映画「ハゲタカ」 Vol.5
また、週末が近づいてまいりました…
ええ、当然行きます。
またこの映画を観に行きますよ、ワタクシは。
こうなったら、見届けますとも。
「ハゲタカ」廃人の焼け野原を…
って、違うからっ!!!
「焼け野原」にしてどうする!
…と自分につっこんでおりますが(藁)
そして、やらねばならないこと山積み状態を横目に、またまたこ~んな文章を書いてます(冷汗)
で、でも、もうちょっとだけ書き進めておきたい…
よろしかったら、お付き合いくださいね!
当ブログは純粋な映画レヴューではありませんが、映画「ハゲタカ」の内容に結構踏み込んでおりますので「ネタばれあり」の「注意喚起」をさせていただいております。
アカマ自動車。
それはたぶんラストチャンス。
劉一華にとって。
彼が日本に、自分の「居場所」を作る、最後の機会だったのではないか?
もちろん、「こどもの頃憧れた赤い車」の会社ですから。
きっと特別だったでしょう。
彼は最初の記者会見できっぱり言ってるんです。
「アカマを、日本を、救いたい」
って。
でも初見の折、ワタクシすっかり身構えていて、古谷社長以下アカマの社員の目線で劉を観てしまっておりましたから、とにかく信じてなかったんですよね。
彼の言葉を。
まあ、「買収」しようといって乗り込んできたわけですが。
挑戦されたと受け取ってしまって、必要以上に自己防衛的になるのは、日本人の悪い癖ですね。
でもあとから見直すと、この最初の記者会見は、彼の本音がストレートにでています。
劉は言います。
日本から学んで、ともに成長したい、と。
劉がどうして守山を「見つけた」のか…
缶コーヒーを渡して話しかけるところから始まって、どんどん積極的に守山に近づく劉は、なんとも馴れ馴れしいというか、訳わからないというか、最初観ている私も???でした。
でも。
守山を初めて見たとき、これは自分だったかも、と思ったのではないか。
自分がアメリカに渡らず、もし日本に残っていたら。
劉一華ではなく、佐藤として生きていくことを選んでいたら。
たぶんこの「憧れの赤い車を作る会社」で働くためには、派遣工として勤務するくらいしか他に選択肢がなかっただろう、と。
彼の孤独が透けて見えます。
「雨は嫌だなあ…」とつぶやく時。
守山に、なぜアカマで働くのか、と問いかける時。
夢かうつつか、こどもの頃見かけた「赤い車」を語る時。
何者でもなかった出生。
彼の喪われた少年時代。
欲しかった仲間。
アカマに関わることで、今度こそ得られるのではないか。
そんな「望み」を無意識に抱いていたのではないのか。
最初距離をおいていた守山が、少しずつ心を開いてくれて、派遣工の扱われ方や待遇についての自分の気持ちを話してくれた時。
もしかしたら集会の計画を聞かされていた時。
劉はきっと嬉しかっただろうな、と思うのです。
だから、最初から守山を利用しようとしたわけではなく、自分のポジションを使って、三島由香や古谷社長に告発することで、守山たちの待遇が改善されて、なおかつ自分にとっても利益になる。
それはきっといずれ会社にとっても利益になっていくだろう。
そういう「みんなにとって、利益のある構図」を頭に描いていたのではないか、とも思うのです。
でも彼は、選び間違えた。
日本は「出るクイの打たれる社会」
「信念のある奴はめんどう」と言われてしまう社会。
目の前で古谷社長にきっぱり「リーダー(守山)はダメだ」と決められてしまった時。
はっとして、何か言いたげだった劉。
しかし、彼はそれ以上、そのことを追及することをやめてしまった。
そして手切れ金を渡して、守山を切り捨てた。
守山のような存在を切り捨てたこと、
それは、自分の中の佐藤を切り捨てたこと。
一方ではスタンリー社のような会社と組んでおきながら。
その苦い選択。
どうやって無理やり自分自身に納得させたのか…
きっと、納得していなかったんでしょうね。
心の底からは。
だから蓋をしていた苦しい胸のうちが、溢れ出てきてしまったんだと思うのです。
鷲津が、自らやって来て、再び問いかけたので。
「おまえは誰なんだ」
と。
スタンリー買収劇の修羅場の中で、絶望的に下がっていく株価のグラフを見ながら、
本当は、劉はどう思ったのか…
もう、遅い…と?
あるいは、
まだ間に合う…と?
その答えはわからない。
彼の唇は永遠に閉ざされてしまったから。
「俺もその車に乗せてくれ」
そう言い残して。
その言葉を、ただ鷲津に残して。
鷲津に送りつけられた劉の自主再建計画案。
それが届いたころを見計らって、鷲津に電話とかするつもりだったのではないか、とも思えます。
鷲津と組んでアカマに関わることができないかと、最後まで希望を捨ててなかったんではないか、とも思えます。
劉はファンド・マネージャーとしては完敗することになったので、かえってそれで自分の「本当の望み」がわかったのかもしれません。
自分の本当の「居場所」がほしい。
「かつて憧れた赤い車を作るこの会社」が、「自分の居場所」であって欲しい。
そして、
この国を、日本を選びたいのだ、と。
「本当はアカマを愛していたのではないのか?」
という鷲津の問いかけは
「本当は日本を愛していたのではないのか?」
という問いに聞こえます。
日本は「国を愛する」と堂々と言うことのできない、やっかいな国です。
すぐ「右」だの「左」だの馬鹿なレッテルを貼られてしまうから。
でも本当に国を愛するというのは、
「そこに住む人たちにとって、幸せな希望の場所であって欲しい」
と願う、「祈り」のようなものだと、私は思っています。
劉の祈り。
ラスト近く、アカマの赤い車を運転する守山。
それは守山であり、佐藤であり、劉であり…
彼のような存在、現場で車の部品を作っている派遣工のような存在が、自分の作った車を自分で乗れるような、そういう国であって欲しいという、そういう願い。
そういう祈り。
そして。
その祈りを受け取ったのは…
鷲津政彦。
ひとり、荒野に立って、
これからどこへ…?
ああ…やっと鷲津さんまで辿り着きました…
異常に前フリ長い感想文(?)ですが(冷汗)
あと少し、お付き合い願えれば幸いです。
以下、続きます。







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