い自動車」…

 

 

その写真を困惑したように見つめる鷲津の目が印象的です。

「敵対する者」のポジションにいたはずの若者。

その劉の、同じように秘められた「想い」

 

どうしても確認しないではいられなくなって、駐車場で問い詰めます。

「おまえは、誰なんだ」

と。

でも、答えはない。

 

 

これから自分がしようとしている凶行を自覚しつつ、鷲津の心に迷いはなかったのか、どうか…

だが、もはや選んでしまった。

鷲津も劉も、ふたりとも。

賽は投げられた。

 

 

 

中国(CLIC)を道連れに、アメリカ(スタンリー社)と日本(アカマ自動車)に容赦なく斬りかかる鷲津。

スタンリー株を

「売って、売って、売りまくれーっ!」

と徹底的に命ずる姿はまさに鬼神のごとし。

あまりにも歪んでしまった「グローバリズム」を正すために、いずれ誰かがやらなくてはならなかったこと、であろうけれど。

それを一身に引き受けた鷲津の血まみれの姿は、神か、悪魔か。

 

破壊者か、と。

 

 

 

そして得た勝利は完璧。

CLICならびにブルーウォール社は撤退。

スタンリー社は崩壊。

アカマは刷新。

当初の鷲津の「決意」のとおり、遂行された「大ナタ」

ついに、日本も、アメリカも、とりまく世界も、新たな段階に足を踏み出さざるを得ない。

 

 

しかし、鷲津の心は晴れない。

最後まで読めなかった「想定外」

本当のところは、どうだったのか?

劉一華の秘められた望み。

あるいは、そういった「真相」は最後までわからないまま、なのかもしれない。

ふつうなら。

 

 

だが、運命は残酷なことをする。

死にゆく劉の伝言を、鷲津に伝えたのだ。

出ることのできなかった携帯電話の「伝言」として。

「乗せてくれよ、その車に」

と。

 

鷲津はそれに言葉を返してやることはできない。

それは「過去」の声だから。

やっと劉の本当の「願い」を聞くことができたのに。

鷲津がそれを聞き届けた時点では、

すでに失われてしまった、劉の孤独な、命…

 

 

 

この映画を初めて観たおり、

私にはこの映画が「終わっていない!」ような気がして仕方なったのは、このブログにも書いたとおりです。

あとで何故かと考えてみれば、ドラマ版と比べてみれば明白なんですよね。

 

ドラマ版は鷲津が芝野に対して

「あなたは私だ」

と言い、最初否定されても、紆余曲折あって、芝野から

「俺はおまえだ」

という言葉を最終的にはもらうことができる。

 

でも、映画版では、

「俺はあんただ」

と言った劉に対して、鷲津はついに言葉を返してやることはできない。

 

失われた言葉。

届かなかったコミュニケーション。

 

その永遠の断絶感が観た者の心にぐさり!とくるし、いつまでもひっかかる、わけです。

ドラマ版を詳細に観ていて、内容を憶えていればいるほど、なんだか中途半端に投げ出されたような気がしてしまうのではないでしょうか。

 

 

まるで完璧なドラマ版の「完成した形」を打ち砕いてしまうかのような、こんな形にしたのは何故なのか?

もっとそつなく、終わらせることもできたのに。

何故に…?

私なりに、その理由を考えてみたのですが…

 

 


以下、続きます。

(うわっ、申し訳ない、あと少しです~)

 

 

 

 

 

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2009年6月25日 (木)

映画「ハゲタカ」 Vol.5

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また、週末が近づいてまいりました…

ええ、当然行きます。

またこの映画を観に行きますよ、ワタクシは。

こうなったら、見届けますとも。

「ハゲタカ」廃人の焼け野原を…

 

って、違うからっ!!!

「焼け野原」にしてどうする!

…と自分につっこんでおりますが(藁)

 

そして、やらねばならないこと山積み状態を横目に、またまたこ~んな文章を書いてます(冷汗)

で、でも、もうちょっとだけ書き進めておきたい…

よろしかったら、お付き合いくださいね!

 

 

 

当ブログは純粋な映画レヴューではありませんが、映画「ハゲタカ」の内容に結構踏み込んでおりますので「ネタばれあり」の「注意喚起」をさせていただいております。

 

 

 

アカマ自動車。

それはたぶんラストチャンス。

劉一華にとって。

彼が日本に、自分の「居場所」を作る、最後の機会だったのではないか?

 

 

もちろん、「こどもの頃憧れた赤い車」の会社ですから。

きっと特別だったでしょう。

彼は最初の記者会見できっぱり言ってるんです。

「アカマを、日本を、救いたい」

って。

 

でも初見の折、ワタクシすっかり身構えていて、古谷社長以下アカマの社員の目線で劉を観てしまっておりましたから、とにかく信じてなかったんですよね。

彼の言葉を。

まあ、「買収」しようといって乗り込んできたわけですが。

挑戦されたと受け取ってしまって、必要以上に自己防衛的になるのは、日本人の悪い癖ですね。

でもあとから見直すと、この最初の記者会見は、彼の本音がストレートにでています。

劉は言います。

日本から学んで、ともに成長したい、と。

 

 

劉がどうして守山を「見つけた」のか…

缶コーヒーを渡して話しかけるところから始まって、どんどん積極的に守山に近づく劉は、なんとも馴れ馴れしいというか、訳わからないというか、最初観ている私も???でした。

 

でも。

守山を初めて見たとき、これは自分だったかも、と思ったのではないか。

自分がアメリカに渡らず、もし日本に残っていたら。

劉一華ではなく、佐藤として生きていくことを選んでいたら。

たぶんこの「憧れの赤い車を作る会社」で働くためには、派遣工として勤務するくらいしか他に選択肢がなかっただろう、と。

 

彼の孤独が透けて見えます。

「雨は嫌だなあ…」とつぶやく時。

守山に、なぜアカマで働くのか、と問いかける時。

夢かうつつか、こどもの頃見かけた「赤い車」を語る時。

何者でもなかった出生。

彼の喪われた少年時代。

欲しかった仲間。

アカマに関わることで、今度こそ得られるのではないか。

そんな「望み」を無意識に抱いていたのではないのか。

 

最初距離をおいていた守山が、少しずつ心を開いてくれて、派遣工の扱われ方や待遇についての自分の気持ちを話してくれた時。

もしかしたら集会の計画を聞かされていた時。

劉はきっと嬉しかっただろうな、と思うのです。

 

だから、最初から守山を利用しようとしたわけではなく、自分のポジションを使って、三島由香や古谷社長に告発することで、守山たちの待遇が改善されて、なおかつ自分にとっても利益になる。

それはきっといずれ会社にとっても利益になっていくだろう。

そういう「みんなにとって、利益のある構図」を頭に描いていたのではないか、とも思うのです。

 

 

でも彼は、選び間違えた。

 

 

日本は「出るクイの打たれる社会」

「信念のある奴はめんどう」と言われてしまう社会。

目の前で古谷社長にきっぱり「リーダー(守山)はダメだ」と決められてしまった時。

はっとして、何か言いたげだった劉。

しかし、彼はそれ以上、そのことを追及することをやめてしまった。

 

そして手切れ金を渡して、守山を切り捨てた。

守山のような存在を切り捨てたこと、

それは、自分の中の佐藤を切り捨てたこと。

一方ではスタンリー社のような会社と組んでおきながら。

 

 

その苦い選択。

どうやって無理やり自分自身に納得させたのか…

きっと、納得していなかったんでしょうね。

心の底からは。

だから蓋をしていた苦しい胸のうちが、溢れ出てきてしまったんだと思うのです。

 

鷲津が、自らやって来て、再び問いかけたので。

「おまえは誰なんだ」

と。

 

 

 

スタンリー買収劇の修羅場の中で、絶望的に下がっていく株価のグラフを見ながら、

本当は、劉はどう思ったのか…

 

もう、遅い…と?

あるいは、

まだ間に合う…と?

 

 

 

その答えはわからない。

彼の唇は永遠に閉ざされてしまったから。

「俺もその車に乗せてくれ」

そう言い残して。

その言葉を、ただ鷲津に残して。

 

 

 

鷲津に送りつけられた劉の自主再建計画案。

それが届いたころを見計らって、鷲津に電話とかするつもりだったのではないか、とも思えます。

鷲津と組んでアカマに関わることができないかと、最後まで希望を捨ててなかったんではないか、とも思えます。

 

 

劉はファンド・マネージャーとしては完敗することになったので、かえってそれで自分の「本当の望み」がわかったのかもしれません。

自分の本当の「居場所」がほしい。

「かつて憧れた赤い車を作るこの会社」が、「自分の居場所」であって欲しい。

そして、

この国を、日本を選びたいのだ、と。

 

 

 

「本当はアカマを愛していたのではないのか?」

という鷲津の問いかけは

「本当は日本を愛していたのではないのか?」

という問いに聞こえます。

 

 

 

日本は「国を愛する」と堂々と言うことのできない、やっかいな国です。

すぐ「右」だの「左」だの馬鹿なレッテルを貼られてしまうから。

 

でも本当に国を愛するというのは、

「そこに住む人たちにとって、幸せな希望の場所であって欲しい」

と願う、「祈り」のようなものだと、私は思っています。

 

 

劉の祈り。

ラスト近く、アカマの赤い車を運転する守山。

それは守山であり、佐藤であり、劉であり…

彼のような存在、現場で車の部品を作っている派遣工のような存在が、自分の作った車を自分で乗れるような、そういう国であって欲しいという、そういう願い。

そういう祈り。

 

 

 

そして。

その祈りを受け取ったのは…

鷲津政彦。

 

 

ひとり、荒野に立って、

これからどこへ…?

 

 

 

ああ…やっと鷲津さんまで辿り着きました…

異常に前フリ長い感想文(?)ですが(冷汗)

あと少し、お付き合い願えれば幸いです。

 

以下、続きます。

 

 

 

 

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2009年6月22日 (月)

映画「ハゲタカ」 Vol.4

Hagetaka_ban_l



唐突ですが、最初に私の「現在の望み」を書きます~。

ええ、ブログに書いておけば、それが叶うんじゃないか、と思って。

(↑図に乗ってます。ズーズーしいです。ごめんなさい(汗))

 

「ハゲタカ」の続編を観たい、映画館で「ハゲタカ」を観たい、が叶ったので。

今度は「ハゲタカ」のテーマ(オーケストラヴァージョン)あるいは「神の鳥」あたりを、「NHKホール」で演奏してくださいませ!!

あの、ばかでかいホールで生演奏を聴きたい!のでございますよ!!

確か昨年の大河ドラマ(「篤姫」)はファンの集い&演奏会とかをNHKホールでやってましたよね~?

あそこまで大規模は無理としても、何かのコンサート(とか公開番組とか?)の時に「ハゲタカ」パートがあったら、う、嬉しいです…絶対観にいきたいですよ~!

ま、暮れの「紅白」の中で…というのでもいいんですがね!(大笑)

でも、できれば複数曲目を聴きたいかと!!!

ご考慮、お願いいたします、NHKさん!

 

というわけで、予告どおり週末土曜日に、またまた映画「ハゲタカ」観に行ってまいりました。

やはり23区内繁華街の映画館で、座席も4分の3は埋まっており、まだまだイケる感じ。

きっとリピーターも多いはず。

(私なんか、まだまだ回数的に未熟者です(笑))

このまま都内のどこかでずっと「ロングラン」がいいな。

今後も、何度も何度も噛みしめて観てみたい、ですから。

きっと「現実」の状況が違ってきたら、また映画は違ったように読み取れるはず。

その「変遷」も目撃したいから…

 

 

 

当ブログは純粋な映画レヴューではありませんが、映画「ハゲタカ」の内容に結構踏み込んでおりますので「ネタばれあり」の「注意喚起」をさせていただいております。

 

 

 

私が最初にこの映画のちらしを入手した時、まず不思議だったこと。

それは、鷲津政彦の今回の「敵」として登場するらしき人物についていたコピー文。

「救世主か?」と。

なぜこちら側が「救世主」なのだろう…、鷲津でなく?

