2012年1月31日 (火)

この罪をどう贖おう?


あまりにたくさんの命が喪われた。

死ぬべき運命ではなかったのに。

 

私たちの文明の犠牲として?

私たちの強欲の代償として。

 

 

地獄の業火。

今また、

血も凍る瀕。

 

あの庭で、

あの入り口で、

あの家で。

 

彼らは待った。

 

 

私たちは、どう償おう?

 

永遠の時間

取り戻せない

取り返せない

 

この手から零れおちる

罪の重さを。

 



 

 

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2011年2月 1日 (火)

「龍馬伝」の裏散歩道を歩く・その7~season4と全体を観終えて


2010年の大河ドラマ「龍馬伝」の放映が終わって暫くになります。
全体を観終えての私なりの感想をこのブログにもアップしようと思っていながら、なかなか果たせずに年を越してしまいました。

 

世間はすでに2011年。
新しい激動の時代に入っています。

久しく前から言われていたことではありますが、いよいよ世界は「地図にない旅」を本格的に歩き始めている気がします。


「地図にない旅」
それはすなわち、前例のない旅。
人類の歴史を通じて、これまで直面したことのない新しいステージ。

つまり、技術革新で世界は狭くなり、誰でも地球の裏側のできごとを一瞬にして目にすることができながら、身体はまだここに留まり己の目の前の世界と対峙せねばならない時代。

私たちは「鳥」のようにすべてを俯瞰する「眼」をもちながら、地を這い「雑草」のように生きなければならない。
この時代に生きる、誰しもが。

そして誰しも「知らなかった」と言って、言い逃れすることのできない時代。

 

私たちの「自由」と「責任」の所在。
そのことを噛みしめる時代。

 


冒頭から固い文章で、恐縮です。

いや、「龍馬伝」の感想を書こうとドラマを反芻しながらずっとアタマにあったことを、まずは書いてみました。

「龍馬伝」のSeason4は、坂本龍馬とその周辺の人々におこったエピソード、つまり「歴史」として残っている事件が、これでもかこれでもかと毎回てんこ盛りに出てくることのオンパレードで、脚色もあるとはいえ息つく間もない展開だったのですが、ずっとこの「主題=メインテーマ」が通奏底音として流れていたなあ、と。

 

今、作品が終わってみて全体を振り返ると、このドラマにおける「坂本龍馬」はいろいろな意味で象徴的存在として描かれていたと思います。

つまり「龍馬伝」という物語では、幕末から明治へ近世から近代への一大変革期に「日本」という極東の島国がどう乗り切っていったか描かれていたのですが、その主人公として人間というよりもこの日本国そのものとして、描かれていたなあと思うのです。

そして、それには龍馬だけでは足りない。
「岩崎弥太郎」という、もうひとりの分身のような存在がいる。

 

龍馬と弥太郎。

どちらが「表」でどちらが「裏」かは、この際問題ではありません。
どちらも、日本国そのものだから。

遠く海の向こうの未知の世界を憧れ続けたのも私たち日本人なら、もっともっと豊かになって成り上がって欧米の仲間入りしたいと思ったのも私たち日本人に他ならないから。

そして強い好奇心で新しいものを次々生み出してみせたのも、強烈な欲望で周辺諸国に大迷惑をかけたのも、間違いなくこの私たちなんですから。

魅力もあり、しかし愚かでもあり、英雄かもしれないけれど、疫病神かもしれない。
なんとも厄介なこの国。

 

それをしみじみと深く考えさせてもらったとても貴重な1年でした。
この「龍馬伝」というドラマを追ったおかげで。

 

そして、今、とても大きな「時代」の転換点で、大げさに言えば人類の歴史の大きな節目で、私たちがもう一度振り返ってみるいい機会だったとも思うのです。

私たちが、この日本国が、
何に成功して、何に失敗したのか。
何を得て、何を失ったのか。

 

大政奉還で江戸時代が終わった時、正確にはその時点で何かが大きく変わったわけではなく、むしろ変えることができなかったことが後々まで問題を残したのではないか?

「龍馬伝」の最終回では、それが強烈に語られていたと思います。

 

龍馬暗殺。
弥太郎の慟哭。
そして、「和」でも「洋」でもない怪しい存在として息を引き取っていく弥太郎。

痛烈なラスト・シーン

私は考えさせられ、また考え続けることでしょう。

 


私の問題意識として前々から考えていたことがあって、それはこれまで当ブログのこのシリーズ「龍馬伝の裏散歩道を歩く」でも一貫して書いてきたつもりなんですが、「一見無関係と見えるものたちの相互に与えあう影響」というのがあります。

つまり歴史を振り返った時、私たちは日本人なので日本がいかに西洋諸国から大きな影響を受けたかばかり考えるのですが、では逆に欧米ではどうだったのか?

もちろん、フジヤマ、ゲイシャ、の話ではありませんよ。
日本からの金や銀の流出は、たぶん流入された側のヨーロッパやアメリカの経済のインフレを引き起こし、社会の不安定要因になっただろう、という話はもうすでに書いたとおりです。
他にも思わぬ影響があっただろうな、と思われることがあります。

 

1862年、日本の攘夷運動の高まりを受けて、開港(兵庫・新潟)開市(江戸・大阪)予定をすぐに実行するのは無理だと判断した幕府は、開港開市延期を嘆願するために欧州特使を派遣します。
イギリスをはじめとするヨーロッパ諸国は延期に同意してくれるのですが、フランスはこれを聞き入れません。

なぜならフランス政府は当時、フランス大革命→革命政府(第一共和制)→ナポレオンの帝政(第一帝政)→王政復古(ブルボン家&オルレアン家)→1848年革命(2月革命)ときて、その後、第二共和制の選挙で選ばれたはずのルイ・ナポレオン大統領が、クーデターと国民投票で帝政に戻すというまるで王政と共和制の折衷のような政権(第二帝政)が支配していたのですが、国民の人気が落ちればいつ覆ってもおかしくない状態のこの政権は、対外的には強気の姿勢を崩すことができなかった。

なので、ルイ・ナポレオンは次々とヨーロッパ諸国の内紛に首を突っ込み、幾多の戦争に参加し、ヨーロッパ外では植民地獲得競争に地道をあげ続けます。

ヨーロッパでの事実上の大きなライバルは、産業革命を達成して経済的に大きく発展してきたイギリスだったのですが、英仏両国は過去に「100年戦争」みたいな長期に渡る戦争を経験しているので賢くなり、軍事的に直接衝突するような真似は避けています。
両国は貿易協定(1860年)を結ぶなどの協調路線で友好を結んでいき、対清国の「アロー戦争(第二次アヘン戦争)」時の共闘のようにうまくやってきていました。

しかし、極東の果ての日本において、当時のフランスは「利権」を譲るつもりはなく、どこよりも日本の「開国」を主張します。

 

フランスの強硬姿勢と国内の攘夷派の運動の高まりの間に板挟みになって、江戸幕府はおそらくかなりうろたえていたのではないかと思います。
そんな中で起こった1863年「8月18日の政変」は、うろたえた末の強硬突破策だったのではないかとも思えるのです。
「龍馬伝」でも描かれていたとおり、土佐では勤皇党の弾圧の形で、中央(江戸や京都)においては長州の追放と征伐戦争という形で、容赦ない弾圧が行われます。

 

しかし皮肉なことに、この弾圧に踏み切ってしまったがゆえに、攘夷運動が倒幕運動へと一気に盛り上がります。
倒幕側に味方したのは、幕府の力に見切りをつけたイギリス。
ヨーロッパでは、けして正面からぶつかることのなかった英仏両国は、日本という場所で対峙するポジションにつくことになる。
幕府側のフランス。
倒幕側のイギリス。

 

今になってこうして俯瞰してみると、実はもの凄く怖い状況に当時の日本が置かれていたことがよくわかります。
つまり、日本を真ん中に置いたイギリスとフランスの構図は、それから100年後にインドシナ半島で、あるいは朝鮮半島で、アメリカとソ連が対峙した「冷戦」の構図とよく似ている。
本当のライバルであるアメリカとソ連、イギリスとフランスが、直接ぶつかるつもりはさらさらなく、真ん中に置かれた国が、国を真っ二つに割って戦う羽目になる悲劇的な代理戦争=「内戦」の構図。

 


歴史を振り返って、「たら」「れば」言ってもしかたない…
けれども。
このブログでも再三書いてきたことですが、それでも「たら」「れば」と考えてしまいます。


もしも、江戸幕府が自分たちの利権を守ることに汲々とせずに、もっと開かれて各地からの意見に聞く耳をもっていたのなら。
自分たちが選んだ道を人々に説明し、説得できたなら。
あるいは、自分たちに当事者能力がないのなら、もっと早くに有能な者たちに政治を譲るだけの決断ができていたら。

憎しみの連鎖が始まってしまう前に。
たくさんの弾圧と流血が行われる前に。

 

1867年大政奉還をもって江戸時代は幕を閉じるのですが、すっきり次の時代に移行する形にはなりません。
「龍馬伝」における龍馬暗殺の無惨さが象徴するように、さらに無駄な血が流される事態になって戊辰戦争が勃発するのは、周知のとおりです。
戊辰戦争後も各地の士族の反乱のような動乱の種は残り続け、結果的にそうした対立の矛先を国外に向けるかのように台湾へ、朝鮮半島へ、中国大陸へ、より大きな戦争へと向かっていく流れは、止めることができません。

フランス帝国は、その3年後の1870年、ヨーロッパ諸国での度重なる戦争の果てにおこった普仏戦争で、出兵したルイ・ナポレオンは戦線中に虜となり、それに反発した国民のパリでの蜂起を招き、ついに帝国崩壊となります。
そして普仏戦争後も、敗北の屈辱とプロシア→ドイツへの怒りと警戒感は残り続け、やがてついには第一次世界大戦となって爆発します。
そしてもちろん、それがさらなる悲劇的な大戦争、第二次世界大戦と戦争の20世紀のほんの入り口にすぎなかったことは、私がここに書くまでもありません。

 


この「龍馬伝の裏散歩道を歩く」というシリーズの最終項目である本稿を書きながら、読み返し、考え込み、随分と時間を費やしました。

その内にも、2011年2月1日、今まさに大きく歴史の曲がり角にくるかもしれないような事件が起こっています。

エジプトでたった今おこりつつあることは、やがて歴史を越えて「あの時が分岐点だった」といわれる1日であるかもしれない。
CNNなどの欧米メディアでは、あるいは決定的な1日になるかもしれない、と固唾を飲んで見守られているのですが、極東にいる私たちにはあまりにも遠い場所での出来事で、自覚が低いかもしれません。

 

しかし、私は一種の「デ・ジャ・ビュ(既視感)」を感じないではいられません。
これは去年1年間、私たちが追っていた「物語」にとてもよく似ている、と。
今は昔の150年ほど前、この日本国でおこっていたことととてもよく似ている、と。

 

だからこそ、私は関係各位のみなさま方に選択を誤ってほしくない、と痛切に感じないではいられません。

 

愚かにも、人間は何度でも似たようなことに遭遇する。
それでも、過去に学ぶしかない。
「たら」「れば」言っても遅いのです。
今を生きる私たちが、少しでも賢くありたいと頑張るしかない。 

 

今この一瞬を、そして未来を願いながら、物語の終わりを「希(のぞみ)」という言葉でしめた「龍馬伝」制作者の皆さまのメッセージを想いながら本稿を終わらせます。

どうも、ありがとうございました。

 

追記:
ミステリーとしての「龍馬伝」も楽しませていただきました。
ええそうですね、3つ並べると…
…凄いです。
いつか、「真相」が明かされる日もくるでしょうか。











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2010年12月 8日 (水)

龍馬伝season4 各回感想メモ・その2

* ドラマの「感想メモ」として、「nyan- chan2222文章事始掲示板」に書き置いたものを転載しました。

 

 

 

第43回  10月24日

 

光と影。
表と裏。

ただし、どちらが光でどちらが影かは、わからない。
表であると思ったものが裏であったり、裏が実は表なのかもしれない



「船中八策」の出てくる今回、いわゆる「難しい話」をどうみせるかが焦点だろうと予想はついてました。

「龍馬伝」はこれまでも「政治がらみの話」を語る時、とっても苦労してるのが伝わってきてました。
幕末は、各藩も各個人も、立場も勢力図もどんどん変化していくので、それをストーリーの流れの上にうまく乗せて、しかも平易に説明するのはものすごく大変なことです。
佐幕側と倒幕側の力の関係や、どの勢力とどの勢力が協力しているか反目関係にあるのかそれらがくるくると入れ替わっていくので。

「龍馬伝」はこれまでがんばってきたと思いますが、今回はさらに加えて「難しい思想の話」が出てくるから、さらに難易度アップの予感。


で、最初1回目を観た時は、ちょっと「ぎゅうぎゅうな印象」でした。

固い話だからなあ、相撲シーンと新撰組との立ち回りまで入れてしまったせいかなあ、しかも四侯会議やら薩土盟約やらの結構有名な幕末イベントも詰め込まれてるからなあ、と。


ところが、これが2回3回と観ていると、全く印象が変わるんですよね。
なので、録画してある方は複数回見直してみることを強くお勧めします。
(でなければ、是非土曜の「再放送」をご覧あれ!)

固い話をエンターテイメント仕立てにして飽きさせず、しかもとても重要な点はしっかり押さえていて、うまく見せてるんです。

特に、「船中八策」の説明を慎太郎にするシーン。
八策の解説をしながらそこに至るまでの龍馬の思想的歩み、影響を受けた人々を回想で出して、最後に河田小龍まで行き着く。


第7回。
河田小龍宅で。
押しかけた人々も潮が引くように去って、残ったのは龍馬と弥太郎と半平太。
喧嘩する弥太郎と半平太の間で、龍馬はオロオロ。

これまで、私はあのシーンはこのドラマの「キモ(肝)」なんだと思ってきたんですが、やっぱりそうなんだな、と。


半平太は亡くなった。
だから、残ったのは龍馬と弥太郎。


龍馬はこれまでの人生経験から、「船中八策」に行き着く。

そして、弥太郎はやはりこれまでの人生経験から、西洋の商売の方法へ、すなわち「資本主義」に行き着く。


「船中八策」を語る龍馬とコントラストに「資本主義」を伝授される弥太郎。
グラバーのところへ行き、その教えを受けます。

トーマス・グラバーは前にも書きましたが、スコットランド人なんです。
スコットランドとは、グレートブリテン島の先住民族であるケルト系の人々の国です。

彼らは後に大陸からやって来たゲルマン系のアングロ・サクソン人やノルマン人に押されて北に逃げ、スコットランド王国を作りますが、それもゲルマン系の国イングランド王国に政治的に押し込まれ、18世紀の初頭には大英帝国に吸収されている。

もう、この世のどこにも存在しない国。

スコットランドと長宗我部氏の国だった旧・土佐国をとても似ていると感じるのは、私だけでしょうか?

しかし、19世紀に入って大英帝国で産業革命がおこってくると石炭と鉄鉱石を産出するスコットランドは産業革命の中心地として、深い部分から大英帝国を動かす力のひとつとなる。


私はグラバーならばきっと弥太郎にこう教えたと想像します。

「汝、獅子身中の虫となれ!」



いよいよ物語の佳境となってまいりました。
息を詰めて見守りたいと思います。

その行く果てまで。

 

 

 

第44回  10月31日

 

いよいよ、「異国」の懐に飛び込む。
まさに「奇策」!
イギリス公使のところに乗り込んで「説得」
幕府は共通の「敵」なのだから、ともに協力しあおうと。
「敵」の「敵」は味方。


でも、本当に「敵の敵は味方」?


危うい橋です。
武器を買い付けて、抑止力にしようとした以上に。
綱渡りの「奇策」


でも他に方法が思いつかなかった

言葉は剣となって切り裂いた。
心を深く、えぐって。

どうしたらいい?
この国には行き場所がない。
どこか、別の国に。
いつか、戻ってこられる時まで。

小さな小さな、最後の
「希望」



一方、身分階級社会を越えるツールとしての
「資本主義」

最初は、貧者が王侯貴族に対抗するための武器だった。
階級社会を乗り越えるための「最終兵器」


でも、本当に?


言葉はいつも、切り裂く刃。
いつか、それが向けられた者ではなく、
言い放った者へと向かう。


「疫病神」なのは、本当は誰?



しかしね~(嘆)
それにつけても、「外圧」に弱い長崎奉行所=江戸幕府。
変わらないね~(呆れ)
150年経っても変わらない。
日本国の「外交政策」は、
幕末からずーっと「首尾一貫」している。

ずっと、その時代の「世界の覇権を握る国」に寄り添って生きている。
それは、幕府が新政府になっても変わらない。


嘘じゃありませんよ。
だって、検証してみれば明らか。


「ナポレオン戦争」の余波が残る19世紀のヨーロッパで、革命と反革命に揺れるフランス最期の帝政(王政)が、生き残りのためにあがき続けながら世界を巻き込んでいるうちは、フランス帝国に。

フランス帝政が崩壊する一方で、産業革命による経済成長著しくヨーロッパの勝ち組となった大英帝国が、世界経済市場を握って覇者となってからは、大英帝国に。

しかし、その世界経済市場が1929年の「世界大恐慌」で崩壊してしまった後、ナチスドイツが台頭してくれば、ドイツ第三帝国に。

それも行き着く果てとなって、第二次世界大戦が起こりヨーロッパが瓦礫の山と化す一方で、無傷のアメリカが戦争を起爆剤に強力な経済発展を遂げ、世界の基軸通貨がポンドからドルに移行したら、今度はアメリカ合衆国に。

ほら、ずーっと世界の覇権を握る国に寄り添ってきているじゃありませんか!


なんという「首尾一貫」!
そして、
なんという節操のなさ!

まさに「こんな国がありますか?」状態。


もうそろそろ、
「こんな生き方、やめた方がいい!」と思っているのは、きっと私だけじゃないはず。

違いますでしょうかね?



私たちに突きつけてくる問題の核心に迫りながら、このドラマはいよいよ終盤に向かってラスト・スパートしていく。

最後まできっと、
「それでいいんですか?」
と、私たちに問い続けながら。

 

 

 

第45回  11月7日

 

紅葉敷き詰め、落ち葉の寝床で休もうか。
明日はまた喧噪の巷に戻る掟と、知っていても。



嵐の前の穏やかな一日。
どんな「幕末重要イベント(事件)」よりも、こういう何気ない、馬鹿馬鹿しくも愛おしい一日を、
時間を割いて丁寧に描く

「龍馬伝」というドラマの神髄。

本当に、涙がこぼれるような愛おしい日々。
大切な大切な時間。
それを守るためにこそ、戦う。



いつの間にか、
味方は敵に。
敵は味方に。

不思議な巡り合わせ。

でも、あれほど喧嘩腰で憎悪をぶつけ合った相手と、どこかで理解しあうことができるのなら、
「世界」はまだ捨てたものじゃない。



大切なのは、

卑屈になるな、胸を張れ。
けれど、
驕るな、謙虚であれ。


いよいよ勝負の時。
全身全霊を捧げて、
挑む




再びみたびの、土佐です。

ここからすべてが始まったのだから、
ここに戻ってくるんだね。
ここを解決しなければ前には進めない、
そういうことなのでしょう。



でも、ここと訣別した者も
哀れな、可哀想な、魂。



思うに。
もう一度、このへんからやり直しませんかね~。

この国が、どこかで道のかどをまがり間違えたんだとしたら、
できうることならもう一度、このあたりから、
勇気をもってやり直す。


私は、「世界」はまだ捨てたもんじゃないという方に、賭けてみたいんですが。

どうでしょう?



「龍馬伝」は売り込みが成功して、アジア各国で順次放送されることになったそうですが、観てもらえばいいんです。

世界中で。

今は昔、150年ほど前、日本国で何が起こったのか。


日本が何に「成功」して、
何に「失敗」したのか。



特に、開発途上国の人々にそれを観てもらうことこそ、
いまや先進国のはしくれとなった
この日本国の責務(つとめ)、「使命」だと、
私は思いますよ。


そして、私たちがそれを自分自身で噛みしめることが、
もう一度やり直して一歩を踏み出す始まりなんだと、
私は思ってもいます。

 

 

 

第46回  11月14日

 

ついに、ついに、辿り着きました。
ここが、本当の目標。


戻った土佐で、藩論を「大政奉還」にまとめ上げて、それを中央に持っていく
幕府に政権を手放すことを受け入れさせるため。
なんとしても江戸が、日本中が、火の海になるような「内戦」の勃発を避けるため。


幕府と将軍の説得のためには、容堂公に「建白書」を書いてもらうしかない。
しかし、それこそ土佐藩と山内家の命運をかけた大仕事。

もちろん、容堂公はたやすく引き受けることはない。
最初は、絶望的に「拒絶」


だがそれでも、それこそ命をかけて、
再び容堂公に願い出る。



果たして、どうやって、どんな言葉で、容堂公の心を解放させるのか?
この人の恐怖、この人の苦しみから、どうやって解放を

ずっと、第2部の頃からその方法を想像していたのですが。


そうか。
それには龍馬だけじゃダメだったんだね。

「憎しみからは何も生まれない」

象二郎が加わって初めて、言葉がより重い価値を持つ。



差別というのは、もちろん差別される者を傷つける。
だが、同時に差別する者も知らず大きく傷つくのだ。


象二郎が深く胸に秘めていた「妬み」について口にした時。
彼の中で、大きなプレッシャーになっていた「上士らしく振る舞わねばならない」という足かせが、どれほど彼にとって苦しみのタネとなっていたか。
そのせいでどれほどの「ゆがみ」が彼の中でできていたか。
しかし、龍馬との間で「和解」が成ったことで、どれほど彼が、そこから救われたか。

それを象二郎が、全身で訴えかけたから。


半平太や勤皇党の弾圧を通じて、誰よりも象二郎の気持ちが、容堂公にはわかったんだろうな。


龍馬と象二郎。
下士と上士。
自分よりも若い世代の者たちに、この苦しみをずっと続けていかせるのか。
それとも、この苦しみの歴史を、この時代を、ここで終わらせるのか。


龍馬はきっと確信していたんだね。

半平太と腹をわってはなし、最後に半平太の切腹をもって彼の忠義に報いた容堂公が、この時代の幕引きをすると。


武市半平太は武士の鑑であった。
彼の切腹をもって、ひとつの時代は終わった。


この武士の世を終わらせるのかと。



容堂公の「建白書」がついにしたためられ、
これを生かせるかどうかは、若い世代の象二郎と龍馬に委ねられる。

清風亭の時とはちがって、象二郎の方からガッチリと握手。
死線をともに越えたふたり。
名実ともに同志として、京都に乗り込むことになる。



さて、これがどうなっていくか。

表の歴史としては知っていますが、もちろん。
歴史は残酷(涙)
ああまたやっちまったぜ的な、馬鹿なことも繰り返しおこるし。
でも、この今を生きる私たちが、より賢く生きるためには、やっぱり歴史から学ぶしかない。

「龍馬伝」としては、どう行き着くのか。

残りは、2回。
歴史の「残念無念」も含めて、しっかり観てみたいと思います。

 

 

 

第47回  11月21日

 

おまえは、誰なんだ?

問い質したけれど、答えはない。
けれどわかっていた。
私はおまえ、おまえは私。
もうひとつの世界のもうひとつの顔。

過去からの、幻。
未来からの、警告



「大政奉還」のBGMは「夕凪」でしたか
本当なら、始まりの終わりになるはずだったのに。
終わりの始まりになってしまったね(涙)



やれることを片っ端からやって、まさに人事を尽くして天命を待っていた龍馬たち。
象二郎に送った手紙は、史実ではもっと激しい脅迫文(?)でしたっけ。
でも、象二郎も切腹の覚悟をもって臨んだのは、前回出てきましたからね。
「大政奉還」に賛同した者は、ホントはもっといたはずだけど(薩摩だって揺れていたはずだし)「龍馬伝」では、より厳しい孤立した局面として描写されてました。


まあ、土佐藩がある種浮いた存在だったのは、本当だったろうと思います。


徳川に恩があるといっても、「譜代」でも「親藩」でもない。
「外様」のはずだけど敵方でもなく、「盟友」というか、まあ伊達家と同じと考えたら、実は意外と自由度が高く振る舞えた。
山内家が覚悟さえ決めれば。

その自由度の高さに気がつかなかったんだよね。これまではいろいろなものにがんじがらめになっていて。

それを解放させた龍馬は、やはり凄い。


ただ、土佐の外ではまだ理解されない。
彼の見ているものが伝わらない。
これから残された時間、彼は自分の見ているものを伝えようと必死になって説いてまわるのか

でも、容易じゃない。
勝先生に言われるまでもなく。

まだ何も成し遂げられていない。
ただ、スタートに立っただけ。
これからが正念場本当なら


本当なら、時間がもっとあったらよかったのに(涙)

土佐藩と同じで、この国が実はもっと自由度のあるポジションにいたのだと、気がつかせる時間があったなら。


現実の歴史はまるで真逆。
自分の持っていた自由度を自ずから譲り渡して。
ここからまた新たに始まる、別の苦しみの歴史。

そうまでして、得たかったものは何なのか?
豊かさという幻?
一流という虚構



いよいよ、ラストでございます。
正座して、臨みますよ~。

そして、
祈、最後まで、全力疾走!!!

 

 

 

最終回  11月28日

 

* やっと書き込みにこられたよ~。
  まずはとりあえず、このメモから。



そのこどもの名前は「自由」といった。

こどもは「平等」という名のこどもと幼なじみだった。
けれど、「平等」は死んでしまった。
なので「自由」という名のこどもは「繁栄」という名のこどもと手を携えて歩き始めた。

その行く手に待つものは・・・?



上記は、この大河ドラマ「龍馬伝」が始まった頃に、私が思い浮かべていたことです。


奇しくも、ドラマ最終回でその「自由」という言葉が大きなポジションを占めていました。


海援隊編纂の辞書作成作業で、「自由」は「希望」とワンセットで「はずせない大切な言葉」として選ばれていた。

そして、龍馬が弥太郎との最後の会話での
「自由に生きればいいのだ」
という、龍馬から弥太郎へのラストメッセージ。

皮肉にも、同じ言葉をかつて弥太郎は半平太にかけたことがある。
もちろん龍馬はそれを知らないわけだけれど。


でも、並べてみると同じようで大きく違う、
似ているようで全然違う、
「自由」


その言葉の本当の意味を弥太郎は、噛みしめ、噛みしめ、生き残った人生を歩まなければならなかったのか・・・

「自由」の重さに、耐えきれなくなりながら・・・?



それは、私たちに残されたラストメッセージでもある。

本当の「自由」とは何か?
「自由に生きる」
とは、本当はどういうことなのか?



*********


「龍馬伝」出演者、制作者の皆さまがた、本当にお疲れ様でございました。

主演の福山さん。
私はドラマというのをあまり観ないので、これまで役者としての福山さんを観たことが全然なくて(こうゆうのも珍しいのでしょうが(苦笑))このドラマが俳優・福山さんを観た初めてでした。

観ていくうちに、「龍馬伝」では坂本龍馬という人物のどの部分を描こうとしているのか、その意図が伝わってきて、なるほどこれははまり役、と思えるようになってきました。

龍馬は、語る人の視点によって、正当派にも、アンチヒーローにもできる、とても興味深いポジションの歴史的人物だと思うのですが、「龍馬伝」の龍馬は、その中間というか

ふつうの正当派主人公タイプが1とするなら、1.5というか、いや1.2というか
ちょっとひねった複雑さを秘めた主人公に福山さんはとてもよく似合っているなあ、と。

一見正当派に見えながら、なにか座り心地の悪い、ふつうのカテゴリーには当てはめられない中間な感じが、私にはとても魅力でした。

人の思惑通りにはいかない魂、という感じで(笑)


そして、副主人公の香川さん。
とてもうまい俳優さんだと思うのですが、私は香川さんの魅力は演技がうまい点ではないと思っています。
初めて香川さんの出演作を拝見したのは、まったく偶然に観た「独立少年合唱団」という映画。

この人は誰?
俳優さんなのか素人さんなのか、わからない。
でも、ものすごく存在感がある

そういうドキュメンタリーな感じがして、とても印象に残っていたのです。

その後、たまたま何作か出演作を拝見する機会があって、もうその時には最初感じた「素人のような、でも不思議な圧倒的な存在感」というのは感じなくて、むしろ「とってもうまい演技派の俳優さん」という感じがしていました。

が、今回「龍馬伝」を観ていて、そうだよなあこの方はやはりどこかドキュメンタリーな感じがあるんだよなあ、と思った次第。

それが、日本史上の「怪人」のひとりであるともいえる岩崎弥太郎という人物にうまくはまっていたなあ、と。


その他俳優、女優のみなさま!
とても書ききれないので書けませんが、皆さま、もの凄く魅力的で堪能させていただきました!!


制作陣の皆さま!
よくぞ最後まで全力疾走なさいました。
もう次の現場で走り始めた方も多いかと思われますが、またこのスタッフでなにかとんでもないもの(笑)を作っていただけないかなあ~、と期待しちゃいます。


そして、私は大友監督のファンなので、監督!
次回(の話をすると鬼が笑うかもしれませんが(藁))は何をやってくださるんでしょうか?(ワクワク)
また映画作ってくださいよ~!!と期待しつつ
(いや、いつまでも鷲津さんを待ってます~)


そしてNHKさん!
井上監督の「その街のこども」みたいに、「龍馬伝」も劇場上映しましょうよ~!!!


皆さま、本当にありがとうございました。
1年間楽しませていただきました。
暮れは総集編を楽しみにします~!

 

 

 

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龍馬伝season4 各回感想メモ・その1

* ドラマの「感想メモ」として、「nyan- chan2222文章事始掲示板」に書き置いたものを転載しました。

 

 

第39回  9月26日

 

第4部。

展開早いです。
しかも物語がどんどん複雑高度になっていく
なので、わかり易く語るための手段として「ミステリーを謎解く」展開になるのか


今回。
ついに龍馬と亀山社中の仲間たちは、開戦された第二次幕長戦争(四境戦争)に参戦。

さすが現場主義の社中の仲間は、前回ちょっと龍馬とぎくしゃくしていたのも、戦場の現場で解消。
庶民出身多勢の奇兵隊を見て、この人たちのために戦わねば!と感激していたのは、やはり目標を取り戻したからだろうな。


戦場は、なんとも凄い描写。


「戦場のピアニスト」ならぬ、「戦場の三味線弾き」(違!)
三味線携えて砲撃の中を歩みゆく高杉しゃんのブルーな映像がもの凄くて!
こんなのドラマで(しかも大河ドラマで)お目にかかれるとは!!!(絶句)
これでBGMが「夕凪」だったら完璧!
とか、趣味の入りまくったこと言ってたわが家でした。

「火の上を渡り歩く人」
この掲示板を訪問してくれた方が、某ファンド・マネージャー(笑)を指して描写してくれた言葉ですが、まさに高杉晋作もまた「あの人」なのだと思いましたよ。
なるほど「龍馬伝」では「龍馬とはソウル・メイトな設定」なわけだ!

史実では、おんな子どもも参加するほどのほんまもんの総力戦だった「大島奪還戦」も見たかったけど、これは龍馬とは関係ないし、「高杉晋作伝」ではないので残念!(笑)


そして、ようやく「大政奉還」という言葉が出てきました。


木戸が言うとおり、これまでにもいろいろな人物が提言してきたこと。
でも、とても困難な、ありえない、絵空事の夢物語だと思われていたこと


史実では、土佐勤皇党発足前後に半平太が土佐藩への「建白書」として「大政奉還案」を提出しようとして、「佐幕派」の吉田東洋に「絵空事だ」として一蹴されている。
(そういえば本当に蹴られた「龍馬伝」ひえ~(汗))

「龍馬伝」では、「倒幕派」の(しかも「武力討幕派」に転じた)木戸に、「絵空事だ」として一蹴される龍馬。


ちょうど対になっているんだね。


半平太は、行く手をどうしても阻む東洋を取り除くために、「暗殺」を決意。
しかし、それが彼の破滅の始まりとなる。

龍馬は半平太の失敗を見ているから、別の道を選ぼうとする


でも結局、待っていたのは「龍馬暗殺」



うーん。
本当に、何故、龍馬は暗殺されなければならなかったのか?


この「謎」に肉薄する展開に期待!!

 

 

 

第40回  10月3日

 

やっぱり土佐がらみになると話が断然面白い!!

