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2009年7月

2009年7月15日 (水)

コーヒーブレーク~お知らせと来年の大河ドラマ(改)

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当ブログは現在、映画版「ハゲタカ」の私的感想(レヴューもどき)を掲載トップにしております。

Vol.1~7まであります。

左サイドバーの「最新記事」をご覧になってくださいませ。

 

 

また、当ブログの過去記事で2007年にほぼ1年間かけて、ドラマ版「ハゲタカ」についてもつらつらと書いておりますので、ご興味を持っていただけたら、過去記事もご覧になってくださいませ。

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当ブログ、記事へのトラックバックならびにコメントは、現在、受け付け停止させていただきました。

過去記事は閲覧のみにさせていただいております。

 

ただ、当ブログはあまりにも更新速度が遅いため(ひどい時は2~3カ月も間があいてしまって恐縮です(汗))、常々どうしたものかと思っておりましたんですが、素敵なコメントをくださる方のお話もお聞きしてみたいし…というわけで、昨年一時的に設置してみた「掲示板」を、これから1年間常設してみようか、と思いまして、「掲示板」を設置してみました。


nyan-chan2222の文章事始掲示板

右サイドバー、トップに常設いたしますので、よろしかったら何か書いていってくださいませ。

画像も貼れます。

EmailやHomePageアドレスなしでも書き込みできますので、お気軽にどうぞ。

 

(いまのところは「迷惑書き込み対策」はしていませんが、もし何か問題が発生したら、「パスワード制」にするなり、また当ブログ上でお知らせいたしますね!!)

 

 

 

あいかわらず、週末の映画「ハゲタカ」通いは、実行しております。

なんか、何度観てもまーったく!飽きないんですけど~!!(笑)

関東以外ではあさってで上映終了がほとんど、とか。

東京在住のラッキーを噛みしめております。

関東地方は、はや梅雨あけです。ひじょうに暑いです(汗)

でも負けずに今週末も行けるといいな♪

 

 

そして、昨日はとっても嬉しいNHKさんからの「お知らせ」も!!

来年の大河ドラマは、大友監督のメインディレクターで作られる、ということで、と~っても楽しみにしていたんですが、その「龍馬伝」に大森南朋さんが出演されることが決定した、とか!!

いや、実は諦めていたんです。

大森さんのご出演は、やっぱり無理かな…と(何の根拠もないんですが、期待しすぎると落胆も激しいので(苦笑))

武市半平太役、とか。

 

私はこれまで「幕末」というのはほとんど興味のない時代だったせいで、あまり知識がないのですが、尊王攘夷の暗殺部隊の親玉だった方かしらん???

(あああ、まつがった認識だったら、ごめんなさい~~!!(冷汗))

ある意味、武市半平太という人も「苛烈」に日本への「愛」を捧げた人物だった、と思っていますので(その方法の善悪はおいとくとしても)、果たして大森さんがどんな役作りをされるのか、もの凄―っく!!興味があります!!!

 

しかも、音楽が佐藤直紀さんなんですね~!!!

これがまた、もの凄~い楽しみになっております!

ああ、これでNHKホールでの演奏会も、いよいよ夢でなくなってきたか!と勝手に小躍りしてます。気が早いです(笑)

 

 

そういうわけで、いろいろと期待に満ちております。

みなさまも期待いっぱいの方、たくさんいらっしゃいますよね?!

よろしかったら、「掲示板」の方に書き込んでいってくださいませ♪

もちろん、「ハゲタカ」ネタも大歓迎!!

 

では、では、しばらくブログの方は小休止でございます。

(いつもの地下に潜る期間(笑))

また、秋口にお会いできるといいですね!!