そして、鷲津は、

「破壊者か?」と。

 

 

 

その敵、劉一華。

その存在感はもの凄い。

私の映画初見の折、彼はたいへんにエキセントリックに登場してくるのであれよあれよと引き込まれ、しかもこちらが正体不明なモノに対する警戒感を持っていることを巧みに付け込まれ、ミスリーディングされる演出で、最初は必要以上に「不気味な敵」という感覚を持ってしまっていました

(「鷲津さんの敵」と思っているから、鷲津ファンにはなおさらですよね(笑))

 

しかし、映画が折り返して後半に入ると、その感覚が徐々に崩れていく。

ストーリー的にはどんどん緊迫していくのに、何か脆くも危うく崩れ去っていく、ちょっとない感じ。

それで観る者は

「えっ?!ちょっと待って!!いままで思いこんでいたのと、この人物は違うの?この物語は違うの?」

と慌ててしまうのですが、そのままストーリーは終幕。

観終わったら、早くも

「もう1回、アタマから観たい!!」

となるわけです(笑)

それがこの深い背景・構造を持つ映画に、実にマッチしている。

しかも、再度観ても、あとにはまだまだ「謎」が残る感じで、これがなかなか解決しない。

それで、さらに3回とリピートして…むむむ!!

凄すぎです、カントク~!(笑)

完全にあなたの術中に嵌ってます!(大笑)

 

 

今回私は、どこで特にミスディレクションされてしまったのか?と気をつけて観ておりました。

ひとつは、三島由香が劉と鷲津を比べて

「決定的に何かが違う」

と断言するところ。

何が違うのか、言わないのですよね~。

だからこっちが勝手に解釈してしまう。

 

そしてもうひとつは、例の劉の「楽しかったんだろう鷲津!」のところ。

こっちは鷲津さんの味方だから(笑)劉の過激な発言に、

「ううぬ、こやつー!!(怒)」

と感情的になってしまうし、ここの演出がホラーのセオリーを逆手にとっているのでなおさら劉が不気味に見えた。

 

 

でも、考えてみましたよ。

ここで何故、劉が過激で挑発的な言葉を鷲津に投げかけてるのか?って。

この直前に鷲津から

「おまえに何がわかる」

と、拒絶されてるんですね。

 

 

 

よく考えてみると、劉にとっての鷲津は「ずっと見てきた憧れの存在」なだけではないんですよね。

NY時代の回想。

鷲津は劉に「人を殺したことがあるか?」と問いかけて、「強くなれ。強くならないと人を殺してしまう」と戒めている。

この時鷲津が使ったのは「日本語」です。

 

ホライズン時代の劉が「劉一華」名義を使っていたものか、「佐藤某」名義を使っていたものか、どちらなのかはわかりません。

たぶん鷲津に話しかけている様子では英語で話しかけてますから、すでに「劉一華」と名乗っていた可能性高いかな、とは思いますが。

 

日本から遠く離れたアメリカでホライズン社のインターン(研修生)になっていた時、なんだか活躍している先輩がいる。

その人は日本人だ。

だから、なんとなく気になる。

とても口もきいてもらえないような存在。

それが、たまたま話のできるチャンスを得た。

それで話しかけてみたら、びっくりするような話をし始めた。

 

果たして、鷲津は自分が話している相手が「日本語」がわかると思って話していたのか。

それとも「日本語」はわからない、と思っていたので、あんな核心に入った話を、ついしてしまったのか。

3回観た限りでは、まだわからないです。

(次回も観て必死に確認してしまいそうです~(苦笑))

 

ただわかるのは、その「日本語」の言葉を受け取った劉が、言葉の意味をずっとのちのちまで考え続けたであろう、ということ。

そして、「日本語」でとても重要な話をしてくれた鷲津が、劉にとっては特別な存在になったであろう、ということ。

 

 

 

11歳で来日して「日本人」になった劉は、最初「日本語」ができなかった。

それで中国人として差別されて苦労した。

と、劉の経歴が説明されています。

その後の生活は詳細説明ないのですが。

たぶん努力して持ち前の頭の良さを生かして母国語同様に日本語を身につけた劉少年は、公立中学で良い成績をとるようになる。

しかし、今度はあっという間に優等生になってみせた彼を同級生は驚異の目で見て、またしても周囲に溶け込めない。

というような状態だったのではないか、と想像します。

 

いずれにしても、異質なものを拒む日本社会の壁は高く、ともに来日した劉の父(これが本当の父であったのか、偽装の父であったのかは最後までわかりませんが)もうまく生活をたてられず。

劉はどうも日本国内では高校進学できなかった模様。

でも向上心のある彼は、何かの機会を得てアメリカに渡ることができた。

そこで苦学してカレッジに学びながら、ホライズン社の研修生になった…

 

 

彼の子供時代は中国の奥地の「貧農」

どのあたりと思うか?と当ブログの政治顧問(笑)に尋ねてみたら、

「湖南省城歩苗族自治県あたりで、どうか?」という答えが(笑)

中国の少数民族です。

(なんで苗族なのかというと1980年代にシティコープ(シティ・グループの前身)に苗族出身の伝説のファンド・マネージャーがいて、苗族は金融の才能があると言われていたから、だそうです(笑))

 

私はおそらく劉は「無戸籍児」だったのではないかと思います。

その理由は、劉が住んでいたであろう家までわかっているのに、本名がわからない、家族のこともわからない。

ということは公的記録に一切残っていない、ということだと思うから。

 

本物の劉一華が1976年生まれ(と見えたのですが、もしかして1978年生まれかも)だから、たぶん彼もそのくらいの生まれでしょう。

当時中国は、76年に周恩来、毛沢東と亡くなっており、国の大転換期。

文革の傷痕もまだ癒えていないだろうし、ましてや当時の湖南省のど田舎で、無戸籍の人たちがいても全然おかしくない。

劉は(もしかしたらその親たちも)中国に暮らしながら、中国国民にカウントされてない。

それが「残留日本人孤児の子孫」を偽装することで、初めて市民権を得る。

存在をカウントされていない者から「誰かになる」ことができる。

例えそれが「日本人」だとしても。

 

 

来日は80年代末。

ちょうどバブルで日本中が湧きかえっていた愚かな時代。

それこそ「札束でひとの顔をひっぱたいていた」時代。

その日本で、劉はたぶん周囲に溶け込むこともできず、「じっと見てきた」

日本の成功も。

失敗も。

ただ、傍観者になりながら、じっと見ているだけしかできなかった、存在。

 

せっかく「日本人」になりながらも、日本には居場所がない。

日本にいても何にもならない。

生ぬるい地獄…

 

 

劉の思春期のころ、10代のころを想像すると、胸が痛む。

日本がはじき飛ばしてしまった、彼。

拒絶してしまった、彼。

彼は、新たな自分の居場所を探してさらにアメリカに渡ることになる。

それは彼が「日本人」のパスポートを手にしたからこそ、できたことなのだけれど。

 

 

劉にとって「日本」とは何だったのか。

自分に市民権を与えてくれたところ。

でも、自分を拒絶したところ。

劉は「日本」をどう思っていたのか。

 

 

そして、たどり着いたアメリカで、劉はひとりの人物に会う。

鷲津政彦。

何かを背負っていて、でもそれを否定しようとしている男。

日本を捨ててきた男。

彼は劉に「日本語」で言った。

「強くなれ」、と。

その時から鷲津は、劉にとって特別な存在になった。

日本から遠く離れた土地で。

深く心の中にあることを話してくれた、初めての「日本人」の仲間…

 

 

 

でも、彼に再会した2008年。

鷲津からは拒絶のひとこと。

「おまえに何がわかる」

と。

 

 

 

以下、続きます。

 

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2009年6月18日 (木)

映画「ハゲタカ」 Vol.3

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微妙に「中毒」でございます。

ええ、こんなことになるって、とうにわかっていたんですがねぇ(苦笑)

どこで何をしていても、いつの間にか考えてますよ~。

あのシーンの意味は、本当は何だったんだろうか…とか。

背景には、どんな現実があったのだったっけ…とか。

そう、2年前にもドラマ「ハゲタカ」観てそうだったけど、今度はこの映画で、「中毒」に陥っています。

 

で、こりゃまずいぞ、と昨夜は気分転換にコンサートに行ってきたんですが。

行った場所がアークヒルズ(溜池山王)だったためか、なんだか出張か商談の欧米人の方々が多い場所柄。

つい鷲津さんが打ち合わせに来てるんじゃないかと、ありえぬ妄想に目が探してしまったりして…

駄目です。

末期となりつつある…(大笑)

(コンサートは良かったですよ~!N響&準・メルクルさんの「ボレロ」聴いてまいりました!素敵なおじさまになりつつあるメルクルさんにキャーッ♪となりつつ、若々しくドラマチックでありながら、とっても緻密なこの曲を堪能。しかし、ワタクシ実は2年前にも「ボレロ」(指揮者は別)を聴きに行ってる…ちょうどドラマ「ハゲタカ」にはまっていた時に。それを思い出してまたも「ハゲタカ」にアタマがトリップする始末、むむむ。)

 

まあ、そんなイカレタひと(笑)になりつつありますが、週末にはこの映画をまた観に行こうかと思ってます。

週末のお楽しみ!(笑)

そして、考える。

この映画の本当の「意味」は?

そして、「現実」は?

 

 

 

当ブログは純粋な映画レヴューではありませんが、映画「ハゲタカ」の内容に結構踏み込んでおりますので「ネタばれあり」の「注意喚起」をさせていただいております。

 

 

 

2008年11月。

金融危機に始まった今回の世界的危機が、やがて「実業」の世界も蝕みはじめた頃。

アメリカの自動車業界がその象徴になってきました。

私の手許のメモには、11月12日に初めて

「GM,クライスラー、フォードのビッグ3が危ない」

というのが出てきます。

 

でも実は「ビッグ3」に問題があるのは、この時点で始まった話ではありません。

製造業離れしてきたアメリカでは、唯一、生き残ってきた製造業である自動車産業は、いわば国策産業。

自動車業界は、それまでもたびたびアメリカ政府からの資金援助を乞い、大枚の借金をしてきたのです。

それが、この金融危機でさらに急激に状態が悪化、もう年内に操業資金が枯渇するので支援してほしい、とアメリカ連邦議会に訴えに来ます。

 

その頃、11月20日。

NYダウはすでに8000ドル割れ。

東京はもう10月末の時点で一時日経平均が7000円割れなんていうもの凄い値をつけてしまい、悪酔いしそうな乱高下状態になっていましたが、なんとか必死で安定化させようとして日銀が0.3%などというほとんどゼロ金利にしたりしています。

この世界的株の暴落に、アメリカ自動車業界はいよいよ後がない深刻な状態。

しかし救済を求めていたはずのこの議会証言は大失敗。

もっと真面目に計画を立て直してこい!ということで追い返されてしまいます。

 

 

「ハゲタカ」の映画化の話を私が知ったのは、11月16日。

この時点では、まさか舞台が自動車会社になるとは、まったく思わなかったです。(私は原作未読ですので)

のちに初めてそれを知った時、本当に驚きましたもの。

舞台に「自動車会社」を選んだのは、もの凄い「慧眼」としかいいようがないです。

 

「アカマ自動車」は日本そのものだ、と映画作中で言われていますが、同時にアメリカそのものでもあり、今回の金融危機で大打撃を受けた先進国(G8プラスEU)そのものでもある、と言えると思うから。

 

 

 

アカマ自動車の詳細な設定は、これから回を重ねて観る際にチェックしようと思っています。

今の時点での記憶では、売り上げは年5兆円(たぶん日本の業界の中ではナンバー3か4あたりではないかな?)

社長は3代目で、おそらく「大空電機」のように、敗戦後の焼け跡からの復興組の会社

(たぶん創業60~70年くらい?もしかして戦争中は軍用車両なんかを作っていた可能性大では?)