ぐるりと廻って、土佐に戻ってまいりました。
舞台は長崎ですがね。


いろいろと大変になってしまった後藤象二郎との「和解」をどう描くのか、とても興味津々でしたが。
緊張感あふれるまま、全然和解じゃない和解
ああ、つまりお互いが過去を許すとか、水に流すとかじゃないってことで。
へええと感心しました。

そんな簡単に解決するつもりがないんだな
過去は、過去としてたぶんあるままで、現在と未来に利害が一致する、
とゆうか、今の目的なら一緒に手を組める、とゆうか
今日手を組んでいても、明日敵かもしれない。
それを承知で協力しあう決心をする。
土佐藩と亀山社中が、手を組むしかも対等に。
上士と下士の「シェイクハンド」って演出がすごい。

2部の頃が夢のようだわ。
藩論を一致させて、上も下も土佐藩一丸となって、攘夷を唱えるって半平太の夢だったっけ
少し、時代より早すぎて駆け抜けてしまったんだねえ、勤皇党は


この後、象二郎が「どこまでの人間なのか」龍馬といっしょになって、視聴者としても見極めさせてもらう、って感じですかね。
象二郎は、これまで大したことない人間に描かれてきたけど、それも演出の罠の術中だよな、と構えているワタクシ(笑)

「龍馬伝」は推理小説でいうところの「ミスディレクション」の罠が多数仕掛けられてきているからなあ。
「ハゲタカ」もそうでしたが、本当に油断ならない展開です!!(笑)


そして、腹の中は何考えているかわからない人・ナンバーワンの容堂公が、またまた出張ってまいりましたし!
今度こそ、容堂公の「真意」が掴めるのか???

「龍馬伝」に於いて、龍馬の味方となるのか?
それとも、
龍馬の行く手を阻むのか?


それにしても弥太郎とお元は
おまいら龍馬が好きなのか、嫌いなのかはっきりせい!(笑)
なんか、似た者風につるんでいるのが面白すぎます。

お元は、どーすんでしょうかねえ~、お奉行の密偵もまだやってる風だし。
池が生きていたら違ってたんだろうけど(涙)
これがまたおいおい「伏線」となるのか


覚悟を決めたけんどーさんも、お慶も、長崎商人のみなさまも相変わらず濃いし、土佐藩の濃い面々にプラスして濃い~展開が期待できそうで、ワタクシは今後が楽しみです。
(しかし、再々書きますが、あまりにワタクシの好みに合うと心配しますよ(藁))


ついで、
今回のにやにやは、お龍さんのピストル射撃シーンですかね~(うっとりした人が、多数かしら??(笑))

そして、再びご登場のお慶の白猫分身~
また出てきてにゃん。

 

 

 

第41回  10月10日

 

「海援隊」--土佐藩の「外郭団体」である。
日本初の「外郭団体」の誕生。


どうして「外郭団体」なるものが生まれたのか
龍馬伝を観てるととてもよくわかる。
本体がいろいろなもののせいでがんじがらめに縛られてまともに機能しなくなったから、外側にあるけれど身内であるというまったく奇妙な存在ができて、実質の機能を引き受けた

まったくもってものすごく日本的ですね。
そうか、この由来は「幕末」にあったんだねぇ、と妙に感心してしまいました(笑)

ただ、現代はその「外郭団体」すら、もう機能しなくなってまっさきに仕分けの対象になったりして。
なんかねえ。どこへ行く?!迷走日本(嘆)


閑話休題。



龍馬はいよいよ始動開始する前に、お龍を預けるため下関に行って、そして高杉晋作に会う。
その病状は、もはや(涙)


未来を語りたいけれど、未来を語れない高杉しゃんが哀しくて。
「遺言」と言った言葉は切なくて。
未来がないと知っているというのは、どんな気持ちだったのか。

そして、それを受け止める龍馬も。
木戸も。

長州は高杉が生きてたら、違う選択肢もあったんだろうか?
たら、れば、言っても仕方ないのだけれど。

BGM
「夜明け前」は、吉田松陰先生のテーマだったねえ。
同じ曲に重ねて、遥か海を見つめながら消えていくいのち。


ただ、満開の桜の下で、奇兵隊に入っていた者たちといっしょに宴会をした高杉晋作はとても幸せそうで、こんなシーンを作ってくれた制作者の皆さまに感謝したくなってしまいましたよ。


「世の中は 桜の下の 相撲かな」

木戸の詠んだ俳句。
勝ち残った者には美しい桜を見ることはできないけれど、負けて仰向けに倒れた者には美しい桜が見えるのだ、
という意味なんだそうだ。


そうかもしれない。
美しいものを見れるのは、先に去っていった者の方なのかもしれないね

しみじみと思った今回でした。

 

 

 

第42回  10月17日

 

そうなんだよね。
ブログの方にも書いたけど、紀州藩は実は「江戸幕府の本体」なんだよね。
8代将軍吉宗以来。

その紀州藩の船に衝突されるというのも、「業」のような運命だ



今回は、エンターテイメント的にすごく面白かったです。

もともとの史実からして、「いろは丸沈没事件」はとても興味深い事件ですが、その事件の経過を無駄なくみせて、かつ龍馬の周辺がいかに「人材の宝庫」だったかがよくわかる筋立てになってて、とてもうまい!と思いましたよ。

「人材の宝庫」
アイディアと人脈の豊富な龍馬は有能なブレーンでありフィクサー的人物、
転んでもただでは起きない金銭感覚と交渉能力のある弥太郎は大商人にして悪徳(笑)弁護士、
強烈に押し出す存在感と威圧力のある象二郎は大物政治家、
そしてそれを裏方で支える語学達者な惣之丞や陸奥、
また繰船と船舶の知識に富んだ海援隊のメンバーたち。

彼らが一丸となって「万国公法」をたてに、イギリス海軍の提督までひっぱりだし、ついには「幕府本体」といっていい紀州藩を「ぎゃふんと言わせてしまった」わけだから、これは痛快を通り越して、呆然としてしまうような事件だったのではないかと思う

まったく凄いね!


でも、客観的にみて、このメンツをそろえてみせた土佐藩は、さぞや「驚異」で「脅威」となっただろうな、というのもよくわかった。


問題は龍馬ひとりではなく、このメンバーがその気になって一致協力して一丸になってしまった、ということなのではなかったか?


そして、みんなを「その気にさせた」龍馬は、さぞや「アタマにくる対象」だったのでは?


誰にとって



そういえば、ドラマの原作本最終巻が出たらしいですね。
でも私はドラマ終了後まで、手に取ってみるつもりないです。
(完全に自分の感想を出し切ってしまう前はネットもあまりチェックしないし、雑誌やムックも買っておいてだい~ぶあとになってから読むタイプなので(笑))


このメモは、ドラマを観たあとの感想を述べつつ、史実としての「坂本龍馬暗殺の謎」を私なりに考えつつ
残り6回をすすめてみようと思っています。

なので、ドラマの結論(謎解きの)と最終的に一致しないかもしれない

けど、それもまた面白いかと思って。


「龍馬伝」もあと6回!!
名残り惜しくも、楽しみにしてます。
加速度的に濃~くなるように期待してますよ!!
(いまでも充分に濃いですがね(大笑))

 

 

 

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2010年10月 1日 (金)

「龍馬伝」の裏散歩道を歩く・その6~season3を観終えて

先ごろ第3部を終えた「龍馬伝」
すでにseason 4・第4部に入っていますが、そのままの勢いで爆走中。
四境戦争を描いた「馬関の奇跡」を観て、絶句していたのは私だけではないはず!!(笑)
いや、大河ドラマでこんな画をみせていただけるとは思ってなかったですよ、ホント。

このまま、飛ばして「全力疾走」でラストまでゆけますように!

 

例によって、各回の感想は「nayan-cyan2222の文章事始掲示板」にメモ書きしてきましたが、第3部全体を振り返って私なりにまとめた感想を書いてみます。


第3部は、「亀山社中繁盛記」(笑)



海軍操練所の閉鎖後にそれでも「志」を成し遂げようと決めた龍馬と操練所の仲間たちが、勝の勧めてくれた薩摩藩を頼ることを受け入れ、とりあえず薩摩にむかいます。
しかし、途中に立ち寄った長崎で、薩摩に全面的に頼らずとも自分たちの手で組織を作り、自分たちの航海技術や船舶の知識を生かして新しい商売を立ち上げて、ここで生きていこうと決める。

そして、設立された亀山社中。
「日本初の海運商社」ともされているこの組織は、日本の近代会社の草分けのひとつであったと言われています。

亀山社中の目指したものが、それまでの日本における従来の商売と、どう違っていたのかというのが「龍馬伝」ではうまく出ていましたね。



江戸時代、それまでの商売といえば、血縁で結ばれた家族が一族あげて行うものが普通。
社中のように赤の他人同士が寄り集まって、しかも「共通の目的」を持って商売するなどほとんど前例がなかったのではないかと思われます。

社中では、それぞれのメンバーが自分の得意を生かして、商売にコミットメントする。
資金調達力や営業力のあるもの、通訳として英語を自在に操れるもの、設計図や経理などの数字に強いもの、実際の船長として操船に優れるもの…
うまく自分の得意分野を分担している様子が、生き生きと描かれていて楽しい。

また、社中に於いて龍馬はリーダーとして仲間を引っ張っていくのだけれど、従来の日本の商家にあったように「主人」と「使用人」という関係ではない。
メンバーがもっと対等で、仲間として相互的な関係を持っている。

このように江戸時代の商売の構造から一歩も二歩も先んじて、近代的な会社組織の要素をすでに持っていた「亀山社中」

それどころか、彼らは現代の社会では「ベンチャービジネス・モデル」と言われる存在だなあと、つくづく思うのです。



亀山社中が取り扱うものは、単なる「ものの売り買い」ではない。
もともと、幕末の攘夷運動の流れの上に集まってきた「志士」を基礎に持った組織だから当然と言えば当然。

目標はあくまでも、「日本の独立を守って外国に侵略させないこと」
そして「日本をどの国にも負けない豊かな国にすること」

なので、その目標のために尽力することが、彼ら流の「商売」になる。


まずは幕府が進めようとしている「長州攻め」を止めさせたい。
外国勢力の侵略に対抗しようという意識を持った長州藩を消滅させてしまっては、目標をかなえることがより難しくなるから。

現時点で外国に対抗できる可能性は、すでに近代化に向けて動き出していて実力もつけてきている薩摩藩と長州藩を仲直りさせて、盟約させることだ。
しかし仲の悪い両藩を結び付けるのはしごく困難。

そこで、「長州攻め」に備えて軍艦や銃を用意することに薩摩をからませることから始めて両者を近づけ、紆余曲折を経ながら、ついに両者が同盟の盟約を交わすところまでこぎつける。


この一連の過程を龍馬と亀山社中は準備し実行するわけですが、そのことによって金銭の利益を受けないことを旨とし、「私利私欲には走らない」としています。

感想メモにも書いたのですが、その様は江戸時代を一歩先取りした近代どころか、現代における「NGO」や「NPO」の姿にも似ていて、現代の最先端な組織とも見えて驚嘆します。




実は、亀山社中に少し遅れて、幕府方では小栗上野介こと小栗忠順が「兵庫商社」という株式会社を設立準備します。
これも「日本初の総合商社」とか「日本初の株式会社」とか言われていますが、小栗は鴻池や鹿島屋といった幕府御用足しの大阪の大商人たちに資本金を出資させ、「日本初の半官半民会社」を作ろうとしていた、とも言われています。

いかにも切れ者の小栗らしく、幕府がフランスとの貿易を独占しても思ったような利益を上げられないのは、諸外国に比べて資本力の差があるせいなのだと気がつき、資本のストックを行うためには「株式会社化」しなければならないということで、兵庫商社の設立案を作ったのです。


つまり本格的に日本が「資本主義経済」に参入するべく、一歩を踏み出したのがこの時だ、と言える。


小栗の作ったこのプロトタイプは、その後、明治新政府になっても引き継がれ、明治を牽引した国営会社の設立モデルに使われていきます。
明治期の目覚ましい近代化の原動力となるのです。

 

しかし、龍馬たちが設立した「亀山社中モデル」の方は、残念ながら明治期のメインストリームにはおらず、実業界や企業経営について私が無知なだけかもしれませんが亀山社中に似た会社を見つけだすことはできませんでした。




21世紀になった現在、日本はしばしば「ベンチャービジネスが根付かない」といわれています。
ベンチャーによる事業の新規開拓ができていないことがこの国の停滞の理由であり、バブル経済崩壊後の「失われた10年」からいつまでも脱出できず、このままさらに積み上げて「失われた30年」になってしまうのではないかとも言われ、耳の痛い話です。


日本国は、後進国としてひたすらに近代化へ邁進しているうちは小栗の作ったプロトタイプにのって、「ほとんど国営だ」と海外から揶揄されながらも、いわゆる「護送船団方式」で企業と国家とが密着していてもかまわなかったかもしれない。

でも、高度成長を終え、先進国となったあとの日本国に残されていたものは何だったのか?




「龍馬伝」第3部では、亀山社中が設立されて目標のために一歩一歩近づいて行く様子が活写されたのですが、それと並行して幕末の息苦しい非情な「闇」がじわりじわりと龍馬たちを取り囲み始める様子も描かれています。
権力に固執する旧勢力である幕府が放った密偵や新撰組が、除々にひとりの名前に気がつきはじめる。


坂本龍馬。


彼らの「秩序」を脅かす存在として、彼らは龍馬を追い始める。
そして龍馬は、ついに寺田屋で追手に囲まれて瀕死の重傷を負って逃走。
窮地突破のために捕り方を殺して逃げたため、龍馬は今度こそ正真正銘の幕府の「お尋ね者」となる…

 

龍馬を「お尋ね者」として追い詰め始めたあたりから、日本国の現在の苦境は決まっていたことなのではないのか?
21世紀のこの国の、「黄昏」のようなありようの出発点は、このあたりにあるのではないのか?

 

これは、私の考えすぎでしょうか?




「龍馬伝」はこれまでもたくさんの警告を私たちに向かって伝えてくれているように思います。
いよいよ大詰めの第4部。
何故、どうして、坂本龍馬は暗殺されなければならなかったのか?
その最大の「謎」と向き合いながら、私たちが受け取るべき警告にも真剣に向き合わなければならない、と考えている私です。




[ご注意]

当ブログは現在、コメント、トラックバックを受け付けておりません。
コメント・ご質問等は、「nyan-chan2222文章事始掲示板」にお書き込みいただけますようにお願いいたします。
また、同掲示板には、私の「龍馬伝」の各回の感想メモもおいてあります。

  「nyan-chan2222文章事始掲示板」(リンク先に飛びます)






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2010年9月22日 (水)

龍馬伝season3 各回感想メモ・その2

* ドラマの「感想メモ」として、「nyan- chan2222文章事始掲示板」に書き置いたものを転載しました。


 

第34回  8月22日

 

理想を追うことの困難。

食っていくこと、生活することを考えれば心配がつのり、一番世事に長けた長次郎が気を回すんだけど、それを周囲が理解しないということで孤立していく。
折しも長次郎に差し出された誘惑。
それに乗ってしまって、密航による海外渡航という禁断の一歩を踏みだそうとするのだけれど、失敗。
そのことで周囲にかける迷惑の重さに気がついて愕然。
自ら落とし前をつけるように、「切腹」を選ぶ。


前に勝先生のところで張られた伏線「私にも志はある」が、とうとうこんな形で果たされる
そう言った長次郎も、言われた半平太も「切腹」したんだなあ、と思うと、なんというか言葉もないです。


もう一方で、対照的にひっそりと語られる高杉晋作のエピソード。
海外出奔を本当はしたかったけど、それを思いとどまった話。
そうだった。
「史実」でも高杉は、思いとどまったんだっけ、と思う。


どんな時代の、どんな国でも、あることだ。
現代だってむろん。
能力と才能に見合う正しい評価がなされるのは理想だけど、それがちゃんと行われるのは稀だから。

しかも、差別やら偏見やら、本当はそれを一番憎んでいるはずの人々が陥ってしまったりして。
その刃を向けられて、余計に傷つくことになる。


でも、長次郎。
どこかに行きたかったのは、よくわかるけど。
「ここではない、別のところ」なんて、本当はどこにも存在しない。
だから「ここ」を変えていくしかないんだと、理解できれば・・・


いや、わかってたんだよね、心の底ではたぶん。
でも心が弱っていると、隙間に入り込むんだ。

悪魔が。



アラン、いやティムさんが凄い~でした(冷汗)
ミスター・グラバーのメフィストフェレスぶりに脱帽!!
あと、けんどーさんの涙もとても印象的でした。
本当は長次郎ってけんどーさんにとっては密かな期待の星(同じ商人階級出身者として)だったんではなかったかと思えて。
けんどーさんの心情は垣間見えたけど、グラバーはまだまだ読めませんね~。
うーん、今後に注目です。



そして、龍馬は。

甘いものではないとわかっていたはずなのに、と嘆く。
長次郎の表情を読み違えてしまったね。またしても。
こうして訪れた「別れ」は何度め?
とうとう、こども時代からの友たちはみな、身近なところからは永遠に去ってしまった。


ひとり龍馬のみ残されて。


でも、それでも理想を高く掲げなければならない。
何度失敗して、別れがきても。
身を切られる思いをしても。
何度も、何度も、何度も。
それでも、理想を。


苦い涙が静かに沁み入る夜。
唄がこころに響く夜でした。

 

 

 

第35回  8月29日

 

久しぶり「想望」が流れましたね~!!(感涙)


大きな節目。
「薩長同盟」がついに結ばれる。
薩摩が長州を助ける5ヶ条の取り決め。
そして最後に、喪われた魂たちの「志」とともに加えられたもう1ヶ条。
薩長ともに身命を捧げて、傾きかけた日本国を建て直すという誓い。


「力のない者でも、本気で声をあげ、本気で動いたら、必ずこの国を変えることができる」
龍馬の言葉。

そう思う。
あまりにもど正面で、恥ずかしいくらいだけれど、それを忘れてはならないと思う。

その言葉にたどり着くまでに、龍馬が喪ったもののあまりの多さに胸がつまりながら、本当にそう思う。


龍馬の想い。
桂(もう木戸しゃんだな)や西郷の想い。
お龍やお登勢やお徳の想い。
半平太や亡くなった仲間たちの想い。
それを全てを汲み取ってやる。
「想望」のメロディーにのせて。


今回、たくさん伏線も張られていたようだし今後の展開の暗示もいっぱいあったと思うけど、それらは今はとりあえずはどうでもいい。

たどり着いた大切な言葉を胸に。
今はただ、明日へ。

 

 

 

第36回  9月5日

 

運命が、交錯した。


ついに「寺田屋騒動」まできましたか!
早いね~、というのも変ですが。
これまでもサントラの「クロノスの刻み」とか聞いてる時に思ってましたが、しみじみ本当にカウント・ダウンなんだね。
終焉へと向かっての。


その「寺田屋騒動」にまるまる1話かける贅沢さ。
恐れ入りました。

じりじりと迫るものの怖ろしさ。
圧倒的不利から打って出る、龍馬と三吉のハッタリと実力のないまぜになった妙技。
堪能いたしましたよ!

そして、ここで3部が終わり、とか普通ならなりそうなものが、そんなところに「区切り」が入らないよ、という制作陣のしたたかさ。
本当に恐れ入りました!!
大友監督のお顔がちらちらと脳裏に思い浮かび、またまた「罠に嵌まった!」と呻きました(笑)

なにせ、タイトルロールからして異常!(笑)
通常の回では登場人物の名前が入っていた画面にも名前が入ってない!
ぎりぎり最少人数の主要人物できましたか。
ううむ(にやにや)


今回、ちょっとじっくり感想書いてるヒマないので、ちょっと散文的ですが、こんな風に感じました。

しかし、そうしてる間も時の進みは容赦ない
予告で吐血してましたね、高杉しゃん

ああ、もう本当に時間がないんだ!!!

 

 

 

第37回  9月12日

 

非常に過酷な脱出劇のあとの静養の時期
といっても、全然休まりませんが(藁)


龍馬の怪我、痛そうです、ううう
手の怪我とかって、猛烈痛いんだよね。
血が止まらなくて、傷口縫ったことあるからわかります(冷汗)
と、冷静でいられなくなるほどリアルな冒頭。
養生している間、ゆっくりとお龍さんとの距離がつまっていく様がいいですね~

「刀剣」が久しぶりに使われてました。
どこか懐かしい曲。
この曲が使われていた場面は、最初は半平太の出てくるシーンだった。
それから加尾と京都で再会したときにも。
で、お龍さん。
うちでは、「愛のテーマだ!」といってます(こーゆうこと書くから、また誤解される!(爆))


幕末流プロポーズ、そして長崎へ。
社中のみんなに紹介して(カリカリしている陸奥が、あまりに大人げなくてかわいい(笑))お龍とお元と火花散る三人の構図もあって(いや、マジで怖かったよ!龍馬、鈍感すぎ!!)
グラバー、けんどーさん、お慶と龍馬のこれまた怖~いめんつの麻雀シーンは、今後の予感に満ちてるし。
そして高杉と再会。

うーん。
オールスターだね。その間、長州も薩摩も情報戦をしかけて、まんまと世論を味方につけて。

そしてなによりも、ついに龍馬たちは亀山社中の船を手に入れた!
これで念願の仕事もできるはず。
商売の方もできるはず。
高杉も世界を見に廻ってくると言うし、すべてうまく運んでいる

……
ように見えたんだけどね


これで戦争さえなければ(嘆)



「守りに入る側」というのは、どうしてこうも「傲慢」なんだろうか、といつも思う。

叩きつぶすことにどんな意味があるのか。
同じ国の中で。
中央(江戸)がすべてを抑え込まなくたって、別の生き方があったはずなのに。
力のある地方をのばしてやっていたら、別の道が開けたかもしれないのに。

でも、そんな「未来」は存在しなかった



もう持ち時間があまり残されていないことに気がついた高杉の「最期の決戦」が迫っていることが告げられる。


そして、ゆっくりと始まるものがある。

運命の。
龍馬の「宿命」の。



今回の慰めは、最近ちゃんとお目にかかってなかったにゃんこがさりげなく映りこんでおり、「猫が隠された主役にゃんだにゃん!」と主張していたのが嬉しかったよ「龍馬伝」。
はああ


次回は、第3部ラストか!!!


おお、そだそだ「追記」

佐藤さんのサントラの3枚目、買いました!!
良かったですよ~!
迷ってる方は「買い」ですぜ。
3枚の中で、1番いいかも。
いや、好みの問題もありますけどね。
(完成度では2枚めも捨てがたいし、1枚めには「刀剣」とか「別道」とかのとても印象深い曲もあるからなあ~。でも、1枚目でワタクシの一番は「標的」だったりする。聞くたびにすげえ曲だね~と呆れてます。)
サントラ3枚目は、「波乱と混乱」度が、3枚の中で一番だと思いますが!(褒めちぎってます(笑))

 

 

 

第38回  9月19日

 

2回分でしたね~!!

通常だったら2回分の内容をぎゅううと詰め込んだ第3部ラストの回。
そういや、第2部のラストも2回分になっちゃって、これは本当に増やして2回に分けたんだったっけ、と思い出しましたよ。
今回は、もう後ろも迫っているから、2回にはわけられませんね(藁)

普通なら、霧島山へ登って自分が自ら日本を変えるのだと誓うまでが1話だろうな。
普通なら、ここがクライマックスで第3部が終わりだろうな。


でも、普通にするつもりがないのが「龍馬伝」の魅力なんだな!
と、つくづく思いましたよ!!(笑)


かくも長き不在。

療養期間の間(たしか3ヶ月くらい)に大きく「時代の流れ」が動いてしまう。
幕府の長州攻めがいよいよ避けられず、ついに開戦。
一方戦争突入で腹をくくった薩摩・長州は、最終的な江戸城での決戦を決意。
でも、これは龍馬の意図していたところではなかったので、龍馬は驚愕。


本来は、幕府の勢力下から離脱して独立し、経済力などの力をつけて、いずれ日本の実効支配を幕府から取り上げるくらいまでしか、考えていなかったんだろうな。

薩摩も長州も武力も経済力も、幕府に比べたらまだまだ全然劣っていたから、本来の路線なら戦争はしたくなかったはず。
ましてや「江戸城に攻め入る」なんて想定の範囲外もいいとこ、のはずだったのに


なのに予想外の展開。

その裏にあるのは、イギリスの支援の約束。
そして、さらに


このイギリスの介入の経緯は詳細には語られず、あえて端折られている感じ。
(今回話をすっ飛ばして、1話にぎゅうぎゅうに押し込んだ印象になってる理由のひとつですかね)
でもこれはたぶん後で効いてくる伏線かな、と思ってます。
龍馬は、経緯をまだ知らないみたいだから。
第4部で、いろいろと複雑に絡んできそうですね。


龍馬は迷いに迷って、ついに参戦を決意。


亀山社中の面々が反対したのは、池を喪ったばかりもあるからなあ、とは思ったのですが、それを龍馬が説得して押し切ったのにはちょっと驚く。

いや、龍馬の気持ちはわかるんだけどね。視聴者としては。
死地を越えて、いわばあの世から生還したのだから、怖いものはないと断言してしていた通り、あらゆる手段を使って初志貫徹するつもりなんだろうな、と想像できる。

でも、社中の仲間が龍馬の言葉をいまひとつ納得していなかった感じなのが、少しひっかかる

考えてみたら龍馬と行動を共にしていないから、寺田屋でどんなひどい目にあったかわからないんだよね
わかってくれるのはお龍とお登勢と三吉と薩摩の面々だけ。
社中の仲間とは、、少し「距離感」があいてしまったのか?
そしてこれがまたあとで「問題」になってくるのか


しっかり伏線を張りつつ、いよいよ第4部ですね。


なんとゆうか、これまでの「龍馬伝」って長い長~い「前振り」なの?(大笑)

ともあれ。
全ての「伏線回収」の鮮やかな展開の「第4部」を期待します!!!


ついで。

史実どおり、高杉しゃんは着流しで作戦指揮。
戦装束でないのって、国際法(ジュネーブ条約とか)では「民間人」とされてしまうのではないかとうちでは論議のまとでした(笑)
捕虜になったら、軍人扱いしてもらえないで、テロリスト扱いされちゃうぞ!(笑)


またまた、ついで。

この期に及んでの「追加キャスト」にブラボー拍手喝さい!!
「紀州藩は、賠償金として八万三千両を用意した。口出し料込みの大盤振る舞いや!」
と言ったかな?(爆!)
(すみません。わかる方だけ笑って!)

 

 

 

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龍馬伝season3 各回感想メモ・その1

* ドラマの「感想メモ」として、「nyan- chan2222文章事始掲示板」に書き置いたものを転載しました。

 

 

第29回  7月18日

 

* 「本日、私ども土佐勤皇党は、ロンドン証券取引所に上場している(?)ジャーディン・マセソン社に対して、買収提案をいたしました。日英の提携による事業拡大を目的とし、経営陣の大幅な刷新を視野に、ジャーディン・マセソンの支配権の奪取を目指します」
すみません。わからない方は「???」とスルーしてくださいね。わかる方は、いっしょに笑ってやってくださいまし!!(爆))


第3部です!!

楽しく気楽にみるっちゃ~!と、思って観てたんですが、ところどころあまりにも「ツボ」に嵌まりすぎて、笑い転げてしまいました!


一発バンッと撃って、遁走!!なんて
あまりにも高杉しゃん、ワタクシのイメージどおりの人で
わはははは!!(をい!(汗))
監督、素晴らしいです!


第3部、ガラッと一新ですね。
音楽もかな~り違うので(ピアソラ的?)雰囲気変わりますね~!
佐藤さんの引き出し数に、改めて脱帽。
次のサントラがとても、楽しみ~。


それにしても、日本は260余年の平和ぼけの末に、「戦乱と流血の19世紀」にいきなり投げ込まれたんだから、全然わかってなかったのも無理ないんですが
にしてもなあ無知で、甘すぎ
幕閣でも、一番悧巧そうな小栗ですら、この段階ではわかってなかったんだね

「日本が存亡の危機にあるのをわかっている日本人はひとりもいない」

そりゃ、わかっていた人を切腹させちゃったから
はああ(ため息)


いろいろ、前途多難そうなスタートですが、たくさんの「想い」を背負って、がんばれ、龍馬!!、です。


追記
そうそう、三毛猫!です。
先週坂本家の白猫もよかったけど。
猫が支配の「龍馬伝」(笑)

 

 

 

第30回  7月25日

 

先週予告を観て、戦争展開は早すぎ???と思ってたら、時間を遡って「功山寺挙兵」だったんですね。

高杉晋作の刀を抜くシーンに、にやにや。
抜き身の「刃」が似合う人がここにも、って感じで。

でも、この頃(18651月ころ)は、まだ半平太は生きていたなあとしんみりもしましたが。
今は、龍馬のセリフの中にだけ、生きているのか
「武市さん」が出てきたのは、ファンサービスかな?
(しかし、ホームページから武市先生特集へのリンクが消えちゃったのですが、何故に???半平太は夢のように消えてしまったの??)


さて長崎。
主要人物もどんどん出てきてますが、予告通り「濃い」です~(藁)
そしてお慶が出てきた~っ!!
やあ、いいですね
長崎お奉行と並んで濃いっっ(しかし、「1.3倍濃い」の根拠は何でしょ???(笑))
このおふたり(もしくはけんどーさんこみで3人)のシーンがあったりすると、怖いものみたさで(?)喜ぶかも~、と思いました(失礼!!(汗))

来週は、やっと慎太郎が出てくるし。
上川さんのこれまた「とっても存在感ありそう~」な慎太郎に注目します!!

 

 

 

第31回  8月1日

 

今回は、私は非常~に好きな展開だったです。


登場人物たちの個性のはっきりわかる行動・会話に、にやにや。
さらに言葉よりも雄弁に語る「表情や視線の微妙な変化の機微」に、にやにや。

特に龍馬と桂しゃんのやりとりのあたりが、大変に好きだったんですが。
龍馬の微妙な表情の変化。
そして桂の微妙な表情の変化。
苦悩と喜びと不安と、
そして怒り。
(でも、私の趣味はあまり一般的とは思えないので、自分の趣味にあまりにも合い過ぎるとビビりますよ(大笑))


また、慎太郎が初登場でした!
「存在感あるな~、もっと前から出て欲しかったけど、バランス的にはここからだな、やっぱり」
と思いました。


やはり慎太郎と龍馬との会話の中に「武市さん」が出てきて

切ないですね(涙)


龍馬の目標が語られる(桂相手の会話のかたちで)
日本を独立した国にしていくこと(これは半平太の目標だった)
日本に他国に負けないような国力をつけさせること(これはこれまでも龍馬の目標だった)
新しい目標の「両輪」が出揃いましたね。
ふたりの目標が統合された感じです。


ただ、史実どおり「薩長同盟」は最初は肩透かし。
簡単にはいきません。
これからまだまだ紆余曲折だよね~。


それにしても今回つくづく思ったんですが、龍馬は首尾一貫しているねぇ~、ずっと。


いつも「弱い者の側」に立つ。


第1話で、弥太郎に饅頭をわけてやろうとした時からずっと。
たぶん、子ども時代にいじめられっこだったからなんだろうね。
半平太たちが弾圧されてからは、その味方。
今度は、攻撃されようとしている長州の味方。


私は基本的には、「戦争はできる限り回避しろ、できるだけ外交努力と政治的努力で解決しろよ!」というタイプですが、でもあらゆる生物には「生存本能」があり、人間は当然「生存権」を主張する生き物だとも思ってます。


「自衛」のための戦闘は避けられない場合もあるでしょうし、守りたいもののために戦うことだってある。


もちろん流血はどう言い訳しても、流血です。
そして、殺しは殺しにすぎないし、戦争は戦争にすぎない。


その流血と罪を覚悟の上で戦う「究極の場合」が存在する。
生き残るために。


そして、龍馬は、それを目の前にして、「弱い側に味方する」ことを選んだ。
たぶん「世の中を変える」って、本当の意味は、そういうことだと本能的にわかってるんだろうな、って思います。


この「龍馬の選択」が、この「龍馬伝」という物語の「背骨」なんだと改めて思いましたよ。


前にもブログの方でも書きましたが、幕末というのは「思想」だの「事件」だのがめまぐるしくて、うかうかするとその流れに飲み込まれてしまうので、「本当に肝心なこと」がわからなくなってしまいがちです。

たぶんこの時代を生きた人々も、日々決断の連続で混乱していただろうし。
後世から見る私たちなんかにはなおのこと。
よくわからなくなってしまいがち。
よっぽど目を凝らしていないと。


だから重要なのは、表向きの「看板」ではなくて、そこに生きた人々の「生の感情」を、喜びや嘆きや恐怖を、想像してみる「想像力」を持つことなのではないかと思います。


そして、時間が経てば人は変わる
権力や既得権益が得られたとたんに、人はその力に飲み込まれやすい。
その時、それまでの状況とは大きく違う局面が、またやってくる


その局面がやってきた時に、どうするのか。
その時、龍馬はどうするのか。


「龍馬伝」はこれまで人間の感情をとても丁寧に描いてきてると思うので、きっとその時もちゃんと描き続けてくれると思う。

というか、きっと描いてくれると信じてますので(笑)


今後の展開も楽しみにしてますよ!!

 

 

 

第32回  8月8日

 

* 「ハゲタカ」のTV放映用短縮バージョン観て、ドラマにおける音楽の重要性を再認識しましたよ!