 

 

 

 

 

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2009年7月 6日 (月)

映画「ハゲタカ」 Vol.7

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5週目です。

地方はそろそろ上映終了とか。

でも、東京23区内繁華街の映画館の週末は、まだまだたくさん入ってます。

私が週末行った時も、ほぼ満席でした(ぽつぽつしか空席なし)

雰囲気でかなりリピーター率高し、とみました。

今後も都内のどこかでやっていたら、足を運ぶ人多いと思います。

 

そして、こうなってくると欲も出てきます(笑)

週末に、ドラマ版全6話プラス映画版上映、などという企画モノをやる映画館が出てきてもいいんじゃないでしょうか?

オールナイト込みで日に2回くらいしか上映できないかも、ですが。

でも、入場料設定が高めでもきっと来る人はいるぞ!とみました(かくいうワタクシも!(大笑))

東宝さん、NHKさん、映画館のみなさま、ご考慮お願いします!!

 

 

 

当ブログは純粋な映画レヴューではありませんが、映画「ハゲタカ」の内容に結構踏み込んでおりますので「ネタばれあり」の「注意喚起」をさせていただいております。

 

 

 

2008年、秋。

「今回の金融危機はすべて、青い眼で白い肌のCEOたちに責任がある!」

と過激な発言をしたのは、ブラジルのルラ・ダ・シルバ大統領。

たしか、金融危機対応のためにG8じゃ間に合わん、ということで新興国も入ったG20金融サミットが開かれた11月15日前後のことだったと思います。

ルラ大統領のこの発言は「人種差別的」と逆差別レッテルを貼られてしまい、彼は早々に謝罪するはめに陥ったのですが、

「新興国ならびに開発途上国が、先進諸国に対して、猛烈に怒っている」

ということがはっきり示された機会でもありました。

 

 

いまや、開発途上国と先進諸国のあいだに大きな断絶が横たわっているのは明白です。

先進諸国がこれまでやりたい放題をしてきて、その「欲望」がついには危機的状況を呼びこんで、世界的な金融メルトダウンの淵まできた。

だが、いったん危機が始まれば、一番弱い部分にその「負荷」が強烈にかかってくるのが、「グローバリズム」で結ばれた現在の世界。

世界的不況が始まって、飢餓線上に陥る可能性も出てきた開発途上国の人々。

彼らが「もはや泣き寝入りする気は全然ない」と猛烈に主張し始めた。

 

言ってみれば、貧困から抜け出すために、

「その車に乗せてくれ」

と言い始めたこと。

でも、間違った車に乗り込もうとしていたら、どうするのか?

あるいは、車は正しくても、その車を作る方法が間違っていたら?

売る方法が間違っていたら?

 

先をゆく者たちが、自分たちの失敗を、あとから来る者たちに伝えられない。

彼らが選び間違えていても、そのことを彼らに伝える機会がない。

たとえ世界中に公害に苦しむ都市が生まれ、貧困のスラムが生まれ、絶望的な格差社会が生まれても…

その「絶望的な分断」が、現在の世界を支配している。

 

 

ルラ大統領、あなたは概ね正しい。

ただ、「青い眼で、白い肌のCEOたち」だけではない。

その責任は「黒い眼で、黄色い肌の社長たち会長たち」にもあるのだ。

そんな風に、私は思いますが。

 

 

 

日本はかつて第二次世界大戦で無謀な戦いをして、主要都市を「焼け野原」にするという愚行のすえ、敗戦。

戦後の復興はもう二度と戦争をしない、というところから始まった。

「けして人を殺さないで強くなること」

それはつまり、

「戦争をしないで経済的に繁栄すること」

日本の一大テーマだった。

そのポリシーに従って、日本は今日までやってきたわけです。

そして、世界2位の経済大国、先進諸国の一員となった。

 

 

確かにこれまでのところ、日本は国内をふたたび「焼け野原」にしないですんでいる、幸いにも。

でも、一旦、日本国外に目を転ずれば、実は「焼け野原」は世界の隅々に出現している。

 

 