古谷現社長に言わせると「先代、先々代が「モノ作り」に固執するあまり時代に取り残されたので、自分の代では「ソフト化」を目指す」

 

しかし、この「ソフト化」が実は大問題。

執行役員の芝野がとても心配しているのがすでに最初から見てとれるし、鷲津にもひっかかるものがある…

 

新車発表会でアカマの魂と称された、「新アカマGT」がどういった位置づけになるのか、車に乗らない私にはいまいちよくわかってないのが申し訳ないのですが。

たぶん、戦後日本が復興していく中で青年や少年たちが憧れた「夢のスポーツ・カー」

その末裔という感じなのでしょうか。

しかし、この車は「ハイブリット車」で、いわゆる「エコ・カー」でもある。

このあたりがたぶん「中国企業が欲しいと思う日本の技術」なのでしょう。

でも、満を持してハイブリット車を発表したのが、2008年じゃ、ちともう遅い。

しかも、どう見てもファミリータイプでないハイブリット車というと、いったいどの辺を顧客ターゲットとして考えているのか…

 

それはたぶん日本国内では、ない。

「金融危機前夜のバブル」に乗っかって沸いている、北米、あるいはヨーロッパ。

そこで、どうやって車を売りさばくつもりだったのか。

たぶんサブプライム・ローンのような危ういローンを組ませて、そのローンが焦げ付く可能性から目を背けてどんどん売りさばく。

そのために、スタンリー・ブラザースのような危うい投資銀行とも組む。

あるいはもっと、スタンリーにそそのかされて、アカマ自動車名義の怪しげな「社債」を乱発して資金調達していた可能性もある。

 

 

これが、古谷社長の言う「ソフト化」の正体。

 

 

いつの間にか、道を見失っていたわけです。

古谷社長が従業員の生活を守らないといけない、と言ってたのはウソではないでしょうが、その結果、支配したのは売り上げ。

売るためなら手段も選ばず。

しかもそれがどんな結果を招いてしまうのか、考えることをやめてしまった…

「アカマは日本そのもの」

そして

「アメリカそのもの」

 

 

「北米事業の展開の失敗」と鷲津政彦にばっさり切り捨てられ、古谷社長は社長解任を飲むことになります。

「君ならどうしたのか」と鷲津に食い下がる社長に、鷲津は「経営は自分の仕事ではない」ときっぱり。

そう。

アメリカ型の金融は、経営に口を出しすぎた。

それも、本当の経営ではなくて、「証券化」とか「金融工学」とかのマジックを多用して、道を迷わせた。

そのことを鷲津もまた痛感して、己の過去を戒めている瞬間だ、と私は思いました。

 

 

 

現実世界の「ビッグ3」は、かろうじてフォードが現時点では破たんを免れていますが、クライスラーもGMも「連邦破産法第11条」の申請をして、現在再建中です。

 

クライスラーは大量に発行していた「社債」を一部債権者に債権放棄させています。(これは裁判にもなりました)

そして労働組合が持っていた「社債」を「新株」に転換。

労働組合が51%の株保有で最大株主になりました。そのうえで会社の経営権をイタリアのフィアット社に売却しています。

おお、こりゃアメリカ流のEBOだ、と私なんかは思ったり(笑)

 

GMは連邦資金を注入して(300億ドル追加支援)それを新株発行、買い上げに使用。

現在アメリカ政府が60%の最大株主であり、つまり国民の税金を使っていますから最大株主は「アメリカ国民」ということになります。

そのうえで、旧・GMブランドをバラ売りに出してます。

(「オペル」はカナダに、「ハマー」が中国に買われたのは聞いた人もあるでしょうね。現在バラ売りセール中です)

また一方で、新GM社を立ち上げる、という長い道のりの過程です。

 

 

いずれにしても「イバラの道」

アカマ自動車もまた、「不可能に近い」と芝野さんが言う再建の道を今後進みつつあるのでしょう。

クライスラーやGMのように。

その過程で、願わくば、今回は道に迷わないでほしい、と痛感します。

映画も。

現実も。

 

 

 

本当は作っていたのは「夢の車」だったはず。

アカマ自動車が作っていたもの。

それは日本人の夢、だったはず。

そして、そのことを教えてくれたのは、思い出させてくれたのは、劉一華。

その人。

 

いったい、彼は何者だったのか…。

 

 

以下、続きます。

 

 

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2009年6月16日 (火)

映画「ハゲタカ」 Vol.2 

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↑上映中でございます。

ワタクシは今のところ6月6日の公開初日と、翌週6月13日の両土曜日に観にいきましたが、両方とも23区内繁華街の映画館で満席御礼でございました。

行こうかどうしようかという考え中の方、是非観に行ってみて下さい。

意外とエンターテイメントのつくりです。

作劇的にも、ホラー映画的なセオリーを逆手にとっていたりして(笑)

でも、観終わったあと、ひどく心に訴えかけてくる。

そして、心にひっかかる部分を何度も反芻して、自分でじっくり考えてみたくなる。

これは、そういう映画・・・

 

 

当ブログは、しばらく映画「ハゲタカ」に関していろいろ書いてみようと思っています。

純粋な映画レヴューではありませんが、映画の内容には結構踏み込んでいくと思いますので、「ネタばれあり」の注意喚起をさせていただきます。

 

 

 

2年前。

NHKのドラマ「ハゲタカ」の放送終了後、各所で熱狂的な支持者を生んでいたこのドラマのファンの中で、最も気にされていたことがひとつ。

「このドラマの続編は作られないのか?」

 

ドラマそれ自体は見事な形でラストシーンを迎えていたので、このきっちり完結したドラマの「後日談」をさらに望むのは本当は邪道であったのかもしれない・・・

でも、あまりにも主人公の鷲津はじめとして登場人物たち全てが生き生きと描かれたこのドラマは、ドラマという枠を越えて人々の共感を呼び、どうしても「もっと観てみたい!!」という強烈な希望を湧き起こさせていたのでした。

 

 

それは、視聴者の生きる「この時代」があまりにも不透明で、この「世界」を主人公たちがどうやって生き切っていくのかを知りたい、ということであったのかもしれない・・・

今から思えば・・・。

 

 

私もまた、そういう「ハゲタカ」ファンとして、当ブログにつらつらと書いていたひとりです。

2007年4月3日の記事でこの「続編希望」について書いています。

「個人的には続編があるなら、舞台を大きくして、国際競争に晒される日本企業を守護神する「鷲津ファンド」が観てみたいです。「ハゲタカ」ではずっと攻めて打って出るパターンでしたから。今度は受けて立つ、を観たいですね。」

とか言ってるし~(笑)

望みは、かなったわけです。

もうズバリど真ん中です、今回の映画。

カントク&制作されたみなさま、ありがとうございます!!(感涙)

 

確かに、そうやって「日本企業」を守護してほしかった。

やっとバブル崩壊の後遺症から抜け出しつつあるように見えたので。

「失われた10年」から抜け出せるように見えたので。

ドラマ版「ハゲタカ」のラストにあるように、「本業に戻ってしっかりやろう。日本の本業はモノ作りにあるんだから」という言葉が聞かれつつあった時代だったので。

日本企業が、いや日本が、この先どうやって切り開いていくのか、それを護る鷲津さんが見たかったのだけれど・・・

 

ただ、その時点では私は考えも及んでいなかったことがあったんですよね。

今から振り返ると。

企業なんですから、作ったからには当然売らないといけません。

モノを売ること・・・

そのことのために、実は日本が何を「犠牲」にして、何を「代償」として支払ったのか・・・

そのことまではわかっていなかった。

アランじゃないけど「何も見えてない」だったんだよね、ワタクシも・・・。

 

 

2008年9月から10月。

いわゆるリーマン破たんショックが起こって、その後転げ落ちるように世界が金融メルト・ダウンに向かって突き進んでいくかに見えた時の話は、Vol.1に書いたとおりです。

9月末の段階では、アメリカやヨーロッパの金融機関をはじめとする世界の金融機関が大量に保有していた証券、債権が一気に不良債権化。

大手金融機関がいくつもいつ破たんしてもおかしくない非常にヤバイ状態になってきて、取り付け騒ぎなんかがちらほら出たりどんどん放置できない状態になっていく。

それで各国政府が非常に慌てて政府介入の対策に乗り出していったわけです。

 

最初、日本は比較的そういった危機的状態から遠いと思われていました。

1990年代のバブル崩壊後に長い長い時間をかけてやっと金融機関が不良債権を整理し終えたところで、日本の金融機関は今回の金融危機の直接原因のサブプライム・ローンなどの危ない証券・債券の保有率が比較的低い、ということだったので。

 

しかし、10月の第1週でその状態は予期せぬ方向へ進んでゆく。

金融危機によって欧米の金融機関が破たんの瀬戸際になってゆくと、当然普通の市民生活にも影響が出てくる。

具体的にいえば、何か買いたくても住宅も車も金融機関でローンを組むことができない、あるいは勤め先の会社が大量の不良債権を財産として所有していたので多大な損失を出し給料を払えない、あるいはそもそも会社の存続さえ出来ず倒産する、そうしてどんどん失業した人々が増えていくので、もうとても何かを買うどころではない・・・

だから、欧米の市民に自分たちの作った「モノ」を売ってきた日本の企業は「モノ」を売ることができなくなってくる。

その予想が世界を駆け巡り、メーカーを中心とした日本企業の株が大暴落。

日本同様に欧米に売ることで成り立っていたアジアの企業株も軒並み「パニック売り」という状態に陥ってしまったのです。

 

なんでこんなことになってしまったのか?

日本がモノ作りの本業に戻ろうと方向を定めてから、その売り先を主にアメリカ、ヨーロッパに定めていた。

国内はまだまだ不況の傷痕が深くとても作ったモノがはけない。

内需が足らない。

だから輸出に頼ったのだけれど、そのためには円高だと困る。

円高にならないように誘導して、限りなくゼロに近い超低金利政策をとる。

すると、その低金利を利用して、円建てでお金を借りてローンを組むということを思いつくものが出る。

グローバリズムの国際金融の時代なので国境を越えてのローンが可能となり、普通だったらローンを組むような収入のバックボーンがない外国に住む人たちにも円建て低金利ローンが可能となる。

これがサブプライム・ローンなどの不良債権の原資になっていってしまう。

しかもアメリカの金融界はさらに、「金融工学」という悪魔的テクニックでこの不良ローンを「証券化」する。

そしてその「証券化商品」を世界中の金融機関に売りさばいて、一見しただけではその危険がわからないように、まるで「地雷」のようにばら撒いて埋めてしまう。

かくして、その「地雷」が大爆発するような破たんがいつ起こってもおかしくないような危うい状況がどんどん拡大していく・・・

 

 

これが実は、映画「ハゲタカ」の舞台の直前の「世界」の状況です。

いつ、何がおこってもおかしくない。

しかし、本質が目の前から覆い隠されて、目を背けられてきた「世界」

その「世界」を形作ってきたのは、「グローバリズム」と称したものでつながった国々、人々。

世界最先端の金融技術。

アメリカと、そして日本・・・。

 

映画のはじまり。

とうとう日本に愛想尽かして海外でくさって自暴自棄的酒とバラの日々(笑)をやっている鷲津を、再び舞台上に戻そうと助力を乞いに来る芝野がいう言葉。

「こんな腐った世界(日本)を、金融界を作ってきたのは我々なのじゃないのか」

その言葉にハッとなった映画初見の日。

ああ、この映画はやはりただごとではすまない映画に仕上がっているな、と背筋を正した私なのでした。

 

 

この項、以下続きます。

 

 

 

 

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2009年6月 9日 (火)

映画「ハゲタカ」 Vol.1

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観ました。

そして、うーん・・・、やられた。

ドラマ版と違って、ラストシーンを観終わっても全然すっきりしません。

いや、けなしてません。

逆に、誉めてます。感嘆してます。

このずっと後を引く感じ、考えさせられる感じ、テーマの深さは相当のもの。

ずっと、考えていたんだよね。

あの日から。

そう、あの日からずっと・・・

 

 

 

リーマン・ブラザースの破たん後NY証券取引所で株価が大幅に下がり始め、ついにアメリカ政府が介入するかしないかということで、アメリカ下院で「金融安定化法案」を決議していた2008年9月29日。

しかし法案は可決失敗で、否決。

その日NYの株価はあれよあれよと坂を転がり落ち、その時点で「過去最大」と言われるほど暴落。

9.11事件後の株価暴落よりひどかった。

慌てて翌週10月3日、やっと「金融安定化法案」を通したけれど、もう遅い。

 

翌週6日、7日と株価は下がり続け、ついに8日の午後東京市場・日経平均が9.38%の下落率を記録した時、CNNのブレーキングニュースとなった。

事故だの地震だの以外でCNNが「東京」をブレーキングニュースにすることなんてめったにない。

それだけに事の重大さがひしひしと伝わり、普段市場のニュースなんかさして興味ももっていない私も固唾を飲んで見守ったものだ。

 

さらに10日、日本を中心としたアジア株が次々に大暴落。

パニック売り、という状況が止まらない。

このまま「東京市場」が「世界市場」を道連れにして崩壊するのか、とさえ錯覚するほど。

東京発のブレーキングニュースを連発するロンドンのCNNスタジオも、ほとんどパニック状態だった。

あんなに叫んで動揺するCNNのアンカーたちを観たのも初めて。

そしてその夜、NYの市場のオープニング・ベルとともに株価がどんどん下落していき、ほんの5分ほどの間にダウが確か800くらい下がっていくのを見た。

 