「劇場上映版」とは違う音楽が付け替えてあったり、音楽の入り方・カットの仕方とか違ってたりで、音楽によって作品の訴えたかった「テーマ」がクリアにできるんだなあ、と思って。
短縮版の方がわかりやすかったです。

でも、「劇場上映版」のほうも、なんとも言えない複雑で一筋縄ではいかない深い「余韻」があって、これも音楽の賜物なんですよ。
これは、これで、とってもいいんです!!!

今回の「TV放映版(映画「ハゲタカ」スペシャル・エディション)」のほうしか観ておられない方々にも、是非「劇場公開版」のほうも観ていただきたいです!!
DVDよろしく!!!



で、「龍馬伝」の今回(第32回)ですが。

やっぱり「音楽」が重要なポイントでしたね~。
第1部、2部のサントラ曲がところどころ使われていて、時間が行きつ戻りつって感じで。


懐かしい、懐かしい時間。
でも、もう後戻りすることのできない過去。


ちょっと胸に迫りました(しんみり)


その合間、合間に爆笑!が配してあって、うまい!(笑)

おサルが!!!
今回は、猫の出番がなかったから、おサルに主役は譲ったよ(爆)

そして、「狙われた龍馬」とゆうより、「襲われた龍馬」!!(近藤さんと、重太郎にいさんに(藁))
にゃははは。


でも、そうこうするうちに、物語は今回の佳境。


薩摩はね、「龍馬伝」では詳細は省かれているけど、「史実」としてはとても困ってたんだと思います。

江戸時代は今ほどイネの品種改良が進んでいなかったから、当時は薩摩はジャポニカ(日本米)の南限くらいの気候だと思うと農業関係者に聞いた。
なにせ暑すぎる。
かといって、ジャバニカ(長粒米、東南アジアとかで採れる米)はこの頃日本では栽培できないし。
しかも薩摩は活火山帯で土は痩せてるし。

米本位制経済の江戸時代に、藩のために活路を開くのは、商品作物の栽培と外国との交易しかなかったのに、どちらも幕府に首根っこ掴まれて止められてしまったから、ものすごく困ったはず。

幕府は薩摩の底力が恐怖の対象だったから、凄く圧迫したんだと思うけど、相当薩摩の世話にもなっていたはずだから、あれはないでしょう。
薩摩を締めることで、幕府は自分の首もしめたな~と思うのです。

それに幕府は金がなかったからフランスとの交易とその利益を独占することで金を作りたかったんだと思うけど、第2次長州攻めの背後には、下関の直轄領化(天領化)への野心も見え隠れして、かなり醜い目的があったことも否定できないし。


中央(江戸)が自分たちだけ豊かになろうとしても、地方を踏みつけにしたらなりたたないよね。

なんか今の時代に、もの凄~く通ずる「教訓」がある気がします。
(結局、どの時代もさほど変わらない「問題」をかかえるんだなあ、日本は(嘆))


そして、こんなことしてるから、もう「後戻りできない状況」になる……


過去を象徴する第1部、2部の音楽とともに、容赦ない時間の流れを感じる今回でした。

 

 

 

第33回  8月15日

 

とても重要な回でした。


亀山社中、本格始動開始。

自分たちの持っている才能、能力を最大限にフル利用して、生き生きと働くメンバーを観ていると、やっぱり感動するんだよね。
だって、「働くこと」の本来の理想のかたちだから。


もちろん食べていかなきゃならないから、それだけじゃすまないけど。
でも、龍馬たちの「余計な利益」を追求しないって姿勢は、さぞや奇妙にうつったろうなとも思います。
商人たちにとって。
とりわけ外国商人のグラバーにとって。

でも、これを「武士の商売」といって馬鹿にする奴もいるかもしれないけど、私は馬鹿にはできないと思います。
だって、最先端だと思うから。
当時はもちろん、現代においても。
公共に関わることで「余計な利益」を追求する方が、おかしいのではないか?と私は思うので。

現代だったら、龍馬たち亀山社中は、会社ではなくて、NPOだな、と思います。
そして、今の時代ならこれは本当に最先端の考え方だ。
これを「CSR」と言う。
これは訳して、「企業の社会的責任」もしくは「市民社会の責任」と言われているものだな、と思いましたので。



その亀山社中ですが、取り扱い品目は、
「カステラと軍艦、銃」
……
なんとダイナミックな、というか幅の広い(狭い?(笑))会社なんだ!!(藁)


軍艦と銃
「今はこれしか選択肢が思い浮かばない。少なくとも自分たちの力でできることは。日本を守るためには」という感じだったんでしょうね、龍馬にとっては。

まあ、彼らだからいいんだけど、他の人が真似したら怖いことになるだろう、そういう選択肢ではあります。

とても、危うい一筋の道。
まるで、細い綱渡り。


タイト・ロープ。


そして、こうなったからには覚悟を決めろと、手紙をしたためる龍馬。
それを受け取る西郷も桂も高杉も、それぞれの複雑な想いを秘めた複雑な表情。
必ずしも思惑は一致しないかもしれない
そういう予感を秘めたラストの各々の表情は、とても見事でシビレましたよ!!!
(また自分のたぶんマイナーな好みに、あまりにも合い過ぎるとビビりますよ~!(笑))



とても、とても重要な回でした。


ブルーな逆光の位置で背後からとらえて、横顔を映す
龍馬は「あの人」のポジションだよな、と前々から思ってはいましたが


ついに、昨日「あの人」になったのだ。

そんな感慨を覚えた、今回の「龍馬伝」でした。


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2010年8月 1日 (日)

今週再び「ハゲタカ」ウィークです!~ドラマ版「ハゲタカ」並びに映画「ハゲタカ」地上波放送のお知らせ 

毎日暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?

今年の関東は梅雨時から「例年より暑い!」だったのですが、7月は猛烈な酷暑が続きました。

我が家のベランダで計測すると、41℃なんて「ホントかよ~(嘆)」」という気温が記録されちゃったりして…

私の記憶にある限りでは、2007年の猛暑以来の暑さ。

 

 

そう、2007年の夏は暑かった。

気象も暑かったけど、なんといってもワタクシのアタマの中が熱かった(藁)

 

 

2007年、かの土曜ドラマ「ハゲタカ」と運命的に出会って、春が過ぎて、夏がきてもショックが消えないで、ずっとずっとその作品の意味を考え続け、延々延々とこのブログで分析をし続け、そのままひと夏が過ぎてしまったという…

 

私にしたら、そんな経験をしたのはもちろん初めて。

真剣に考えましたよ。

世界の仕組みについて。

日本という国のありようについて。

経済と、資本主義と、歴史と。

 

まさか「ドラマ」から、そんな問題を突きつけられるとは、想像もしていなかった。

でもあのドラマは、私に否応なく「考えよ!」と迫ってきたように思えて。

考えないではいられなかったのです…

 

 

 

今週、そのドラマ「ハゲタカ」の7回目の再放送(凄っ!)がされます。

今回は地上波ですので、皆さまにもとてもお勧めしやすいと、私も喜んでおります。

 

既にご覧になった皆さまは「再見」のお勧めもちろんのこと。

そして、初めての方には、是非是非、一度ご覧あれ!

特に、「龍馬伝」から初めて当ブログにいらっしゃっておられる方々で、未見の方々には本当にお勧めします。

 

「龍馬伝」のチーフ・ディレクターの大友監督が参加していることはもちろんのことですが、スタッフ・キャストもとても共通の方が多く、作品テーマ的にも「龍馬伝」の原点といえると考えられますので、たぶん今後の「龍馬伝」の展開を読み解く上でも大きなヒントがたくさん秘められていると、私は思ってます。

 

 

 

放送予定は、以下のとおりです。

第1回  8月3日午前0時15分~

     (=2日の深夜24時15分~)

第2回  8月4日午前0時15分~

     (=3日の深夜24時15分~)

第3回  8月5日午前0時15分~

     (=4日の深夜24時15分~)

第4回  8月6日午前0時45分~

     (=5日の深夜24時45分~)

第5回  8月7日午前0時50分~

     (=6日の深夜24時50分~)

第6回  8月7日午前1時50分~

     (=6日の深夜25時50分~)

(一部地域では時間が違っているようなので、あらかじめお住まいの地域で放送時間を再確認されたほうがいいかと思います)

 

 

また、番組ホームページはこちら。

 ●土曜ドラマ「ハゲタカ」公式ページ

 

 

 

そして併せて、今週末土曜日には、そのドラマ版「ハゲタカ」の続編にあたる、映画「ハゲタカ」も同じく地上波で放送されます。

(こちらは劇場公開時より25分くらいの短縮バージョンとなるとか。あのあまり無駄のない映画のどこがどのようにカットされているのかも見どころのように思います)

 

放送時間は、8月7日午後9時~10時48分

 

 

映画のホームページはこちら。

 ●映画「ハゲタカ」公式ページ

 

 

 

ついでに、これまでワタクシが山のように書き散らしてきた「ハゲタカ関連」の記事はこちら。

 ●ブログ内「ハゲタカ関連」記事

 (↑クリックするとリンクします)

 ●掲示板内「ハゲタカ関連過去ログのまとめ記事

 (↓クリックするとリンクします)

  

  

  

  

  

  

 

 

是非、是非、皆さまご覧くださいね!!


 

 

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2010年7月26日 (月)

今年もツールが終わりました

観てました。当然。

でも、今年は11時過ぎると寝てしまうか~という生活だったので、ちゃ んと最後まで観れたステージは数えるほど。(ジロの時もそうだった)

偶然、ヴィノクロフが勝った日は観れた。
よく頑張ったなあ、 と感無量。
ヴィノクロフが現役でいる限り、絶対応援するよ!

そして、ペタッキのマイヨベールも嬉しかった!!
残念ながら 勝利ステージは観れなかったけど。
ペタッキもずっと応援してるよ!

とにかくレースに出ること自体が嬉しそうなランス・アームスト ロングも観てて楽しかったし、若いふたりのライバル(コンタドールとA・シュレック)も観ててワクワクしたし、今後もきっと観るだろうな~と思った今年の ツールでした。

 

 

 

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2010年7月17日 (土)

「龍馬伝」の裏散歩道を歩く・その5~season2を観終えて

Season2終わりました~!!

この難し~い第2部を、よくぞ疾走されて完遂されました。

出演者、制作者のみなさま、大変にお疲れ様でした!

一視聴者として、感謝を捧げたいと思います。

 

 

…というと、なんだか大河ドラマ終わっちまったようですが(苦笑)、実際はまだまだ「中締め」

ホント、「龍馬伝」は通常の大河ドラマの「2作分」だよね~、と私も思います。

 

濃い。

そして、むちゃくちゃ考えさせられる。

 

「各回感想」は掲示板メモ書きにしましたので、ここではこの第2部を振り返って、自分なりの全体感想をまとめてみようかと思います。

 

 

 

「土佐勤皇党、かく戦へり。」

何といっても、第2部はこれ。

 

 

第2部当初の期待に違わず、きちんと丁寧に描写されていたと思います。

そりゃ、描写の限界はあるでしょうけど。

史実のエピソードの取捨選択という意味でも。

登場した人物もいれば、登場しない人物もいるし。

また人物像のどの部分を強調して使うのか、という意味でも。

でもあくまでも「龍馬伝」ですから、龍馬が主人公。

半平太、収二郎、以蔵、長次郎、亀弥太、惣之丞といった人物キャラクターも、単独に見るのではなく、龍馬とどう係わってたのか、そしてどういう影響を今後の龍馬に与えるのか、そのことがとても重要だから、細かい部分の枝葉はどうしても刈り込まれる。

 

それでも、土佐勤皇党の物語がこんな形でしっかりと描かれていたのって、これまであまり例がないのでは?と思うのです。

 

 

 

勤皇党を描くのは、とても難しいことだと思います。

だから、なかなか手が出せないでしょうね。

半端な気持ちでは。

「光」と「闇」が、どちらも極めて「濃い」から。

そして、幕末の時代と現代では、いろいろなものの価値観や捉え方がかなり違っている。

だから、現代の人にもドラマとして共感できる部分をきちんと残しつつ、現時点からの肯定も否定も含めて、全体像として描かないといけないので、至難の業です。

 

 

だから、「龍馬の側」と「半平太の側」で分けて描いたのはとてもうまかったと思う。

袂を分かったふたりを、「対立軸」に置いて、「反発」の感情を持たせる。

当初はふたりとも、お互いが何を言ってるのかわからない。

この設定が「史実」と違うといって(龍馬と半平太は仲違いしたはずはないといって)不満だった人もいたようですが、ドラマの筋立ての作法として、かなりうまい方法だと私は思います。

それに「史実」でも、どうして龍馬と半平太が袂を分かったのかは、資料として出てきてないと思うし(だから、勤皇党のスパイとして幕府側に潜入したという説をとる人だっているくらいだし)

たぶんふたりの当事者以外には、その理由は「永遠の謎」です。

 

 

そのふたりの反発の感情が、どういう風に変遷していったのか。

数々の事件、そして犠牲を経て、それぞれお互いが何を見て、何を目指していたのか理解しあっていく過程を、視聴者はじっくりと見せられたわけです。

このSeason2を通して。

 

 

 

現代の視聴者にはより理解しやすい龍馬の側にまず視点が置いてあるから、当初は半平太が何を考えているか視聴者にはなかなかわからない。

 

龍馬は私たちにしたら、より私たちに近い考え方をしている存在として描かれている。

まあ、「幕末に投げ込まれた未来人」的視点です。

問題を山ほど抱えた土佐にあっては、解決の道がみつからない。

ならば広い外の世界で答えを見つけに行ってみたい。

それが江戸であったり、脱藩であったり、勝海舟であったり、海軍操練所であったり。

他のだれとも違う方法で、自分なりの方法で、徐々に力をつけていけばいい。

こんな龍馬は、いまの時代なら「フリー」とか言って普通にいる存在ですが、所属する藩もなく脱藩浪士として個人の能力を頼みに活路を見いだすというのは、この時代にあってはかなり異端の少数派です。

 

一方半平太の方は、当初は「暗殺」という強行突破があまりにも強烈に描かれていて、次には江戸への勅使随行をして権力の懐へと飛び込むという急展開に、視聴者の理解がなかなかついていかないように人物設計がされている。

 

この人物は野心家なのか?

陰謀家なのか?

最初は半平太は理解しがたいと、反発した視聴者も多かったかも。

昇りつめた栄光と、そしてあっという間の失墜。

ついに幽囚の身となる。

そして、その後の長い長い牢獄生活の描写の間に、ようやく一枚一枚はがされていくようにして、芯の部分にある武市半平太という人物の核心が明かされていく。

 

ようするに、自分が守りたい人がいて、自分を信じてついてきてくれる人がいる。

それなのに、自分の住むこの国では、国の運命を決める人たちが、自分の大切な人々のためになることをやってくれるとは思えない。

それどころか、日本も、その一部である土佐も、外国からの独立を守っていくことさえ怪しくなってきている。

ならば、この人ならばと自分が信じた人に、国の実権を握ってほしい。

今だったらあたりまえに「選挙」で意思表示できる時代ですが、この時代にそういう意思表示をすることはまず考えられない。

それを半平太と勤皇党はやってのけた。

信じる相手が、孝明天皇であり山内容堂公であるので、自分たちは「尊王攘夷」という志を掲げて、あらゆる手段に訴えて、この人たちに全身全霊の「忠義」を捧げる…

 

こうして半平太の人となりがはっきりしていく過程にオーバーラップして、龍馬の側も、海軍操練所の閉鎖という厳しい現実を突き付けられる。

自分を取り巻く幕末の社会で、権力側である幕府がいかにきつい締め付けを敢行していくか、龍馬は初めて自分の身をもって痛いほど実感する。

 

ただ無邪気に答えを捜している場合ではない。

そんなに簡単なものでもなく、甘いものでもない。

本当に身を切る辛い思いをしなければ、何も変えられないのだ。

すべての犠牲を目にして、やっと龍馬はそこまで目覚めていく…

 

 

 

この第2部では、龍馬と半平太の置かれた立場の両方をたして、幕末の社会の息苦しさ、虚無と腐敗が描き出されていったと思います。

改めて、こうやって龍馬の側と半平太の側を両方を並べて書いてみると、土佐勤皇党とそこに加盟した若者たちが、いかにこの時代にあって、画期的で、革新的だったか、とてもよくわかるようになっていると思います。

 

 

 

しかし、為政者の側からは、この勤皇党はあまりにも型破りでさぞや「脅威」と目に映ったことだろうということも、わかっていくようにもなっている。

容堂公の視点。

それと、巻き込まれて使われる弥太郎の視点があるので。

 

 

 

史実を見ていっても、土佐勤皇党の何がそんなに警戒されたのか、というのは、なかなか興味深い点です。

もちろん土佐という特殊な土地柄で結党されたのが、一番の悲劇的な面ではあるでしょう。

他の藩で、例えば長州や薩摩でなら、こんな風に弾圧されなかったのでは?とはよく言われることです。

ただ、他藩にも藩の路線をめぐって派閥争いの過激な闘争は存在したので、勤皇党も他藩でなら優遇されたと単純に考えるのは、ちょっと安易かなとは思います。

どこの藩であっても、やはり結社をもって行動しようとしたら、もの凄い弾圧の対象となったと思うので。

やはり、このような「朋党をなした」と疑われる結社の存在は、「武士が徒党を組むこと=謀反の兆し」、と捉えられてしまいがちだった。

そしていわゆる「武家社会の封建倫理に背く」として、断罪されてしまいがちだった、と。

 

 

もちろん、勤皇党にとっては「謀反」の疑いなど、とんでもないことです。

だから「逆臣と思われるのは、こんなに悔しいことはない」と半平太に語らせているとおりです。

 

 

史実における勤皇党の弾圧の始まりを調べてみると、血盟血判をした「血判状」が実在する、と容堂公が知って(きっかけは、春嶽公が手紙で血判状の存在を指摘してきた、とあります)それを問い詰めた容堂公に、半平太が正直に実物をみせたあたりに始まるのではないかと思われます。

(ドラマではこのシーンはありませんが、たしか半平太が血判状を取り出してしみじみと見ていたシーンはあった)

 

「血判状」が実在することで、何か謀反の企みが存在するのではないか?と誤解されても、それを打ち消すことが難しくなる。

さらさら謀反のつもりなどなくても。

例えば幕府の密偵がこれを嗅ぎつけたら、いったいどうやって言い訳すればいいのか…

容堂公の不安と恐怖を、この血判状の存在が最大限にかき立てたとしても無理はないような気がします。

 

 

 

「血判状」で江戸時代に於いて、一番有名なものは、みなさまご存知、「赤穂浪士四十七士」

江戸を揺るがすあの大事件「忠臣蔵」の大もとの、あれです。

 

赤穂浪士の行動は、勤皇党に負けずおとらずで、「忠義のため」

亡き領主の無念を晴らすため、吉良邸への打ち入りを果たした。

 

 

 

このことを思い出したのは、「龍馬伝」第16回に「松の廊下」が出てきたのを観て。

江戸勅使随行を果たした半平太が、控えていたのは「松の廊下」

浅野内匠頭が吉良上野介に切りつけたあそこです。

ひえ~、松の廊下ですよ!

と驚いて観てたんですが、そのとたんに、何故史実では半平太ともっと年齢の近いはずの容堂公がベテランの近藤正臣さんに配役されたのか、私はものすごく納得してしまいましたよ。

容堂公は、吉良上野介を模しているのでは?

これもやっぱり「隠し符牒」かも!!

そう感じたのです。

 

 

そして、実はこの「元禄赤穂浪士事件」は一度江戸幕府がひっくり返った時代の象徴的事件でもある。

 

 

 

江戸時代というのは267年間ずっと同じ政権が続いたと思われがちですが、実はそうではありません。

第7代将軍・徳川家継がわずか8歳で亡くなった時(1716年)に一度断絶している。

次の第8代将軍である紀州公・徳川吉宗は、ご存知のとおり開祖・家康の時点まで遡って血統を辿りなおした末に誕生した将軍です。

 

こんなこともいずれ起きるかもと智将・家康が用意した一種の詐術で、「御三家」なる王位継承権を持つ家系を創っておいたおかげで、まるでそのまま続いているかのような錯覚を覚えますが、これが日本以外の国だったら立派な「王朝交代」です。

例えばイングランドならヨーク家とランカスター家が同じエドワード3世の血を引くと主張して薔薇戦争が勃発したように、容易に「王位継承権戦争」に進展する展開なわけです。

 

そういう戦争展開にならないですんだのは、これはもう徳川家康の知恵としかいえないですが、その知恵だって、それを支えて完遂しようという「人々の意思」がなければ、絶対実行できるはずがありません。

 

 

 

「人々の意思」とは、もう一度「戦国時代」の混乱に戻るのは嫌だ、明日も知れずに、殺しあう果てのない戦乱に戻るのは絶対に嫌だ、という固い決意だったのではないかと、私は思います。

 

 

 

徳川の開祖の葵三代(家康、秀忠、家光)が巧妙に創り上げた監視社会ももちろんうまく機能していたとは思います。

しかし、支配者の力だけでは、続けることは無理です。

支配される側が納得して、支配者を尊敬してついて行くこと、つまり民心を獲得することが大切なのです。

 

 

江戸時代においては、これを「忠義」と呼んで、支配階級たる武士の基本社会倫理となすことを奨励していた。

平時では「役人公務員官僚」である武士階級は、戦時では当然「軍人」であるわけですが、それが決してむやみに武力を誇示することもなく、いってみれば現代でいうところの「予備役兵」として大人しく公務役人に励んだ秘密はこの社会倫理感にあると思われます。

 

 

つまり、大江戸流・シビリアンコントロール(文民統制)とでも呼びたいようなものが、すでに江戸時代には存在していて、江戸幕藩体制の根幹をなしていたといってもいいのではないかと私は思うのです。

 

 

ところが、くだんの「赤穂浪士事件」では、この社会倫理感は大変な試練に晒されることになった。

 

 

折から、元禄時代のバブル的社会の弊害が出ており、「側用人」(牧野、柳沢)重用による幕府政治の腐敗と失敗した経済政策(超インフレ状態)といった当時の社会情勢に人々の不満が募っていたところに、まさにおこった赤穂浪士四十七士の「討ち入り」が、人々の溜飲を下げる役割を果たす。

 

ところが、その「忠義」の仇討を認めてやってほしいという世間の願い空しく、これを許すかどうか喧々諤々の大論争の果て、四十七士は「切腹」を申し渡されるという結末を迎える。

 

このことは、この大江戸流・シビリアンコントロールをかなり根底から揺さぶっており、「忠義」を守っても空しいという空気になりかねない状況になっていく。

しかも、折から、将軍・綱吉、家宣、家継とどんどん幕府は力を落としており、本当にこのまま再び戦乱の混乱に陥ってもおかしくない状況の一歩手前であったかと思うのです。

 

 

 

この状態で迎えた、8歳の将軍・家継の死は、幕府にとってはかなり崖っぷちな状態であり、これを収めるためには、かなりの力技が必要だった。

通常では将軍の地位に就くのはかなり難しかった紀州公・吉宗の第8代将軍誕生へ繋がっていきます。

 

吉宗はすでに藩主として紀州藩の経済的立て直しに成功しており、その手腕をもって、江戸城に乗り込み、事実上の「王朝交代」を無血で見事成功させます。

 

 

 

だいぶ幕末から時代が外れてしまい、寄り道、恐縮です。

 

 

しかし、このような歴史的経緯を書き並べてみると、驚くほど「龍馬伝」の時代背景に似ていることに気がつくかと思います。

 

 

 

そして、こうした「歴史」を、くだんの殿様、酔いどれではあるけれど、大変な読書量をこなし、他のどの藩主にも負けない知識量を誇った、土佐藩主・山内容堂公が気がつかなかったはずはない、と思うのです。

 

 

これから自分がやろうとしていること、土佐勤皇党の弾圧と迫害、ついには首領・半平太への「切腹」の申し渡しが、どんな結果を引き起こすか。

彼らの「忠義」に対して、「切腹」で報いることが、どれほどの社会倫理的不安定を引き起こすことになるか。

 

容堂公はその先を理解していたのでは、ないか。

 

 

もしかして幕府が転換するきっかけになるかもしれない。

かつて将軍・吉宗を誕生させたように、幕府の救世主となる「王朝交代」がうまく実現するかもしれない。

 

 

しかし、それに失敗したら、あるいは大江戸流・シビリアンコントロールが大崩壊をおこして、混乱と流血の「戦国時代」に突入してしまうかもしれない。

 

 

言ってみれば、大変な博打です。

どちらの目が出るのかわからない。

それでも、それを決行するしか、容堂公には選択肢が残されていなかったのか…?

 

 

 

私はこれまで、山内容堂という人物がよくわからなくて、「怪人物だなあ」とずっと思ってきていました。

例えば、史実では、半平太は捕縛前に容堂公とかなり腹を割った話し合いをしており、2日間の会談でさまざまなこと、藩政改革から朝廷の情勢まで語りあっており、手元の本には「将軍がいよいよ違勅とつづまりそうろうときは、将軍の首をこの隠居が必ず討つ覚悟じゃ」とまで言っていたので、すっかり半平太は容堂公を信じていた、とあります。

しかし、10日もしないうちに「8・18の政変」がおこり、ひと月半後には、半平太は捕縛されてしまうのです。

なので、容堂公はなんと風見鶏的人物なのかと、やや呆れていたのです。

 

 

 

でも今は、もしかしたらそういうことも、全て先を見通した上でのことなのかも、とも思えてきています。

「龍馬伝」の第28話における半平太と容堂公のやり取りを観て。

 

 

勤皇党を弾圧して、半平太を切腹させたのも、その理由にはいくつかの可能性がある。

 

単純に半平太に同情して、その「忠義」を労うために名誉の「切腹」をさせたのか。

幕府の隠然としたやり口への「恐怖と不安」に負けたのか。

あるいは、幕府への忠誠をみせるための、やむを得ぬ「犠牲」と感じて、不本意ながら「切腹」を言い渡したのか。

 

あるいはもっと、究極の理由があるのか…

 

史実で半平太に語っていた「覚悟」を本当に持っていて、確信犯的に幕府の崩壊の可能性も視野に入れながら、幕府刷新のために究極の博打を打ったのか。

そして、それが幕府への容堂公流の抵抗であり、忠義であったのか。

 

 

 

いったい、どれが真相なのか?

少なくとも「龍馬伝」の設定上の容堂公の「真意」はどういうところにあるのか?

 

 

 

どっちだ?山内容堂???

…という気分です。

あるいは、もっともっと深い「真意」が隠されているのかもしれないけれど。

 

 

 

「龍馬伝」の物語的に、しばらく土佐がらみを離れていくので、この真相がわかるのは、たぶん物語が土佐がらみに戻るであろう第4部になってからかと思われます。

 

それまで、「秘密と謎」は封印されて、閉ざされたまま…

 

 

 

なので今は、第3部の長崎編を楽しみます。

そう、幕末に詳しい方ならご存知のように、自らを「赤穂浪士四十七士」になぞらえた、「あの人」も登場することだし。

 

 

 

と言う訳で、長々と書きましたが、Season3を待ちながら、本稿を終わりにしようと思います。

 

 

 

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2010年6月21日 (月)

今週は「ハゲタカ」ウィークです!~映画「ハゲタカ」TV放映のお知らせ

梅雨ですね。

今年はなかなか暖かくならないよ~と思っていたら、今度はあっとゆう間に暑くなって、とても蒸し暑い梅雨になっとります。

 

 

去年のちょうど今頃、ワタクシは毎週毎週毎週(笑)延々と同じ週末を繰り返していたのをしみじみと思い出します。

 

そう、同じ週末。

 

毎週末、都内某繁華街の映画館に通いつめて、固唾を飲んでスクリーンを見つめていた。

何度も何度も何度も、同じ映画を観続けて。

その映画をどう解釈したらいいのかうろたえながら、映画の内容を咀嚼して。

この胸のつかえをどうしたらいいものかと思案しながら。

 

 

私にとって、あまりにもショックだった映画「ハゲタカ」を観続けた…

 

 

 

その今となってはちょっと懐かしい日々を昨日のことのように思い出す、1周年記念の6月です。

 

今年またこの月に、ついに映画「ハゲタカ」がNHK で放映されます!

6月24日(木)の午後10時からです。

NHKの BSのハイビジョンなのですが。

BS2ではないところが…(苦笑)ハイビジョン普及を狙う陰謀でしょうか?(笑))

どうぞ、視聴可能な方は、是非是非ご覧になってくださいませ!!!



また、映画版放送に先立って、ドラマ版「ハゲタカ」も、同じBSのハイビジョンで、今夜(6月21日)の午後10時から、毎日各2話ずつ3夜連続(21日~23日)で、全6話を放映されることにもなりましたので、こちらも映画版をご覧になる前に、是非!お勧めいたします!!

(映画版はドラマ版の続きの設定なので、単独でも観れますが、観ればより話がわかりやすいです)


NHKさんのハイビジョンのサイトはこちら


龍馬伝ブログでも紹介されているのでこちら

 

 

 映画本編については、もう過去ログに山のように関連文章を書き散らしましたので、どうぞ過去ログの「ハゲタカ関連」を見てやってくださいませ。

 「ハゲタカ関連」カテゴリー

 

また、「龍馬伝」以降に、当ブログを読んでくださっている方々へのお勧めの文章は、映画「ハゲタカ」のCSでの放送時(5月)にアップした文章を見てやってくださいませ。

 「コーヒーブレーク~ゴールデンウィークのお供に♪映画「ハゲタカ」いよいよTV放送と「外事警察」(フルバージョン)の再放送~」

 

 

 

「龍馬伝」もSeason2が佳境で、追いつめられていく半平太=大森南朋さんを毎週拝見してますが、今週は鷲津さん=大森南朋さんを観ると「日曜日には牢屋に入っていたはず…」などと混乱しそうです(藁)

 

しみじみと噛みしめながら、テレビ放映を観ようと思っております。

 

 

 

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2010年6月 8日 (火)

龍馬伝season2 各回感想メモ・その3

* ドラマの「感想メモ」として、「nyan- chan2222文章事始掲示板」に書き置いたものを転載しました。

 

 

第24回  6月13日

 

前回は、敢えて見せないで省略するかたちで想像力を刺激してとても物語的でしたが、今回は、静かにしみじみ と見せるドキュメンタリー的な回でした。


嵐が始まる前の、静かで密やかな夜の時間。

何もかもが終わったあとで、 いつか、しみじみと思い出すような貴重な時間でもある


主要キャラクターの3人とその伴侶たち(未来も含めて)と家族とそれに関 わる人たちの物語。
「想望」のメロディーと飛ぶホタルが、懐かしくも切ない。
散ってしまった命と授かったばかりの命。
「過去」と 「未来」が交錯して。
そして最後に出会ったのは、もう二度と会うことはないはずだった人の面影。



誰だって歴史の 渦中にいるわけですよ。
どんな人間もあまねく、歴史に関係のない人間はひとりだっていない。
別に、幕末だけではなく。
今、現在の 私たちの日常の、1日1日とても、いつか過ぎゆけば、必ずや歴史の一部分。

その「あたり前のこと」を思い出させてくれるから、私はこのド ラマがとても好きなんだと改めて思う。


新撰組も勤皇党も紙一重。
前回、ラストの10分。
そして、今回、冒頭。
同じシーンの、ふたつのカメラの視点。
「紀行」まで観ると、つくづくその意味を思う。

このドラマは、ひとつのシーンでも複数のカメ ラが入ってるんだから、当然使われてないカットも複数存在するわけで。

今になってみると、あの時のあのシーンで、背になっていて顔の窺が えなかった人物が、実はどんな表情をしていたのか?
猛烈に気になってきませんか?