よく知られていることですが、アメリカが開発し、グローバリズム推進の道具としてきた「金融工学」は、実は「東西冷戦の兵器」のなれの果てです。

アメリカがソ連と「冷戦」を戦ってきた時代。

戦争(特に核戦争)のためのシュミレーションをやるために、大量の数学やらシステムやらが動員され、人的にも財政的にもたいへんな資源・資金の投入をおこなってきたわけです。

 

ところがソ連が崩壊、ロシアも東ヨーロッパも共産主義を捨て去って、資本主義陣営に参入してきた。

もはや冷戦シュミレーションは無用の長物。

なのに、人間も組織も大量に存在している。

そこで、金融界に転じて、軍事の民生転用をすることにする。

そして誕生したのが「金融工学」

 

その「金融工学」が生み出した「証券化」の魔法が、アメリカを並ぶもののない世界ただひとつの「超大国」にしたわけですが、同時に、それは一種の砂上の楼閣、ひとたびバブルがはじけ飛んだら…

世界を巻き込んでたいへんなことになっているのが、現在。

やはり、これは「兵器」なのですから。

富を収奪する兵器。

疑いもなく、

世界に「絶対的貧困」という「焼け野原」を出現させてきた兵器。

 

 

その「金融工学」に力を貸してきた日本が、「責任ない」とは絶対に言えない。

それを日本経済の「罪」というか。

あるいは、先進諸国の「罪」というか。

その「罪」から、目を背けることはできない。

 

 

 

鷲津政彦の壮絶な人生に、またひとつ付け加わってしまった、と人は言うでしょうか。

鷲津さんファンとしてはその痛ましさに胸が詰まりますが…

 

 

しかし、彼は絶対に目を背けない。

だから、映画ラスト、劉一華の故郷に見届けに行く。

ふつう、日本人なら見たくないもの、知りたくないもの、

自分たちが作り出した「焼け野原」を。

 

 

ひとり、荒野に立つ鷲津の眼に映ったものは何だったのか。

 

 

過去、無謀な戦争をして焼け野原になった日本国だったのか。

あるいは、現在、世界中に存在する、絶対的貧困の焼け野原だったのか…

しかし、未来。

ふたたび日本が「焼け野原」になることはないと、いったい誰に言えるだろうか…?

 

 

 

なにも日本国の外だけではなく、国内だって同様なのです。

 

「ハゲタカ」ドラマ版ではラスト、熟練工の加藤と協力して新会社を立ち上げるのに、映画版の中で、鷲津や芝野はついに派遣工の守山に直接会う機会はない。

それどころか、守山は加藤にあたる人物に出会うことさえできない。

「部品」として消耗され、同じ国に生きていながら、まるで存在しないかのような扱われ方をする存在。

本当は加藤のような人たちの「後継者」にならなければならないはずなのに。

そんな状況で「日本の本業はモノ作り」と言ってみても、虚しいだけ。

はっきり言って、これはもの凄くマズイ状況です。

 

映画「ハゲタカ」では、守山の最後は「アカマの赤い車」に乗って何処ともなく去っていきますが、これは守山が劉の「願い」を受け取って新しいスタートを切った、と解釈していいものか。

それとも「日本人の夢と希望の象徴だった赤い車」はその後継者となるべきだった青年とともに、何処かへまぎれて消えていってしまった、と解釈していいものか。

 

私には、今は、決めかねます。

はっきり言って、楽観的と悲観的、天と地ほども違う解釈ですが。

 

 

 

映画「ハゲタカ」公開の少し前。

カントクだったかプロデューサーだったか、制作された方が、

「安易な解決は描けない。現実が厳しい状況だから。でもその中で観終わって元気になるものを」

というような内容のことを言っておられたかと記憶しています。

 

経済的に厳しいということだけじゃなく、分断されて、けして交わらない状況が厳しい。

永遠の断絶感。

国内でも国外でも、それが溢れている状況が厳しい。

この映画をラストまで観て、そう思います。

回数を重ねて観るほどに、本当に思います。

なんとか、この状況の「ブレーク・スルー」を見つけ出せないものかと、切実に思います。

おそらく、映画の制作者さまたちもそう思っておられるのだと痛いほどわかります。

 

そして、

映画の中の鷲津も。芝野も。

きっと。

芝野に言わせてますよね。

「このまま終わってたまるか。まだまだこの国は捨てたもんじゃない」

 

 

 

だから、もう1本作ってください!!