まさに音をたてて金融市場が崩壊してゆく。

こんなにも脆いものの上に私たちの生活が成り立っていた、という事実。

その、背筋も凍る感じ。

その、あまりの恐ろしさ。

いまになっても、まざまざとその時感じた感覚を思い出す事ができる・・・

 

 

この悪夢のような1週間のあいだ、そしてその後。

本当にいろいろな人たちが、途方に暮れ、悲嘆し、あるいは怒りながら、本当にいろいろな事言ったり、書いたりしていましたよね。

みんな、ややハッキョー気味だったので(失礼)良くも悪くも「その時」のなまのもの。

その後の展開で当たっているものも、はずれているものもあるのですが。

 

ジム・ロジャース(伝説のファンド・マネージャーのジョージ・ソロスのパートナーとしてクォンタム・ファンドをともに設立した人ですね)なんぞは、ウォール街の近年の在り方に批判的だったから、

「(今回のできごとは)29歳でマセラッティを乗り回しているような身の程知らずな連中に、思い知れ!ということだ」

とか吐き捨てていて、そのあまりにピンポイントな攻撃ぶりにテレビの前のワタクシは

「なんすか~!!それーっ!!!(きーっっ!!)」

と身もだえしておりましたです((笑)でも、「ハゲタカ」ファン、鷲津ファンならわかるよね?(大笑))

ただ、「ウォール街の身の程知らず」という言葉は深く心に残りました。

 

 

そして、あの日からずっと考えている。

考え続けている・・・

この「危機」の意味は何なのか。

世界はどこに向かっているのか。

 

 

 

映画「ハゲタカ」を観て、やっぱり考え続けているんだな、と感じました。

「ハゲタカ」を制作した人たちも。

そして、鷲津政彦も。

 

いやー、簡単に答えが出るとは思いません。

世界情勢も世界経済情勢も。

そして、この映画「ハゲタカ」の解釈も。

ドラマ版と同じで、繰り返し観て、味わって、分析して、我が身のことと感じなければ。

そして、たぶん時の経過ととともに、その感想も違ってくる。

「世界」が動く分、たぶんこの映画の持つ意味も揺れ動いてゆく。

「世界」と連動する映画・・・

 

 

 

またしばらくのあいだ、折にふれこのトピックは当ブログ上で書かれていくことと思われますので、「Vol.1」としました。

いま、ちと時間がないので追って細かい感想とかも書いていきたいですが。

なにより、もっと数回観て確かめてみないとね。

 

今のところざっと言えることは、これ、まるで「3部作」の真ん中ですね、ということ。

終わってない。

そう感じる理由は、またおいおいに。

もう1作、制作してください!!

(えっ?「また続編希望」は欲深い?いや、「ハゲタカ」廃人ですから!!(笑))

 

 

 

時間がない理由のひとつは、またもや我が家のパソコンの1台がクラッシュしそうだから。

(またかいな(苦笑))

バックアップ作らなくちゃー!

このパソコン、実は「訳あり」で我が家に流れ着いたお方。

パソコン・メーカーのサポートセンターに電話する時、ちょっとどきどき。

「そのパソコンは当社では登録されておりません」

と言われたらどうしようかと思いました(実際は登録されていてひと安心でしたが)

もし登録されていない身元不明パソコンだったら、パソに向かって言ってしまいそうでしたよ。

「おまえは誰なんだ・・・」

 

 

 


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2009年3月31日 (火)

「過去の亡霊」からひとこと~G20への道

nyan-chan2222「世界を亡霊が徘徊しているー90年代の日本という亡霊が・・・」

当ブログの経済顧問(笑)「・・・カール・マルクス&フリードリヒ・エンゲルス?・・・あんた、それパクリです(呆れ)しかも、3月号のWEDGEにも、そんなパロディまがい書いてる人がいましたよ」

nyan-chan2222「いやまあ、パクリですが(爆)でもWEDGEの真似じゃないですよ。あれ読む前から考えていたんだから!」

 

 

 

ご無沙汰してます、nyan-chan2222です。

相変わらずバタバタしてる間に、いたずらに時間だけが過ぎゆきます。

いやまあ、いつものことですが。

このブログも長い間更新できず・・・もしかして時々訪ねて覗いていてくださった方々、申し訳ないです(冷汗)

その間、いろいろヤボ用を片付けながら・・・、まあ、「ステート・ウイズイン」を熱心に観てたり・・・(←ああっ、やっぱり!という声がどこかから聞こえてきそうです(笑)めったにドラマは観ないので、観ると大ハマリするのはいつものこと。まあ、内容的にもnyan-chan2222が観るしかないでしょ!というストーリーでしたが、2月から3月の、このクソ忙しい時期に全7回のテンション高いドラマを放送なんて(前にどっかで聞いたようなパターンだ(笑))、NHKさん、もしかして狙ってる??責任とって、是非是非、再放送をプリーズ!!!・・・ああいかん、これ以上書くと大脱線しそうなので、「ステート・ウイズイン」についてはまた日を改めて(汗))

 

 

 

まあ、そんな日々の中、先日ちょっと用事があって虎の門のスターバックスにいたわけですよ、ワタクシ。

そして、去年とはまったく光景が違ってしまったことに驚いていました。

虎ノ門のスタバは、しばらく前まではスーツ着た欧米系の外国人ビジネスマンがパソコン打ってたり、商談の合間なのかお茶しながらミーティングしてたり、が結構多かったのです。

なのに、欧米系外国人らしき人がひとりもおられず。

日本人だってビジネスマンっぽい人をほとんど見かけず。

みんなどこへ行ってしまったの?という感じ。

で、その話を知人にしたら、知人の仕事先ビルでも下のフロアの外資系金融会社が一夜にして撤退して、ひとっこひとりいなくなってしまった、という話を聞かされました。


 

やはり、世界的な金融危機なんだな、と妙に納得。

じわじわと風景が一変しつつあります。

でもこういう変化は今回が「初」ではないですね、東京は。

というよりも、CNNでもこの前言われてましたが、10年前に同じような危機的事態だったのに、どうしてまたおんなじことになってるのか、日本!(苦笑)

ただすでに通った道なので、東京では人々は悪く言えばあきらめ気味、良く言えばあわてず騒がず、今のところはしぶとい感じです。

 

でも、世界の他の地域はそうはいかないですね。

特にアメリカやヨーロッパでは、記憶にある限りこんな目にあったことないでしょうし。1929年の大恐慌の記憶なんて持ってないし。

だから、この先どうなるのか、それがわからなくてとても不安、心配、恐怖・・・

当然でしょう。

そして、みんな口をそろえてこう言うのです。

1990年代の日本のようになってしまったらどうしよう!」

90年代の日本の「失われた10年」のようにならないためには、どうしたらいいのか?」

 

 

そう。

世界を亡霊が徘徊している。

90年代の日本という亡霊が。


 

なので、ここはひとつ、当ブログの経済顧問と相談しながら、みんなが怖れる日本(苦笑)のようにならないために、ちょっとだけ世界の人たちにアドバイスを書いてみようかと思います。

つまり、題して。

「亡霊」から、ひとこと。

 

 

 

どうして10年間も(いや正確には、日本の庶民にとってはここ18年間ほどずっと)失われてしまったのか。

その一番の理由は「現実逃避」だった、と私は思います。

80年代末から90年代初頭にかけて、日本中が浮かれた「バブル景気」は、文字通り泡のように実態のないものではじけ飛んでしまったわけですが、その事実をみんななかなか正視することができなかった。特に強烈に下落した不動産価格など「時間がたてばきっといつかまたもとの価格に戻るにちがいない」と心のどこかで思っていた。

なので、バブル崩壊後じりじりと価格が下がり続けても何も手を打たずにいてしまい、やがて気がついた時には手の施しようもなく、不良債権として積みあがってしまっていた。

そしていったん不良債権の山ができてしまうと、今度はそれをひたすら隠すはめになった。

二重帳簿をつくったり、実態のない子会社につけかえた形にしたり、無意味に隠し続け、ますます不良債権が増え積みあがっていった。

90年代を通してそんなことが行われ、ついに90年代末、もうどうにもならない状況になってつぶれる銀行や証券会社が出て、初めて「これはもう絶対に元には戻らない。だからなんとかするしかないのだ」と気がついた・・・。


 

つまりは、もともとが「バブル」だったわけです。そんなに高い価値などあるはずない。底上げしていただけなのです。

もう絶対にバブル時の価格に戻ることはない。

いや、健全な経済のためには、またバブルに戻してはならなかったのです。

本当の価値がどのくらいなのか早く「査定」して、実態にみあった価格を受け入れ、バブルの時の異常な高値価格とのあいだの差=損失額を「不良債権」として確定しなければならなかったのですが、それをやらずにだらだらと現実逃避していたわけです。

もっと早くちゃんと確定していたら、価値のさらなる下落も歯止めできたろうし、負債が雪だるまのように積み増すこともなかった。

さらには不良債権を恐れて銀行が貸し渋りを始めることもなかっただろうし、ドミノ倒しのように負債が連鎖して銀行や証券会社の倒産の危機が拡大していくことも止められたはず。

重要なのは、痛い現実、真実をしっかり認めることで、それが解決の第一歩、始まりなのです。


 

日本ではやっと1998年に制定した金融再生法の下、金融庁(当時は金融監督庁)が金融機関に対して強制的に調査に入れるようにしたのですが、これだって十分でなかった。

本当のところ、日本国内の組織では問題処理のための力をなかなか発揮できず、海外からの「外圧」がかかってやっと動き出したといってもいいかもしれない。

不良債権処理に群がった海外勢のハゲタカファンドやら、2002年に導入されることになった時価会計やらの「外圧」が必要だったのです。

「外圧」がかかって本格的に「査定」が始まるまで、さらに余分な時間が失われたのはいうまでもありません。


 

しかし、そうやってなんとかバタバタと始まった「査定」が公正であったかどうか、実はあとあとまで尾を引いています。

本当に正しい「査定」がされたのかどうか。

どう考えても実態の価値より高い評価をされた不良債権もある。逆にこっそり不当に安い値段をつけられて他の屑物件と紛れ込ませて処分が行われた優良物件もあり、不当に私腹を肥やした悪者たちもいたことが、いまになって明らかになりつつあります。

こうした事態はさらに悪くすると、混乱に乗じて小手先のテクニックで「怪しい証券」をまたも新たにつくり出したり、「怪しい債権市場」をでっちあげたりする者が出てこないとも限らないということでもあります。

当時言われた「民間の活力利用」という言葉が目くらましとなった結果、いまになって日本の社会は公的なものがボロボロになりつつあり、問題が噴出していることも付け加えておきます。

もっと公的な存在の組織が不良債権処理にあたれなかったのか、あとから悔やまれても、その時にはすでに遅いのです。

 

 

先週アメリカで「バッド・バンク」構想という不良債権処理策が発表されましたが、これはやっと直視するためのスタートラインにすぎません。

肝心なのは今後どうしていくか、の方ですから。

述べてきたように、正しい「査定」がされないと意味ありません。

「バッド・バンク」をどういう組織にするか、誰が、どうやって、采配をふるうか、それこそがとても重要なのです。

おそらくすでに多額の不良債権を抱えてしまっている金融機関に、損失額の責任をとらせながら債権を吐き出させるのはとても大変でしょう。

日本の例を出したけど、欧米の銀行だって「現実逃避」してないと誰が言えるでしょう?

かなりの強制力をもって、金融機関が隠したり飛ばしたりしている不良債権をつきとめて処理させ、必要とあれば経営責任(当然民事訴訟も含みます)をとらせたり、さらには金融機関を解体したり破たんさせることも視野にいれなければならないのです。

いまアメリカは、財務省の権限強化問題の賛否で揺れているようですが、そんなのは目じゃないかも、と言っておきたいです。


 

しかも、今回のこの金融危機は一国の処理で片付く問題じゃありません。

国際的に広範囲に多種多様にばらまかれた不良債権を同時に処理していかないと、またどこかに「吹きだまり」のような真空地帯ができて、いずれそれが発火点となってまた新たな金融危機を招かないとも限らない。

実際、日本で不良債権をしょいこんだものたちが、それを解消するために別の国でまたバブルをおこそうと企てた、なんていう馬鹿な犯罪的なこともおこったのですから。

すでに世界は良くも悪くもつながっているのです。

 

 

そういうわけでアメリカ国内で財務省に権力が集中しすぎだ、などと的外れなことを議論している場合ではないです。

「査定」は速やかに、しかし公正に、やらねばならない。

極めて困難な道です。

そのためにはかなりの知力と剛腕が必要です。

むしろ一国を越えて「査定」、「処理」、「規制」、「監視」を強制的にやる国際機関をつくるくらいの覚悟がないとなかなか片付けることができず、いたずらに歳月が失われることになる・・・

それは、みんなの反面教師にして恐怖の対象たる我らが日本国を例にひくまでもありません。


 

 

みんな、90年代の日本のようになりたくなかったら、さっさと決然たる意思をもって、国際的協力をつくりあげるんだ!