その表情を読めないで、登場人物たちの道が分か れてしまった可能性だって充分あるわけだ。
だって、現実の世界はそうやって、人と人とが対立し、争ってしまう悲劇がたくさんおこってるんだから。


今、 人はみな夜に在って、遠くさらに人を想う。

どうか。
どうか、愛する人たちが幸せであるように。

この夜の闇を越えて。

どうか、美しい朝が明けますように。
あの人のもとにきっと、朝がたどりつきますように。

 

 

 

第25回  6月20日

 

半平太と「毒薬」。

「暗殺」とならんで、土佐勤皇党の悲劇的な闇の部分を象徴するようなエ ピソード。
それがとうとう出てきました。


この「毒薬」をめぐる物語は、史実をいろいろ調べてみてもどうもいまひとつ、真相がわからないんですが。
特に、本当に以蔵に毒を盛ったのかどうか、などはてんでわからない。
うーん
題材として取り上げるに は、あまりにもドラマチックなので、どうもかなりのフィクションの尾ひれがついて語られている感じもします。


とにかくはっきりし ているのは、半平太も獄にすでに捕らわれている者たちも、そしてまだ獄外で息を潜めて事の推移を見守っていたそのほかの勤皇党の同志たちも、なんとかこれ 以上の逮捕者を出さないように、最低限の犠牲ですむように決心していた、ということだけ。

一番恐れたのは自分の言葉がほかの仲間たちを引 きずり込む結果になることだった。
だからいざとなったら服毒自殺する覚悟をもって、毒を用意していたこと。


そして、半平 太は、この毒「天祥丸」を獄外から取り寄せて、自分の実の弟である田内衛吉(他家に養子に出ていたので名字が違います、半平太は3女2男の5人きょうだい で龍馬の家と同じでした。長男で、上に姉ふたり下に弟妹がひとりずつでしたが)に服毒自殺させている。
衛吉が度重なる拷問に耐えかねて、自白してしまったので。

この自白とは、「井上佐一郎殺しの件」です。
そう、「龍馬伝」では以蔵の初の殺しとして単独犯に描かれていましたが、本当は複数犯で行われ、登場していない半平太の弟・衛吉も実行犯だったといわれています。
つまり、「龍馬伝」における以蔵は、岡田以蔵と田内衛吉のふたりのキャラクターを足した人物だと考えたらわかりやすいかと思います。

その実弟を断腸の思いで死なせているわけです。


ほかにも激しい拷 問の末、冨さんのいとこの島村衛吉(彼は出てきてますね。拷問されていた親戚というのが、このもうひとりの衛吉です)もついには拷問死しているし、以蔵は やはり弟のようにめんどうみていたので半平太にとっては身内同然であったから自白してしまった以上は死なせねばならない、と考えても仕方なかったのかなと いう感じです。


一党を率いる首領の身の上としては、当時は当然のこと。
半平太はけじめとして、自分の身内に厳しくある人 だったのだ、と思います。
だから高潔な人だとずっと語り継がれているのだと思うのですが、それにしてもあまりにも厳しい

これほどの思いと犠牲の上に、全身全霊を捧げてなお、同志結党を許されなかった幕藩体制下の武家社会の厳しさがしのばれます。

すべて「お上にタテつく者」として今でいうところの「国家反逆罪(国家転覆罪)」として指弾されてしまった

例え、どんなに国のためを思って結党したとしても。


そして、残念ながらこの「負の伝統」は明治維新を経てもちっとも改善されず、自由民権運動の弾圧へと繋がっていってしまう のです。


話を「龍馬伝」に戻しますと

この以蔵に毒を飲ませる話に、何故か弥太郎がからんできました。
(巻 き込まれたとゆう感じ)

いったい、何故に弥太郎が?
そしてこれっって、どうやって決着するのかしら?
いよいよ Season2も佳境ですからね~(汗)
ううう、息を詰めて見守りたいところです。


一方、龍馬は

亀弥 太の死に直面して、新撰組への怒りが自分の内にも強烈に存在することに気がつき、またかつては飄々としていた桂が、憎しみの塊に変貌しているのを目の当た りにして、どうも自分を見失いそうになっていたところ、お龍の言葉に励まされ、寺田屋の女将のお登勢に出会い、ようやく当初の自分を取り戻します。


つまり、「憎しみからは、何も生まれない」という龍馬自身にとっての「真理」を取り戻す。



しかし、それもつかの間、今度は 勝先生の失脚と神戸海軍操練所の閉鎖という大試練に直面してしまうことになる


これまた、理由は突き詰めていくと勤皇党と同じで すね。
操練所は「お上にタテつく者」の集まりだ、とみなされてしまった、ってことです。
なんとも、はや(嘆)

勝先生は 狙われていたっぽいですからね。
史実でも、幕府内の守旧派にとっては「目ざわりな存在」と思われていたらしいし。
それが「龍馬伝」では、 慶喜公の逆鱗に触れた、という形で描かれてますが。


この慶喜公という人物も私にはとても興味深い人です。
毀誉褒貶の激し いお方ではあります。
私にしたら、安政の大獄の時にひどい目にあったのに、よく幕府内の守旧派のために仕事したよな~と、思うんですよね。
恨みはなかったのだろうか?と。

「龍馬伝」においては、今のところは、一種のゲーム感覚で尊王攘夷派を徹底的に追い詰めようとする人物のように描かれていますが。

ちょっと何かの憑き物がついているような感じ、というと言い過ぎですかね?


でも、本当のところはどうだったのか
本当は、崩壊しそうな幕府の維持をするのなんか厭だったのではないか?
でも、自分の能力を証明したくて、気に染まぬこともやってたのか?
とうとう最後の将軍の地位に就く羽目になるまでは。
(将軍になってしまってからのやる気のなさは、別人のようですごい謎です(笑))


今後、大政奉還でも龍馬と関わってくるし、「龍馬伝」においては、このままの人物なのか?
それとも どこかで「憑き物」が落ちるのか?
すごく今後が興味深いです。

特に、主従関係のありさまが、容堂公と半平太と、慶喜公と勝先生 は、とても似ているようなので、今後の変貌に注目が注がれます。


というわけで、ついに折り返し地点に立った「龍馬伝」
半 平太たちはあと3回で、お名残り惜しや~(涙)
じっくり拝見させていただきますね!!

 

 

 

第26回  6月27日

 

小栗が出てきましたよ!!
万歳!

龍馬とは、まず接点がないから、出てこないか な~。でも幕末の政治・経済を語る上では、はずせない人物のはず
と思ってたら、ちゃんと出てきました!
しかも、斎藤洋介さんなんて、 な~んとうまいキャスティングなんだ!!(渡部さんでも観てみたかったけど(笑))
これからも端々に出てくるといいな~。


いやしかし、「龍馬伝」の感想としてはどうなの、これ?(苦笑)


メイン・ストリームのお話の方を

西郷さんです ね。初登場。
そして、一気に吹く「風」が違った。
同じ武力でも、刀剣の切っ先と銃火器の筒先は別物だ。

血と硝煙の匂いが する。


本当にこうなるとわかってなかったのか、幕府は?
力の均衡を求めるなら、絶対に長州ははずせないはずだったのに。
薩摩の抑止力になる藩なんて、他にどこがあるっていうんだ!

と思っちまいましたよ。
つくづくなんと言うか、幕府は甘いねぇ(呆れる)


「龍馬伝」においては、西郷さんと龍馬の関係はどういう設定になるのか。
今後に興味津々です。



土佐は(滂沱の涙)

まあ、饅頭でなんとかできるはずもない「史実」がなあ
半平太も以蔵も、辛いなあ(泣く)

前 から思ってたんですが、刑を言い渡された者たちは全ての「罪と咎」を背負う形になってしまうんだけど、何か変なのよね
どう言ったらいいのか、 「不自然」というか、「陰謀くさい」というか
うまく言えないのですが。

半平太の判決理由なんて読むと、ほぼ「国家反逆罪」ですが、そんなことやってねえよ、だし。
以蔵は、もっと「よろず罪の引き受け人」というか

まあ、おかげで、同様に獄につながれても、無事生き延びた者たちは、維新後に維新政府要人になった者もいるんですが。



幕末の「闇」の中へ向って静かに幕引きが始まる


ただ、「Season2」も普通に終わらせる気はないようですね、制作陣のみなさまは。
「毒」の件に弥太郎一家 をからめてみせたように。
(一番「にやり」としたのは、実は弥太郎・父の反応でした。考えてみたら、実は「龍馬伝」の中で一番反骨の気質、権威に 逆らう男は、この弥次郎かも、って思えて。後年の龍馬と意外と一番似てたりして(笑)でも弥太郎は違うんだよね)


ええ、龍馬が 行ったという資料はないと思う。
でも、行ってないという資料もないのでは


来週どうする気なんだ?
と、これまた興味津々。
(辛いできごとから眼をそらして、気を紛らせているともいえるけど(涙))

次回を待ちます。

 

 

 

第27回  7月4日

 

* 始まった「土曜ドラマ」(「鉄の骨」でしたっけ?)を久しぶりに観た~。なつ(臼田あさ美さん)が出て るじゃないか。しかも、時空を越えて、また以蔵のようなタイプの男の恋人役だ!!なつも救われないぞって狙ってますね?NHKさん?(むむむ



何かね~、博打うってくるな、とは思ってましたが、こうきましたか!

これって「伏線」ですよね??


龍馬が戻ってきたという記録はない。
何をしてたのかは、不明。
だから、逆に記録が残されなかったほどの「重大事」が秘められていた、って推理したのか。

いや、確かに。
土佐に戻って来い馬鹿野郎!的な、弥太郎の手紙のような気分には、なります。
この時期の龍馬の足取りをみると。
おまえ~!あとから悲嘆にくれるなら、帰れ!
って。

でもこれって、後々の展開を「より困難」にするために、自分で自分の退路を断っているのかしら制作陣の皆さまは?(汗)

たぶん第4部、Season4あたりで大変なことに



ただ、半平太と以蔵はもう静かに終焉へと向かっている。
だからどんなに流れに逆らっても、もうこの流れは変えられない。
そのことを、次回は 痛感するのか


予告観ただけで、なんかもうねぇ(涙)
ええ、静かに襟を正して見守らせていただきます。


今回は、牢獄の天井から写したシーンとかが、カール・リヒターのマタイのようで、ちと堪えました。


こんな「犠牲」を払って獲得したものが、本当に彼らの心に叶う社会だったのか。


問われているのは、彼らの生きざまではない。
後世を生きる私たちの、生き方の方なのだ。


彼らの望んだような、世界になってるんだろうか?
彼らの払った犠牲に見合う社会になってるんだろうか?

そのことをこそ、私たちは考えなくてはならないような気がしています。

 

 

 

第28回  7月11日

 

待っていた。
ひとり端座して。

長い時間。
走馬灯のごとく廻る想い。
過去と未来と。
そして、夢は叶った。

待っていたのは、ふたり。
もう決して届くことはないと、
諦めながら。
その日は来ないと、
知りながら。

それでも信じて、
待っていたのか



歴史を調べていると、 「歴史には「たら」、「れば」はない」ということを越えて、人々の生の感情を想像して、どうしても同情を禁じ得なくなって、「こうしてやりたかったなあ」 と思う場面がしばしばあります。

それは、自分が後世を生きる身として、先の史実を知っているというちょっと偉そうな感情ではなくて、もっ と単純に、その人々の「想い」はいかばかりかと想像して、「痛み」を感じるから。


龍馬と武市半平太の「別れ」もそういうもののひとつであったなあと思います。


私が脚本家なら、もう一度逢わせてやりたいなあと、やっぱり思うかも。
現実には「今生の別 れ」と知らずに別れてしまったのだとしても。
彼らの嘆きの深さを察するに、余りあって。(泣く)

だから、「龍馬伝」の設定は、も しかして賛否あるのかもしれないけど、半平太の最期に龍馬と、そして容堂公を会わせたのは、私はとてもよくわかる、と思いましたよ。

そのことで、もしかして、第4部あたりでいろいろと大変になってしまっても、きっと制作者の皆さまは覚悟の上だろうし。

きっと「龍馬伝」における「坂本龍馬」はそういう男なのだ、と思う。

その龍馬が、だんだんと出来上がっていくのを、今後も楽しみに待とうと思います。



そして。
大森さん、お疲れさまでした~!!


思い起こせば去年の夏。
映画「ハゲタカ」でショック状態で映画館に通い つめていた私が「大森さんが武市半平太役で大河ドラマに出る」という情報を知った時は、とても嬉しかったなあ、とはっきりと思い出せます。
大河に出て、歴史ものの役柄をやってもらえるということ自体が、単純に嬉しかったので。

「武市半平太役」というのは、かなり意外でしたが。
最初は、一体どういう風に半平太のキャラクターを創りあげていくのか、とても興味津々で。

観ていくうちに、「ああ、こうゆう武市半平太もありか!」と納得。
生きて血の通った人間味のある半平太を見せてもらえて、さらに納得でした。


途中ちらと出てきた「もうひとりの半平太=黒武市(?(笑))」がこれまでのスタンダードな武市半平太像だったのではないかと思います。

でも、半平太が全面的にあんなタイプの人だったら、その死を知って龍馬が悲嘆にくれることもあまりなかったのではないかと思えて、私は人間的な半平太の方が納得がいきます。

そして、それだけに彼らの無念がよりいっそう深く、とても悲哀があると感じてもいます。


これで大森さん=半平太とお別れとは、名残り惜しい。
来週からの楽しみが、ちと減りますなあ
(まあ、来週からは、私好みの「キナ臭~い世界」に一気に突入かしら、と別の楽しみを 見出すしかないか(苦笑))

ステラで大森さんのコメントとして載っていた「オバケでも新しい登場人物でも、呼ばれればいつでも来ます」と いうのに期待!しちゃいましょうかね!!(大笑)

第4部あたりで、龍馬が思い悩む時に、ふと幻影として、現れるの。
「死者との対話」って
そりゃ余計に切ないか……(涙)

個人的には、大森さんと上川さん(慎太郎)の共演シーンが観られなかったのが残念!でした。
本当は、半平太と慎太郎は「密書」のやりとりとかしてたはずだし、遺された手紙で半平太の声だけ出演というのは、どうでしょうかね?(なんかすご~く名残り惜しんで、いすぎるよ、ワタクシ(苦笑))



というわけで、Season2も終わったことだし、ぼちぼちまとめながら、第3部を待ちます~!!

 

 

 

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2010年5月19日 (水)

龍馬伝season2 各回感想メモ・その2


* ドラマの「感 想メモ」として、「nyan- chan2222文章事始掲示板」に書き置いたものを転載しました。


 

 

第19回  5月9日

 

そして、再びの別れ。

花は散り、なおも散りゆく。
行くなと止めたけれど、あの人は 再び会おうと言い残して立ち去る。
止めることができない。またしても。
いつも、いつも、いつも。
思い出すのはその背中。

つ いに、今生の別れとなったか


泣きました。
「和解しないままの別れ」とならずにすんだことを、せめて喜べばいいのか。
(本 当は久坂とのエピソードを龍馬にふってくれてありがとう!脚本家の福田先生)
もう二度と会うことはないかもしれないと予感しながら、静かに半平太 によって語られた「存在しないもうひとつの未来」を聞いた龍馬の気持ちはいかばかりだったか。
(きっと史実でも龍馬の気持ちはこんなだったろうな と思われ、よけい泣けました)

龍馬は、近代化への道程で悩み迷う「日本」そのものだね。



今回は、少し前 にまたも今後のキャストも発表されましたね。
や~、長崎方面は「外事警察」が占拠もう総力戦の感じですかね。
有賀局長(長崎奉行=石橋 さん)と村松官房長官(お慶=余さん)のシーンが楽しみだ!!
小松帯刀の滝藤さんもいいですね~!
今週はクラリス=ジム・コンラッドのイ アン・ムーアさんも出てきたし!(いや、もしかしてグラバー役?と思っていたので、それははずれました(笑))
まさか龍馬伝で「外事警察」の続編 が見られるとは思ってもみなかった(違っ!)
がんばってくださいませ、みなさま!!


がんばって下さいと言えば、もちろ ん主役の福山さんですが、報道によると石持ちなんですね
うちも同じ病人がいたのでわかります。
うちは開腹ではなくショックウェーブの治 療を選びましたが。
私も遺伝的に同じ体質だろうから、ミネラルウォーターはなるべく飲まない(水道水のほうがエコだし(笑))ホウレンソウはほど ほどにしか食わない、と気をつけてますが。
なんにしても、治療はクランクアップされたらなのかしら。
どうぞご自愛くださいませ。
(ドラマの感想に書くのも変かしらんああでも、俳優さんあってのドラマだからね、やっぱり)
がんばってください~!です!!

 

 

 

第20回  5月16日

 

とうとう収二郎の切腹まで辿り着いてしまいました。物語が。
つまりカウントダウンですね~、半平太 がこの世を去るまで(ぐすん)



前回、今回の収二郎の切腹前後の物語の組み立ては、「史実」とはだいぶ違ってるんですが とてもうまく構成したな、と思いました。


一応、予備知識的に「史実」の方も抜粋してみますと、収二郎はどちらかというと仕事ができすぎて、公家との関係の深さを容堂公に警戒されて、ついに役職をとかれて土佐に送り返されたって感じなのです。
(収二郎が姉小路卿に護身用のピストルを渡したのでついに容堂公の堪忍袋の尾が切れた、と手元の本にはあります。)

(追記:この騒動に前後して「龍馬伝」には出てこない 間崎と広瀬を連れて青蓮院宮に会いに行き、ふたりが宮から令旨を出してもらうという越権行為があり、これも容堂公の逆鱗にふれる(この問題は前々前代の藩 主・山内豊資公(ご老公)がからんでいて、山内家内部の権力問題があったんではないかと思うのですが、これは長くなるのでまたいずれ)そして、収二郎は間 崎、広瀬とともにこの令旨問題で裁かれて切腹を命じられます)

そして、半平太が土佐へ帰ったのも長州による攘夷決行よりもたぶん前のは ず。
攘夷実行よりもまず容堂公との関係が悪化していったことが先にあって、容堂公は半平太を持ち上げてみたり落としてみたりとだんだん意味不明に なってくる。
(昇進もさせているし、本当にお菓子をくれたりしてるんです。半平太が下戸なんで容堂公なりに気を使って。)
そしてついに容 堂公が土佐に帰ってしまうことになると、半平太もあとを追っかけていくわけです。
仲間たちに、半平太の命を危ぶむ声が出始めていたのに。

こ の帰藩前後に、どうやら「土佐勤皇党」の血判状を容堂公に初めて見せてるようで(それまではどうやらそんな秘密結社があるらしい、と噂で知っていたくら い)結社の実在を初めて確認した容堂公は、表向きは支持してくれたようだったんですが、心の底では非常に警戒した、というのが実態ではないかと思うので す。


この一連の土佐藩がらみのできごとと同時進行で、攘夷を決行するの、しないの、という駆け引きが進行していて、慶喜公を始め とする幕府側の思惑がドラマでも描かれていたように動いています。

そしてさらに、これと同時に薩摩藩と長州藩がだんだんと亀裂が入ってき て、ドラマではまだまったく描かれてないのですが、とうとう修復しがたくなってしまい、8月18日の政変へと繋がる


こうした一 連の「史実」は、龍馬とは無関係に進行しているので、突っ込んで描くと「龍馬伝」からは、離れてしまう。
しかし、だいぶ後になってから、龍馬の行動に決定的に「影響」を与える出来事であることは、間違いない。

そこで、龍馬から離れないようにして、なおかつ「史実」から結果的にかけ 離れない、という中庸のとりかたを、「龍馬伝」の脚本はかなりうまくやったな、という感じがします。

もちろん、もっと土佐藩や幕末志士に 詳しい方々にはきっと不満があるでしょうが、でも初心者の方々にもわかりやすいように、かなりうまく纏められたと私は思いましたよ。


あ えて挙げるとしたら、半平太の建白書案はまだ一度も出てきてないのですが、これはのちのち大政奉還にも繋がってくるので、今後どこかで出てくるのかな?と いう感じですが。
(もしかして、ずっとあとになって慎太郎とかが持って現れる、とかの劇的展開?(泣))



また、 前回、今回あたりで「龍馬伝」が大きなターニングポイントを迎えてきたのがわかりました。

物語的な構成では長崎に入ってからがターニング ポイントなんだろうけど、龍馬の、そして半平太の「心の問題」として一足先にターニングポイントを迎えた感じでしょうか。

ありていな言い 方をするならば。
「果たして、この選択で良かったのか」
と。


もちろん、勝先生の言葉のとおり、物事はどちらの側 から見るかによって、その見え方は違ってくる。
どちらが正しいのかなんて、決められない。

「龍馬伝」は「正しい側」のない、観る 者の気持ちを揺さぶり、振り回さずにはいられない、そういう造りをしたドラマで、それが魅力的なのは初期の段階から一貫しているとおり。
でもそれ を承知の上で、龍馬といっしょに私たち視聴者も思い迷わずにはいられない。


果たして、自分の選択は、これで良かったのだろう か
この道を進んでいって良いのだろうか?


「今まで値打ちのあったものが古びて用なしになったということ」
「世 の中の流れから見ればひとりの人間などけしつぶほど」
という横井小楠の言葉は、非情な真理なのかもしれないけど、それが自分や親しい人たちの身に降りかかってきた時に心底納得できるか、ってことですね。


きっと、最期までこのドラマは、私たちに
「それでいいんです か?」
と問い続けるんだろうなと思っています。

 

 

 

第21回  5月23日

 

涙、涙、涙
冒頭からいきなり「刀剣」がバックミュージックなんだもんなあ
反則です~ (泣)


「いざ引上げという時、情あるお役人の一人が、隔てに立ててあった六枚折りの屏風を片寄せてお立ちになり、余所ながらの見 送りをお許しになりましたもので、私は良人がかごへ乗り移りて出かける後ろ姿を見ることが出来ましたが、これが一生の別れでありました」(後年の冨さんの 談)

前にこれを読んだだけでも泣けていたのですが、今回の放送は
痛ましくて。
桂浜に行こうって叶わない夢となりましたね。




歴史は残酷です。

半平太が弥太郎と話してるシーンを観てて、そういえば弥太郎の命を救ったのは半平太だった、という説も「史実」の方ではあったなあ、と思い出しました。(大阪での件)


もちろん私は「龍馬伝」はとても 好きなドラマですが、ドラマはドラマであり、あくまでもフィクションだと思ってます。
「史実」との違いも興味深く観てますし、自分の「史実解釈」 と同じところも違うところも楽しんでいますが。

前にもブログの方でもはっきりと書いたけど、フィクションを見たり読んだりしてるだけで、 「歴史」をわかった気になるな!というのは、重要なことで、いつも自分に戒めています。

そして、知り得るのは、たぶん真実のほんの一部だ け。
だとしても、ちゃんと「史実」を知ろうとすることはとても大切なことで、まず自分の手でちゃんと調べないと!!とも思ってます。


自 分の「史実解釈」をひとさまに主張したかったら、ちゃんと自分のアタマで考えて論を構成できないとね!!


というわけで、高杉晋作 のキャスト発表がありましたが(笑)
伊勢谷さんなんですね。
私は、「白洲次郎」しか観たことないので、伊勢谷さんがどんな感じになるか、 まだ想像もつきません。

高杉晋作という人は、やりたいことも、やるべきことも、120%で駆け抜けて、それでいて洒脱に生きた人だったよ うに思います。

でも、心の奥底では大切な人を永遠に喪って、大きな空白があったんではないか、とも思えて、とても興味深いのです。

ど んな高杉晋作になるか楽しみにしてます。



しかし、本当に半平太登場はカウントダウンですね~(嘆)
大森さんを 毎週観られるのも、もうじきおしまいかあ
次はコメディー??
「ベティ・サイズモア」とか「ラブ・アクチュアリー」とかみたいのどうでしょうか?(単に自分の好み(笑))
大友監督となんかまた創ってくださるんでしょうか。
ううう、それも待ってます~!!!

 

 

 

第22回  5月30日

 

* 「この当時の八王子の人(新撰組)が、土佐の人(以蔵や龍馬)にかなうわけないね」などと横で家族が 突っこむので、シリアスなシーンなのに集中できなかったよ。ごめん、以蔵!(藁)



お龍さん登場!!

真木 さんはちゃんと観たことがあるのは、美瑠姫(この人も良かったです)だけだったんですが、ドスの利いたお声(失礼!)がとてもステキ。
いいですね、このお龍さん!

龍馬が惹かれたのは、眼力の強さかしらん?
あと、やはり「あいつらはひどい奴らだから、ぶっ殺す!」というよ うなことを言ったのが、半平太と勤皇党にだぶってしまったからなのか


確かにね、ドラマで以蔵が示唆されてた「暗殺対象」の中にはとんでもない悪人もいた(いわゆる奸物。史実では御所に入りこんで女官を強姦したとかの人物もいた)わけで、それが野放しなことに対しての「天誅斬奸」 なのですが
(考えてみれば以蔵は「必殺」シリーズのリアル版なんですね。そうか、だから以蔵はあのいでたちだったのか、と今更ながら気がつきま した)

でもこの問題はすご~く難しいですね。
だからって、その奸物を「私刑」にしていいのかと。
でも、奸物を取り締ま ろうとしない体制にも問題がある
う~ん難しい問題です。



なので、ここでは正義について問うのではなく、龍馬 は「今の自分にできることは何か」というふうに考えたんだろうな。
土佐出奔時の自分には、できなかったこと。
今なら、お龍の抱える問題に 関してならば、自分の手許にあるこの金で解決できるからと。


ただ、勤皇党に関しては、今回もやはり龍馬は何もできない。
以 蔵の捕縛に、ただ涙するだけ
こうやって、少しずつ苦しんで、決意して、だんだんと「いわゆる坂本龍馬」になってゆくんだね


バックミュージックがとても美しいです。
サントラのVOL.2買いました~
(発売日当日に買いに行って最後の1枚だった驚き!)
充実 の1枚です。
音楽の佐藤さんの仕事ぶりに感嘆!
話題の曲「想望」がとても美しい。
あと、気になっていた曲のタイトルが「怪物」 だったのは、驚き。

何が、「怪物」なのか。
やはり、「権力」という名の得体のしれないもの



そ ういえば、今回ようやく腑に落ちたことがひとつありました。

私はこれまでどうしても、山内容堂公の怪人物ぶりが理解に苦しんでいて、特に「史実」の資料の容堂公の印象のブレに眉をしかめていたのです。
でも今回、報告にきた者に酒を飲ませるシーンとか、手酌でうらぶれたように酒を飲むシーンで、その瞳を見ていて、やっと「ああ、そうなのかも」と思いいたりました。


容堂公にとっての「戦い」はとうの昔に、安政 の大獄の時に、挫折して終わってしまっているんだな、と。


確かに昔は、自分こそが「改革」の旗手になると信じていたし自負もあっ た。
幕府のため、将軍家のために、そう信じて「改革」を建言もした。
なのに、幕府は安政の大獄で自分たちのような「改革者」たちへ処罰を もって報いた。

江戸幕府という巨大な権力は、鵺のような得体のしれない「怪物」で、自分もまたそれに呑み込まれたのだ

近 藤正臣さんが、笑っていても、目が笑っていない、むしろ怯えている容堂という人物を素晴らしく演じていて、本当に感嘆!です。


何故、容堂公は半平太を憎むのか。
「嫌っている」というような単純な理由ではない。
たぶんかつての自分にとても似ているところがあるから。
自分を見ているような気がするから。
だから「あれは下士の出」と区別せずにはいられない。

しかも、半平太と土佐勤皇党は、自分と 違って「理論倒れ」ではなく、着々と実行してみせるのが「脅威」と感じないではいられない。
今は自分を尊敬してくれているけれど、いつその忠義が なくなってしまうのか、自分には自信が持てない。


この人の密かな恐怖や苦しみが、その言動や振る舞いのあちこちに出ているのかも しれないと思えてきました。
ならば今後、それがどういう風に龍馬と関わってくるのか?


龍馬の行く手を、やはり阻むのか?
そ れとも、龍馬がその苦しみを解放できるのか?

うーん。
大きな伏線かな?これも



あと、今後に関 しては。
そうです、なんといってもトーマス・グラバーです!!
アラン=ティム・ウェラードさんで、発表されましたね!!
(グラ バーの年齢を勘違いしてましたが、まだ若い(苦笑))
グラバーはスコットランド人なんだよね。
それがちゃんと描かれるかな?
日本 人はイギリス人はみないっしょと思っちゃうけど、イングランド人とスコットランド人は微妙に違う。
特に19世紀だし。
「シャーロック・ホームズ」なんかにはそれが出てますもんね。

英本国での微妙な立場から、極東までやってきたグラバーはどう感じていたのか?
これも今後、興味津々です。

 

 

 

第23回  6月6日

 

どうやら、半平太の獄中闘争はちゃんと描写されるようです。

話が拷問まで進むのが早すぎた ので、牢内の描写はあまりないのかな、と思っていたのですが、同情的な牢番の和助(東洋テレビの野中さん=小市慢太郎さんですね!最近うちでは「吉田東洋 テレビ」とか言っているやめれ(苦笑))が出てきました。

史実では、こういう牢番はいっぱいいたんですよね。
牢番たちが「武市 先生ファンクラブ」のようになって、いろいろと便宜をはかってくれる。
(ホタルは出てくるみたいですが、猫は出てきますでしょうかね?猫も出てき てほしい(藁))

山内家のほうでも、山内民部(土佐藩の家老。容堂公の実弟)が半平太の支持者だったから、お守りを冨さんに託したりして。
民部は東洋暗殺の一件も事前に知っていた様子なので、東洋暗殺の件で誰かが死ぬような展開になったら自分も死ぬ、と言っていたらしいし。

で もそんなことになったら、大騒動です。
これ以上、被疑者=投獄者が拡大することを防がなければならない。
とにかく半平太たちは必死になる のですが、ドラマでは「以蔵への口止め」という形で描かれてますね。

以蔵は、拷問に耐えれるのかしら無理かな、やはり(泣)


そ して、京の町は
とうとう始まっちゃいましたね。

血まみれの新撰組の凱旋行進のバックに「怪物」の曲が流れて。
(なんと もすげえ演出。「冷血」って、まさにこれか、と言わんばかり(絶句))


とうとう、情け容赦ない流血の時代に突入ですね。
なんとかできなかったのか。
恨めしく感じます。
こうして無駄に貴重な者たちの血が流れていく。(嘆)


ひとりとして必要でない者はいない。


でも龍馬の声は、大きな歴史のうねりの流れに呑み込まれてしまうのでしょうかね。

 

 

 

 

 


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2010年5月 6日 (木)

龍馬伝season2 各回感想メモ・その1


* ドラマの「感想メモ」として、「nyan- chan2222文章事始掲示板」に書き置いたものを転載しました。




第14回  4月4日

 

* 1日遅れで書いてま~す。

season
2ですね~。

勝先生が出てきましたよ~ ワタクシはこどもの頃の刷り込みで、とにかく勝先生はいい人に思える(笑)
あとになってから、けっこうくせ者の部分もあると知ったのだ けど。
「勝先生、もっと仕事してください!あなたならできるでしょ!」
「やだね。俺はそんなにたくさん俸禄(給料)もらってねえぜ」
とか、言いそうな(笑)
武田さんは真面目そうだから、そんなこと言わないか(笑)

龍馬は、ばっちくなって登場。
「龍馬伝」 の演出陣のみなさまは、もしかして深い「愛」ゆえに登場人物を心身ともにひどい目にあわす(失礼!(汗))タイプかしらん
香川さん=弥太郎な んかはのっけから随分な目にあってるし、大森さん=半平太もああだったし、今度は福山さん=龍馬かしらん
(まだ早いかな?でも長崎行ったら、 間違いなく苦しむよね、たぶん??)
いや、「愛」だからいいと思います!(をい!)


