唐突ですが、最初に私の「現在の望み」を書きます~。
ええ、ブログに書いておけば、それが叶うんじゃないか、と思って。
(↑図に乗ってます。ズーズーしいです。ごめんなさい(汗))
「ハゲタカ」の続編を観たい、映画館で「ハゲタカ」を観たい、が叶ったので。
今度は「ハゲタカ」のテーマ(オーケストラヴァージョン)あるいは「神の鳥」あたりを、「NHKホール」で演奏してくださいませ!!
あの、ばかでかいホールで生演奏を聴きたい!のでございますよ!!
確か昨年の大河ドラマ(「篤姫」)はファンの集い&演奏会とかをNHKホールでやってましたよね~?
あそこまで大規模は無理としても、何かのコンサート(とか公開番組とか?)の時に「ハゲタカ」パートがあったら、う、嬉しいです…絶対観にいきたいですよ~!
ま、暮れの「紅白」の中で…というのでもいいんですがね!(大笑)
でも、できれば複数曲目を聴きたいかと!!!
ご考慮、お願いいたします、NHKさん!
というわけで、予告どおり週末土曜日に、またまた映画「ハゲタカ」観に行ってまいりました。
やはり23区内繁華街の映画館で、座席も4分の3は埋まっており、まだまだイケる感じ。
きっとリピーターも多いはず。
(私なんか、まだまだ回数的に未熟者です(笑))
このまま都内のどこかでずっと「ロングラン」がいいな。
今後も、何度も何度も噛みしめて観てみたい、ですから。
きっと「現実」の状況が違ってきたら、また映画は違ったように読み取れるはず。
その「変遷」も目撃したいから…
当ブログは純粋な映画レヴューではありませんが、映画「ハゲタカ」の内容に結構踏み込んでおりますので「ネタばれあり」の「注意喚起」をさせていただいております。
私が最初にこの映画のちらしを入手した時、まず不思議だったこと。
それは、鷲津政彦の今回の「敵」として登場するらしき人物についていたコピー文。
「救世主か?」と。
なぜこちら側が「救世主」なのだろう…、鷲津でなく?
そして、鷲津は、
「破壊者か?」と。
その敵、劉一華。
その存在感はもの凄い。
私の映画初見の折、彼はたいへんにエキセントリックに登場してくるのであれよあれよと引き込まれ、しかもこちらが正体不明なモノに対する警戒感を持っていることを巧みに付け込まれ、ミスリーディングされる演出で、最初は必要以上に「不気味な敵」という感覚を持ってしまっていました
(「鷲津さんの敵」と思っているから、鷲津ファンにはなおさらですよね(笑))
しかし、映画が折り返して後半に入ると、その感覚が徐々に崩れていく。
ストーリー的にはどんどん緊迫していくのに、何か脆くも危うく崩れ去っていく、ちょっとない感じ。
それで観る者は
「えっ?!ちょっと待って!!いままで思いこんでいたのと、この人物は違うの?この物語は違うの?」
と慌ててしまうのですが、そのままストーリーは終幕。
観終わったら、早くも
「もう1回、アタマから観たい!!」
となるわけです(笑)
それがこの深い背景・構造を持つ映画に、実にマッチしている。
しかも、再度観ても、あとにはまだまだ「謎」が残る感じで、これがなかなか解決しない。
それで、さらに3回とリピートして…むむむ!!
凄すぎです、カントク~!(笑)
完全にあなたの術中に嵌ってます!(大笑)
今回私は、どこで特にミスディレクションされてしまったのか?と気をつけて観ておりました。
ひとつは、三島由香が劉と鷲津を比べて
「決定的に何かが違う」
と断言するところ。
何が違うのか、言わないのですよね~。
だからこっちが勝手に解釈してしまう。
そしてもうひとつは、例の劉の「楽しかったんだろう鷲津!」のところ。
こっちは鷲津さんの味方だから(笑)劉の過激な発言に、
「ううぬ、こやつー!!(怒)」
と感情的になってしまうし、ここの演出がホラーのセオリーを逆手にとっているのでなおさら劉が不気味に見えた。
でも、考えてみましたよ。
ここで何故、劉が過激で挑発的な言葉を鷲津に投げかけてるのか?って。
この直前に鷲津から
「おまえに何がわかる」
と、拒絶されてるんですね。
よく考えてみると、劉にとっての鷲津は「ずっと見てきた憧れの存在」なだけではないんですよね。
NY時代の回想。
鷲津は劉に「人を殺したことがあるか?」と問いかけて、「強くなれ。強くならないと人を殺してしまう」と戒めている。
この時鷲津が使ったのは「日本語」です。
ホライズン時代の劉が「劉一華」名義を使っていたものか、「佐藤某」名義を使っていたものか、どちらなのかはわかりません。
たぶん鷲津に話しかけている様子では英語で話しかけてますから、すでに「劉一華」と名乗っていた可能性高いかな、とは思いますが。
日本から遠く離れたアメリカでホライズン社のインターン(研修生)になっていた時、なんだか活躍している先輩がいる。