屈辱を承知でそう言いたいです。


これが亡霊からの伝言。

亡霊からの忠告です。


そして、世界のみんなが良くならないと、どんなに過去の経験があったって日本はまた何度でも同じことに陥る、とも承知しています。

世界はもはや否応なく堅く密接につながっているんですから。

 

 

今週始まるG20の国際会議、そしてその後に続く道。

今後の展開を注視しています。

果たして次の一歩が踏み出せるのでしょうか。

 

 

 

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2009年1月21日 (水)

成るか?!、21世紀の真のスタート~第44代アメリカ大統領就任式

よく、「現在進行中の金融経済危機は100年一度の危機だ」という言葉が聞かれます。

そして、「1929年の世界大恐慌以来の大恐慌の可能性も秘めている」とも。

しかし、最近私は「本当にそうなのだろうか?」と思うのです。

本当に今は、「80年ぶり」の経済の危機的状況なのだろうか・・・、と。

 

 

遅ればせながら、あけましておめでとうございます(←ほんとに遅いよ!(冷汗))

またも大いに不定期更新の当ブログ、時々覗いて下さるみなさまには申し訳ございませんです。そして、いつもたいへんにありがとうございます。

ぼちぼち細々と更新していきますので、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

さて、昨夜私は家のTVでバラック・フセイン・オバマ第44代アメリカ合衆国大統領の就任式を観たわけですが、この文章を綴る間もまだまだ深夜のワシントンDCの祝賀会の様子が報道されていたりして、アメリカが、世界が、この日の来るのを本当に首を長くして待ちに待っていたことをしみじみと感じます。

やはり、ただでさえ過去8年間で問題山積だったところに持ってきて、昨年9月から始まった(いや本当はもっと前から存在していたのですが、一般の人の目にもはっきり見える形で表面化してきた)全世界を捲き込むこの金融経済危機と不況の嵐があまりにも激しく問題をつきつけてきて、たくさんの人たちがくじけそうになりながらも「希望」を託してきたのが、今日この日だった、というのがよくわかるのです。

まさに、「救世主」が正式にその仕事に就任し、着手し始める時が来るのを今か今かと待っていたのだと。

115日の選挙の日からこっち、2ヵ月半もあった待ち時間の長さ。

そしてその間おこったさまざまなこと。

逆に言えば、何も肝心なことがおこらず、進まなかったこと。

その時間の無駄さ。

その間、世界はずっと待ち続けてきた。

だから、もうそれはアメリカだけでなく、世界の希望になっているといえるでしょう。

 

 

しかし、むろん「救世主」がすべてなんとかしてくれるわけもなく、安易な解決法などないということも事実であり、オバマ新大統領の就任演説はまさにその点を戒めているものとなりました。

いわく、「すべての人々がその責任を自覚して一緒に解決に努力しなければならないのだ」と。

確かに。

すべての人々がなんとかしようと動かなければ何かを変えることなどできないでしょう。

そして、「何を」変えるのか。

それは前にも書いたけれど、現在の経済・社会システムにほかならないもの、なのではないかと私には思えるのです。

 

 

現在の世界の経済・社会システムは長らく続いたヨーロッパの覇権の時代がアメリカの覇権へと移った時に始まるのは周知の事実でしょうが、それはいつからだったのかというと、一般には第二次大戦後にドルが基軸通貨になってからだと言われているのだろうと思います。

ですが、それはさらに遡れば第一次世界大戦でヨーロッパが疲弊し、戦争の傷を受けずにすんだアメリカが経済的に繁栄していったのに、しかしその繁栄を全世界に還元することができずに繁栄ゆえにゆきすぎた資本主義がクラッシュした1929年の世界恐慌にあるのではないかと思われるのです。

 

世界恐慌からの脱出は、ルーズベルトのニューディールに始まる政策群と、不幸なことに第二次世界大戦による主に軍産系の産業需要に応えたおかげであった、といわれています。

しかし、本当の意味で1929年の世界恐慌は終結したのでしょうか?

 

結局、第二次大戦後肥大した軍事産業を抱えたアメリカはそれを持て余し、軍事によって国家の掌握と再生を果たしたために同様に肥大化した軍事産業を抱えてしまったソビエト連邦と、「冷戦」という名の架空の戦争を戦い、そのあげく朝鮮半島、インドシナ半島、中東、といった世界のあちこちで地域限定戦争の泥沼を戦うことになりました。

もちろん泥沼ですから、犠牲も矛盾も人一倍です。

しかし、そのことでなんとか世界恐慌に戻らずにすんでもいた。

束の間の脱出だとしても。

 

しかし、そのような形で維持していく経済システムとはいったい何なのか。

言ってみれば、バブルが崩壊した日本で二重帳簿を作って不良債権を架空の子会社に飛ばしていたように、戦争によってとばし帳簿を作って負債を見えないような状態にするだけのこと。

実は、何も根本的には解決していない。

1929年の恐慌から本当の意味で抜け出していない。

世界は実は、80年もの間、長い、長い、恐慌の時を生き続けてきたのではなかったのか・・・

 

 

もちろん、アメリカの歴代の大統領が就任とともに、なんとか自分の代で、はまり込んでしまったその経済・社会システムから抜け出そうと決意していたことは、彼らの名誉のためにも付け加えておきます。

しかし、残念ながらひとりもそれを果たしていないことも事実です。

それどころか、負債はどんどん目に見えないところで雪だるま式に増え、ついにどうしようもないところまで達し、ついに2008年、その無様な姿をさらすことになってしまったのでしょう。

 


そして、今度こそ、もう待ったなしのところまできてしまっている。

もう一度、本当の意味で、1929年の世界恐慌を終わらせて、新しい世界を、システムを作らなくてはならない。

たぶん、当初ルーズベルトが目指したような健全なやり方で。

 

 

その責任と決意をこの年若い新大統領は一身に背負っている。

就任の誓いをたてるオバマを観て、ほんとうにしみじみと考える。

今度こそ20世紀の悲劇を終わらせて、新しい世紀に入ることができるのでしょうか?

その道がどんなに険しくても・・・

 

果たして、成るか?

新しい21世紀の本当のスタートが!

   



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2008年11月 5日 (水)

America Votes 2008 アメリカ大統領選挙ウォッチャー記~その28アメリカ大統領選挙本選途中経過(かなり続報の追記あり)

(日本時間・415時頃)

ニュハンプシャー州、ディックスビルノッチですでに投票・開票が終わっています。(この場所についての説明は、予備選挙時の記事に書きましたのでよかったら見てください。18日の記事です。)

その結果はバラック・オバマ候補15票、ジョン・マケイン候補6票。(もうひとつの町も足すとオバマ候補32票、マケイン候補16票だそうです)

この結果は最終的な結果に必ずしも反映するとは限りませんが、参考まで、という感じでしょうか。

以下特筆すべき速報があれば順次アップします。



(日本時間・4日22時40分頃)

オバマ候補の一家がシカゴの投票所に現れ、投票しました。

非白人のアフリカ系アメリカ人の大統領候補が、自身の立候補する大統領選挙に投票する初の瞬間。
歴史の1ページが刻まれました。




(日本時間・4日23時頃)

民主党副大統領候補のジョー・バイデンがデラウェア州の投票所に現れ、同じように投票しました。



(日本時間・5日02時頃)

マケイン候補がアリゾナ州フェニックスで投票しました。

慣例に従わず本日も選挙運動の遊説をする予定(アメリカでは日本と違って選挙当日も選挙運動ができます)



(日本時間で真夜中時間帯となったため、共和党副大統領候補のサラ・ペイリンのアラスカでの投票時間は確認できず。投票後フェニックスへ)



(日本時間・5日09時頃)(以下確定予想はCNNによる)
バーモント州(3人)→民主党(以下、民)

ケンタッキー州(8人)→共和党(以下、共)

ヴァージニア州の上院議員議席はマーク・ウォーナー元知事(民主党)が当選確実
やはり下馬評のとおりヴァージニア州は全体のすう勢を決めそうな感じです。




(日本時間・5日10時頃)
ワシントンDC3人)→民

イリノイ州(21人)→民

マサチューセッツ州(12人)→民

ニュージャージー州(15人)→民

メイン州(4人)→民

メリーランド州(10人)→民

デラウェア州(3人)→民

コネチカット州(7人)→民
サウスカロライナ州(8人)→共
オクラホマ州(7人)→共
テネシー州(11人)→共



(日本時間・5日10時30分頃)
ニューハンプシャー州(4人)→民



(日本時間・5日10時40分頃)
ペンシルベニア州(21人)→民



(日本時間・5日11時頃)
ニューヨーク州(31人)→民

ミシガン州(17人)→民
ロードアイランド州(4人)→民
ウィスコンシン州(10人)→民
ミネソタ州(10人)→民
アラバマ州(9人)→共

ワイオミング州(3人)→共

ノースダコタ州(3人)→共



(日本時間・5日11時15分頃)

ジョージア州(15人)→共



(日本時間・5日11時30分頃)
オハイオ州(20人)→民

ヴァージニア州よりこちらの方が決着が早かったですね。
オハイオ州をとったのはオバマ候補にとってとても大きく、マケイン候補にとっては失ったのはとても痛い。
少なくとも、2000年、2004年とは大きく違う結果となることは決まったといえます。


(日本時間・5日11時50分頃)

ニューメキシコ州(5人)→民

ルイジアナ州(9人)→共


(日本時間・5日12時頃)
アイオワ州(7人)→民
カンサス州(6人)→共
ユタ州(5人)→共



(日本時間・5日12時10分頃)
ウェストヴァージニア州(5人)→共



(日本時間・5日12時15分頃)
アーカンソー州(6人)→共



(日本時間・5日12時20分頃)

テキサス州(34人)→共



(日本時間・5日12時25分頃)
ミシシッピ州(6人)→共



(日本時間・5日13時)

ヴァージニア州(13人)→民


ついに270人を超えました。
第44代アメリカ合衆国大統領に、バラック・フセイン・オバマ氏当選確実。

新しい歴史が作られました。

ヴァージニアは1964年リンドン・ジョンソンがとって以来、民主党がとることはない州でした。
これはアメリカの選挙地図が新しく書き換えられた瞬間でもあります。
そして、わたしなんぞはやや欧米史おたくなので(笑)南北戦争で燃え上がったヴァージニア、という歴史的記憶が甦ったりして。

その土地が新しいアメリカ、21世紀の出発点でもあるのはとても意味深いことです。



(日本時間・5日13時20分)
ジョン・マケイン候補が敗北宣言。
老鳥は、静かに舞い降りて、その翼をたたんだ。



(日本時間・5日14時)
オバマ次期大統領が勝利宣言スピーチ。
明日からアメリカを、世界を作り直すための仕事にいっしょにとりかかろうと宣言。 

どうか、新しい大統領に、新しい歴史に、幸いあれ。







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2008年11月 4日 (火)

America Votes 2008 アメリカ大統領選挙ウォッチャー記~その27アメリカ大統領選挙本選概観

アメリカ大統領選挙はご存じのように4年ごとに投票・開票が行われます。

選挙イヤーは長い予備選挙を戦うことから始まり、その経過は今回選挙ウォッチャーをやりながら記述してきた通りなのですが、最終的には11月の本選挙に全てが行き着くわけではあります。

でも今年は、予備選挙がとりわけ長く白熱し記録的なシロモノだったので、本選挙はなんだか地味になるかもね、などと密かに思っていた夏の始め頃。

これが全く大間違い。

世界中を捲き込む大金融危機の嵐の渦中に投げ込まれ、のっぴきならないアメリカ合衆国の(いやいや世界の)存亡さえもかかっているかと思われるような、劇的状況下での本選挙になってしまいました。

どこが地味なんじゃ!と自分につっこみをいれてみたりして(あああ・・・(苦笑))