で、物語的には

いよいよです。
土佐勤皇党&半平太の本格始動。
ああ、たいへんな時代に突っ込んでゆく。
しばらくじっと注目です(手に汗握る


それにしても、新たな配役発表、ワタクシは余さんがツボです。
お慶はね~、他におらんでしょう、ベスト・キャスティング!!(笑)
陸奥を担 保に差し出せと言ったというのは、史実なんでしょか?それともフィクション??
がんばってくださいませ、村松長官!(=「外事警察」)
season
3 の楽しみです~。

 

 

 

第15回  4月11日

 

* どうも、日曜日に感想書くのは無理と思われるので(N響アワーを観てるからさ(笑))今後は翌日の月曜 に書くことにしよっか、と決めましたよ(笑)


しばらく「静観」のつもりでいたんですけどね
ワタクシはやはり、目が行く 半平太と土佐勤皇党!(苦笑)

大森さんが、土曜の「トップランナー」に出演されているのも観ましたよ~。
いいな~、存在感あるよ ね~、大森さんは!
どう見ても、鷲津さんと大森さんは大違い。
そして、半平太と大森さんも大違い
でも、そのギャップがすごくい い!!
そして、大違いなのに、どこかがなんとなく半平太なのもいい!
1.5割半平太なんですね!そうか~と感心いたしましたよ)
切腹に向かって、ひた走ってください


さて、龍馬伝の方に戻って。

今回、半平太は権力の懐にまさに飛び込んで、自 分も権勢を誇る盛り、なんですが。
なのに、どこかが悲しそうなんですよね~。
自分の弟子たちのように権力に酔いしれることもなく。
酒 を酌み交わす人々の中でも、ひとりしらふで。
半平太は下戸ですから、いたしかたないんですが、宴会でもひとりでお茶を飲んでいる姿がとても印象的です。

その悲しそうな瞳は、何を見ていたのか

もちろん、「攘夷」という点だけでも、まだ全然目的を達していないわけで すから、これからが勝負どころ。
そして、この人はもっと先まで見ているように思える。
「倒幕」まで明確に考えて主張してるのは、この時点ではまだ半平太くらいだし、さらに倒幕のその先まで見てる、ってことですが

でも、誰にも半平太の目に映っているものがわからない。
今は。
半平太としては、せめて、龍馬だけはわかるのではないか、と期待していたのだろうけど。
「母上が亡くなってからずっと考え続けてい る」と言っていた龍馬だからこそ。
でも、その龍馬にも、今はまだ伝わらない。

むしろ、焦燥の中で半平太が選択した「暗殺」という方法のせいで、前よりももっと半平太の見ているものが龍馬に伝わるのは、絶望的になってしまった
なんかねぇ切ないですね

前回、龍馬が陣屋に忍んで行った時の会話
「残念だ」
「まっこと」
というのがね~、ほんとそのまんまで(泣)
こうしてすれ違ったまま、ひた走っていくんですかねぇ

それとも、どこかでそれが伝わるのか。
でも伝わった時には、もう遅いかもしれない(涙)


龍馬の方は、いい感じに発展途上してまいりました(笑)
前は喜怒哀楽の感情表現がとてもスタンダードの正統派で、 たぶん世間一般的にはその方がいいんでしょうけど、残念ながらワタクシはクセのある方が好みなので、あまり面白く観れなかったんですよね。
(福山さんファンの方には申し訳ない(汗))
ここのところは、それをちょっと外して、かなり微妙~な表情をすることもあるようになってきたので、面白くなってまいりましたよ~。

まあ、ワタクシは自分の好みが一般的とは思えないので、全部そうしてくれとは言いません(笑)
少なくとも、半平太の話題になると、微妙な感じになってくるあたりはいいですね~(笑)

福山さんもきっといろいろ考えて、龍馬像を作っておられるんだと思うんですけど、こんな風にちょっとだけ別の感じをいれていきながら、龍馬の成長を表現してるのかな、とか。

なるほど、2話のタイ トルにもなった「大器晩成」ってこういうことか、と思ってしまいましたよ。
こども時代の終わり
半平太と袂を分かち、加尾と別れ、本当に龍馬のこども時代が終わった、ってことなのか、と。


逆に言えば、そういう龍馬の「長いこども時代」を半平太は羨ましくも、愛おしくも見ていたのか
同じく両親を早くに亡くしても、半平太は長男で家督を継ぐことで「早く大人になる」ことを要求されただろうから。
(ドラマには出てきませんが「史実」の方では未亡人になった姉の家族を支えて甥っ子たちを育てたりして一家の大黒柱だったのです)

そして、 去っていった龍馬の代わりにやはり「長いこども時代」を生きているような以蔵を自分の心のよりどころにして、「暗殺」に巻き込んだのか
以蔵が自 分の見ているものをいずれ見てくれるようになることを期待したのか
それはまだちょっとわからないんですが。
(以蔵は使える、とか言って 収二郎にさりげなく伝えながらも、半平太がなんか悲しそうなあたりうーむどうなんでしょうかねぇ?)


今後どうなっていくの か、といろいろ気になりながら、今回も反芻しています。

でも、一番嬉しかったのは、坂本家の猫(今回は三毛猫~)がまだレギュラーらしいとわかったことかな(笑)
三毛猫でも茶猫でも、今後も出演を望みます!!!

 

 

 

第16回  4月18日

 

* 感想は、翌日書くことに定着です


いや、今回は、普通の視聴者についてこれるんですかね、この内容・脚本・演出で?
だ、大丈夫ですか?監督~(オロオロ)
心配ですが(汗)


勝先生との出会い。
そして、いきなり勝先生の持論の展開なんですが。
「抑止力」としての軍備。
向こうが船団組んでくるなら、こっちももっと高い技術力つけて、船団用意して出て行くよ、と。
そして、龍馬と意気投合。
龍馬の模索していた「喧嘩をしないで攘夷をする方法」の答えなのかも、と思いこんで。

でも、それ、間違ってますから!

その後の歴史が証明している。

幕末・明治・大正・昭 和、と。
権力の枠組みだけ残して、中味のスカスカな制度の中で、ちゃんとした責任ある政府が日本国内の内政を充実させてこなかったツケを延々と積 み上げて

あげく、日清・日露・第一次大戦・第二次大戦、とどんどん肥大化して暴走していく軍事力を抑えきれずに、遂に国力を使い果たし て国中を焼け野原にしてしまうのですから。

「抑止力」とゆうのは、「まともな政府」がないところでは絶対に成りたちませんぜ、最初っから。


だから、勝先生!
まず海軍を作る前に、形骸化してどこで誰が責任者なのかわからなくなった幕府をなんとかしないと!
このままいくと、結局幕府はずるずると責任者不在の政権を続けて、あげく江戸城引き渡しでその責任を一手にひきうける羽目になるのは、アンタでっせ、勝先 生!


と、言いたいのですが、ダメです。
声が届きません(当たり前だ(笑))


龍馬もどうする の、このままで?
でも、今は「黒船」に乗れるだけで有頂天か~
はよ目を覚まさないと、違った場所に行っちゃうぞ~~(と気をもむ


一方、半平太と土佐勤皇党。


松の廊下、ですよ。
松の廊下!!!

あそこは、たしか「従四位の下」以上の位階 がないと入れない場所。
(追記:まつがったみたい~「従三位」以上でない入れない、だったみたいです。訂正します~)
小大名では、入れ ないんだよ!
それを土佐藩の陪臣(幕府からみれば家臣の山内家のさらに家臣)の、しかも下士が入るなんて普通ありえない!!

と、 いうのをさりげなく演出して、三条卿に随行した半平太のポジション(勅使の随行員は特別入れる)が、いかにすごいものだったかを描いています(監督とってもナイスです!)
この時の半平太は「柳川左門」という名義です。
(変名というやつ。本来の身分が低いから変名してるんだね)


そしてその後、何故だか勝先生のところに現れる

これまた、何かの伏線ですかね~?
どうして吉田東洋の時と同じようなかたちをわざ わざとるの?
あああ、また「不吉」な
そりゃ、今後の史実は知ってますが。
また、ワタクシはショックを食らうんですかね~(泣)
ど うか、なにとぞ演出は穏便に~。
あまり武市先生をいじめないであげてください(涙)

長次郎に対しても、ちょっと「半平太らしくな い過激な言い方」で、これも???
でも、のちのちの長次郎の運命を考えると、本当は長次郎もここで引き返した方が幸せだったのかも。
「賢い人間は、運命には逆らわない。元いた場所に帰れ!」
と言ってあげれば良かったのかも(違っ!)


そんなこんなで、今回 はちょっと???がいっぱいついたお話でしたが??
今後の伏線がなんだかいろいろ張ってありそうな気がします。

あとでまた見返 してみよう

 

 

 

第17回  4月25日

 

2

 

* 写真は、昨日の京都です~。
  いや、ワタクシが行ったわけではありません。
 (京都 は、この6年ほど行ってないな~)
  京都から、送っていただきました(多謝!)


先週(第16回)についてのワタクシの 心配は、杞憂だったみたいで、周囲の人に聞いてみたところ、「ちゃんとストーリーについていけたし、面白かったよ!」とのことで安心しました!(余計な お世話です(笑))

やっぱり「勝先生、登場!」だし、「海だ!」「咸臨丸だ!」で、観れちゃうんですよね。
少し難しいテーマが扱 われたり、複雑な「伏線」と思われるものが多数忍び込ませてあったりしても。
それに「コメディー」というのがね!
人のこころを掴む力が、 あるんですよね~!!


と、いうわけで、今回もとってもコミカルに始まり、勝先生と龍馬の各藩行脚なんか、ニヤニヤっしっぱなしで 観ておりました。
こういうの好きだから。
龍馬は営業さんに、かなり向いてるね!(笑)


でも、もちろんこれだけで はありません。
容堂公の本格的登場です(うわぁ~(冷汗))

容堂公はこれまでも何かにつけてチラチラと思わせぶりに出てきていたけど、今回そのキャラクターがはっきりとわかってきて
この人は、「壊れた末期の江戸幕府」をある意味象徴する人物のひとりとして描かれるのか な?という感じ。


史実としての容堂公は、私にははっきりいってとても掴みどころがない「怪人物」というふうに見えます。
というのも、読む資料によってすごく印象が違うので。

とても賢い面もあってなかなかの政治家なのかと思えば、愚劣なまでに差別的で、結果愚かな選択をしたり、ふり幅がとても大きいんですよね。
半平太の一途でカリスマ的なところや、龍馬の柔軟で好奇心旺盛なところなど、自分の家臣の供するものを最大限利用して、自分も結構利益を得ているはずなのに、場合によっては自らそれを叩き壊そうともする。

これは容堂公の個人の性格のせいなのか(アルコールのせい?(笑))
土佐藩という独特な土地柄から派生するこの人の微妙な立場のせいなのか。


「龍 馬伝」では、その狡猾な怪人っぷりが増幅した形で表現されそうな感じ。
つまり、半平太はやっぱりかなりひどい目に遭いそうな(泣)


先 週分を観てから、とっても気になっていたので、調べ直してみたのですが、半平太がこの時期に会いに行ったのは勝先生ではなく、松平春嶽公の方なんですよ ね。
確かに将軍が上洛するように口添えを願うならこの時点の勝先生のところへ行ってもあまり効果はない。
(もっと後の時期なら勝先生も権 力を持つようになるから、結構いいかも、だけど)

それを敢えて、こういうエピソードを創ったのは、たぶん今後のドラマ上の伏線だったんだ ね。たぶん。
今回、勝先生が自分のみたてたところでは、半平太は忠義に一筋な人物なのでは?と意見してみたけど、容堂公は取り合わない。
それどころか、全てを見透かすように龍馬に挑むような質問を投げかける

もしかして、このドラマ上では今後、龍馬と容堂公はかなり火花を散 らす関係に描かれるのかしら?
と、ちょっと思ってしまいました。

史実では、半平太と容堂公は静かな火花散らす関係になってゆくの だけど、「龍馬伝」上では半平太は愚直なまでに容堂公を信じる忠義の人の面を強調して、むしろ龍馬の方が容堂公との対決モードになってゆくのかな?

まあ、今後を観ないと、なんともわかりませんが。


そんなわけで、またしても「伏線」いっぱいな感じの今週。
ワタクシはかな り好きな感じだったんですが、一般受けするかな?
するといいな、陰謀渦巻く編


しかし、どうかお手柔らかに、演出陣のみ なさま
以蔵も壊れてきちゃったし、勤皇党内部も微妙な部分が出てきたし、武市先生は厳しい局面に向ってまっしぐらです(泣)
椿の絵や奥さんの絵が、痛ましい予感


 花は清香に依って愛せられ
 人は仁義を以て栄ゆ
 幽囚、何ぞ耻ずべけんや
  只赤心の明らかなる有り
 (のちに半平太が詠んだ詩)

 

 

 

第18回  5月2日

 

* 昨日は、「ハゲタカ」(CSで放送)と「龍馬伝」の間を行ったり来たり。
収二郎がアランに見え る~!
容堂公がクラリスに見える~~!!(大笑)


「既得権益」を守ろうとする層って、いつもこうだよね。
容堂公 は、狡猾に勤皇党の切り崩しに取りかかりましたよ。
本当は史実通りに、江戸への勅使の際に、容堂公が幕府と勅使を仲介するような形で、隠居から幕 政に復帰するところが描かれていると(つまり半平太の勢いを自分の権力のために利用したところが描かれていると)もっと効果的だったと思うけど、これは 「龍馬伝」であって「半平太伝」ではありませんから残念!(笑)
それでもやっぱり容堂公は、怪人物だな~。

そして、半平太は屋根 の上ではしごを外された状態で、このまま悲劇的にまっしぐらか


こうゆうことを幕府側がやるから、「倒幕」が「討幕」になってゆ くんだよね。
「倒幕」だったら、幕府の実効支配を奪うことが目標だから、政治的解決を含む。
穏便に、将軍家・老中が権力を手放して、もっと実力のある大名(いわゆる雄藩)を政権に入れればそれでよかったんだ。
でも、「討幕」は軍事的解決しかない。
将軍家は追いおとされるこ とになるもっと後で。

もちろん、半平太は「倒幕」であって「討幕」じゃありません。
「挙兵」できないからこそ、「暗殺」を選択 したんだから。

でも、半平太が陥れられたのを見ているから、のちのち出てくる人たちは、例えば高杉晋作とかは、思いっきり「挙兵」するわけです。

本当に権力者は愚かだ。


そして、残念ながら「勤皇党」も「海軍」もその新・旧の権力の争いの「道具」に しかならなくなってゆく


龍馬は、大迂回路だね。
確かに勝先生の言うとおり、人間は実体験しないとなにが間違っているの かわからない。
(そして、この言葉はずっとのち、勝先生自身の身にも還ってくる。)
龍馬は、あとで悲嘆にくれることになっても仕方ない。
それは、「運命」なんだから。

そう思った今回でした。



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2010年5月 3日 (月)

「龍馬伝」の裏散歩道を歩く・その4~ふたりの侍、もしくは幕臣物語

2008年の11月。

世界中で金融危機の嵐が吹き荒れて「100年に一度の危機的状況」と囁かれ、いつ瓦解するかわからない金融システムに、全世界の政府、金融関係者の緊張が極限に達していたころのこと。

 

いつもは経済に疎いワタクシも、「ヤジ猫根性」でテレビの前に座って、ダウだのニッケイだのの数字がとどめなく大暴落していくのをさすがに青ざめて見守っていたまさにその頃、当ブログの「経済顧問(笑)」から興味深い話を聞いた…

 

 

いわく、ここのところアメリカの経済史関係者で大注目されている論文がある。

それは、日本の幕末に関する論文である。

安政2年(1855年)におこった「安政の江戸大地震」のせいで、江戸の市中は約1万戸の家屋が倒壊する大被害を受けたが、この復旧のため幕府は旗本・御家人に対して家屋新築のための金を貸与した。

これが一種の「債権」となった。

しかし幕府はこの債権を回収することができずに不良債権化、幕府の財政を圧迫、ついには幕府の財政が破たんし、幕府が倒れる要因のひとつとなった。

つまり、現代の「サブプライム・ローン」とそっくりの状況が日本の幕末に存在したのである。

現在の金融危機を克服するために、この時代を研究することがとても重要と思われる…

 

 

 

上記は、とても興味深い話だと私は思いますが、みなさまはどう考えられますか?

 

 

まあ、末期の江戸幕府が瓦解してゆく原因のひとつとしては「経済問題」が大きくあったのは、幕末に興味がある方々なら、みなさまよくご存知のはず。

この「幕末・サブプライム・ローン」だけでなく、もうあきれるくらい経済問題山積だったのはよく知られていることです。

 

 

幕府は内に不良債権を抱え、外には分不相応の高い買い物をしていた。

 

 

それは、外国の脅威に対抗する、という危機感から急場ごしらえで大量に買い付けた外国製の「艦船」です。

足元をみられて諸外国から売りつけられ、幕府が購入した艦船は40隻以上、

その内訳は、大急ぎで「海軍」を作らねばということもあり、軍艦・輸送船30隻以上。

金額は300億円相当を遥かに超えていたとか。

現在の物価に調整すると、いかほどになるのか…怖いくらいです。

 

 

 

「龍馬伝」で現在放送中のあたりを観ると、私は複雑な気持ちになります。

海軍を作ること自体が、問題とは思いません。

しかしまず先に、もっと緊急にやらねばならないことがたくさんあっただろうに!と思ってしまうのです。

 

 

まあ、勝先生の名誉のために一応付け足しておくと、「外洋に乗り出すための船乗りの人材を育成すること」は、悪くないと思います。

勝麟太郎という人の白眉な点は、人材育成とそのための機関の創出にあったと思ってますから。

蘭学を学んだ勝は、最初の黒船来航騒動の時、幕府が広く意見書を募集した際に応募してその異才を買われた人物です。

西洋風の教練学校を作って西洋兵術を学ばせ、また和・漢・蘭学の兵学書の全てを集めてこれの集大成書を刊行するなどを提案し、取り立てられます。

近代的な教育機関と研究機関の先駆けとなる「蕃書調所」の開校にあたって、その設立準備のマスタープラン作りに、大きく貢献したといわれています

これが後々、「開成学校」を経て、「東京大学」になっていくわけです。

 

勝は、「旗本」というより「小普請組」といわれる下級武士の階級に属し、もともとは「御家人」の家格(将軍に直接拝謁する権利=お目見えの権利をもたない家格)であったので、ここからスタートして、軍艦奉行にまでなるというのは並大抵ではないことでした。

(元の身分が低いので「並」がついていたわけです(笑))

勝の身分では、詳細に渡る幕府の財政事情がわかっていたとも思えず、もしわかっていたとしても手出しすることができたと思えません。

 

 

 

そのひっ迫する幕府財政事情を深く知って、それをなんとかするために孤軍奮闘した幕臣たちは、もちろん別に存在します。

その中でも有名なのは、小栗上野介こと小栗忠順。

外国奉行、勘定奉行、海軍奉行、陸軍奉行…小栗が歴任(兼任時期も)したポジションの重要さは目を見張らんばかりです。

 

 

「幕末経済問題」のまず代表的なひとつは、「開国」によって貿易を始めてはみたものの、通貨の交換レートが不平等で日本から金が大量に流出してしまった…

というのは、先般、久坂玄瑞によって説明されていたので、「龍馬伝」をご覧のみなさまはすでにわかっていることかと思われます。

 

この交換レート不平等問題は、実は条約を批准し、1859年に3港が開港してからわりと早くに気がつかれており、1860年のいわゆる幕府の遣米使節団が咸臨丸で渡米した際、時の外国奉行・新見正興に随行していた目付・小栗忠順が、フィラデルフィアの連邦造幣局を訪れ、アメリカ側の官僚を論破してこれが不平等であることを認めさせているのです。

 

しかし、条約改正まで話は進まず、小栗も貨幣改鋳で(金の含有率をさげることによって)不平等を是正できるとふんでいたため引き下がってきたのですが、のちにアメリカ側は貨幣改鋳に猛烈抗議して改鋳を中止するはめになり、結局金の流出は止められません。

 

もっと先にいくと、さらに小判(金)が流出したため小判自体が不足となり、再び金の含有率の低い小判に改鋳して巷に流通させることになります。

この時金の含有量に応じて旧小判1枚が新小判3枚になったため、今度は実体経済に見合わない通貨が過剰に出回ることとなってしまうのです。

つまりいわゆる「過剰流動性」状態に陥り、これが幕末の猛烈なインフレをひきおこします。

 

この交換レート問題は本当なら速やかに解決しておくべき問題だったのはいうまでもありません。

日本のみならず、アメリカにとっても。

 

私たちは日本人なので、どうしても「流出した側」として、この件を考えます。

しかし、「流入された側」にとっても、実はあまりいい話ではない。

金本位制だった当時、日本から金が過剰に流入してきたことでアメリカ側でも「過剰流動性」状態に陥り、アメリカもインフレに苦しんだと思われるからです。

 

そしてその過剰な金が、実は本当なら小競り合いの局地的戦闘ですぐに終わるはずだった「南北戦争」を、本格的で悲劇的な4年間も続く「内戦」へと拡大させたのではないかと、私は疑っています。

つまり、本来なら存在しないはずだった「戦費」が調達できてしまった、ということです。

そして、戦争に関わる軍事産業を過剰に育成するための投資資金ができてしまった、ということでもある、と。

 

日米の経済史研究者の方々は、このあたりを追及されてはいかがでしょうか?

昨今、2008年の金融危機への処理策以降、国際的な「過剰流動性」への警戒が強まっていると聞きおよびます。

過去の失敗は、現在の宝です。

どうせ人類はいつも同じような地点で、つまづくことになる。

いまこそ、我々が過去に学ぶものは多い。

まさに「温故知新」だと思うのです。

 

 

さて、話を小栗に戻します。

 

 

小栗は、フランス人顧問を導き入れ、幕府海軍と陸軍をフランス式に教練した人物として知られていますが、瀕死の状態の幕府財政を産業振興策と財政策両面から、必死にたてなおそうとした鬼才でもあります。

 

いつまでも外国に足元をみられて艦船を押し売りされていても借金が増えていくだけ。

そこで造船所建設案を建白します。

さらには造船に必要な製鉄所の建設と、さらにさらにそのための鉄鉱山採掘現場からの原料運搬ラインの整備、といった産業開発の基本インフラの整備に着手します。

 

その一方で、資金調達のために、1867年、折から開催された「パリ万国博覧会」で「日本国国債」を売りに出して600万両を得ようと画策します。

しかし、この計画は同じく万博に出展していた薩摩藩に妨害されて失敗します。

 

ただ、薩摩にも言い分はある。

幕府の財政は開国よりも久しく前からすでに相当傾いていて、御用扱いの大商人や各大名家に借財してやりくりしてきたのですが、なかでも一番幕府に金を貸してくれたのは将軍御台所の外戚として頼りにされた薩摩であり、篤姫の時代からどれだけのことを幕府のためにやってきたかわからない。

それなのに、さらに外国に国債を売って借金を増やすつもりなのか、といった危機感を持たれたのかもしれない。

 

幕府の領地は、1200万石くらい(旗本の領地も含む)

米本位制の江戸時代は、これを貨幣価値に換算して、多く見積もっても400万両。

つまり、年間予算の1.5倍の国債発行をしてしまって、果たして大丈夫なのか?

いずれ日本国の産業が振興すれば、そんなものは償還できると、たぶん小栗は考えたのでしょうが、そんな自信のある幕臣がいや日本人が、当時ほかにいたのかどうか…

 

 

鬼才・小栗は、最終的には新政府軍との徹底抗戦を主張して受け入れられず、幕府官僚を罷免されます。

新政府発足後は、自分の領地で引退していたにもかかわらず、反乱の嫌疑をかけられ新政府軍によって捕縛、処刑されてしまいます。

ほとんど冤罪だといわれ、維新のどさくさにまぎれて貴重な人材が喪われた例と考えられているようですが、小栗の死はとても「謎めいている」と思います。

 

いったい、何故、小栗は死なねばならなかったのか…

 

 

 

もうひとりの幕臣・勝麟太郎は、維新後も旧幕府の関係者とも新政府の関係者とも、ほどよい距離をとって付き合い、天寿をまっとうして亡くなるのは、みなさまもご存知のとおり。

ざっくばらんな人柄は終生変わらず、新政府に対する忠告・苦言も言い続けています。

しかし、力足らずだったのか、それが聞き入れられることはなかったのですが…

 

 

勝先生の業績と人となりは、「龍馬伝」ですでに垣間見えられるとおり。

これからもいっぱい出てくるからね、ってことで、ここでは私は自粛させていただきます(笑)

 

今後の「龍馬伝」を楽しみにして!

本稿を終わりにしたいと思います。

 

 

 

[ご注意]

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また、同掲示板には、私の「龍馬伝」の各回の感想メモもおいてあります。

 

  nyan-chan2222文章事始掲示板」(リンク先に飛びます)

 

 

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2010年4月28日 (水)

コーヒーブレーク~ゴールデンウィークのお供に♪映画「ハゲタカ」いよいよTV放送と「外事警察」(フルバージョン)の再放送~

こんにちは。

桜も散ったというのに、なんか異様な寒さの今春。

これ、やっぱアイスランドの火山噴火の灰のせいでしょかね~?

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

 

 

世界は揺れ動いとります。

 

 

ギリシャ国債がジャンク債に格下げされて、今日昨日のEUの慌てぶりは恐ろしい…

ポルトガル国債も格下げとか。

再び、金融危機の悪夢、ってのは願い下げでしょうから、慎重にしかし可及的速やかに、対策を練っているんでしょうけど、EUの今後の動向が注目されます。

 

 

そして、昨日からアメリカ連邦議会・上院では、いよいよゴールドマン・サックスの公聴会が始まりました。

ブランクファインCEO以下6名の幹部が、2007年の金融危機前夜に、いずれショートするとわかっていながら悪質な住宅モーゲージを取り扱い、詐欺まがいな証券を顧客に売りさばき、莫大な利益を上げたのではないのか(いわゆるサブプライム・ローン問題)その容疑を追及がはじまりました。

同時にSEC(連邦証券取引委員会)からも訴追されているし、今後の動向がとっても注目されます…

 

 

 

という、実にタイムリーな今日この頃、いよいよこのゴールデンウィーク中に、我らが映画「ハゲタカ」がTV放映されます!!

 

いやー、この映画って、どこまでもタイムリー!!

…恐るべし!!って思っちゃいましたよ~。

 

ただ、残念ながら、まだ地上波放送ではないんですよね。

CSの「日本映画専門チャンネル」で、5月2日夜10時からでございます!!

 

ワタクシの家はCATVなので観れるのですが、まだまだ一般のみなさまにお勧めするのは先ですかね~。

早よ、地上波で放送してくださいよ~、どこぞのTV局様!

やはりNHKさんかにゃ。

 

もちろん、当ブログにお立ち寄りの方々は「ハゲタカ」ファンが多いかと思われますので、いちいち説明不要かと思われますが、もしかして、「龍馬伝」以降から当ブログにお立ち寄りの方もいらっしゃるかと思い、ご説明させていただきますと、この映画、監督は「龍馬伝」のチーフ・ディレクターの大友監督であり、主演は武市半平太役の大森南朋さんが鷲津政彦を演じてらっしゃいます。

そしてこれは、もともとはNHKの土曜ドラマで6回にわたって放送されたドラマ「ハゲタカ」の続編にあたります。

 

ドラマ版の方は、現在でもNHKオンデマンドでいつでも観れますよ~。

やはり、大森さんが主演ですよ~。

そして、「龍馬伝」でも怪演をみせてくださった田中泯さんも出演されてますよ~。

「龍馬伝」の半平太と東洋のいたポジションとは真逆のポジションで、びっくりされますよ~!!

だから、未見の方は是非是非お勧めいたしますよ~!!!

(と、宣伝、宣伝(←いや、別にNHKさんの回し者ではございません(笑))

 

 

 

そして、もうひとつ、ゴールデンウィーク中のお勧めを。

 

 

先ごろ当ブログでもちょっとお勧めさせていただいた「外事警察」が今度はフルバージョンで、NHK総合の地上波で再放送されます。

 短縮版の時のお勧めの文章はこちら→「外事警察スペシャル~リミックス版~」

 

こっちは、「龍馬伝」ファンにお勧めするなら、主役の住本健司(渡部篤郎さんが演じてます)の妻の住本絵美を演じているのが、武市半平太の妻の富役の奥貫薫さんという複雑さ(笑)

…そして、なにかだんだんと、アタマの中で混乱してくること請け合いの内容のドラマ…

「龍馬伝」に後々出てくる余貴美子さんも出演されてますしね!

 

と、いうわけで放送日と時間は、

 

 5月4日  午前1時5分~4時 

関西では1時25分からだそう)

 5月5日  午前1時5分~4時

両日とも3話ずつの放送で全6話です。

 

 

 

ゴールデンウィークのお共に、是非!!

当ブログでは、両作品ともお勧めさせていただきます!

 

 

 

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2010年4月14日 (水)

龍馬伝season1 各回感想メモ

* ドラマの「感想メモ」として、「nyan-chan2222文章事始掲示板」に書き置いたものを転載しました。
  



放送前  11月24日

 

うわーっ!カッコイイです~~~!!
ものすごーい、ストイックなキャラに創り上げてきたのか、大森さん!!
もう釘づけです!
惚れ惚れ~!

あ、「龍馬伝」のホームページの「動画」のことです。
たった2シーン(?3カット?)なのに、目が奪われております~。

やー、「刃」が似合いますね。
鷲津さん同様に!(こらこら)
刀持つとこんなにストイックでカッコイイ人は久しぶりに見たような
(この動画は真剣の設定でないかも、ですが。動体視力がいまいちなワタクシ(汗)でも、イメージとしての「刃」ですよ。やいば!)

もう、武市だけで楽しみです(他はいらんのかい!とぢぶんに突っ込み(藁))

いや、全体に楽しみにしてますよふっふっふっ

 

 

 

第1回  1月3日

 

長~らく、待ちに待った、期待に違わず!です!!

「龍馬伝」私の好きな要素てんこ盛り。
ライバル、という言葉にクラクラ。
ヒロインをめぐるふたりの男、という構図にウキウキ。
そして、武市先生が!(笑)と、にやにやしっぱな し!
(傍で見たら気味悪いです。ええかげんにせえよぢぶん(笑))

しかし、これを48回もやるんですか、カントク?!
凄すぎる
制作の皆さま方、くれぐれもお身体ご自愛くださいませ。

希望!最期まで息切れることなく、全力疾走!!

 

 

 

第4回  1月24日

 

毎週楽しく観ております。
全体的にとっても好みの設定なんですが、もうそれ以上に私にとっては、 と~ても楽しめるシーンがいっぱいあって!!(笑)

本日は予告編にあったシーンの放送でしたね。
武市先生の立ち居振る舞いが美しく、それをまたとっても美しい画像で撮ってくださるので(ありがとうございます、カントク!)ミーハー心が騒ぎます(こればっかりだ~(苦笑))
抜き身の刃うーん、鷲津さんとも通じる壮絶な気配です

次週は加藤さん、いやもとい、吉田東洋が出てきて不吉な予感に満ちた展開にワクワク

ああ、もちろん本筋のストーリーも楽しく観てますが、なんか半平太のスピンオフがアタマの中でとっくにぐるぐるまわっとりますよ(こらこら(笑))

まだまとまった文章をブログにあげるような段階ではないので、ここで当分、ミーハーをほざいていると思います~。

 

 

第5回  1月31日

 

本日は吉田東洋、山内の大殿様、と主なところは出揃ったですな、半平太的に。
(いや、龍馬的にはまだ まだですが<勝せんせいとかもまだ全然出とらんしねぇ(笑))
後々、政敵・岩倉卿とかも出てくるの?(いや、龍馬には関係ないか??もはやアタマの中は半平太伝(笑))

それにしても、佐藤さんの音楽いいですね。「ハゲタカ」同様
テーマ曲はマーラー的に広がりのある曲 で。指揮が広上さんなのもぴったりです!!(広上さんは生では聴いたことないんですが。チケット持ってたのをパーにしたことがあったけ(涙))

あとは、坂本家のにゃん(しま三毛ちゃんか?)がレギュラーなのが嬉しいです!(笑)

 

 

 

第6回  2月7日

 

はっきりと3人の運命が分かれてまいいりました。
またあとで一部再び出会ったり、離れたりするんだろうけど。

凄まじいです。半平太(涙)
憤怒というのか
大森さんこんな表情するんですね

鷲津さんと 比べると(比べるのもかなり変なんですが、そこはファンの暴走(苦笑))半平太の方が背負い込んでる責任が個人的なものである分、怒りも個人的なのか。(まあ、鷲津さんもスタートはとっても個人的ですが)
でも結局いきつくところ「憂える」ものが、とても社会的なもので、この国のかたち、なんですよね。ふたりとも。
この先の半平太の運命も考えると、すでにとても痛ましいです(涙)

しかし、幕末は通り一遍の知識しかない ワタクシは、日本史の歴史的知識満載な方々が聴いたらたまげるような観方をしてますよ、この「龍馬伝」を(苦笑)
も少しストーリーが先にすすんだ ら、どういった観方をしてるかをブログの方にアップしてみたいものです。

 

 

 

第8回  2月21日

 

もう、完全に罠に嵌まっております(藁)
複数回観るようになってしまったですよ
1回目と 2回目と、印象が全然違うから。
「ハゲタカ」の時といっしょだ~ハイビジョン観て、総合観て、たぶん土曜日には再放送を観る


心配でたまらないのは、武市先生の行く末です。
いや、行く末はわかってるんですけどね。ああ、今からこんなでど~するの(苦笑)

とてもうまいな~と思うのは、視点がふらふらしてることで(一応弥太郎視点といいながらも)この人はこういう人だ、と思ってみていると、次の瞬間には裏切ら れる。誰かを肯定も否定もしない。だから視聴者がいつの間にか振り回されてしまうのですよ。
そういう造りのドラマは非常に好きです。
これも「ハゲタカ」の時といっしょですよね~。

ところで、ドラマの造りというと、レギュラー陣以外に、スポットで出る人々がいいですね。
(生瀬さんとかリリーさんとか)
スペシャルゲストスターって感じで、アメリカのドラマの造りみたい。

そこで、つい我が家で妄想。
江 戸幕府の役人役とかで渡部篤郎さんとか出てきたらどうしよう、とか(笑)
いや、まじで。小栗上野介(小栗忠順)なんか、どうでしょう?

 

 

第9回  2月28日

 

今回は、いつにもまして好きな回です!!

あとにひくテーマ、心にぐさりとくるセリフ。
す でに2回観たけど、とてもとても考えさせられます。
ちょっと簡単には書けないので、またそのうちまとまったら、ですね。


それにしても、みんな必死で美しいです。
私はもちろん武市半平太の一挙手一投足に大注目ですが(笑)他の人もむろん美しい。

武市先 生は抑えた感情表現の時にも、大森さんの手が美しく雄弁に言葉を語っていますね。
「ハゲタカ」といっしょなのですが、画面にものすごい情報量があ る。1回観ただけじゃわからない~。
こういう「表現のストイックさ」が好きな人と嫌いな人にはっきり分かれてしまうかも。
私はむろん、大好きですが!!!