その人は日本人だ。
だから、なんとなく気になる。
とても口もきいてもらえないような存在。
それが、たまたま話のできるチャンスを得た。
それで話しかけてみたら、びっくりするような話をし始めた。
果たして、鷲津は自分が話している相手が「日本語」がわかると思って話していたのか。
それとも「日本語」はわからない、と思っていたので、あんな核心に入った話を、ついしてしまったのか。
3回観た限りでは、まだわからないです。
(次回も観て必死に確認してしまいそうです~(苦笑))
ただわかるのは、その「日本語」の言葉を受け取った劉が、言葉の意味をずっとのちのちまで考え続けたであろう、ということ。
そして、「日本語」でとても重要な話をしてくれた鷲津が、劉にとっては特別な存在になったであろう、ということ。
11歳で来日して「日本人」になった劉は、最初「日本語」ができなかった。
それで中国人として差別されて苦労した。
と、劉の経歴が説明されています。
その後の生活は詳細説明ないのですが。
たぶん努力して持ち前の頭の良さを生かして母国語同様に日本語を身につけた劉少年は、公立中学で良い成績をとるようになる。
しかし、今度はあっという間に優等生になってみせた彼を同級生は驚異の目で見て、またしても周囲に溶け込めない。
というような状態だったのではないか、と想像します。
いずれにしても、異質なものを拒む日本社会の壁は高く、ともに来日した劉の父(これが本当の父であったのか、偽装の父であったのかは最後までわかりませんが)もうまく生活をたてられず。
劉はどうも日本国内では高校進学できなかった模様。
でも向上心のある彼は、何かの機会を得てアメリカに渡ることができた。
そこで苦学してカレッジに学びながら、ホライズン社の研修生になった…
彼の子供時代は中国の奥地の「貧農」
どのあたりと思うか?と当ブログの政治顧問(笑)に尋ねてみたら、
「湖南省城歩苗族自治県あたりで、どうか?」という答えが(笑)
中国の少数民族です。
(なんで苗族なのかというと1980年代にシティコープ(シティ・グループの前身)に苗族出身の伝説のファンド・マネージャーがいて、苗族は金融の才能があると言われていたから、だそうです(笑))
私はおそらく劉は「無戸籍児」だったのではないかと思います。
その理由は、劉が住んでいたであろう家までわかっているのに、本名がわからない、家族のこともわからない。
ということは公的記録に一切残っていない、ということだと思うから。
本物の劉一華が1976年生まれ(と見えたのですが、もしかして1978年生まれかも)だから、たぶん彼もそのくらいの生まれでしょう。
当時中国は、76年に周恩来、毛沢東と亡くなっており、国の大転換期。
文革の傷痕もまだ癒えていないだろうし、ましてや当時の湖南省のど田舎で、無戸籍の人たちがいても全然おかしくない。
劉は(もしかしたらその親たちも)中国に暮らしながら、中国国民にカウントされてない。
それが「残留日本人孤児の子孫」を偽装することで、初めて市民権を得る。
存在をカウントされていない者から「誰かになる」ことができる。
例えそれが「日本人」だとしても。
来日は80年代末。
ちょうどバブルで日本中が湧きかえっていた愚かな時代。
それこそ「札束でひとの顔をひっぱたいていた」時代。
その日本で、劉はたぶん周囲に溶け込むこともできず、「じっと見てきた」
日本の成功も。
失敗も。
ただ、傍観者になりながら、じっと見ているだけしかできなかった、存在。
せっかく「日本人」になりながらも、日本には居場所がない。
日本にいても何にもならない。
生ぬるい地獄…
劉の思春期のころ、10代のころを想像すると、胸が痛む。
日本がはじき飛ばしてしまった、彼。
拒絶してしまった、彼。
彼は、新たな自分の居場所を探してさらにアメリカに渡ることになる。
それは彼が「日本人」のパスポートを手にしたからこそ、できたことなのだけれど。
劉にとって「日本」とは何だったのか。
自分に市民権を与えてくれたところ。
でも、自分を拒絶したところ。
劉は「日本」をどう思っていたのか。
そして、たどり着いたアメリカで、劉はひとりの人物に会う。
鷲津政彦。
何かを背負っていて、でもそれを否定しようとしている男。
日本を捨ててきた男。
彼は劉に「日本語」で言った。
「強くなれ」、と。
その時から鷲津は、劉にとって特別な存在になった。
日本から遠く離れた土地で。
深く心の中にあることを話してくれた、初めての「日本人」の仲間…
でも、彼に再会した2008年。
鷲津からは拒絶のひとこと。
「おまえに何がわかる」
と。
以下、続きます。
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