そして、本選挙がついに、いよいよ今日始まります。


本選挙は11月の最初の火曜日に行われると決まってますが(なぜ火曜日なのかは57日の記事を参照してください)今年は114日火曜日。

同日夜(日本時間115日午前中)に投票が締め切られて即日開票となります。

今回の選挙は世界中から注目を集めていますがむろん日本でも例外なく、さまざまなマスコミ媒体でアメリカ大統領選挙についての解説が行われていますので、私が細かに選挙システムについて書くのもなにとは思います。(年初にこのブログでこのテーマを取り上げ始めた時から比べると、雲泥の差のもの凄い量の情報が出回っていて人々の関心の高さを表していますが、その背景にこの10か月あまりの間の世界情勢(主に金融情勢)の劇的変化を思わずにはおられません)

なので、ざっとした説明だけをして開票結果を待ちましょう(笑)

アメリカ大統領選挙は実は直接選挙ではなく、間接選挙であるのはすでにご存じのことと思われます。

各州ごとに特定数が決まっている「選挙人団」というものを選挙で選ぶのです。

各州ごとの特定数は、上院議員(各州2名)と下院議員(各州の人口比による。10年ごとの国勢調査で改正)の人数を足した人数になります。

大統領選挙立候補者は、各州ごとに人数分の自分の選挙人団候補を立てなくてはなりません。

各州民はこの選挙人団に投票する形をとって、1票でも多くとった者が州の定数の「選挙人団」を獲得することとなります。ほとんどの州では、勝者総取り方式になります。

(ネブラスカ州とメイン州だけは例外で、獲得票比率を反映して選挙人団獲得数を決めます)

例えばオハイオ州の選挙人団定数は20人。

オハイオ州で立候補する大統領候補は20人の自分の選挙人団(主に公職についている人とか党の幹部とかの人が多いようです)を選んで立候補してもらいます。

そして選挙の結果1票でも多く票を獲得した候補が、オハイオ州の20人の選挙人団すべてを獲得することとなります。

こうして各州で獲得した選挙人団の人数を足し上げて、一番多くを獲得した立候補者がアメリカ大統領に就任決定することとなるのです。


まあ客観的に考えても、すべての州で選挙人団をたてて立候補するためには大変な組織力と金力が必要なのはすぐにわかります。

だから、二大政党・共和党、民主党以外の第三党の候補者や、無所属の候補者が立候補するのはとても難しいシステムであり、このシステムに守られて過去150年間の二大政党制が続いてきたともいえるわけです。

今回もむろん、二大政党以外の候補者が立候補しているのですが(CNNによると21人も立候補しているとか。知られたところではラルフ・ネーダー氏(2000年選挙のいわくのあの人(笑))、ボブ・バー氏、シンシア・マッキーニー氏あたりでしょう)しかし、全州で立候補している人は存在しないようです。(最大30州くらいでしょうか)

やはり二大政党以外には、限界があるのです。

このシステムの問題点はいろいろ指摘され続けてきたわけですが、一番問題になったのは、かの2000年の因縁の大統領選挙の時、あれだけ揉めに揉めて最終的に最高裁が大統領を選ぶような展開になってしまい、大統領選挙を間接選挙から直接選挙に改正するべきなのではないかという議論がなされた時だったでしょうか。

アメリカ国民の中でもかなりの人々が直接選挙を望んでいると聞きます。

私なども外国人の立場からするとどうして直接選挙にしないのかと不思議でしょうがないのですが。

しかし、ことはアメリカの憲法に関わる問題なので憲法改正も視野に入れねばならず、簡単には改正できないと言います。

つまりは200年以上続いた「伝統」だというのです。

背景には、アメリカは各州政府の自治がかなりに認められた集合体であるべきという考え方があり、地方分権と中央集権との間で揺れる異なった立場が存在しながらも、アメリカは「連邦」なのだという主張が根強いせいもあるといいます。

また、ヨーロッパのような複数政党がつねに調整してどことどこが連立するかを、その時期、目的で離合集散するような政治風土がアメリカに馴染まないという主張をする者も多いといいます。

果たしてそういうもろもろの主張が本当なのかどうかは「?」ではあるのですが、これだけは本当でしょう。

つまり、アメリカの市民たちは4年に1度のこの選挙戦の過程を一種のお祭りのように楽しんでいる、と。

どんな辛い状況でも、この大きなイベント、お祭りに参加することが人々を勇気づけ、誇りを鼓舞するのでしょう。

そしてこれまでの4年間を刷新し、新しいスタートを切るための原動力にするのでしょう。


ならば、アメリカのみなさん、と私は言いたいです。

私たち世界の、アメリカの外側の市民も、もうずっと待っていた。

これまでの無駄に悲しい8年弱の時間を刷新する時がくるのを、もうずっと、ずっと待ちわびていた。

どうかあなたたちのために、そして私たちのために、今度こそ最善の、正しい選択をしてほしいのです。

どうか、今日、決意を。



<付録>

各州の選挙人団(人数は()の中)獲得確定予想。

当ブログ政治顧問団(仮)(笑)の制作による。

東部標準時間19時前後の確定(日本時間59時、以下日本時間換算は省略)

 バーモント州(3人)→民主党(以下、民)

東部標準時間20時前後の確定

 ワシントンDC3人)→民

 イリノイ州(21人)→民

 マサチューセッツ州(12人)→民

 ニュージャージー州(15人)→民

 メイン州(4人)→民

 メリーランド州(10人)→民

 デラウェア州(3人)→民

 コネチカット州(7人)→民

 ニューハンプシャー州(4人)→民

 ペンシルベニア州(21人)→民

 オクラホマ州(7人)→共和党(以下、共)

東部標準時間2015分前後の確定

 ヴァージニア州(13人)→民(激戦州、以下激)

東部標準時間2030分前後の確定

 サウスカロライナ州(8人)→共

東部標準時間21時前後の確定

 ニューヨーク州(31人)→民

 ミシガン州(17人)→民

ロードアイランド州(4人)→民

ウィスコンシン州(10人)→民

ミネソタ州(10人)→民

カンサス州(6人)→共

ワイオミング州(3人)→共

ネブラスカ州(5人)→共

東部標準時間2115分前後の確定

ノースカロライナ州(15人)→民(激)

東部標準時間2130分前後の確定

インディアナ州(11人)→民(激)

アラバマ州(9人)→共

ケンタッキー州(8人)→共

東部標準時間22時前後の確定

アイオワ州(7人)→民

オハイオ州(20人)→民(激)

東部標準時間2215分前後の確定

ニューメキシコ州(5人)→民

東部標準時間2230分前後の確定

コロラド州(9人)→民

ノースダコタ州(3人)→民(激)

フロリダ州(27人)→民(激)

ウェストヴァージニア州(5人)→共

東部標準時間2245分前後の確定

テネシー州(11人)→共

東部標準時間23時前後の確定

カリフォルニア州(55人)→民

ワシントン州(11人)→民

ハワイ州(4人)→民

オレゴン州(7人)→民

ミズーリ州(11人)→民(激)

アイダホ州(4人)→共

ミシシッピ州(6人)→共

東部標準時間2315分前後の確定

ネヴァダ州(5人)→民(激)

ジョージア州(15人)→共

ユタ州(5人)→共

テキサス州(34人)→共

アーカンソー州(6人)→共

東部標準時間2330分前後の確定

サウスダコタ州(3人)→共

東部標準時間2430分前後の確定

モンタナ州(3人)→民(激)

東部標準時間25時前後の確定

ルイジアナ州(9人)→民

アリゾナ州(10人)→共(激)

東部標準時間2645分前後の確定

アラスカ州(3人)→共

オバマ候補のかなりの大勝とみています。(オバマ候補の選挙人団獲得、最大で400人)

しかし激戦州がどちらに傾くかはまだわかりません。

もし激戦州をすべて共和党=マケイン候補側が獲得した場合、民主党282人、共和党256人。

それでもやはりオバマ候補の勝利となると考えています。

注目州はヴァージニア州。

ここでの結果は全体の傾向を決めるのではないかと考えます。

誰がどのくらい得票するか、が重要です。

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2008年10月22日 (水)

merica Votes 2008 アメリカ大統領選挙ウォッチャー記~その26ふたつの未来(大統領候補討論会 第3回 ニューヨーク州)

自分の体調がすぐれない時に、これまた大いにすぐれない状況のニュースをチェックしているのはとてもしんどいものです。

先週の私はキリキリ痛む胃を抱えながら、世界金融危機関連のニュースを見守っていたのですが、乱高下する株式市場に悪酔いしてしまいそうでした。

(特に東京市場のうろたえぶりは日本人として赤面ものです。動揺を鎮めるためになんら対策も打ち出せない政府も政府なら、いちいち海外市場の動向に23倍も過剰に反応して、自分の頭で考えようとしない投資家も投資家なんですが。でももっといけないのは、ここ15年以上も続くあまりの「不況感」に慣れきってしまっていて、考える気力もなく「ああまたか」とただただ呆れかえっている国民の状態もどうかと思います。)



そんな1週間の中でも、やはり飛び抜けて目を引いたのはヨーロッパの対処の仕方だったかと思われます。

イギリスのゴードン・ブラウン首相がすでに8日の段階でイギリス政府による主な銀行への資本注入を決定、他国もこれに続いて欲しいと記者会見で訴えました。

当初混乱のため動きの鈍かったヨーロッパ諸国もそのイギリスの動きを受け、13日にもフランスのニコラ・サルコジ大統領がイギリス同様の金融機関への資本注入をフランスでも実施すると発表。

またフランスは今回のEU議長担当国として加盟27国をまとめ上げ、加盟国の協調行動として同様の政府介入をそれぞれの国が進める方向にもっていきます。

そしてEUを中心としたG7(プラスG20 )が、アメリカにも同様の資本注入を行うことをプレッシャーをかけます。

むろんアメリカは当初は抵抗しましたが(国民の理解が得られないだとか、資本主義の原理にもとるだとか、うだうだうだ)株価は乱高下しながらどんどん下がっていくばかりとあって、ついに14日金融安定化法案で用意された資金の中から2500億ドル(25兆円強)を使って9社の大手金融機関などへの資本注入(株式の取得)をすることを発表したのでした。

金融機関の破たん懸念に即刻対応したことで、巷ではブラウン首相の手腕を高く評価されているようですが、ブラウン首相の意図に反応したサルコジ大統領の連携ぶりも見事でした。

1国が倒れたらドミノ倒しで世界中に広がってゆく、だから何としても一刻でも早く食い止めなければならない、というこの危機の本質を見抜いていたという点で2人とも一致して政策にとりかかり、10月のあたまにはもう空中分解してしまうのではないかと思われたEU の大ピンチを救い、ひいては崖っぷちに立っていた世界金融をとりあえず崖から転げ落ちるのを救ったのです。

思えば、ブラウン首相(左派)とサルコジ大統領(右派)が同じ船に乗って絶妙に連携しているさまは非常に興味深いものでした。

本来だったら政治的立場が対極にあるような2人が同じ船に乗って、暗礁だらけの海の航海をしていくさまは、もはや政治イデオロギーだのなんだの言っていたような時代を遥か後方に置いてきたこと、新しい21世紀の本当の始まりを試されたのだと強く感じたものでした。

それはまったく新しい旅の始まり。

これまでの海図にない旅の始まりだったのではないでしょうか。



その同じ頃。

1015日夜(現地時間)アメリカのニューヨーク州ホフストラ大学では、アメリカ大統領選挙のための大統領候補者討論会が行われました。

これは3回目で最後の討論会、というわけです。

ヨーロッパの劇的な展開に比べて、こちらはどういう新しい道筋を見せてくれることができるだろうか、それが私にとっては最大の興味のポイントでした。

討論会のテーマは「内政問題」

当然、前2回よりもこの金融危機について多く時間をとり、これを前提にどう各自の政策を立てて実行していくか、が焦点になるものと思われました。

ふたりの候補はそれぞれ、住宅差し押さえの90日間猶予(オバマ候補)とか不良債権化したローンの買い取りと新規ローンへの組み換え(マケイン候補)などといった新しい政策を打ち出してきていたのですが、どちらの政策もどちらが主張してもおかしくない感じで各自の差別化まではいかなくて、これは有権者にとってなかなか選び難いなと感じられるものでした。

従って、それぞれが差別化して「相手とは違う」と主張できる点はどうしても旧来からの「違い」を主張している点で、それは「税金」の設定の仕方の違い、ということになってしまっていたように思います。

すなわち、「減税」が前提で、特に富裕層に対する減税をやれば、それは経済活性化、消費活性化、雇用促進につながるとする、旧来の共和党的政策=レーガノミックスの焼き直し版をマケイン候補は掲げているのでした。