一方龍馬は、福山さんがとてもスタンダードで王道な感情表現してるので誰でもスッと入りやすい。
そして弥太郎は 必要以上に激しい感情表現で、これは香川さん以外の人がやったら陳腐になってしまうかも、です。
同じドラマ中でレベルの違う感情表現をやっていて、ほとんど不具合を感じないのだから、いやはや凄い


ところで!
今回は中延さんも出てらしたことだし(笑)村田さんも ご出演ありでしょうか?
待ってます~!

 

 

 

第10回  3月7日

 

* 前回までは下のスレッドにくっつけて更新していましたが、けっこう真面目にやろうかと分けて更新してみます。(毎回更新は無理かもですが、隔週か3回に1回くらいできるといいな~)



や~、金沢さんまで出てきてしまいました!
「外事警察」の住本班の。(北見俊之さん=柴田備後)
どうしましょうかね(笑)
「ハゲタカ」だけでなく「外事警察」ともクロ スしてるの?むむむ(いや、嬉しいのですが)

確かに先週あたりから、組織の利益と個人の権利とどちらが優先するかとか、国益と個人の問 題とか、とても「外事警察」的テーマが扱われてますね。
この問題は、ヒューマニズムでは済まない部分があって、とても難しいです。


龍馬には身を切るような話であり、半平太にも同様のしかかる。
龍馬にとっては人生のスタートの最初の試練。
そして、半平太は覚悟を決める直 前の葛藤。

私個人としては、龍馬が流れにあらがって暴れる気持ちはわかる。
しかし、武市先生だってよくよく考えると、実は最終的な目標は同じなんだよね。
どちらも、今ある流れに抵抗してそれをなんとかしたいのだから。
その方法が違うから、龍馬にはまだそのことがわかってないかも、ですが。

そして選ばれた人生を送るということは、そういう「犠牲」を払わねばならないということでもあるし。
ああ、これもまだ今の龍馬にはきっとわからないね


そして、弥太郎サイドの物語というのもこれからはある。
これはまた別の 物語で、もしかしたら出発点は龍馬とも半平太ともいっしょなのだけど、きっと全然違った方向へ向っていくかな、と。

私はどちら側の物語も、私たちの物語だと思うから、どちら側も肯定も否定もせず進んでいく今の描き方は好きです。
その代わり、いままでごまかされて、描かれずにきた部分まで、是非是非、描いていってほしい。

がんばってくださいね、制作スタッフ、出演者のみなさま!
みなさまは身体はっておられ るのだから、視聴者としても身体はってついてゆきますよ!

 

 

 

ステラ 3/13~3/19

 

買ってきました~!!!
大森さん、かっこいいです!そして、鋭い!

なんか1月3日 のスタジオパーク観た時から思ってたんですが、半平太役に入ったあとは、なんか番宣番組で観ていても前と違う!
「武市半平太」に入りきっていると いうかドラマ以外で拝見しても、なにかどこかが武市先生です。(なんか変な言い方ですが(笑))

そして、インタビューはいつもながら感服でしたです。
半平太の役柄への解釈が。
「魂の塊」ですか。うーむ、そうですね、ホントに!!
私は何故に大友監督が、ブックレットで大木会長の言葉の秘密を明らかにしたのか、わかったような気がしましたよ。

私は自分の知識で考えると、龍馬は相当に楽な部分があったろうな、と思ってます。
だって半平太の辿った道を(悲劇的な部分も含めて)見て、その遺産を引き継いで最大限に利用して、新たな道を作れば良かっ た部分がかなりあるし。
いや、半平太という存在がいたからこそ、龍馬は踏みとどまって戻ったのかな、とか。(私の史実解釈ですが)
「龍馬伝」ではどういう風に解釈されるか

ステラを読みながら、いまさらながら、武市先生の行く末を思っておろおろしてますが(馬鹿です (笑))とにかく、大森さんに最大限のエールを!!!

 

 

 

第11回  3月14日

 

* 1日遅れで書いてま~す。


にゃんといっても、茶猫!!!
あのでっかい 茶トラは、西乃屋のちゃーちゃんのご先祖か?!(大笑)


ようやく、本編ぽいです。
(いや、これまでのも全部ちゃんと伏線 と思いますが。)

そして、本気ですね!制作者の皆さま方は!!!
だ、大丈夫か?(オロオロ)みんなちゃんとついてくるかしら? し、視聴率は?(オロオロ)
と、うろたえてしまいました(今更ですが(苦笑))
いや、大丈夫のようです。ちゃんと20%越えてます。
安心~!!
(って余計なお世話ですね(笑))


でもホントはね~、視聴者はこうゆうの観たいのでは?
ぬるいものは、 どうでもいいんですよ。
こうゆう緊迫ある展開のほうが、本当は観たいように思うんだけど。
(いや、まだ確信が持てませんが)
とにかく、がんばってくださいませ、皆さま~!!!



さて、本編。
龍馬がようやく感情移入できるキャラクターになって まいりました(私的にですが)
やはり、どんなにいい奴でも、光と影のない人物は面白くないのです。
(まあ、たぶんこれはわざとそういう変 化を出すためにこれまで演出されてたんだと思ってますが)
私は龍馬はくせ者だとかなり思ってるので。
ああ、これは史実の方の龍馬のことで すが。
フィクションとして、ドラマとしては、必要以上に屈折させないほうがいいと思いますが、多少は複雑な方がいいです。

武市道場の門弟たちは、どんだけ武市先生が好きなんだ!(笑)
絶縁していけと言われて、絶縁できる奴は誰もいないし。
この子たちを置いていけな かったろうな
そして、おのれの不甲斐なさに再び苦しむ半平太。

武市先生は緑の中に佇んでいたのが美しく、胸に沁み入りました。
いつかきっと、懐かしく思い出すことがあるんだろうな。
いま、この時を止めたいな、と。(涙)


いろいろと想いが交錯するこ の回、また今週も何度も見返しそうです。

 

 

 

第12回  3月21日

 

ああ、来るべき日がきてしまったのか
武市先生がついに彼岸に渡ってしまったか

龍馬は止めようとしたんだね、一応。
でも、もともと「話し合いに行け」とか言ったのはおまえだぜ、龍馬(とか多少恨めしく思っちゃったよ(泣))
そして、このことが原因で龍馬も土佐にいられなくなるのでしょうか?(来週?)
私は、龍馬が「脱藩」するのは、半平太が「解放」してやるからかな、 と思っていたんですが、ちょっと予想と違いそうです。
より辛い展開になるのか(涙)


しかし、「正しいもの」とか「正しい 側」とかが存在しないような、こういう視聴者を振り回す造りは、とても面白いですね。
前にも書いたけど、私はとても好きです。
観ている側 にも、考えること、頭を使うことを要求するので、こういうのがどこまで一般受けするのかがまだわからないんですが。
皆さまにも受けるといいな。
こういう展開を今後も観たいので。


それにしても、久坂が出てきたので私としては感無量です。

以下、長州の古老の口 伝を聞いた人物から、さらに私が聞いた話。
(なので、「龍馬伝」ではなくて、「史実」の方です)

もっとずっとあとの展開。
久坂は半平太のために家も用意して、待ったという。
何故、半平太は久坂の勧めに従って長州に亡命しなかったのか、ずっと疑問だった。

そんなに土佐を愛していたのか?
あるいは、半平太が「義」を重んじたから?
あの若い教え子たちを棄てていけなかったから?
自分の手 がもはや血に染まっていると思っていたから?

それとも、
信じて、
待っていたから

 

 

 

第13回  3月28日

 

そして龍馬がいなくなって、残ったのは三毛猫一匹
龍馬部屋は猫部屋となったか。


なんか、BGMに「別道」が流れ始めて、さらに「刀剣」が流れるころには、もう不覚にもグッときて、涙が(泣く)

とても悲しい別れだっ た。
わかっていたんですけどね。龍馬と半平太が袂を分かつのは史実ですから。
でも、こういう形で龍馬を「解放」してやることになったかと、しみじみ。
移ろいゆく時、儚いものを、遠くみつめる半平太の瞳が哀しい。
大森さん、すごいです。


第1部も終 わったことだし、近々またアタマ整理してみるかな~。

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2010年4月 2日 (金)

「龍馬伝」の裏散歩道を歩く・その3.5~隠し符牒を探せ!!

ワタクシにしては珍しく、間をあけずに更新です~!

 

…といっても、ちゃんとした論を組み立てるようなものではなく(season2も始まってないのに、できるはずないですな(笑))ちょっとした「メモ」でございますよ~。

 

 

 

私は、「ハゲタカ」ファンから流れてきたので、「龍馬伝」のチーフ・ディレクターの大友監督のファンなわけですが、大友監督は「ハゲタカ」でもメインストーリーの合間、合間にたくさんの「符牒」を隠して演出されていて、ファンとしてはそれを探し出すのが、とても魅力の一つであります。

 

「符牒」は、セリフの中に密かに込められたものだったり、ロケ地だったり、登場人物が身につけている物だったりして、その「符牒」を知らなくても十分にメイン・ストーリーは楽しめるのだけれど、その「符牒」を知ると、よりいっそう「物語世界」の奥行きが広がるようなものとして、いわば「こっそり」忍び込ませてあるものなのです。

 

 

「龍馬伝」も当然そういったものが存在するのだろうな、と思っていたわけですが、いまのところ、ひとつ見つけましたよ~!

 

 

「明智光秀」

信長によって、衆人の前で頭を叩かれて侮辱され、ついに「謀反」を決意する光秀…

つまり、東洋によって、衆人の前で蹴りつけられ侮辱され、ついに「暗殺」を決意する半平太、という構図です。

確かに、戦国時代なら、謀反・挙兵で「本能寺の変」

でも、江戸時代では「挙兵」なんかしちゃったら、藩のお取りつぶしです。

土佐を愛する半平太には、絶対できなかったろうな~

で、「暗殺」と。

(それがいいというわけではないでしょうけど…戦国時代に生まれた方がよかったかもね(涙))

 

史実として伝えられている東洋という人は、自分の家来を手打ちにして殺して謹慎蟄居させられたり、山内の殿様の親戚(だったと思うけど)切り殺そうとしてこれまた謹慎させられたり、ととても気性の激しい人物だったようなので、信長に例えるのもありかもしれない。

(ドラマでも典型的なトップ・ダウン型の独裁者タイプに描かれていたし)

 

そして、史実のほうの半平太も絵を描いたりする「文化人」だったので、茶道や和歌に通じた「文化人」の光秀と共通するかも。

知性派で、愛妻家なところ、領民(半平太の方は弟子)に慕われていたところも通じるかも。

そして悲劇的なところも(泣)

 

 

まあ、なにより、私は常々、大森南朋さんが演じる「明智光秀」が観てみたいな~、と思っていたので、思わぬところで「いいもの」を見せていただきましたよ(制作の皆さま方に、感謝!)

 

半平太は光秀と違って、「本能寺の変」では終わらず、これからが「戦い」の本番。

より辛い展開になるのも史実を知っている身としてはわきまえているつもりですが、固唾をのんで見守ってしまいそうです。

 

 

 

まあ、かように、大友監督&演出のみなさま&脚本家さまは、こっそりと「符牒」を仕込んでいるものと思われますので、是非それを探しながら今後も楽しんでいこうと思っています。

みなさまも是非どうぞ!!

 

 

 

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2010年3月29日 (月)

「龍馬伝」の裏散歩道を歩く・その3~season1を観終えて

とうとう「龍馬伝」は、season1終わりましたね。

みなさま、ご感想はどうですか?

いろいろ心にガツンとくるものがあったのでは?

エンターテインメントとして面白く、しかも、どこかとってもショックだったのでは?

 

 

私はそうでしたよ。

そして私の周りの「ハゲタカ」ファンから「龍馬伝」に流れてきた人たちも。

大森さんが、今回ももの凄い役柄で…

武市半平太。

当初、配役の発表があった時に考えていた以上の役ですね、これは。

ワタクシは、自分のそこそこの知識とすり合わせながら観ていたんですが、なにか、私が望んでいた以上のものが出てきた感じです。

 

どこらあたりが?

ちょっとその辺を解説してみましょうか。

 

 

 

私にとって土佐勤皇党と武市半平太は「日本的民主主義の祖」だと思ってる、というのは

前に当ブログの記事に書いたとおりです。

(参照:「龍馬伝」の裏散歩道を歩く・その1~「英雄伝説」とふたつの国のふたつの運命

 

「民主主義」って、言葉に出すと簡単そうですが、簡単ではない。

何故なら、「民主主義」は底辺から意見を吸い上げて上に上げていく、「ボトム・アップ」型の仕組みだから。

意見をひとつにまとめるにも、さらに上にあげるにも、時間がとてもかかるし、面倒なのです。

今の日本国の「国会」ひとつ見ても納得がいくかと…(笑)

 

だから当然、「民主主義」は迷うし、カッコ悪いし、泥臭い。

半平太がまさに、迷って、苦しんで、ついには泥の中で這いつくばって絶望の声を上げるさまは、はっきりいって「民主主義」の真実をあまりにも表現していて、私は絶句してしまいましたよ。

 

 

対する吉田東洋の方は、典型的な「トップ・ダウン」型の独裁者タイプ。

独裁型は、決心は早いし、手際はいいし、結果は早く出るし。

東洋の目には、半平太たちが烏合の衆の無能者に見えるのもそのゆえん。

(私は東洋にとって半平太が必要でなかっただけで、必要な人のもとに仕えれば、半平太は有能に機能する人物だったと思っていますが)

 

ただし独裁は、上に立つ者がまっとうな感情を持って、周りを慮っているならば成立するシステムだけれど、物事や人物を見る自分の目を過信して、自分の必要な者以外を虫けらのごとく扱いはじめて、自分の周囲に憎悪の感情を山のごとくに積み上げ始めたら、どんなにその独裁者が有能でも、いつかくる「破たん」は目に見えている。

 

半平太を蹴った瞬間に、東洋の「破たん」の運命は決まってしまったも同然なのです。

 

その東洋の中にある「一種の危うさ」が、どんなにこの人は有能でいい人だと思えても、龍馬に東洋の下で働きたいとは決意させなかったのではないか。

勝麟太郎と比べてみればはっきりしていると思います。

わりと東洋と似た「進歩派」で「佐幕派」で「開国派」だった立場なのに、龍馬が東洋に弟子入りしたいとは思えず、勝には弟子入りしたのですから。

 

 

一方、蹴られた側も、そのままではいない。

なにより、「民主主義」って、とてもとても「両刃のやいば」なのです。

迷走すると何が出てくるかわからない。

歴史をひも解けば、民主主義の最先端といわれた「ドイツ・ワイマール共和国」からヒトラーが生まれたように、とても怖い進展をしてしまう可能性がある。

半平太は独裁者タイプだとは思いませんが、独裁者の権力に対抗するために、自分も同じかたちに変化することを選んでしまった、ともいえる。

半平太が絶望から「暗殺」という非常手段を選んだ時、「ボトム・アップ」型の組織だったはずの土佐勤皇党が「トップ・ダウン」型の別の形態の組織に変貌していってしまう。

最悪な形で。

 

龍馬はそれを止めようとするけれど、現時点ではまだ力足らずで、その場を立ち去るしかない…

 

この別れは私にはなんとも哀しく、ちょうど鳴り響いていたBGM曲の「刀剣」の調べになんだか涙ぐんでしまいましたよ。

(これは半平太のテーマ曲なんでしょうかね?前に(第11回で)緑の中に半平太が佇む時にも流れていましたが)

 

 

 

こんな風に、終わったSeason1。

いまのところ、これはたいへんな脚本&演出だというしかないですね。

凄い…

正直、一般受けしなきゃならない「大河ドラマ」で、ここまでできるとは思わなかったです!

 

 

 

ただ、今後、ここからさらにどうなっていくか?

 

 

実は、土佐勤皇党の描写はこれからだと私は思っています。

暗殺集団となって権力の懐に飛び込んでいき、自分たちの目的のために血に染まっていく彼らですが、それだけでは終わってはいない。

 

なぜ現在にいたるまでこの組織がたくさんの人たちに支持され、人気があるのか。

その暗黒の血塗られた変遷にもかかわらずに。

 

 

彼らが何を求め、何を戦い、何に敗れるのか。

そして、敗れたにも関わらず、何を遺すのか。

その「遺したもの」を龍馬がどう受け取るのか。

 

 

そのことを、描けていてほしい。

というか、

私が是非、是非それらを観たいのです!!(笑)

そして、「龍馬伝」のここまでの描写から推察して、今後も、しっかり描いてくれると、とてもとても期待しています!!

 

 

 

何度か書いたことですが、私のじいさんは日本史の教師でしたので、私も進学先を「史学科」にしようかと思って、相談したことがあります。

するとじいさんには、

「おまえに1次資料(古文書や口伝やら遺構や遺物やらの直接資料)を読み込む根気があるのか?」

とあっさり反対されました。

 

その時言われたのは、「史実」とは、あくまで1次資料に基づくものであり、その1次資料をあたらないで、わかった気になるな。

小説や漫画を読んで、歴史をわかった気になるな。

ということで、それは今も私は、肝に銘じていることです。

 

私は自分が知ることができた知識の範囲を「史実」の単なる一部、単なる一側面、と考えています。

そして、歴史に関わるフィクション(ドラマでも小説でも漫画でも)を見る時に、いつも、それが「史実」かどうかが重要なのではなく、自分の知っている一側面の「史実」をどういう風に解釈しているか、それを知りたい、自分の解釈と比べてみたい、と考えるようにこころがけています。

 

 

これまで私は、幕末もののフィクションはあまり興味を持てずにきた、というのも正直なところです。

それというのも、幕末もののフィクションはどうも思想や出来事が強烈に先にきてしまい、そこを生きる人々の感情や日常があとからついてくる感じがしたので。

私が知る幕末の1次資料の「史実」の一部とは、例えばこういうことです。

 

私の知っている山口県出身者の人は、ひいひいじいさんが高杉晋作の作戦に従って従軍しています。

代々、家族の中で語り継がれてきたエピソードです。

その時、彼はまだたったの7歳くらい。

少年兵です。

嘘のように思いますか?

いえ、私はそうは思いません。

だって現在の世界で、そういった少年兵が戦う内乱の国はたくさんある。

ソマリアを見よ。シエラレオネを見よ。コンゴを見よ。

 

この日本国が幕末に体験した顛末は、現在を生きる私たちの時代となんらかわりないのです。

特別な時代、特別な時間ではない。

 

 

私は、「龍馬伝」制作のみなさまは、そういう真実をとても押さえていると感じるので、是非、その感覚を今後も維持して、がんばっていただきたいと応援してます。

 

 

期待してますから!!!

 

 

 

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2010年3月21日 (日)

コーヒーブレーク~お知らせといいましょうか、なんといいましょうか(笑)、「外事警察スペシャル~リミックス版~」(追記あり)

春の嵐でございます。

いや、昨日から凄いですね~。関東も範囲内に入ってまいりました。

その嵐の中、ちと、当ブログの「お勧めのお知らせ」なんかを…

 

 

昨年、NHK土曜ドラマ枠で放送された異色作(としか、言いようないよね!)の「外事警察」が、今週水曜日(3月24日)の夜22時から、NHK総合で「スペシャル・リミックス版」として新たに放送されます。

 

 

この「外事警察」ですが、当ブログを時々覗いてくださっているような方々は、たぶん濃い「ハゲタカ」ファンが大半だと思われますので、いまさら詳しく説明する必要はないと思うのですが、もしかしたら最近から当ブログを見てくださっておられる方々もおられるかと思いますので、ちょっと説明いれておきます。

 

チーフのプロデューサーが「ハゲタカ」(ドラマ版、映画版)の訓覇プロデューサー、そして演出陣のひとりが同じく「ハゲタカ」(ドラマ版)の演出陣のひとりの堀切園監督という感じで、「ハゲタカ」ファンには大注目ドラマでして、実際観ていて思わず唸る部分も多数…でしたです。

 

ついでいうと、同じく演出陣のひとり、吉村監督は私がかつてかなり好きだった大河ドラマ「北条時宗」の演出もされた方です。

そして、あの兄上の渡部篤郎さんが主演(=住本健司役)でした。

(渡部さんは「大化改新」の蘇我入鹿役もとても良かったです~!)

なので、私はちょっと別の意味でもにやにやしつつ観てしまいましたよ。

 

それからですね、「龍馬伝」以降、当ブログを覗きにきてくださる方々には、お勧めとして土佐藩の柴田備後(北見俊之さん)も出演しておられますよ~。(住本班の金沢役)

 

 

さて、この今回の「外事警察・リミックス版」は、もともと6回の放送(約350分ほど)だったものを約1時間半(約90分)の短縮版に再編集して放送されるのだとか…

いや、きっとたぶん、フツーの総集編なんかではないと思われ…

失礼ながら、こちらも身構えて待っておりますよ!期待とともにね!!

私は本放送の時には生でちゃんと追えなかったので、今回は是非、生で追ってみたいと思います!!

(追尾???(笑))



[追記]

観ましたよ~、「リミックス版」。

しかし、「ラスト」が!!

あれは、どういうことなんでしょうか?

時間がなかったってこと?そりゃ350分を90分に縮小するのはたいへんでしょうが。

 

それとも、何かの「意図」があって変えてあったの?

…そりゃもう、期待しちゃいますよね~!(笑)

 

とりあえず、明日発売の「外事警察」DVDを待ちましょう!

DVD販売サイトはこちら→「外事警察」DVD

 

 



 

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2010年3月 2日 (火)

「龍馬伝」の裏散歩道を歩く・その2~「攘夷」の裏に花一輪 

ブログ更新は当分先の予定だったんですがね、のこのこ出てきております。

やらねばならないこと山積みなんですけどね~。(←確定申告書類の作成をど~するつもりなんだ?オレさまは…(冷汗))

 

というのも、なんだか茨城県在住の知人から映画のちらしが廻ってきましてね。

映画「桜田門外ノ変」(東映・佐藤純彌監督)

現在まさに撮影中だそうで。

これって、言わずと知れた1860年のあの大事件。

今年の秋公開予定だとか…むむむ。

今年はなんだかとっても「幕末」なの?

 

原作(吉村昭)はもちろん私は未読なため、最初は伊井直弼が主人公かにゃ?と思ったんですが、違ってました。

襲撃した側の元・水戸藩士側、暗殺現場の指揮官だった関鉄之介が主人公なんですね。

主役は大沢たかおさんです。

それで瞬間、私の脳内には水戸藩士・関(大沢さん)と土佐藩士・武市(大森さん)が密談している光景が、どーしても、どーしても浮かんでしまって…

 

いや、違うから!!(大笑)

 

 

でも、気になって参りました。

そう、「龍馬伝」を語る上ではずせないキーワードのひとつの「攘夷」について…

 

 

 

「龍馬伝」においては、現時点での龍馬はどうしても「攘夷」はピンと来てない。

というか、まだ後回しに考えている。

もちろん黒船を見に行く前はそのへんの若い武士たちと同様に「世の中攘夷ぜよ~」とばかりにいっちょうまえにしていたけど、実際にその目で見て、「PTSDだな」って状態になって(←違っ!)「攘夷」の前にもっと知識仕入れたり、いろいろやれることあるんじゃないかな~、と全然別の視点を持つようになっている。

と、いうのはドラマで描写されたとおりですね。

 

 

一方、半平太の方は、これまたドラマで描写されておりますが、「攘夷」を旗頭に据えて自分の道場に集う土佐藩下士を団結させると同時に、彼らが感情的になるのを抑えておこうとしていると思われる。

もちろん「攘夷」の思想的中味も重要だと思っているし、それを信じてもいるのでしょうけど。

 

第1回で仲間を殺されて憤り立つ門下生たちに「耐えい!」と命じてますよね。そして、このままでは大変なことになる、と龍馬には自分の本音を語ってもいます。

半平太の立場としては、自分も差別される側の下士なんだけど、同時にその下でさらに差別される階層の者たちからは「上役」にあたるため(「白札」というのだそうで)、間に挟まれて大変苦しいことになっている。

つまり「中間管理職」なわけで、その自分が上と下に認めさせるためには、みなが一丸となって「攘夷」の意識をもつことが有効だと気がついてもいるでしょう。

 

 

だから、江戸から戻ってきた龍馬が武市道場にふらりと来て、気をそらすようなことを言うのははっきり言って「迷惑」なわけです。

龍馬ってば、天才かもしらんけど「KY」(←死語?(笑))っぽいので、空気読めないから道場で江戸話やら、黒船話やらするから、どんどん武市先生の態度が硬化するわけですよ。

どこか武市さんを物陰に連れ込んで、こっそりと話さないと聞いてくれませんってば!(笑)と私なんかは思うわけです。(これって、いわゆるツンデレ?(爆!))

 

特に、前回(第8回)に弥太郎父子を助けるために力を貸してくれと頼みにいくところは最低で、武市道場は弥太郎が偽手形で江戸に行こうとした時に(第3回)弥太郎父が何故か乗り込んできて暴れて、とても迷惑を被っているから「岩崎父子」は大鬼門なわけです。

武市道場の門下生たちの面前で弥太郎を助けるなどと、半平太が言うはずないのです。

むろん、龍馬はそんなことがあったことは全然知らないし、半平太の苦労は全然想像してみようともしてないので、半平太にすげなくされて困惑してますが。

 

 

今回(2月28日放送・第9回)、ようやく半平太とふたりだけで話すシーンになって、半平太がようやく少し心をひらいてくれて、龍馬を攘夷派各藩藩士の会合に誘ってくれます。

で、他藩の動向をさぐると、わりとどこも一丸となって動き始めたようなので、日本国全体の「権勢順」まで考えると、土佐を愛する気持ちの強い半平太としては、とてもとても焦ってくる。

つい見栄を張ってしどろもどろに嘘までいって、それをあとから恥じ入るはめになる。

 

それで、また龍馬には本音と弱音を吐いています。わしはお城にもあがれんきに~、と。

こんな状態で半平太は龍馬に「攘夷」のために協力してくれと懇願しているわけで、これは幼馴じみの龍馬なら自分の苦しい立場をわかってくれているのではないか、という期待がある。(やっぱりツンデレ?←をい!(笑))

 

しかし、龍馬にはわからない。

どーして、おまえはわからないんだ!!と半平太は叫ぶ。

 

 

龍馬としては、むかしの半平太のイメージがとてもくっきりと自分の中に残っているので、どうしても半平太が変貌して「攘夷」「攘夷」と叫び、仲間に切腹までさせようとするのか、納得がいかない。

だから「一輪の花をめでる気持ちがあるのに」という。

 

たしかにこれは龍馬のいうとおりで、よく観るとわかるのですが、切腹のために遺書を書くように告げる半平太の手がずっと山本琢磨の肩に添えられているんです。その手が半平太の万感の思いを表わしていて、とても痛ましい。

 

 

花を切って捨てる決意は、訣別の決意だったのか。

もう二度と半平太は龍馬に心をひらいてくれることはないのか…

 

 

 

…というようなことは、実はちゃんとドラマ上では「こっそり」描写されています。

でも、と~っても、「こっそり」です。

すごいストイックな描写なので、うっかりするとそのまま見過ごしてしまいがちです。

私は、たぶん脚本上、演出上の「意図」があってやってることだと思ってますが(期待!)。

 

 

「龍馬伝」の主要人物の龍馬、弥太郎、半平太は感情表現の描写のレベルが全然違うのですよね。

 

主人公・龍馬はとてもスタンダードで、誰にでもわかりやすくしかもとてもナチュラルに描かれていて、感情移入しやすい。

弥太郎は、ものすごく過剰なくらいの感情表現をしていてこれもわかりやすいのだけど、たぶん香川さん以外の人がやったら陳腐になってしまうようなあざとい演出。

そして、半平太はものすごーく抑えた描写で、よく観ていないと半平太という人物がわからなくなる。いったい何考えてるの~?と。

 

 

だから、気になってしかたない人は、複数回繰り返して観ることをお勧めしますよ!!

たぶん、観るたびに印象が違ってくる。

そして、あとでまた前の回を遡って見返すと、またまた印象が違ってくるはず。

しゃべっていないところが、重要なのです。

その人の表情や態度や、ちょっとしたしぐさがとても重要なのです。

画面の情報量がとてもとても多いので、1回観ただけでは観落としていたことが多いです。

それを是非、リピート観して、拾ってみてくださいな!!

…結局「ハゲタカ」の時といっしょだ…(藁)

 

 

 

実は、何故におせっかいにもこんな文章を書いているのかというと、鷲津ファンの方から「どういうことだ?!」(←それ鷲津さんのセリフだよ(笑))と質問を受けたわけです、ワタクシ。

どういう風に解釈したらいいんでしょう?という感じで困惑して。

みんなやっぱり武市先生の動向が心配でしかたないんですね。いや、ワタクシとおんなじですね(笑)

なので、掟破りかも~と思いながら、放送中なのにちょっと自分なり~の「ドラマ分析」をしてみました。

(いつもならば、ドラマの全回が終わってからするんですが。1年間は長いしね)

 

 

 

さて、話戻りまして、「攘夷」ですが。

 

今回放送(第9回)他藩の攘夷論者が出てまいりましたね。

「長州」「薩摩」「水戸」そして「土佐」

実は、この時点では同じ「攘夷」と言っていても、それぞれの動機は違っていたりします。

 

長州は、もうこれは関ヶ原まで遡っちゃう「遺恨」ですね。

外様の大大名として徳川家にとっては脅威だったから、幕府からなにくれとなくイチャモンつけられて、どんどん領地を削られて課税され、怒り心頭のまま、250年…(凄すぎ…)

私が山口出身の人から聞いた話では、お殿様(毛利家)は毎朝家臣に「徳川幕府は倒れたか?」「いまだ幕府は倒れず…無念でござります…」と会話を交わしていたとか…(モンティパイソンみたいですが)

 

薩摩は南の果ての藩らしく、海洋沖に出没する欧米の船が脅威と感じられていたこと、そして琉球(沖縄)まで欧米列強の手が迫ってきたことが大きかった。

それに藩主の島津家は姻戚として将軍家への発言力をつけ(11代将軍の家斉正室以来)江戸幕府を実際に運営していた老中たち(主に譜代大名から出ていた。まあ、江戸時代の官僚、江戸時代の霞が関・事務次官たちと思っていただければ(笑))と対立の勢力を拮抗させていき、いずれもっと発言権を拡張しようと狙っていた、というのもあります。

 

冷静にみると家斉の時代あたりから老中体制の腐敗政治がはびこり始め、1830年代はそれに対する反乱が各地でおこったりして(有名な大塩平八郎の乱もこのころです)徐々に「幕藩体制」が揺らいでおり、これをなんとかしないと!というのも大きかったでしょう。

 

この点をたぶん一番苛立っていたのが水戸藩で、将軍の補佐職を出すという役目を負った水戸徳川家は、直接将軍後継を出さないと決められていたのに、その障害を取り除いて水戸徳川家出身の慶喜を将軍後継にしようと工作したり、積極策に出るも老中や大奥の守旧派に阻まれて大苦戦しています。

 

これら少しずつ事情が違う各藩でしたが、藩主と藩士がわりと一体化して「攘夷」に向かい始めていたわけです。

 

 

ところが土佐は違っていた、というのはドラマにも少しずつ描かれてきてますね。

(きっと来週あたりから、もっと状況が描写されると思いますが)

だから各藩の藩士の話を聞いて、ますます半平太は追いつめられた気持ちになって、おのれの無力に忸怩たる思いだったと思います。

 

そして、なんとかしないと!と思いつめていくのですよね、武市先生は…(涙)

でも、いまはまだ呑気な状態の龍馬は、そんなことなど思いも及ばない…

(でも、いずれちゃんとわかるよね、龍馬!と期待してますが)

 

 

 

このブログは「龍馬伝」の裏道をご紹介してるわけですので、ついでに書いておきますとこの当時はどんな世界情勢だったかというと、1856年中国の広州でアロー号事件がおこります。

 

かつて1840年アヘン戦争で敗北した清朝は、イギリスにアヘンの輸出も公認させられ、5つの港も開港させられています。

さらにイギリスはより中国大陸に食い込むことを狙って、このアロー号事件を口実に開戦に踏み切ります。

それにフランスものって、共同で出兵して第二次アヘン戦争(アロー戦争)がおこります。

ところが、この戦争は一旦イギリス・フランス連合軍が勝ったかにみえたものの、清朝におしかえされたりして、思いのほか戦争が長引いていきます。(18561860年)

 

そこで、欧米はこの戦争の物資調達の場所として、がぜん隣国の日本に注目するようになる。軍馬、馬のための飼料、そして馬具まで日本で調達しようとする。

 

折から、幕府は日米修好通商条約(1858年)を結ぶことをアメリカに押し切られたばかりで、イギリスとも同様な条約をむすんでおり、イギリスはさっそく幕府に馬の買い付けを頼んできたり、横浜周辺の飼料が買い占められて価格相場が高騰したりしています。

 

この時、なにも事情のわかっていなかった幕府はアメリカ公使のハリスから、「それ戦争物資ですぜ。あんたらいつの間にか清朝との戦争に巻き込まれてますぜ」というようなことを忠告されて、大慌てで取引を縮小した、という経緯があったりします。

 

 

 

このあたりのことは非常に面白いのですが、もしも興味をお持ちのかたには「大名屋敷の謎」(安藤優一郎・集英社新書)を読むことをお勧めします!