この映画「ハゲタカ」の続きを。

また数年後に。

 

 

鷲津が見つめている先が観たいから。

どんな厳しい未来でも、きっと彼は眼を背けない。

きっと彼は立ち向かっていく。

新しい方法を見つけ出していく。

 

そして。

 

彼の行く道は、私たちの行く道。




 

 

 

 

 

 

 

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2009年7月 5日 (日)

コーヒーブレーク~映画「ハゲタカ」音楽雑感

今回、映画が公開されて初見の時、私の身内では

「今回の映画のイメージは「ヨハネ受難曲」だね~」

という見解で一致していたんですが、これ、言わずと知れたバッハ先生の名曲。

アメリカではかの9・11のおり、この曲が脳裏をよぎったという人、多数だったそうで…

 

 

昨日、例によって週末の「ハゲタカ」鑑賞に出かけたんですが、やっぱり頭の中をよぎったのはバッハ先生。

サウンドトラックを作られた佐藤さんのストーリー性のある音楽が、イエス・キリストの受難の物語をイメージさせるんですよね、私には。

 

2年前ドラマ版を観た時も、とても「マタイ受難曲」のイメージだな~と思ったものですが、昨日は特にスタンリー社とアカマの株式暴落のシーンの女声ソロが、

「おお、これ、マタイのアリア第39曲のイメージだぜ」

と思い、家にかえってからDVDとスコアを引っ張り出して検証。

歌詞を確認したりしてました。

以下、ちょっと書いておきます。

 

 

 

(カール・リヒター版「マタイ受難曲」 第39曲字幕)

憐みたまえ わが神よ

滴り落ちる  わが涙のゆえに

憐みたまえ わが神よ

 

ここを ごらん下さい

心も目も

あなたの御前で 激しく泣いています

憐れみたまえ!

 

 

 

そうか、鷲津さん、本当は泣いていたのか…とか思ったり…

 

 

ついでに、「マタイ」のコラールの中で一番私の好きな、第62曲の歌詞も確認しましたので、書いておきます。

 


(同じく、カール・リヒター版「マタイ受難曲」 第62曲字幕)

いつの日か 私が去り逝く時

私から離れないで下さい

私が死に直面する時

あなたは 私の盾となって下さい

恐怖と不安の闇が

私の心を覆う時

私を恐ろしき淵より救い出して下さい

あなたが先駆けて味わった不安と苦痛の力によって!

 

 

 

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2009年7月 1日 (水)

映画「ハゲタカ」 Vol.6

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週末、もちろん行きました!

4回目です。(まだまだ未熟(笑))

すでに週末の生活の一部に組み込まれつつありますよ、「ハゲタカ」鑑賞(笑)

例によって23区内繁華街の映画館で、客席は満席御礼でした!!

こんな週末が少しでも長く続くといいな。

東宝さん&映画館のみなさま、よろしくご配慮お願いいたします!