そして、「減税」すると国庫が歳入不足になってしまうために、その「減税」とセットになっているのは「歳出の制限」というわけで、いわゆる「小さい政府」論となるのですが、マケイン候補は政府歳出の全面凍結と見直しをするといいます。

ただし、同じくレーガノミックスで重要な柱となっているいわゆる「規制緩和」については、この金融危機が始まるまでは主張していたのですが、この危機の元凶とも言われているため、一切言及しないようになっていたのは当然でしょうか。

一方オバマ候補は、そのレーガノミックスを掲げて過去7年半を運営してきた現政権=ブッシュ政権が金融危機を呼び、経済も国民の生活もボロボロにしてしまったことを突き、それを立て直すためには「中産階級の復活」をさせなければならない、そのためには「減税」は低所得者と中所得者のために行い、富裕層に対しての減税を廃止する(つまり富裕層については現在より「増税」になる)ことで国庫の歳入を失わないようにする、という政策を打ち出しています。

ただ歳出については、見直しはするけれど必要なところには投資しなければならないとし、特に社会福祉や医療制度改革などの社会のセーフティ・ネット作りと次世代のための教育関連費を重視する政策も掲げています。これはいわゆる「大きい政府」論ともされているものです。


このふたつの立場がいわば真っ向から議論したディベートだった、ともいえます。

表向きには。

しかし、現実には、このふたつが対決した「ふたつの未来」は存在しなくなっています。

アメリカ合衆国にとっては。


アメリカはすでに大いにこじれてしまった3つの戦争を戦っていて、イラク戦争、アフガニスタン戦争、そしてテロとの戦争、の膨大な戦費と、肥大化したアメリカ軍の経費(復員軍人への補償費も含む)が必要となっており、アメリカ政府歳出に重くのしかかっています。

ついでに、これに加えて先月から「金融危機との戦争」も加わってしまい、いってみるなら「ウォール・ストリート軍の立て直し」とか「サブプライム戦争の復員破たんファミリーへの補償」とかをこれから実行していかなくてはならないのは明白です。

この戦争は実は前3つの戦いよりもはるかに厳しくやっかいですが、アメリカは国家として生き残るつもりがあるのなら、必ず避けて通ることができません。

いまや世界経済はグローバル化してつながってしまっているのですから、すでに世界じゅうを引きずりこんでしまっているアメリカが、戦わないで済ます方法はないのです。

もしこれを戦わないで下りてしまおうというのなら、そして本気で「小さい政府」を目指そうというのなら、まずアメリカ軍を解散して、大企業全部と手を切り、世界金融から撤退して、世界の基軸通貨であることをやめなければなりません。

ついでに、FRBの廃止、連邦政府を解散して、完全に州政府に権限移譲し、各州政府をそれぞれ独立国扱いにする。

ついでにもっと念を押すのならば、かつて日本の徳川幕府がやったように各州政府の判断で「鎖国」してしまえばもっと完璧でしょう。

つまり、アメリカ合衆国の解散。

これ以外に現代で「小さい政府」などというものが成立できるはずがないのです。

しかし、アメリカ合衆国の解散など、できるはずもない。

だからアメリカにとっては、もう選択肢は他に存在しないのです。

観念的なイデオロギー論や政治論なんぞを言っている場合ではない。

おそらく次期大統領が誰になろうともいずれ国庫の歳入不足を補うために増税することは免れないでしょうし、またどんなに充実した社会福祉政策を望もうとも、どこかで妥協して優先順位の低いものは諦めなければならないでしょう。

だから本当に必要なのは、自分のよって立つポリシーを声高に主張することでは全くなくて、より良い選択肢のために自分と違う立場の意見を取り入れることができるかが大切であり、対極の立場の人たちと同じ船に乗ることができることこそが必要とされていることなのです。

それを最重要に考えれば、誰を大統領にするのかは自ずから明白になることです。


そんな風に考えながら私はこの最後の討論会を見て、そして討論会後も各候補者たち(大統領候補たちだけでなく、副大統領候補たちも含めて)の言動をチェックしていたわけです。

そして失望を禁じえません。

アメリカはまだこんな程度の地点でとどまっているのか、と。

ヨーロッパはその間より緊密に結束し、立場の違いを越えた協調行動で市場の混乱を鎮める努力をし、各国政府が金融機関救済策を続々と打ち出しています。

アメリカでは、候補者の政策が社会主義だとか、ヨーロッパの政策が社会主義だとか、実にくだらない、時代錯誤な論戦を張っている間に。

もう一度冷戦時期に引き戻したいのか、と疑うような馬鹿な主張を声高にあげる者がいる間に。

そんな主張で国民を洗脳してしまえば、いよいよこれから金融危機が本当の意味で深く進行し、これまでよりももっと政府が関与しなければいよいよ国が破たんするという段階がきた時に、「それは社会主義だから嫌だ」と言い出す国民が必ず現れる。

それをどうやって説得するのか。

どうやって国の破たんを救うというのか。


ヨーロッパはついに「ブレトンウッズ体制」の見直しまで言い始め、いよいよ第二次大戦後から続いてきた国際通貨体制を仕切り直す時期がきたのだと感じられます。

サルコジ大統領のいわく

「我々は新しい資本主義を再構築する」

そういえばフランスはコアビタシオン(保守革新同居)を長く実行し、ミッテラン大統領にシラク首相、シラク大統領にジョスパン首相もあったっけ、と思い出します。
ならば、サルコジ大統領とブラウン首相の組み合わせだって、何も違和感なくお互い歩み寄れて当然です。

それだけヨーロッパは大人で、EU市民のために最善の道をいつだって捜そうという「心」がある。

その「心」こそがおそらく「信用」という絆に、今この金融危機のさなかに一番必要とされている「信用」というものになっていく。

それがどうしてアメリカでは成り立たないのだろう。

どうして気がつかれないのだろう。



最終討論会で最後に握手するオバマ、マケイン両候補を見ていて、これが大統領と副大統領だったら、どんなに良かっただろうか、と思えてしかたありませんでした。

しかし、アメリカにはその選択肢がありません。

少なくとも今のところは。

これがおそらく、今後のアメリカの「最大の弱点」になることと予感しながら、私は画面に見入っていたのでした。

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2008年10月 9日 (木)

America Votes 2008 アメリカ大統領選挙ウォッチャー記~その25「次期」ではなく「現在」(大統領候補討論会 第2回 テネシー州) 

私は巨大猫が好き。

大きなでぶ猫は、美しい毛並みもどっしりした骨格も撫でて楽しく見て嬉しく、心和ませてくれるから、大いに愛すべき存在です。

しかし、猫も6キロを過ぎると医者から注意を受け、7キロ超えではまず間違いなく「このままでは太りすぎです。やせましょう」と言われるでしょう。

ましてや8キロなんてなってしまったあかつきには「糖尿病になるかもしれない。結石になるかもしれない。高血圧だって、心筋症だってあぶない」と病気宣言が飛び出す可能性大で、実際なにかの病気が発病してくるかもしれない。

その時、なぜこんなことになってしまったのかと嘆いてもきっと医者に言われるだけ。

100パーセント飼い主の責任です」

つまり周りの人間がかわいい、かわいい、と甘やかして、たくさん餌を食べさせてどんどん肥らせて、ついに病気の巨大猫にしてしまったのだ、と。



失礼ながら、ここのところ世界を揺るがしているアメリカ発の「金融危機」の行く末を眺めながら、毎日こんなことが頭を駆け巡っている今日この頃の私です。

言うまでもなく、病気になった巨大なでぶ猫はこれまた失礼ながらアメリカ合衆国。

そしてみんなで甘やかしたのは世界中の国々、特にアメリカに大量に物を売ることで生業を成り立たせているアジアの国々。

もちろんその筆頭とされているのは日本であることは疑う余地もない話です。

昨日108日、それを不本意なかたちで証明して、東京マーケットは9.38%という株式市場大暴落を経験してしまいました。ここ20年で最悪だという人もいるとか。

日本はアメリカに車だの家電だののモノを売ることで成り立ってきた。

だからアメリカの金融界がメルトダウンして、やがてその影響がアメリカの市民生活に及んできたら、メイドインジャパンのモノたちは売れなくなる、日本の企業は成り立たなくなる・・・という先行き不安から、日本企業(特に製造業)の株の下落が止まらない、というわけです。

しかし、こんな話は今に始まった話ではありません。

もうずっととても不自然な、こんなバランスのとれないバランスで、世界対アメリカの関係は成り立ってきていた。

どう考えても不自然なほど大量にアメリカにモノを売ってきながら、それがおかしいと考えなかったのか。

そして、買う側のアメリカも大量に消費しながら、こうした生活ができるのはいったいなんの根拠があってなのかと疑問に感じなかったのか。

病んで、衰えていると気がついたとたん、これまでのビジネスモデル、経済モデル、金融モデル、国際関係モデルすべてが、大いに無理があったのだと気づく・・・

いまさら気がついても遅い、という声も聞こえるでしょう。

あまりにも激しい混乱の様子を見て、どうしていいかわからない、という声もあるでしょう。

でも、だからといって生きるのを止めるわけにはいかない。

だからこの無理な関係をやめて、本当にバランスのとれている関係に直していかなければならない。

それはやるのが望ましいこと、ではないのです。

それはやらねばならないこと、なのです。

誰かが愛すべきでぶ猫を捕まえて、「おまえは病気なのだよ」と言い聞かせなくてはならない。

もう今までと同じ暮らしはできないのだよ、と教えてやらなくてはならない。

そして、おまえの幸せはたくさん食べて必要以上に肥り続けて病気になることではないと、別の道を示してやらなければならない。

また、でぶ猫に餌を大量にあげることを生業としてきた人々(国々)にも新しい生業をみつけるように呼びかけて、別の道を見出させなければならない。



しかし、そのことの、どんなに困難なことか・・・

その困難を思ってため息が出たのは、本日開催された第2回アメリカ大統領候補討論会(テレビ・ディベート)を見ていた時でした。

討論会は現地時間107日夜、テネシー州ナッシュビルでタウンミーティング方式で行われました。全国から募集した質問と会場に参加した人々の質問とに両候補が答える、という方式です。

この形式はマケイン候補のほうが慣れているともいわれていたのですが、金融危機と経済問題に人々の関心が集中している時節がらこの問題への質問が集中すると思われ、内政・経済問題に強いと思われているオバマ候補の方が有利との前評判でした。

討論会自体は確かに経済問題への質問で始まり、両氏とも事の重大性を訴え、第1回の時よりもはるかに切迫したアメリカの金融状況を受けて目の前の金融危機と迫りくる不況の問題がこの大統領選のメイン・テーマとなったことを鮮明にしたのですが、残念ながら国民が今すぐ聞きたい具体策の提示はほとんどなかったと受け取られたようではあります。

確かに、先ごろ議会を通った「金融再生化法案」の責任者が決まり、問題をあぶり出すための公聴会が始まったばかりの現時点では、具体策を出してみせるのは難しいと思います。

この法案の中身、詳細がなかなか伝わってこないのですが、走りながら決めるというのが正直なところなのではないかとは思います。

だから現政権がどうするつもりなのかが見えない今の時点で、いずれそれをいやでも引き継がねばならない運命の次期政権を志す候補者たちにとって、主張できることは実は限られているのかもしれません。

そうなってくると、候補者たちのどちらがふさわしいか、を見定めるポイントは何になるのか?