この本の「第4章」あたりを読んでみてくださいね。

いかに「開国」によって、幕末が揺すぶられていくか、とてもよくわかります。

とにかく、大きな、大きな「社会変動期」であったことは、間違いないです。

 

 

 

その荒波の中で、おこる「安政の大獄」(185859年)そしてその報復の「桜田門外の変」(1860年)です。

(あ~、やっと最初の文章につながった~(冷汗))

 

 

今後の「龍馬伝」の展開を、史実的にもドラマ的にも、とてもとても楽しみにしております!!

 

 

 

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2010年2月18日 (木)

「龍馬伝」の裏散歩道を歩く・その1~「英雄伝説」とふたつの国のふたつの運命

こんにちは、いかがお過ごしですか?

割と早い更新ができる~!、と喜んでおりましたんですが…でもすでにして前記事から1カ月も経ってますね~。(冷汗)

…いや、でもワタクシにしたら早いですが。これでも!

ああ、今年も極めて不定期な更新状況になりそうです(嘆)

そんなですが、時々覗いてやっていただけると幸いです。

 

 

さて、イロイロやりたいこと、やらねばならないことが山積みですが、でも「ハゲタカ」ファンならはずせないよね~ということで、ワタクシも当然観ておりますよ。

そう、今年のNHKの大河ドラマ「龍馬伝」

 

ドラマのミーハーな感想は、毎回or1回おきくらいにとりあえず掲示板の方にメモ書きなぐったりしてますが、ある程度まとまって書きたいことがでてきたら、こちらのブログにも書こうかと思ってます。

それで、今日はとりあえず、その1ということで(笑)

 

 

 

最初に白状しておきますけど、ワタクシはこれまで「幕末」に関してはたいして興味なくきてしまったので、当然シロートです。

(↑それでいいのか、日本史教師の孫。いや「家業」だから、かえってこんなもんになりがちで。ごめんなさいね(苦笑))

「幕末」って言うと、たぶんとっても思い入れ強く知識満載な方々が結構いらっしゃるだろうと思われます。

なので、そういう方々に対して、前もって謝っておきたいかと。(汗)

 

当ブログはスタンダードとは全然違った切り口で「龍馬」とか、「幕末」とかについて書くことになるかと思われます。

いろいろと、「それ違うから!」というのもあるかと思いますけど、そのへんはどうぞお手柔らかに。

こんなんもありか~、という感じで読み流してくださるとありがたいです。

 

 

 

まあ、ワタクシもともと「日本史」よりか、外国の歴史の方がなんだかアタマに入っているものが多くてね。

まことに「それでも日本人か!」と武市先生あたりに叱られてしまいそうなんですが、そんな私から見ると龍馬とその周辺は、ポール・リビアと自由の息子たちみたいな感じです。

あー、誰それ?でしょうか?(汗)

 

ポール・リビア。

この人は「アメリカ独立戦争」の史実に沿った「伝説」のひとり、とでもいえばいいのか。

ようするにアメリカ人ならたいてい知ってるお人です。

 

 

ざっと書きますと、アメリカ独立戦争には、大陸会議(13植民地代表会議)とジョージ・ワシントン将軍率いる大陸軍(独立軍)の正規軍の他に、一般の市民が形成するネットワーク(民兵団)があったのですが、これが諜報活動、指令伝令活動、暴動破壊活動、といったかたちで、独立戦争勃発前の抵抗運動から始まり、正規軍が徐々に形成され、やがて本格的戦闘への参加に至るまで、ありとあらゆる活動をする秘密組織として存在していたのです。

 

それはボストンから始まり、やがて全13植民地全体に広がっていきます。

そう、教科書でならったことあるかと思いますが、サミュエル・アダムスが率いる「ボストン茶会事件」

それをおこしたのが、彼ら自由の息子たちです。

そして、燃え盛る炎の中心地、ボストンで、自由の息子たちの中心メンバーのひとりとして活躍したのがポール・リビアなのです。

 

彼は独立戦争が始まるきっかけとなった「レキシントン・コンコードの戦い」(1775年)が始まる前夜、イギリス軍の動きを伝えるために真夜中に伝令として命がけで走り回った、とされています。

また、彼は、職業軍人でも政治家でもなく、銀職人として、また戦後には金属加工業の起業家として成功し、国家的大企業の創業者にもなります。

こんなところも、起業家であろうとした龍馬とかぶるのかもしれません。

 

 

そして、私のイメージでは、自由の息子たちと土佐勤皇党はそのスタートは、かなり近い。

差別され、抑えつけられ、搾取された人たちが、自分の権利を求めて立ち上がる。

怒りゆえに。

黒船がやってきて「開国」を迫られたから「攘夷」を唱えた、というのはあくまできっかけにすぎない。

ちょうど「紅茶の関税を押しつけられた」のが、あくまできっかけにすぎなかったのと同じ。

 

もちろん、「尊王」という看板をかけているところは違っていますが、この当時(江戸時代)の日本の実行支配は徳川将軍家なわけですから、天皇を上にいただくというのは、西欧でいうところの「王党派」とはちょっと違っていて、もっと現在の象徴天皇に近かったんではないかと思うわけです。

そして、「天皇のもとに以下は平等(つまり将軍家も武士も民百姓もない。みな平等)」と謳った土佐勤皇党は、まあ言ってみれば、日本的民主主義の祖で、日本的右翼と左翼の両方の祖であるといえる。

 

自由と平等の権利を希求しないではいられない、抑圧された人々のパワーというやつが噴出した、という点がとても近いと感じるのです。

 

 

 

まあ、かようなことを前提に考えながら、見始めた今回の大河ドラマ「龍馬伝」ですが。

いまのところ、かなり、かなりイメージに近い出来で、非常に納得しております。

龍馬はまだポール・リビアではないですがね。それはこれからのお楽しみ!

 

そして「大友監督~、エキセントリック過ぎますよ~、武市先生が!!」(笑)

ワタクシあたりは「ハゲタカ」で見慣れてますけどね。

あのドラマ冒頭で水に浮かぶ鷲津さん(死体なのか!?)と浮かぶ万札だけ拾い上げて掴んで買い物に走る子どもたちの描写と同じ、ですね。

「毒」いっぱいです。

 

今回も大森さんは毒いっぱいのお役目で…(監督から相当に信頼されてますね~、でも観ていて胃が痛くなりそうです、ワタクシ、(藁))

初めて大友組の作品に触れられる方々には、どーしてなの武市先生?!、とショックを受けられるかも。

もちろん「このままではない」と、私なんかは思ってますが。

どうなっていくのか、ものすご~く楽しみです!!

 

 

 

で、今後のワタクシ的見どころとして、今から注目している点を書いてみようかと思います。

 

実はアメリカにおいても、ポール・リビアの存在というのは独立してからしばらくは忘れ去られていました。

それが「伝説」として蘇るのは、H・W・ロングフェローという詩人が「ポール・リビアの騎行」という詩をつくって、これが広く親しまれたからです。

龍馬が坂崎紫瀾の手によって小説人物として蘇ったのといっしょです。

そう、「伝説の英雄」となったわけです。

その、ロングフェローの詩が書かれたのが、1861年です。

 

 

この、1861年というのは、実はとても重要な年になります。

何故なら、アメリカの南北戦争が始まった年だから。

 

みなさまもご存知のように、南北戦争はいわゆる「奴隷制度」の存廃をめぐって北部と南部が戦うことになったのですが、その背景には近代化・工業化を進めたい(そのためには労働力として奴隷が解放されて都市労働者となってほしい)北部と、植民地時代から続くプランテーション農業の維持と農業国としての既得権益を守りたい(そのためには奴隷制の継続が有利)南部の、いってみれば「今後の国のかたち」をめぐる戦いだったことがあります。

結果、北部が勝利してアメリカ合衆国は近代的工業国家として、まい進し始めるわけです。そして、やがては世界経済体制の出現と拡大にともなって、その支配権を握る盟主の座をイギリスから奪取するに至ります。

だからこの1861年に、自由と平等の権利を求めた「建国の精神」を思い起こさせるポール・リビアの詩がつくられ、人々を席巻したのも、全然偶然ではないと思われます。

 

しかしまた、みなさまもご存知のように、南北戦争はアメリカ合衆国が北軍、南軍に分かれて戦った悲惨な「内戦」です。

最終的に決着がつく1865年までのあいだに、正規軍、民間ともに合わせて死者60万人超ともいわれ、アメリカ合衆国史上でもっとも国内犠牲者を出した戦闘になり、その後たくさんの戦争を戦ったアメリカも、これほどの犠牲を出した戦闘はかつてありません。

この悲惨な戦争の経験が、その後も大きくアメリカの社会構造全般に影を落とします。

 

 

この戦争がなければ、いろいろな点で世界も違ったものになっただろうことはもちろん想像に難くない。

1860年代の世界におけるアメリカ合衆国の不在、それはのちになってとても大きなものとなる。

その影響は特に、遠く海を隔てて、この日本国にもおよぶ。

 

 

1861年は、武市半平太による土佐勤皇党の結成の年でもあります。

もちろん「幕末」通のみなさまはとうにご存知でしょうが、龍馬も加盟していて、1861年の間は武市の盟約者として活躍しています。

だが、翌年には袂を分かっているわけです。

そのへんの経過を、どうドラマ上で描かれるのか、いまから楽しみではあります。

 

土佐勤皇党と武市半平太は結成の理由に忠実であり、あくまで「土佐」にこだわったと言われています。

また、「開国派」「公武合体派」などの当面の政敵との政争があまりに過度にゆきすぎて、ついには敵対者への暗殺集団と化していき、最終的にはそれを理由として次々と捕縛され、ついには武市の切腹で終焉を迎えたといわれています。

 

言ってみれば、武市と土佐勤皇党は、当初「攘夷」のターゲットと想定した「敵」=外国勢力とは、ついに本当に直面することなく、その前の段階で国内の「敵」との政争に敗れたということになります。

その血なまぐさい変遷は、あまりに悲劇的です。

スタートがとても似ていたのに、ポール・リビアと自由の息子たちが得た尊敬や崇拝とは、大きく異なってしまっている。

 

 

 

よく歴史に「たら」「れば」はない、といわれます。

もし○○でなかったなら、こういう展開はなかっただろうに…、というやつです。

そういう仮定の歴史を語ってもしょうがない、ということです。

でも、思わずにはいられない。

もし南北戦争がなければ、と。

 

当時、イギリスとフランスという選択肢しかもたなかった日本に、アメリカという選択肢があったならば。

アメリカの建国の精神、自由の息子たちやポール・リビアが牽引した独立戦争の魂が、日本までたどり着いて、土佐勤皇党と直接対峙するところまでいっていたならば。

「敵」と思っていたものが、実は自分たちととても近いと見いだした武市はどうしたのだろうか、と。

そして、龍馬はなにができたのだろうか、と。

日本にとって、明治維新が全然違ったかたちになっていた可能性は高く、明治以降の歴史も大きく違ったものになっていただろう、と。

 

また、アメリカ合衆国にしても。

あまりにも悲惨な内戦を経験したことで、国内対決を回避するためには国外に「敵」を求める方にシフトしてしまい、以降、世界規模の植民地獲得のための戦闘から始まって、各種戦争への介入に自ら飛び込んでゆくことになる。

それはずっと、第一次、第二次大戦、東西冷戦、そして21世紀のテロとの戦いにいたるまで休むことなく続き、現在アメリカを経済的にも社会的にも大きく苦しめ蝕んでいるもととなっている。

もし南北戦争がなかったならば、この苦しみの歴史は大きく変わっていたかもしれない…と。

 

 

 

そういう、ありえなかった歴史、ありえなかったもうひとつの未来、ふたつの国のふたつの運命を頭に描きながら、私はこの1年間「龍馬伝」を楽しみたいと思っています。

 

もちろん、目の前の現実から逃避するということではなしに。

私たちが過去に喪ってしまったもうひとつの歴史を、今度こそ喪わないために。

 



(追記:註
南北戦争中のアメリカ合衆国籍船と日本との衝突には有名な「下関戦争」(1863年、1864年)なんかがあります。
この当時は、正式な艦隊(東インド艦隊→のちのアジア艦隊)を布陣する余裕のない合衆国政府でしたが、南軍の船の追跡のために日本に派遣されていた者たちがおり、その船が1隻ずつ、対長州攻撃の連合軍船団に加わっています。
「龍馬伝」は高杉晋作が出てきますし、このへんの話も描かれるかも。
この事件のあとイギリス(大英帝国)は長州や薩摩と急接近していき、これが大きく日本の勢力図を塗り替えることになりますが、この時にもし合衆国が大規模な艦隊を東アジア方面に布陣できる余裕があったらどうなっていたのか…。興味深いことです。)


 


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2010年1月19日 (火)

映画「ハゲタカ」DVD発売記念~nyan-chan2222の役に立たない生物学教室

ここ数日、新年そうそう、ハイチのもの凄い光景が伝わってきてます。

良くも悪くも世界は繋がっていて、もう「知らなかった」ではすまされないのを実感。

…ああ、今年も猛烈な1年が始まる…

ハイチから遠く離れた日本ではあるけれど、世界でも下から10本の指に入る「最貧国」で大災害がおこったらどうなるのか、もっともっと大きく報道するべきです。

 

そして、いつものように郵便局での振り込みにいったのですが、どこにも張り出しがない…スマトラ沖地震の時はちゃんと張ってあったのに(←赤十字とかユニセフとかの義捐金の振り込み先の案内のこと)

今回は巻き込まれて被災した日本人の話があまり聞こえないから?

あるいは災害に対して鈍感になってしまっているのか?

日本のような地震大国にいて、明日は我が身だよね?

 

偽善者じみている、とか葛藤している場合ではない!と自戒。

考えているだけでは意味ないので、とりあえず自分のブログには書いておきます。

ハイチは絶望的な状況です。

地震そのもの以上に、もともとの貧困からくる感染症や食糧医療品の物資不足のせいで「二次災害」が大きく懸念され、「これから」こそが大問題なのです。

たとえ自分が無力でも何もしないよりはまし、と思うなら、赤十字でもユニセフでも国境なき医師団でも、どこでもいいから実際に動いてくれる団体の活動に支援を!

塵も積もれば山!なんですから。

 

 

 

冒頭からいきなり、えらそうに失礼いたしました。

すみません!!(汗)

さて、と、とりあえずっ…!

 

あけまして、おめでとうございます!!

遅まき~で、当ブログを時々覗いてみてくださっている方々、すみません~~(←本当に、本当に遅いよ!(冷汗))

もっと早いとこブログ更新したかったのですが。

(こんな風に長期更新休止している時は、「nyan-chan2222の文章事始掲示板」にちょこっとメモしておこうか~、と考えて試行錯誤中です)

 

 

で、本題。

 

ついに、ついに!!出ましたね!映画「ハゲタカ」DVDがっ!!

ワタクシは例によって発売当日に渋谷まで買い付けに出かけるという「恒例行事」をやってゲット!でした。

NHKさんを横目に見ながらです(笑)(「龍馬伝」の見学したいわ~♪)

 

DVDの内容に関しては、「紳士協定」つうことで…まだ詳細は書きません。

が、入手して良かった!です。

長年(?)の疑問だった「謎」が解けたり、映画を何度観ても「???」だったことが少しだけわかったり、さらにさらに謎めいてきたり…

とにかく、買って損ない1品だと思いますので、購入を迷ってらっしゃる方には、ドラマ版DVD同様、とってもお勧めいたします!!!

 

 

まあ、そんなわけで。

映画「ハゲタカ」DVD発売記念、ということで、前々から準備していたことを書いてみようかな、と思います。

なお、以下の文章は映画の内容について完全にネタばれです!

なので、映画版「ハゲタカ」未見の方は、まずご覧になっていただくことをお勧めいたします。

 

 

 

何度めだったか、劇場に足を運んで映画版を観に行った時のこと。

同行した理系専攻出身の人が言い出したのです。

「ああ、これはウォレスだね~」

「ああ?ウォレスっていうと…あの人??」

「うん。「ウォレス線」のあの人」

そうか!とびっくりする私。

アルフレッド・ラッセル・ウォレス…

ウェールズ出身の博物学者にして生物学者。

「ダーウィンに消された男」…

 

 

10年以上前だったと思うけれど、アーノルド・C・ブラックマン著の「ダーウィンに消された男」という本が当時話題の本だったな、という記憶があります。

かつて朝日新聞社から出ていた翻訳単行本を、のちに新書(朝日選書)で発売したものが話題になっていたもの。

私は未読なのですが、書評とかみた記憶では、

「ダーウィンが発表した「進化論」は、実はその発表以前に発見していた学者がいて、彼に単独発表をさせずに、ダーウィンは「進化論」の提唱者という名声を独占してしまった」

と、センセーションに告発していた本だったかと思います。

でも、この「進化論盗用説」というのは、異論・反対を唱える専門家も多く、どうも「進化論」発表時の状況をどう解釈するか、という違いのようでもあります。

 

 

「ハゲタカ」とウォレスを結びつけて観ていた、と同行者から指摘されて、改めてウォレスの足跡を調べ直してみました。


アルフレッド・ラッセル・ウォレスは1823年生まれ、ダーウィンよりも14歳年下。

生物学の専門教育をうけたことはないけれど、見習工として仕事をしながら独学で勉強し、

25歳の時、南米から始まりやがては東南アジアへといたる長期間の調査旅行に出かけます(1848年)

ダーウィンの「ビーグル号航海記」などに憧れて触発された旅立ちだった、といいます。

 

ウォレスは旅先では昆虫や動物の標本採集をして、それをイギリスに送って金銭を稼ぐかたわら、論文や本を執筆し、多数の博物学者と親交をもちます。

そのうちの一人がダーウィンであり、ふたりはしばしば文通をかわし、ダーウィンはこの年若い友人の送ってくる調査資料を自分の論説の賛同、補強として歓迎していたようです。

 

当時のダーウィンは、「ビーグル号航海記」の執筆者として、すでに有名な博物学者でした。

この本はダーウィンが30歳だった時に上梓され(1839年)36歳時に第2版が出ています(1845年)

ダーウィンが22歳から27歳にかけて軍の測量船に同行して行った調査旅行をもとにしたのがこの「航海記」でした。

まったく個人の力で独学して、生活費も稼ぎながらのウォレスの調査旅行とは対照的に、ダーウィンの調査旅行は「官製旅行」だったと書いている人もいて、実に興味深いと思いました。

エリートのダーウィンの足跡を追いかけるようにしてウォレスは調査旅行を行い、やがて独自の学説へと到達し、これをまとめた小論文を滞在中の東南アジアから尊敬するダーウィンのもとに送ります。(1958年)

 

その学説は、ダーウィンがかねてより考えて温めていた未発表の「進化論」と酷似していたため、ダーウィンは自説の補強になると考えて感激し、友人の学者たちの賛同を得て、同年、学会で過去の自分の小論文とまとめて「共同執筆」の論文として発表されます。

これがいわゆる「進化論」が世に出る始まりだった、というわけです。

 

まあ、こうした過程を「盗用」と考えるかどうかは、なんともいえないのですが、当人であるウォレスは、すでに高名な学者であったダーウィンが「連名・共同執筆」にしてくれたことで、この学説が正当に世に出たことをとても喜んでいたようです。

そして、「進化論」の詳細な内容では、ふたりは全然違った意見も持っていたようで、お互いを刺激しあう存在として、論戦も戦わせて、お互いを大切に考えあってもいたようです。

大事な「ライバル」といったところでしょうか。


こんな風にウォレスという人物をまとめてみると、いちいち指摘するまでもなく、これって一華のことよね~!!(ついでにウォレスみたいに90歳まで長生きして欲しかったよ!(涙))

 

 

いろいろ調べているうちに、とても感銘を受けたのは、

「科学的事実をめぐって、重要なのは「誰が最初にそれを言ったか」ではなく、「何が明らかになったのか」ということである。(大垣俊一氏)」

という一文に行き当たったことでした。

そうか重要なのは、誰が言い出したかではないのだ。

ならば「ハゲタカ」ワールドに当てはめて言えば、

「誰がアカマ自動車を建て直すかが重要なのではない。「アカマを再建する」というそのこと自体が、その方法こそが重要なのだ」

ということでしょうか。

そのことに最終的に気がついたからこそ、一華は鷲津さんにあの再建計画を送ったのだ。(注;「再建計画書」の冒頭にダーウィンの文の引用があります)

そしてだからこそ、鷲津さんもまた、さらにあれを芝野さんに託したのだ…と。

これって、「ハゲタカ」がずっと投げかけてきた「会社は誰のものか?」という「大きなテーマ」の延長線上ですよね?

 

 

そして、もうひとつ気がついたことが。

 

私は昨夏、何回も何回も映画に通ったのですが、最初は鷲津さんが「鷲津ファンド」として今後もアカマ再建に関わっていくのかな、と思っていたのです。

 

が、どうもそうではない、と思えてきて。

もうアカマからは完全に手を引いて芝野さんにあとを託す、ということなのかな、と。

 

実はラスト近くにアカマのロビーで芝野さんと会っていたシーンについて、私の周囲では、

「なんでアカマの最大株主があんなロビーくんだりで待ってんだ?応接室で会わないのは不自然なのでは?」

と「???」となっていたんですが、鷲津ファンドが持っていたアカマ株ももうすでにMGS銀行なりがひきとっていて(訂正:銀行は事業会社の株式保有を直接5%以上持っちゃいけないそうなんで、たぶんアイアン・オックス(懐かし~(笑))とかの傘下のファンドが間に入って持つ形になる)、鷲津ファンドは完全に手をひいた後だったのかな?と思えてきています。

だから応接室で待つことは固辞して、ロビーなんかで会ってたのかな?と。

 

そうなると、鷲津さんは、芝野さんに「別れ」の挨拶にきていたのではないか?

と思えてしまって、さらに胸が締め付けられるような気分にもなってしまいました。

 

これから鷲津さんと芝野さんの道は、再び分かれていくのだ。

芝野さんもそのことをわかっているのだ。

だから言ったのだ。

「おまえらしい」と。

 

 

 

今後の鷲津さんの進む道は…

 


前にも書きましたが、またまた書きますがっ!(笑)

是非、「続編」を観たいです。

いや、なにがあっても鷲津さんについていきますから!!!(泣き笑い)

DVD観て、さらにそう思ってますよ。ホントに。心底。(←しつこいよ!(苦笑))

 

 

いつか、その日が来ることを信じて!!

この文章を締めたいと思います。

 

 

 

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2009年12月31日 (木)

NHK土曜ドラマ「外事警察」

sumimoto」と初めて入力して変換した時、偶然、「鷲見本」と変換した。

おや、ここにも「鷲」が出てくるのだ、と驚く。

その少し前。

一足先にこのドラマを観ていた人から、ドラマの第一印象をきいていた。

いわく、「この主人公は鷲津政彦のネガなのか」と。

 

 

さて、そのドラマ「外事警察」

 

NHKの制作発表記事をみた時、実は「これは観ないな」と思っていた。

何故なら、私は「警察もの」や「刑事もの」が苦手だから。

いくつかの例外を除いて、自分から積極的にこのジャンルのドラマを観ようとすることはまずない。

(例外がイギリスのグラナダTVの制作「第一容疑者シリーズ」と、アメリカのNBCネットワーク制作「ホミサイド殺人捜査課」だった、と書くと「なるほどね!」と言われそうだが。(苦笑))

 

では一度は「観ない」と決めたドラマを、何故「観よう」と思い直したのか。

たしか文化通信の編集部ブログだったと思うけど、偶然読んで、このドラマのプロデューサーが「ハゲタカ」の訓覇プロデューサーだと知ったので。

(もしかすると、こういう動機の視聴者はかなり多かったのでは?と思うけど(笑))

 

 

ところが。

今年の秋は実にバタバタしてしまって、「ドラマを観る余裕なんか全然ない!」になってしまった。

なので、結局観ることができないでいた。

 

それをあとから、まとめて観る機会を得た。

録画を入手できたおかげで。

ただ、録画でまとめて、となると、ちゃんと毎週観ていたら持ったかもしれない感想とは、違った感想になってしまったと認めざるをえない。

 

「ハゲタカ」の時のように毎週追いかけて観れたなら、プロットの秀逸さや伏線の張り方の見事さに舌をまいたかも、と思う。

また、凝った画面の作りや緊迫して刃の上を渡り歩くような演出(これまたドラマ版「ハゲタカ」の演出陣のひとりの堀切園監督が参加)のすごさを堪能できたかも、と思う。

しかし、まとめて観たせいでそういうワクワクしながら次週を待つ感じを遂に味わうことができずに観ることとなり…

 

 

その代わりずっと引っかかりながら、観ているはめになってしまった。

「何故、このドラマの制作者の方々は、今、「国際的テロ」というストーリーをもってこようとしたのか?」と。

 

 

「国際的テロ」というテーマは深淵である、と私は思っている。

テロは、やる側にも、やられる側にも、それ相応の経緯(歴史ともいえる)を背負い込んだ深い真実の上におこる、痛ましい暴力と破壊だから。

フィクションとして取り上げるにしても、それ相応の覚悟を持って取り上げられるべきであるのだ。

例えば、先回紹介した「ステート・ウィズイン」は、イラク戦争報道をめぐって、時のブレア政権と全面対決をしたBBCの意地と気迫のもとに成り立っている。

たとえフィクションであっても。

何故あの作品を作らずにおられなかったのか、イギリスならばよくわかる。

当事者として、イラク戦争に突っ込んでいってしまった過去を悔いる歯噛みするような思い。

そして、真実を追求する手を二度と緩めないという決意。

 

 

では、「外事警察」の場合はどうなのか?

そこはやはり「ハゲタカ」のスタッフなのだから、と過剰な期待をかけてしまう。

制作者の方々には申し訳ないが、つい、「ステート・ウィズイン」と比較しながら、観ている自分がいる。

 

日本の場合は、国内発のテロでなく、「国際的テロ」となると赤軍派などの過去の事件しかない。

同時多発テロにしても、イラク戦争にしても、あくまでも傍観者にすぎない。

少なくともこれまでは。

その傍観者が、どういうわけか「当事者」になりたがっている。

「国際貢献」という名のもとに、もちろん国際的責任はあるだろうけれど、その一線を越えて、いつの間にか当事者にすり替わってしまうかもしれない危うい未来を予感…

日本人が「国際的テロ」をドラマのストーリーに選ぶこと自体が、不吉な未来とだぶるのだ。

 

そこまで考えた時、ようやく気がつく。

そうか、このドラマは実は「国際的テロ」が真のテーマなのではない。

むしろこの国のありようの方が、そのテーマなのだ。

 

一見、平和で安定しているかのような日本という社会。

しかし、20年近く出口の見えない経済的・社会的衰退の渦中におり、しかも未来は少子高齢化のためによりいっそう傾いていくと予想される。

静かに、緩慢な「死」に向かって、滑り落ちてゆくような社会。

その覆い隠された真実に気がつく者たちは、不幸だ。(例えば下村愛子のように)

「平和」や「安定」の夢を見続けられないから。

「いっそテロがおこればいいのだ」という言葉は、衝撃的に響く。

そのみせかけの「平和」や「安定」を突き崩してしまうので。

 

 

つまり、このドラマの舞台は、映画版「ハゲタカ」で示された日本のもうひとつのかたちなのだ。

しばらく前、「ハゲタカ」主演の大森さんのインタヴューがのった書籍をよそからいただいた。

そのインタヴューで大森さんが鷲津のことを「資本主義が生んだ怪物」と表現しているのを読んで、その役柄の解釈の秀逸さに感嘆したものだった。

今回、「外事警察」を観ていて、主人公の住本を表現して「公安の生んだ魔物」というセリフが出てきたのでびっくりする。

ならば、住本は、もうひとつの日本に棲む、もうひとりの鷲津だ、ということか。

私のところへ感想を送ってくれた方の言葉を借りるならば「鷲津のネガ」

あるいはネガが鷲津でポジが住本の可能性だってあるのだけれど…

 

 

「果たして住本は誰の「協力者」だったのか?」

全6話を全て観終わって、私が抱いた感想。

いや、協力者ではなくて運営者でしょう、と指摘されそうだが、私には、住本の生きた人生が誰かから与えられたもののように思えてしかたなかった。

仕事をみつけてやり、結婚させ、家族を作らせ、ありとあらゆる相談にのってやり…協力者の運営についての説明は、かつて中学生くらいで父親も母親も喪ってしまった住本自身の過去の体験だったのではないか。

だからこそまるで自分の分身のように、協力者に接することができたのではないか。

彼が信じたのは、彼自身の「協力者」と「運営者」、常識を超えた深い他者との繋がり。

警察を辞職して本当なら全てから解放されたはずなのに、全然嬉しそうではなかった彼。

そして、妻が戻ってきたことがそのまま、再び「裏の裏へ送り込まれた」ことへと繋がるのだとしたのなら。

いったい誰の「協力者」として?

 

 

だが、しかし。

それは息詰まるような凄まじい「管理社会」だ。

鷲津の生きる過剰ともいえる「資本主義の競争社会」とは、対極。

そして、私たちはそのどちらも「日本」という国の、「現代」という時間の、まがうことなき双方の面なのだと知ってもいる。

 

なので、観終わってから、またしても映画「ハゲタカ」を観終わった時と同じ、強烈な感慨に捕らわれることとなった。

なんとかならないのか。

この膠着した状況を突き抜けるブレーク・スルーは、どこかにないものなのか。

このままで終わっちゃいけない、と痛切に思う。

 

 

死ぬなよ、住本。

少なくとも死ぬことだけしか、この「管理社会」から脱出する方法がない、とは思いたくない。

なので、もう少しこの男に騙されていたくなる。

こいつは、まだ死んじゃいない。

そして、まだまだ反撃の時を狙っている、と。

 

 

制作者のみなさま、そして、NHKさん(ついでにエンプラさん)無理を承知で。

続編作ってくださいな。

もう、「ハゲタカ」なのか「外事警察」なのか、あるいはまた別の姿をしているのか、わからんですが。

姿かたちが違っていても、観る人が観ればわかるはず。

その日を待っていようと思います。

 

そう、じっと、信じて。

 

 

 

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2009年11月10日 (火)

コーヒーブレーク~20年~「ステート・ウィズイン」

「いいものを見せてあげよう」

そう言って、その人はにやりと笑った。

 

なので、好奇心満々のおこちゃまなワタクシはノコノコとついて行って、目の前の差し出された新聞紙に包まれた「ブツ」に「???」の連発。

しかもその新聞紙をくるくると広げてみると、そこからゴロンとでてきたのは、みすぼらしいコンクリートブロックの欠片なので、ますます事態が呑み込めない。

「何だと思う?」

「さあ??」

「ベルリンの壁」

しばらく前、ヨーロッパでの仕事に出かけて戻ってきたばかりのその人は、またにやりと笑ったのだ…

 

 

 

お久しぶりです!

いや~、いつものことですが、またまたブログの更新が長いこと止まっていて、その間、時々見に訪れてくださったみなさま、ごめんなさい&どうもありがとうございます!

自分的に仕事がバタバタしてきてるってのもあるんですが、まあ、映画「ハゲタカ」DVDが出るまでの間、何を書いても自分の願望やら記憶の捏造(笑)やらになってしまいそうなので、ここはひとつ例によって「長期更新休み」にしようと思っておりまして。

でも、あんまりなので、ちょっとだけ浮上してまいりましたです。

このあと、またしばらく「地下に潜る予定」(大笑)

 

 

冒頭の文章は、今から20年前の11月末のある日。

私は驚いて、その「歴史的悪名高き建造物」のなれの果てのコンクリートの欠片を、マジマジとみつめたものです。

今日、CNNや海外発のニュース番組で、「ベルリンの壁崩壊20周年記念式典」の華々しい映像を見ながら、その時の映像がフラッシュバックして戻ってきていました。

 

20年…

長く、そして、あっという間。

矛盾だらけの20年が過ぎてしまったのですね…

 

東西冷戦が本当はどんなものであったのか、日本という島国でのほほんと暮らしていた私には全然ピンと来てなかった。

ましてや、日本は当時、浮かれモードなバブル期で。(ただし、私や私の家族の周りでは全然バブルは関係なくて、素通りでしたが(笑))

世界がどんなにギリギリな状態にきていたのか解かってなかった。

あんな風に壁が崩壊して、信じられないような平和な展開で、東西冷戦がうまく終結したことの奇跡が、どんなに「奇跡」であったのか。

その「奇跡」に感謝することもなかったなあ、と今にして思う。

たぶんほとんどの日本人が。

 

その後の、21世紀初頭からこっちの悲劇的展開。

9.11から始まって、アフガニスタン・イラク両戦争、世界金融危機、世界を巻き込む軍事的、経済的、両方の側面からの震撼とした事態を考えると、これは、うまく終結したと思いこんでいた「東西冷戦」の積み残した「課題」が、その後、恐ろしい形で蘇ってきたのだ、ということがわかる。

そう簡単には収まらない。

しかも、「東西冷戦」ということになっていたものが、ほんとうの本質は何であったのか、そのことの検証もまだ始まっていない。

そのままで、「世界」は現在進行形で動いている。

「過去の清算」も終わっていないまま…

 

 

イギリスBBC制作の海外ドラマ「ステート・ウィズイン~テロリストの幻影~」が、12月にDVD化されて発売されます。

今年の1月から3月にNHKのBSで放送されていたのですが、私も久々にTVドラマにハマり込むという感じで(普段あまりドラマを観ないので、ドラマ版の「ハゲタカ」以来(笑))熱心に観ていたのですが、例によってドラマを録画するという習慣がないため「大失敗した!」という気持ちで再放送を心待ちにしていたのです。

それが12月25日にDVD発売予定!