 

 

 

当ブログは純粋な映画レヴューではありませんが、映画「ハゲタカ」の内容に結構踏み込んでおりますので「ネタばれあり」の「注意喚起」をさせていただいております。

 

 

 

鷲津政彦がいつから「決意」を固めていたものか…

 

 

「鷲津は映画のはじまりでは、日本を捨て、外国に去っている―。」

映画の内容が少しずつ報道され始めて、この設定を聞いて少なからず驚いたのは私だけではないはず。

ただ、現実の日本の状況を考えれば、それもむべなるかな。

ドラマ版の最終回時点の2004年からの4年間。

日本の歩んでしまった方向は、この感想文(?)でも書いてきたような状況で、けして鷲津や芝野が望んだようなものでなかったことは、明白です。

まさに「こんな国に誰がした」状態。

 

こんな日本で孤軍奮闘していたのだろうけど、理解されず、裁判にも負け、日本を後にした…。

鷲津の苦い選択が目に浮かぶようです。

それでも脳裏から日本のことが離れることもできず、うっ屈して昼間からアルコールの日々。

これまた、目に浮かぶようです。

でも、「捨てた」と言いつつも、きっといつも心は日本のことを心配して…

ああ、まったく!くっきりと目に浮かぶようですよ、鷲津さん!!(笑)

 

 

そんな鷲津を探しあてて、日本への帰還、現場への復帰を要請するのは、例によって芝野です。

芝野さんの姿を見て、「こんなとこまで追っかけてきて、くそーっ!」という気持ちと、一種の「安堵感」が交錯したんだろうな…

しかも芝野さんは「こんな腐ったマーケットを作ってきたのは俺達なんじゃないか」とか挑発的に言っちゃうし。

さぞや葛藤しただろう、鷲津さん…と観ていて苦笑いのワタクシでしたよ。

 

 

芝野という人は、ドラマ版で語られたように、「日本のバブルの時代(80年代末~90年代初め)」と「その後の失われた10年(92年ごろ~2000年代の初め)」の「責任」を我が身のこととして引き受けて、そのための「贖罪」として「企業再生家」になる道を選んだような人物です。

だから芝野には、この時の鷲津の気持ちがとてもよくわかったのだと思うのです。

 

「失われた10年」のあとに、日本を改革するといって始まった次の10年(2000年くらい~2008年)について、この「改革」が結局失敗して、全然望んでいない方向に行ってしまったことを、鷲津はきっと強く「自分の責任」として意識していただろう、ってこと。

 

鷲津はアメリカという「外圧」を使って、日本の腐った部分を大改革しようとしたのだけれど、肝心のアメリカが腐ってしまってバブルに踊ってしまい、日本の腐った層と結託して、世界中に問題をバラまいてしまった。

いまや日本とアメリカの辿った間違いが、「グローバリズム」の名のもと、世界を間違った方向に導いていこうとしている。

鷲津はそれを見つめながら、そのアメリカを率先して持ち込んだ「自分自身」に対して、内心、忸怩たるものがあったと思うのです。

それは、自分の「責任」だ、と。

 

 

鷲津はその「責任」をとるために、ついに日本に戻ってくることを選びます。

たぶん、その時点でいずれ「大ナタを振るう」ことになる可能性を、予感して。

そして、その「決意」が固まったのは、劉一華の会見をTVで見たので。

この会見で劉は「アカマ自動車の現状維持」を約束しています。

鷲津にとっては「現状維持」など、もってのほか。

 

その瞬間。

劉は鷲津にとって

「敵対する者」

のポジションになってしまった…

 

 

ホテルのレストランで待ち伏せ、劉の真意をさぐろうとした時も、鷲津にとって劉は自分と敵対する者。

ただの「成功の野心に燃える若者」に見える。

だから言い放ってしまったのでしょう。

「おまえに何がわかる」

と。

 

 

 

鷲津の、日本への秘められた「愛」は苛烈です。

もうそれは、ドラマ版の時から本当に首尾一貫しています。

いずれ日本のためになるとわかったら、どんな手段でも強行してバッサリと切りつける。

そして、返り血を浴びて、自分がどんなに「穢れた者」になり果てようとも、それを厭わない。

 

三島社長を死に追いやって後悔に暮れたその時から、もう決して同じ轍は踏むまいと決めているから。

自分の本意ではないことをやって後悔するなら、どんなことになっても、自分の本意を通そうと決めているから。

 