ひとつはまず、この状況がどこからきているのか、何に起因しているのかを正確に把握していることに尽きると思います。

ただ現在目の前に展開している危機的状態だけでなく、それがどこから来るのか、どんな因果関係があるのか、というところまで踏み込んで理解ができているか、ということ。

その理解の上で、今までのやり方を一新する提案ができる必要がある。

私が見るところでは、どちらの候補も現時点では、おおっぴらにアメリカのこれまでのやり方、いわばライフスタイルというようなもの、それ自体に問題があるのだと、指摘できてはいません。

これまで大量にモノを消費することが正しい資本主義社会だと、市場原理だと教え込まれてきたアメリカの人々にとって、それこそコペルニクス的発想の転換が必要なことで、今すぐにはとても無理なのだと想像に難くありません。

なにも消費全てがいけないと言っているのではないけれど、いらないものを大量に消費するためにお金を使うのではなく、本当に必要なものにお金を使うことを諭さなければならないのですが、その時アメリカ人を非難するのではなく、説得しなければならない。

件のでぶ猫理論からすれば、猫を叱りつけるのではなく、心からの同情と理解をもって接して、本当に健全で深い満足度の得られるライフスタイルへ一緒に連れて行かなければならない。

これはとても大変なことです。

また、もうひとつ。

今度はアメリカに大量に売り付けることで成り立ってきた国々とこれまでとは別の付き合い方をしなければならないのは明白です。

アメリカは世界に誇る軍事力を背後に控えながら、15年間世界の盟主として冷戦後の世界をしきってきたのですが、それが世界の反対を押し切ってイラク戦争に突入したあたりから世界的な人望を失い、いままたアメリカ発の金融危機で世界中を巻き込んでしまっている。

この危機はアメリカ1国で対応しきれるものではとてもなく、世界に協力してもらわなければ乗り越えることは不可能です。

確かにアメリカの大量消費への依存型できた世界の方にも大いに問題があったのは全く否定できません。

それは各国の問題点として、特に日本人である私たちはしっかり自覚して、今後の世界の経済構造をなんとか改善していかなければならないでしょう。

アメリカだけを健全にするのではなく、世界みんなで健全にならなければ。

そしていまこそ、アメリカにはそうした世界の協力を取り付けるための本当の指導力のあるリーダーが必要なのです。

それにはたぶん軍事力や恐怖心に基づくリーダーシップではなく、もっと心からの尊敬を得られるようなリーダーシップを持っていなければなりません。

上にたって強制するのでなく、ともに手をとって協力する関係を築くこと。

これもまた、すこぶる大変なことであります。



この眩暈のするような大変な仕事を次期大統領は担っている。

そして、今現在の選挙戦は、今目の前のライバルを凌ぐためにやっているのではなく、実はもうすでに次期大統領の仕事が始まっているのだと考えた方がいい。

もし、今、選挙に勝つためだけの意味のない攻撃をしたり、選挙のくだらない茶番劇を演じたり、現実を理解していないような言動をしたりすれば、それを世界の人々はこの目で衛星回線を通じて現在進行形で目撃することができる。

そして、その事実は取り消せない。

すぐに株式市場に現実となって反映され、恐ろしい株式の暴落となって形に現れるのだ。

そのことを次期大統領候補は肝に銘じたほうがいい。

もうすでに、すべては始まっている。

アメリカは世界と協調して、世界を取り戻す気があるのか。

アメリカ1国だけしか視野になく、世界を顧みようとしなかった過去7年間をまた繰り返すつもりなのじゃないのか。

本気で世界を回復させる気があるのか。

世界は息をつめて見守っている。


大統領候補たちはアメリカの「信用」を背負っているのだと、絶対に忘れてほしくありません。

誰も愛すべき巨大猫をみすみす死なせたくはない。

100%飼い主の責任、であるならば、その「飼い主」とはアメリカ人すべてと世界の人々すべてと、

そして、誰よりアメリカ大統領その人のことであるのだから。

すでに「次期」ではなく、「現在」そのものとなった、この大統領選挙の行方を世界とともに息をつめて見守ろうと思います。

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2008年9月30日 (火)

America Votes 2008 アメリカ大統領選挙ウォッチャー記~その24メルト・ダウンの渦中で(大統領候補討論会 第1回 ミシシッピ州)

かつて、アメリカで起こった出来事は10年遅れで日本でも起こると言われていた時代があったといいます。

実際同じことが起こったのかどうかは詳細を見なければわからないのですが、おおざっぱに言ってアメリカがたどった軌跡を追いかけてきた、つまり日本がアメリカの背中をずっと追っていて必死に追いつこうとしてきたという意味でもあるでしょう。

それはもちろん敗戦で全てを失ってしまった日本にとって、戦後繁栄の極みに向かって驀進していたアメリカがとても魅惑的で輝いて見えていたからでしょうし、その背中との距離がだんだんと詰まっていくことを国の復興の証と考えたからでもあるでしょう。

いつしか10年遅れであったことが5年遅れで起こると言われ、それが3年の差になり、ついにはほとんど同時に同じことが起こるようになる・・・「グローバリズム」という言葉が他の地域と違ってさして不信も感じず受け入れられた理由でもあります。

21世紀にはいってからこっち、「グローバリズム」の名のもとに日米の時間的距離感は徐々に消えていき、せいぜいその差はマーケットが開く時差程度になってきている現在、日本人にとってはある意味「感無量」とでもいうようなことがここ2週間ほどおこっているのではないでしょうか。

ここのところアメリカで、ウォール・ストリートで、起こっている出来事はどうもいつか見たことがあるような気がする・・・。

ちょうど前世紀末、199798年ごろに日本で起こったことに酷似している。

不動産バブルが崩壊したあと、なすすべもなく放置しておいた結果、未曾有の金融危機に見舞われ、日本発の世界恐慌が始まることだけは避けなければならないと言われ、関係者が奔走していた(といわれる。奔走してホントに何か対策が出来ていたかは不明)日々。

ついに、潰れるはずがないと思われていた都市銀行や大手証券会社の一部が破たんし、次はどこが倒れるかと戦々恐々としていた日々。

では対策に公的資金を注入するか、という話になり、しかし莫大な税金の投入の是非をめぐって喧々諤々と連日ニュースが飛び交っていた日々。

ああ、これは10年前に見た光景だ。

ついに日本はアメリカに追いついて、そして追い越して逆転したのだ。

つまり日本で起こった出来事は、10年遅れでアメリカでも起こるのだ、と。


まあ、現実に今おこりつつあることはそんな感傷的なもんじゃありません。

アメリカは人口は日本の軽く2.5倍(いや実数は3倍いるんじゃないかと私なんかは疑ってますけどね(笑))国土は25倍超もあるからなのか、この度の金融危機=ウォール・ストリート・クライシスも10年前の日本の金融危機の2倍速、3倍速、いや10倍速くらいの進行のしかたです。

とにかく進行が早い。

そして危機的状況があまりにも大きすぎる。

日本の時も世界に波及しないように、って言われてましたけど、アメリカ現在進行形ですでに世界に波及してます。

それだけアメリカは世界のど真ん中に鎮座してる、とでも言いましょうか。

まあ世界の基軸通貨なんだから当たり前です。

ベア・スターンズの破たんから、ファニー・メイ並びにフレディー・マックの救済のあたりでは、世界はこれからどーなるの?くらいの反応だったのですが、リーマン・ブラザース破たん、メリル・リンチの吸収消滅あたりから株価のジェット・ローラーコースター的暴落が始まって(いや、本当の意味で上げる要素がないからこれはラージ・ヒルのジャンプ台といったほうが正しいのか)世界中の株式市場が刻々と続落して、各国で信用収縮とリセッションが起こり始めている状況です。

しかも大問題なのは、誰もこれを予期していなかったわけではなく、去年夏以来「サブプライム問題」という時限爆弾が存在していることがすでに白日の下にさらされていたわけですから、「何かがあとでおこる、きっと。でもどんな事が??」というB級ホラーのような心持ちで1年以上も待っていたのに、その間、これからおこる惨劇への対策の手がまるきり打たれてこなかった、という事実でしょう。

去年、経済問題に疎い私はアメリカでおこりつつある恐ろしげなマネーゲームの悪成果を「???」と思ってその道に詳しい人(仮に、当ブログの「経済顧問」と呼んでおこう(笑))にいろいろ聞いていました。

その時紹介された本が春山昇華さんの著作「サブプライム問題とは何か」(宝島新書)だったんですが、これはとてもとてもわかりやすくこの問題の本質を解き明かしてくれたものでした。

つまり、「証券化」という金融技術の発達によって担保などの後ろ盾もなく焦げ付きなどのリスクもどこかにまぎれこませてしまえるような資金調達が可能になったことと、24時間世界のどこかで株式市場が開いていて四六時中くるくる循環しているのだから責任の所在があいまいになったことで、まったくの素人まで投機などのマネーゲームに容易く参加できるようになり、リアリティもモラルも希薄になってしまったことの問題のつけが、これからイッキにやってくるという重い予言が綴られていたのでした。



「きっとあとでおこるに違いない大惨事」

それがついに、アメリカで始まったのです。


かくして、その混乱の中、なんとか危機にあるウォール・ストリートの金融機関を救おうとアメリカ政府が資金を供出して(つまり税金を充当して)金融機関の不良債権を買い取るために7000億ドル(70兆円強)を用意するという「金融再生化法案」を上下両院の議員が、共和・民主両党の超党派で話し合いを続けるその渦中の先週末、926日夜(日本時間927日午前中)に、当初から予定されていた「大統領候補討論会(テレビ・ディベート)」の第1回がミシシッピ州オックスフォードで開催されました。

すでにご存じでしょうが、この討論会は開催直前までこのウォール・ストリート・クライシスに振り回され、一時はマケイン候補が大統領選挙活動を停止してもこれに取り組むべきだから討論会を欠席すると言いだすなど、討論会開催そのものが危ぶまれていたのですが、結局、超党派の微妙な話し合いに大統領選挙を持ち込むべきではないという議員たちの声もあって、無事開催されるに至ったのでした。

しかし、開催前のドタバタした印象と違って実際行われた討論会は、地味で、可もなく不可もない、という印象を受けたのは私ばかりでしょうか。

それは、今回の討論テーマが「外交・安全保障」というテーマで設定されていたせいでもあるかもしれません。

正直言って、両候補の外交姿勢に微妙な違いはあるとは言え、基本はあまり変わらないし、ただイラク戦争継続をめぐってだけは大きく対立するものの、残念ながら現在の時点ではアメリカ大統領(候補)には外交に関してはほとんど選択肢がないのだな、というのがよくわかったというばかりでした。

だから本当ならば今回の金融危機を受けて、話し合うべきテーマは、「内政・経済問題」こそがふさわしかったのだろうと思われるのですが、なんといっても先ほども書いたとおり、危機の展開のスピードが速すぎる、坂を転がり落ちるほどの加速が強すぎるので、正直言ってうかつな中途半端なことは言えない、ということもたぶんあって、「これも安全保障の一部ですから」という形で討論の冒頭を少し時間を割いて、この危機に対する議会の法案をどう考えているか両候補の立場を尋ねられたのみだったのでした。

もちろん、両候補とも、早急に何らかの手を打たなければならないと言い、法案の可決にむけて自分も力を尽くしたいと訴えたのは言うまでもありません。

しかし、この時点ではまだ具体的に法案の詳細の中身までつめられていなかったのでしょう、具体的に国民を説得する言葉、事例ともあまりにも少なすぎた、としかいえません。

ただただ、国民に理解を求めて同意してもらいたい、可決にこぎつけたい、という言葉にとどまった両候補だったのです。


しかし、これは後になってアダとなったのは言うまでもありません。

この文章を書いている930日現在(日本時間)「金融再生化法案」は議会下院で13票差で否決されてしまったのでした。

そしてこの否決をうけて、アメリカの株式市場は未だかつてない大暴落を記録、1987年のブラックマンデー以来の悲惨な展開になってしまいました。

そして今になって、CNNの視聴者の声の紹介などにも、マケイン、オバマ両候補がどういう対策をとろうと考えているのか詳細を知りたかったとか、今回の議会の法案の中身についてもどんなことが話し合われているのかその中身こそを訴えてほしかった、国民を導くリーダーシップこそを見せてほしかった、といったような声が聞かれているようです。

つまり、どちらの候補も国民の説得に失敗してしまった。

もっと言えば、肝心の議会も、現政権のホワイトハウスも、まったく国民の説得に失敗している。

アメリカ国民は自分たちの税金が何故自分たちのためには使われず、ウォール・ストリートの富裕な人たちのために使われるのか、その理由が納得できないし、それを許せない。

議会も現政権もうまく説明できていないから、このまま放置しておくと、実は廻り回っていずれ一般国民のもとにも危機的状態となって波及することを理解させることができない。

ただ、富める者のための対策にしか見えないし、貧しき一般国民には関係ない対策にしか見えない。

どうしてそうなってしまうのか?

それはたぶん政治家が、政府関係者たちが、自分を最大リスクに曝してこの危機に対峙しようとしている姿勢を見せられない、ということに尽きると私は思います。

私にとって不思議でしょうがないのは、アメリカ建国以来の危機だというここに至っても、閣僚のひとりも、議員のひとりも、自分の俸給を返上して国民を説得しようという人物が出てこないことです。

まず、大統領、副大統領から自分の資産を国に納めるくらいの責任をとってしかるべきだし、もちろん救済される側の金融機関のトップたちは退職金も俸給も返上に決まっている。