今回もたぶんアカマ自動車を「お引き受けしましょう」と答えた時点で、鷲津にはすでにその覚悟ができている。

この時点でアカマと日本、そしてアメリカをひっくり返して、バッサリとやる覚悟。

そして、漠然とではあるけれどその覚悟を感じている芝野。

 

 

 

かくして、鷲津はすべての手を読んで、自分の布石を打っていくわけなのですが…

どうしても、読めなかった「想定外」の事実が出てきてしまう。

 

 

劉一華の「赤い自動車」…

 

 

その写真を困惑したように見つめる鷲津の目が印象的です。

「敵対する者」のポジションにいたはずの若者。

その劉の、同じように秘められた「想い」

 

どうしても確認しないではいられなくなって、駐車場で問い詰めます。

「おまえは、誰なんだ」

と。

でも、答えはない。

 

 

これから自分がしようとしている凶行を自覚しつつ、鷲津の心に迷いはなかったのか、どうか…

だが、もはや選んでしまった。

鷲津も劉も、ふたりとも。

賽は投げられた。

 

 

 

中国(CLIC)を道連れに、アメリカ(スタンリー社)と日本(アカマ自動車)に容赦なく斬りかかる鷲津。

スタンリー株を

「売って、売って、売りまくれーっ!」

と徹底的に命ずる姿はまさに鬼神のごとし。

あまりにも歪んでしまった「グローバリズム」を正すために、いずれ誰かがやらなくてはならなかったこと、であろうけれど。

それを一身に引き受けた鷲津の血まみれの姿は、神か、悪魔か。

 

破壊者か、と。

 

 

 

そして得た勝利は完璧。

CLICならびにブルーウォール社は撤退。

スタンリー社は崩壊。

アカマは刷新。

当初の鷲津の「決意」のとおり、遂行された「大ナタ」

ついに、日本も、アメリカも、とりまく世界も、新たな段階に足を踏み出さざるを得ない。

 

 

しかし、鷲津の心は晴れない。

最後まで読めなかった「想定外」

本当のところは、どうだったのか?

劉一華の秘められた望み。

あるいは、そういった「真相」は最後までわからないまま、なのかもしれない。

ふつうなら。

 

 

だが、運命は残酷なことをする。

死にゆく劉の伝言を、鷲津に伝えたのだ。

出ることのできなかった携帯電話の「伝言」として。

「乗せてくれよ、その車に」

と。

 

鷲津はそれに言葉を返してやることはできない。

それは「過去」の声だから。

やっと劉の本当の「願い」を聞くことができたのに。

鷲津がそれを聞き届けた時点では、

すでに失われてしまった、劉の孤独な、命…

 

 

 

この映画を初めて観たおり、

私にはこの映画が「終わっていない!」ような気がして仕方なったのは、このブログにも書いたとおりです。

あとで何故かと考えてみれば、ドラマ版と比べてみれば明白なんですよね。

 

ドラマ版は鷲津が芝野に対して

「あなたは私だ」

と言い、最初否定されても、紆余曲折あって、芝野から

「俺はおまえだ」

という言葉を最終的にはもらうことができる。

 

でも、映画版では、

「俺はあんただ」

と言った劉に対して、鷲津はついに言葉を返してやることはできない。

 

失われた言葉。

届かなかったコミュニケーション。

 

その永遠の断絶感が観た者の心にぐさり!とくるし、いつまでもひっかかる、わけです。

ドラマ版を詳細に観ていて、内容を憶えていればいるほど、なんだか中途半端に投げ出されたような気がしてしまうのではないでしょうか。

 

 

まるで完璧なドラマ版の「完成した形」を打ち砕いてしまうかのような、こんな形にしたのは何故なのか?

もっとそつなく、終わらせることもできたのに。

何故に…?

私なりに、その理由を考えてみたのですが…

 

 


以下、続きます。

(うわっ、申し訳ない、あと少しです~)

 

 

 

 

 

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