しかも、再放送も始まるとか。

(12月2日からの予定らしいですが、興味のある方はNHKの海外ドラマホームページをご確認ください。

追記:どうやら再放送は12月9日からのようです。

番組ホームページは、

http://www9.nhk.or.jp/kaigai/statewithin/index.html

になります。)

 

いろいろワタクシ的にも面白かったこのドラマ、放送中は「えーい!マーク・ブライドン卿しっかりせい!(でもジェイソン・アイザックさんの青い瞳が美しい)」とか「ニコラス、あんた怖すぎます!(でも、ベン・ダニエルズさんはかっこいい!)」とかTVの前でほざいていたのですが(笑)

「アメリカ政府」「イギリス大使館」「中央アジアのグレート・ゲーム」「ペンタゴン」「MI6」「諜報戦争」というキーワードに興味津々な方にお勧め!!

ついでに、「スーツのおじさんたちが続々登場」というキーワードもありか(爆!)

 

NHKさん再放送ありがとう!そしてDVD発売もありがとう!

ついでに、やはりBBCが制作した「ザ・ラスト・デイズ・オブ・リーマン・ブラザーズ(The Last Days of Lehman Brothers)」(リーマン・ブラザーズ最期の日々)も買い付けて、放送してください!

お願いします!!(笑)

 

えー、とにかくですね、この「ステート・ウィズイン」も「過去の清算」が重い課題となっている、今の世界のありようを描いています。

どっかで決着をつけないと、って。

 

 

ホントにね~、「東西冷戦」、いや、「第二次世界大戦」のおとしまえをちゃんとつけないと。

しみじみと「ベルリンの壁崩壊20周年記念式典」の映像を見ながら、今日思うワタクシなのでした。

 

 

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2009年9月24日 (木)

NHKドラマ「白洲次郎」

(9月24日付けで私の掲示板にメモした「覚え書きメモ」よりコピーしました。)

 

今でもファンがいて人気があるものに対して、好きになれないからといって、わざわざ喧嘩をふっかけるようなのは、私の趣味じゃない。
だから、無視してスルーするのが一番と思っていた。
3月の時点では。

でも、今回、やはり尊敬する監督の作品なのだし、と思いながらアタマから見直して、どうやらあらかじめ織り込み済みなのだと気づく。
私のような「彼を好きになれない」という人間の感想も。

やあ、いつもしてやられる。
さすが大友監督!
と苦笑しながら、メモを作ってみた。


これは、大きな流れが「戦争」へ向かっていた日本国の昭和初期、その無謀さを理解していながら、それを止めようと必死になった「ある階層」の日本人の物語。
エリートだから知識を得るチャンスに恵まれ、自分の所属する国がどれほどのポジションを世界に占めているのか、世界が日本国をどういった目で見ているのか、本当のところを知っていた。

ちっぽけな、からいばりの国。
たまたま、世界の果てに位置していたため、欧米の植民地競争の及ぶ前にある程度の近代化の形を作ることに成功し、そこで身の丈に合う国を作ることを継続して いけば良かったのに、何を勘違いしたのか、あるいは諸外国の思惑にまんまと操られたのか、とにかく、近隣の国を侵略し始めた。

その愚かさを彼(彼ら)は、なんとか止めようとしたのだろう。奔走する。
しかし、なす術もない。
なんとなれば、彼のような存在は、当時の日本国のあだ花。
多数の庶民の大きな犠牲の上に存在していた貴族。
自分自身が「大いなる矛盾の産物」なのだということ、そして、その矛盾こそが日本国が無謀な戦争に突入せざるを得なかった「理由そのもの」であるのだということ、そのことに、彼は気がつく。

戦争に敗けた、その後に。

そして、それからは、とにかく国を建て直そうとする。せめて、自分の贖罪のために。

そして、また間違える。
いや、あの時はそれしか選択肢がなかったのか。
せめて、国民が金銭的に、経済的に豊かになれる国にしようと。
そのために、また再び何を「犠牲」にしたのか、気づかずに。

でも、彼の良心、彼の希望である、「彼の妻」は気づいている。
そして、彼が間違えたことを許してもいる。
それが、彼らのせいいっぱい。
そして、自分たちの良心に従って生き、老いて、引退してゆく。


こんな人物が、日本国の戦前、戦中、戦後の指導者層にどのくらいいたのか。
いや多かれ少なかれ、みな、こんな部分を自身の内に抱えていたのか。
それを肯定も否定もせず、監督は描ききった、と思う。

もちろん、テレビドラマなので、限界もある。
監督もどこかで言及していたかと思うけれど、まだまだ日本国の戦後史はタブーも多い。
ただ、それが、やっと徐々に解除されつつある部分もある。
たぶんこれから1~2年のうちに、かなりいろいろなことが検証し直されるんではないか?
例えば、戦後の分岐点になった1949年の1年間のことなんかを。

その時また、大友監督には「戦後」について、何か撮ってほしいものだ、と思う。
今回この作品にはほとんど出てこなかった、白洲次郎とお百姓さんの青年の、ちょうど中間に位置する人々のことなんかを。
彼らは、地方の役人や教師や会社員だった。
それなりの教育を得て、漠然とこの戦争はまずいと感じていたけれど口を噤み、自分や兄弟や子供が徴兵されて犠牲を払い、戦後はこの戦争に加担してしまったことを後悔して一億総懺悔と口にしたのだ


この作品は「ハゲタカ」と来年放送予定の「龍馬伝」の間に位置している。
ドラマ内の時間軸的にも、そして、幸いなことに放映(映画は公開)の順番も。
「白洲次郎」の制作が遅れて、映画「ハゲタカ」のあとに3話がきて完結だったのは、とても良かったと思う。

幕末からこのかた、150年あまり。
そろそろ日本は、見直しの折り返し地点に立っている。
いや、日本だけでなく、世界も。
来年の大河ドラマ、また期待が大きくなった。

そして、これを観たあとに、映画「ハゲタカ」をもう一度見直すことも楽しみになった。
たぶんまた違った観方ができるはず。

はやく、来年になれ、というのは大笑いだけど。

 

 

 

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2009年9月18日 (金)

映画「ハゲタカ」DVD化を待ちわびて(その5)~1月15日!

このブログ(ココログさん)は、本来サイドバーに置く「検索フレーズランキング」というブログパーツが、標準装備されています。

つまり、このブログにたどり着く際に、検索サイト(ヤフーやグーグルなど)経由でいらっしゃった方々がどういった「言葉」で検索されてきているか、そのランキングが出るようになっているのです。

私はなるべくシンプルな画面にしたい方なので、その表示ははずしてありますが。

しかし、もし表示すれば、ここのところの検索フレーズのほとんどは、決まっている。

 

「映画」「ハゲタカ」「DVD」の3つの言葉。

 

皆さま、切実に情報を探し求めてらっしゃるんですね。

いや、わかります。私もそうですから!

 

早く映画「ハゲタカ」のDVD出ないかな~(しみじみ…)

 

 

…と、ここまで書いて次の記事の準備してたんですがね(笑)

まだまだ待たねばならない期間が長~いことが、確定してしまいましたな…うーん…

 

詳細は映画の公式ホームページへ!(涙←うれし涙なのか、辛抱の涙なのか、もはやわからない…)

 

           ↓


Hagetaka_ban_l

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2009年9月 4日 (金)

映画「ハゲタカ」DVD化を待ちわびて(その4)~nyan-chan2222の役に立たない大江戸物語

Hagetaka_ban_l_2

東京での上映が終了して、遥か久しくなるような気がします。(実際はまだ1週間なんですけどね~(笑))

6月の公開初日から、けっこう定期的にリピートして通っていた(笑)ので、終了した今となっては「これから何をやっていいのか、わからない!」状態(大笑)です。

 

映画「ハゲタカ」公式ページを見ると、北海道とか、秋田とかで、9月の公開地域もあるんですよね~!

そ、そうか、まだ遅れての公開館もあり得るのね!じゃあ、東京でもないかしらん?私が行ける範囲で!

と、何かまだ期待してたり…(←まだ諦めてない人が、ここに!(笑))

みなさまも、ご近所の上映館情報のチェックを小まめにしましょう!

 

 

そして、「ハゲタカ」の上映が終わってしまって、これからDVDの発売までの長い時間、何をしていいかわからない~、といったような放心状態の「ハゲタカ」廃人の諸兄諸姉、放心状態の慰めに、と知人から「こうゆうクイズがあります」と紹介が廻ってまいりました(笑)


「ハゲタカ」検定試験…

「ハゲタカ」廃人度のチェックのようです(大笑)

なんかね~思わず設問の濃さに「くすっ」と笑う感じです。
選択肢の解答例が、土地勘のある者には非常に受けてしまうものが結構あったんですが、東京以外の方にはどうかな?
中には謎の選択肢もありましたが、ギャグなのか?
とりあえず、ワタクシは両方とも合格点だったみたい。
ヨカッタ、ヨカッタ。(←本当に良かったのか?、ぢぶん(汗))

 

 「映画ハゲタカ検定 基礎編」 (←クリックするとジャンプしてページに飛びます)

 

 「映画ハゲタカ検定 基礎編パート2」 (←クリックするとジャンプしてページに飛びます)




さてさて、前フリ長いです。いつものことです。(汗)
本論は…

以下↓の文章には、映画「ハゲタカ」の内容のネタばれが多大に含まれますので、映画を未見の方には、ご注意喚起させていただきます。


今回は、映画「ハゲタカ」の舞台となった場所のお話なんかを。


いや、ワタクシ、かつて二足のわらじの兼業勤め人をやっていた頃、毎日地下鉄東西線の「大手町駅」が、乗り換え駅だったんですな。
毎朝「遅刻~っ!!」と叫びながら大手町の地下通路を走っていた(いや、マジで)
東西線大手町駅地下通路を通って、B8番出口から「日本ビルヂング」の地下ショップ通路を抜け、奥の階段を上がって地上に出ると、そこは…

そこは、常盤橋公園。
道路を渡ったところ、目の前にあります。
そう、映画をご覧になった方ならわかる。
劉一華の、最期の地……


そりゃ驚きますよ!

「オレさまの縄張りの範囲の中で、あんな事件が!!」状態。

だってねぇ、ワタクシの「かつての日常の延長線上」です。

今もたびたび、あの通路は、八重洲側へ抜けるのに使ってるし。

うーむ…

言葉もなかったです。


映画を観てから、もちろん行ってみました。

そいで、クラクラ来ました。

映画「ハゲタカ」が、よりリアルに感じられて。

現実とフィクションが交差する瞬間。

一華も、鷲津さんも、この風景の中に生きている…


常盤橋公園というのは、角のとこに渋沢栄一の銅像がのーんと立っていたりして、東京の街角のフツーの近代的ミニ公園のように見えます。

が、もともと、ここは、江戸時代に「常磐橋門」があった場所です。

現在の道路は、外堀に架かった常盤橋から公園と日本ビルヂングの間を通り抜けているのですが、江戸時代はその隣に現在もひっそりと架かっている旧い常磐橋(漢字違いの別の橋です。)を通っていてそのまま真正面が江戸城だったのです。


↓この正面右奥のガードくぐった先が江戸城です。(現・皇居)

Photo_4



江戸城は当然、徳川将軍家の主要城塞ですから、内堀と外堀に二重に守られ、そこに架けられた橋のところには関所口が置かれ、入ってくる者たちには厳しい検閲がなされていました。

江戸に入るのは、5つの街道。

それぞれに、5つの関門所が設けられ「江戸五口」と呼ばれていました。

そのひとつである「奥州街道」の起点がここ、「常磐橋門」

この「常磐橋門」は、特に、江戸城とその城下である江戸の町との間を分ける最重要門で、言ってみれば、江戸城の正式な「玄関」である正門が「大手門」であるなら、江戸の「勝手口」がここであったと言えます。

つまり、支配階級の武士の表玄関が「大手門」

そして、庶民の町人の裏玄関がこの「常磐橋門」

なので、この橋の江戸の町側正面には、「金座」(江戸時代の貨幣鋳造所)が置かれ、江戸経済の中心を担っており、その流れは明治維新を経てもそのまま受け継がれて、現在は日本銀行本店がその跡地に建って、日本国の経済の中心を担っているというわけです。


↓この向こうが金座(現・日銀)

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そういう過去からの歴史を考えると、この常磐橋(旧い方の橋です)のたもとでひっそりと息を引き取った一華は、庶民の橋を渡って、支配階級の「江戸城」から、町人の「江戸」の町に帰ろうとしたのだけれど、渡り切れずに絶命してしまった、といえる。



あるいはまた、この橋を渡って、近代を通り抜けて現在の「日本銀行」のある地点まで行こうとしたのだけれど、「近代」を渡り切れずに絶命した、ともいえる。


二重の意味で、一華は、この橋を渡れなかったのだ、と。



映画を観たあとは、常磐橋を訪問してもなんともいえず感無量でした。

一華の「魂」や「想い」が漂っているような気がして。

もちろん、ワタクシの「オレさまの日常」との不思議な両立っぷりも、まるで「あれ、夢だったのかな?」状態ですが(笑)



ついでに、土地勘のある身として付け加えるなら、この日本ビルヂングと公園の間を通る道路をガード下をくぐり抜けてそのまま江戸城(現・皇居)側へ進んでいくと、少し歩くうちに道路の右側にある「平将門の首塚」に遭遇します。


将門公はご存知の通り、平安中期に朝廷に謀反を企んで独立国の主になろうとしたということで討伐された、「武士の祖」といわれる人物です。

討死したのち、その首は京都でさらし首となるも、関東をめざして飛翔し、現在の首塚の位置に落下したという伝説があり、この首塚は後世に神田明神に合祀され、関ヶ原の戦いでは戦勝祈願がされたといわれています。

なので、江戸城開城ならび江戸の町建設の折、「江戸の守護神」となった、とされているのです。

そして、東京となった現在でも、将門公は、この町を守護しているのだ、と。

現在も不思議な伝説に彩られたこの首塚に、常磐橋からの帰路も寄ってみました。

折しも首塚の前で、若い女性が一心に読経している場面に遭遇し、その不思議さに心打たれながらも、その後ろで私も手を合わせて、将門公と一華の冥福を祈りました。


願うならば。

この町を、東京を、そして、日本国を、

今後も守護してくださいますように、と。

そして、

おそらく、公の傍らにたどり着いたであろう一華の「魂」を受け取ってやってほしい、と。




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2009年8月26日 (水)

映画「ハゲタカ」DVD化を待ちわびて(その3)~サウンド・トラックを聴きながら

Hagetaka_ban_l


ついに、東京も最終局面…

あさって、金曜日に渋谷の最後の1館も上映終了となります。

東京では、これで封切館は終了…あとは、名画座系に期待!でしょうか?

(ううう、各劇場にリクエスト・メール出してみようかしらん???ギンレイホールさん、新文芸坐さん、早稲田松竹さん…いかが???)

 

先日、友人のひとりに会いましたら、このあいだ映画「ハゲタカ」を観たよ~!という話で盛り上がりました。

その人はTVドラマ版は観ずにでかけ、そして現在も未見です。

つまりドラマ版とはまったく関わりなく、映画単独で観た人。(ついでにヒルズの会員なので普通に映画ファン)

「で、感想はどう?」

と恐る恐るワタクシは、尋ねたんですが、

「うん、普通に1本の映画として、面白かったよー!!」

との答えが!!!

そして、

「DVDが出たら買う!」

とも。

なんか、嬉しかったです(笑)

 

だからね、普通の映画ファンのためにも、はよDVD出してくだされ~!!

(いや、ワタクシたちが普通の映画ファンではない、と言ってるわけではないんですが(苦笑))

 

 

とにかく6月以来、この3ヶ月、なんとも特別な「夏」を過ごしましたね(いや、今年は気候も特別でしたけどね~いつまでも梅雨…雨が多かったのは一華の涙雨なのか…)

 

この夏はきっと、忘れない。

 

 

さて、今後は、地方のファンの方々がすでにやっておられること、

DVD発売を心待ちにしながら、サントラとドラマ版DVDのヘビーローテーションになっていくのかしらん?

…むむむ、サントラのヘビーローテーションはすでにやっておるわい!…ですが(苦笑)

もう久しく以前から、ドラマ版と映画版のサントラを、ぐ~るぐると聴きまわしてますよ~!(文章書く時は特にぴったり!)

 

「ハゲタカ」のテーマ、いや、映画版の「His ings」のホルン4人衆のうちおふたりは、N響のホルン奏者の勝俣さんと中島さんか、とお見受けいたしましたんですが…、違いますでしょうかね?

この演奏のホルン、美しいです!!

 

ホルンつうと、ワタクシの家では、まずはマーラーで、お次はブラームス先生で、あとはワーグナー、が出てくるんですが(両立しない、とは言わせないぞ!と趣味趣味な家です(汗))

この映画版のサントラのつくりは、ワーグナーの歌劇的!と家の者が言っております。

映画のストーリー自体はイメージがバッハ先生でしたんですがね(犠牲と贖罪の物語って感じで、マタイ受難曲のイメージ)

サントラ単独で聴いておりますと、音楽それ自体がストーリーを追うように作られているので、なんか歌詞のないオペラ(そんなもんありか??)のようだ…と。

これ聴いて、DVDの発売まで待っててね、という感じでしょうか?

いや、確かに、待ってるあいだの慰めには、とてもなっています。

 

ライトモチーフって感じで、たびたび現れる「幻鷹」→「飛べない鳥」

家の者は「トリスタンとイゾルデ!」と言います(笑)

そして、ワタクシは「ダフニスとクロエ!」と言っております(笑)

いや、どっちも、美しい女性(ファム・ファタール=宿命の女)に魅せられた青年が、その女性を得るために「戦い」の場へと身を投じて、女性を巡るライバルと闘う物語です。

…確かに、ライバル同士の鷲津政彦と劉一華の死闘、というのは当たり!ですが。

…「ハゲタカ」には、ふたりが取り合う「宿命の女」は出てこないぞ…

 

いや、もしかして「アカマの赤い自動車」それ自体が、「宿命の女」ってことですかね?

な、なんか、その方が、とても色っぽいなあ…

と、ふと考えるワタクシの思考って、ずいぶん男性的なのかも(爆!)

 

 

いや、好きですよ!

男ふたりで、女ひとりの「愛」を勝ち取ろうとして闘う三角関係の物語は!(女ふたりで男ひとりを取り合うのは、どうも苦手(苦笑))

でも、男ふたりで「もっと抽象的な何か」への「愛」をめぐって闘う物語は、もっと好きかも!!

…と、改めて自分の趣味を検証してしまいました。(大笑)

 

 

と、まあ、いろいろ考えながら、サントラをヘビーローテーションしてます。すでに。

これからどのくらいこの時間が続きますかね~。

早く、DVD出るといいなあ…

 

DVD発売までの待ち時間、楽しく待ってみようと掲示板を作っております。

左サイドバー・トップより入れます。

よろしかったら、書き込みにきてみてくださいね!

 

 

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2009年8月12日 (水)

映画「ハゲタカ」DVD化を待ちわびて(その2)~掲示板から~「西野治と西乃屋についての考察」

Hagetaka_ban_l

カウントダウンです。

さすがの都内も明日からは上映館が渋谷の1館になり、とうとう上映最終が近づいてきた感じ。

やはり、早くDVDが出て欲しいと、切実になってまいります。

地方の方のお気持ちが、やっと実感になってきました(すみません)

 

希望はですね~、映画版はこのままで早期にDVD化。

そして、TV放映は続編ドラマ版(ハゲタカ・2とか)として、尺の関係でカットされたと思しきシーンなどを足して、前編1時間半、後編1時間半くらいのドラマ版を作って放映、というのが一番の望みです。

(来年の大河ドラマの援護射撃で、12月くらいの放映はどうか?と)

 

でも、当ブログにコメントくださった方のご指摘のように、大友監督ご多忙そうで、いつ編集するんじゃ?という感じでやっぱり無理かな~?

 

ま、とにかく、早くDVD出して下さいませ~(「早期DVD化切望キャンペーン」(笑))

 

 

さて、本論。

先日から当ブログは「掲示板」を設置させていただいておりますんですが、そこでいただいた問題提起、ご意見がとっても面白く、私としても、より深く考えるきっかけになってとてもありがたかったので、このブログの方にもコピペしてご紹介してみようかと思います。

 

映画「ハゲタカ」からはずれ気味のところはカットしてありますが、全文はnyan-chan2222文章事始掲示板」の方にありますので、よろしかったらお訪ね下さい。

なお、常時、ご意見、ご質問歓迎しておりますので、初めての方でもご遠慮なくお書き込みくださいね。

 

 

  ****************

 

8月5日  BB

映画を観て「あれ?」と思ったのが、実業の世界へ帰還した治くんに、鷲津さんがヘルプを要請しに行ったこと。鷲津さんの性格からすると、若い治くんがあの心 臓が高鳴るような駆け引きを懐かしく感じ、ふと戻りたい気持ちが兆さないか、心配しないはずはない。とすると、上客?って一体スタンリー、西乃屋のどういう存在なんだろう?「ああする」ことが治くんにどうプラスなの?(もう戻らないよ、と喫煙室をさがす治くんの表情が語ってた気がしました)
私のアタマでは答えが出ないため、nyanさん見解をご教示下さいm(__)m

 

 

8月5日  nyan-chan2222

西乃屋へ鷲津さんが出向くシーンは、実は映画中で一番私の「萌えツボな鷲津さん」です。
(うわーっ!カッコイイ~!素敵!!と思ってしまうんです(笑)このことについては、またそのうちブログでだらだら語りそうです(苦笑))

確かにおっしゃるように、治がまた「鷲津側の世界」に戻りたくなるようなリスクを考慮しなかったか?というのはありますね。
鷲津さん、年下の者たちには本来とっても優しいですからね。
ご指摘のとおり、そういうことを鷲津さんが心配しないはずないですね。
ひゃーっ!鋭い指摘ですね~!

そうですね~、考えますに、鷲津さんは自分の目で見て、治と初めて西乃屋で出会った時と比較して、大丈夫だと確信得るために西乃屋にわざわざ出向いたかな、と。
どこか外で会うのではなく、西乃屋と治の醸し出す雰囲気を見たくて。

で、治は「禁煙」のことをこぼしながらも、すごく楽しそうだし、すっかり本当の意味で西乃屋を自分のものにしている、自分の血肉にして、そこを自分の本当の居場所にしている、そういうのを鷲津さんは確認できたと思うんです。
だから安心して「手伝ってほしい」と要請できた、と。
(それがね、一華と比べると後から鮮明になってきて泣けるんですけどおっと、これはまた別の話ですね)

で、「西乃屋」そのものですが、これはちょっと特別なポジションの老舗旅館だったのではないかと私は想像しています。
過去ブログでも書いたんですが(西野治の物語上~下)治のお祖父さんはちょっと特別な人だったっぽいので、政界・財界とつながっていて、そういう世界の仲介をやっていたような人物だったのではないか?と想像してるんですよね。
ええと、箱根の冨士屋ホテルとかそういう感じのをちょっと想像していて、終戦後はGHQとつながっていたりとか。

お祖父さんが病気になったあと、あのお父さんじゃそういう人脈を生かす才能がなくて、旅館は没落していたけど、治にはそういう才能があった(飯島さんもあっさり味方につけていたし)
だから治があんなに短期間で巨大IT企業の社長に成り上がることもできたのではないかな~?と思ってるんです。


で、治はそういう才能と人脈を生かしてアメリカの投資銀行なんかにも深いつながりがあった、と思います。
2000年前後におこった「エンロン事件」でもわかるようにIT企業と証券化というのは切っても切れない関係で進化してきてますから。
また、アメリカも政界(ワシントン)と財界(ウォール・ストリート)が深く関係していますから、GHQの頃からの古い関係のある旅館のオーナーというのはやはり特別なポジションで信用を勝ち得ているだろう、と。

(中略)

「ハゲタカ」世界でも、連邦政府の財務省高官が日本への赴任経験者である可能性は高く、西乃屋はそういう意味でも、このまま日本とアメリカの政界・財界と縁の深い「特別な旅館」として、今後も治が才能を発揮していくのに十分な場所だと私は思っています。

 

8月8日  BB

いつもながら、丁寧なお返事をありがとうございます。
「大丈夫と確信するために」ああ!何でわからなかったんだろう・・・そう、見に来たんですよね。
老舗旅館が稼動しているその雰囲気や、鷲津さんの目で見てわかるたくさんの事。そしてその中に主としている治くんを。
また、ずかずかやって来ないんですよね(^^
nyan
さんが仰るとおり素敵です!

治が才能を発揮していくには充分な場所。
単に「立派な伝統ある宿」じゃないのですね。
「西野治の物語」改めて読ませて貰います。
(中略)

ひとつだけ、治くんの身辺からスタンリーをべりべり、と剥がす目的もあったのかなあ、と感じたのですが・・・ 「上客」という言葉に引っ掛けられてるだけかもしれませんが(・・;

 

 

8月9日  nyan-chan2222

そうなんです。鷲津さんって、肝心な話になると「自分の目」で必ず確認にいくな・・・って。
ドラマ版のときも、今回の映画版のときも。

おっしゃるとおり「ずかずかやって来ない」って、そうですよね!
車から降りて、ちょっとふたりの間に躊躇いのような相手を測るような、なんともいえない「間合い」があるところとか、すごい好きな描写です。

「治くんの身辺からスタンリーをべりべり、と剥がす目的」
というのは、確かにそうですね!!
スタンリー社は「本物のハゲタカ」と鷲津さんがきっぱり断言している「良からぬ会社」ですからね。
そういうのとはきっぱり縁を切らせて、ついでにスタンリー社(と、そういうたぐいの存在)に最後通牒突きつける目的もありそうです。

ああ、そういえば、西乃屋は「純和風な旅館」ですから、これもアカマ同様に「日本の象徴のひとつ」と考えると、アメリカを蝕み、全世界を蝕みつつある、問題ある金融資本主義の象徴としてのスタンリー社と縁を切るというのは大事なことかも。

鷲津さんの今回の行動は、オモテではアカマの再建ため、ウラでは西乃屋が二度と狙われないように、って感じのふたつの隠密行かもしれませんね!
どちらも日本を再建するため、って感じで。
わ~っ!すごいです!!
BBさまに指摘されて今初めて気がつきました!!
ありがとうございます!
やっぱり「ハゲタカ」って奥が深い・・・
(中略)

西乃屋自体は日本の財界・政界とは深く関わっていそうだから、日本国内だけでも治の才能を生かす場として十分だと思います。
今後も鷲津さんや芝野さんの必要な場面では、力を貸すのではないでしょうか。

 

 

 

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ヴィノクロフ復帰

ヴィノクロフの復帰。

そして、ツール・ド・ランのTTでステージ優勝したらしいこと。

 

とても嬉しい。

けれど、いまだに2年前の顛末を思い出すと胸が痛む。

 

本当のところはどうだったか、聞いてももう仕方ないか、と思う。

2年の歳月は取り消せないし。

 

前を見て。

頑張って。

私はあなたを応援したい。

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2009年8月 3日 (月)

映画「ハゲタカ」DVD化を待ちわびて(その1)~nyan-chan2222の役に立たない中国語講座  

Hagetaka_ban_l


お久しぶりです!

ちょっとだけ、潜っていた地下から浮上してまいりましたよ。

ブログは8月末までお休みして…のつもりだったんですけどね~、なんかスキをぬって更新している始末。

(他にやることあるのに、なにやってんだか~…(冷汗))

 

 

それというのも、やはり映画「ハゲタカ」の上映が終わってきて淋しいから、なんですよね~。

いや正確に言うと、実は東京はまだ3館ほどやっている。

そして、ワタクシもまだ映画「ハゲタカ」通いを続けている…のですが。

ごめんなさい、東京以外在住の熱狂的な「ハゲタカ」ファンのみなさま!

すでに上映が終わってしまった地域では、これからDVDの発売まで(もしくはTVの放映の方が先でしょうか?とにかくそれまで)どうやってしのごうか、みなさま苦しんでらっしゃるご様子。

そして、ワタクシの休眠中のブログにも時々チェックに訪れてくださる方々がいて、なんだか申し訳ないような…

 

ワタクシ、今は東京に住む特権を享受していますが、明日は我が身です。

早晩、DVDを待ち焦がれ、待ちわびることになる身。

これはもう、是非早いところDVDを出して下さいよ!と思います。

NHKさん、東宝さん、お願いいたします!!

 

劇場上映中が続いているうちは、まだ無理ですか?

いや、東京の上映館の方は、ドラマ版との抱き合わせ上映でいいですから!

ドラマ版プラス映画版で。

毎週末これやったら、きっと通う廃人のみなさまが続出するのでは??

やりすぎですか??(笑)

 

 

当ブログは、これから時々この「早期DVD化切望キャンペーン」をやっていこうかと思ってます(笑)

ああ、2007年の「廃人ブログ」の復活のやうだ…(冷汗)

ドラマ版の時はしつこく、しつこ~く、やりすぎたので、映画版ではあまり騒がないようにしようと大人しくしていたのですが。

でもここにきて結構かなり切実なので、やはり少~しだけ騒ごうかな~、と。

ブログで騒げば、少しは考慮していただけるのは、これまでさんざん目にしてきたこと。

なので、ここに伏してお願い申し上げてみようかと思い、のこのこ更新に出てきたのであります。

 

 

ついでに、すこしマニアックでトリビアなことも書いていきます(大笑)

 

 

 

あれから何年になりますかね…(←笑)

もう10年以上も前のこと。

当時、私は中国語をちょっとだけ習っていました。

といっても、正式に体系的に語学として習ったんではなくて、知人に中国の人が何人かいたので、日常会話の基礎くらい教えてもらおうかな~という、かなりお気軽な話だったんですが。

 

私の先生は、日本の大学院に通う北京生まれの北京育ちの北京っ子だったので、当然、習ったのも北京語=ほぼ標準中国語(中国では普通話といいます)

当時はまだ、日本人が実用日常会話で習うといったら、上海や香港でビジネス使用するための上海語か広東語の方が多かったのですが(今では上海や香港でも普通話でいいようです)

 

北京っ子のK先生がある日言うには、

「私は上海は嫌いです。言葉が全然通じないから。

上海人は学校で普通話を習っているから私のしゃべる北京語がわかるけど、こっちは上海語を習う機会はないから何言われているかわかんない。

私は日本語がわかるから、東京の方が気楽です。何か言われていても、意味がわかるから」

それを聞いて私はびっくり。

「えーっ!同じ国内なのに、通じないんですか?!」

 

中国ではもともと、おおざっぱにわけて7つの地方言語(7大方言)があって、別の発音、語彙、文法をもっています。

共通なのは表記法に漢字を用いるため、それぞれ違う地方言語どうしでは筆談すれば通じるのだけど、しゃべると全然何言ってるのかわからない!という状態だとか。

 

普通話(標準中国語)のもとになったのは北方語(北京語が含まれる)で、これを使用している人口は8億人以上で一番多いのですが、呉語(上海語が含まれる)だって7000万人以上が使用している言語で、普通なら大きな国並みの人口なのです。

なんともスケール感が全然違うので、日本に住む身としては呆然とする話なんですが(笑)

 

日本は明治時代の早いころに標準語を作って早いところ言語統一をしてしまったから、それが当たり前と思っているけれど、アジアの他の国は国内統一言語を作る、普及させるのに苦労しているところは多いです。

中国もあんなに大きな国ですから、国土の広さや人口の多さも考慮すると、当然統一はすごく大変だったわけです。

1982年に初めて憲法で統一国語としての普通話中国語が公用語指定された、と資料にはあります。

標準語教育の徹底は本当に近年のことです。

ここ20年くらい、その徹底に尽力して、若い世代中心に国民の7~8割くらいが普通話を使えるそうです。

いまでは北方語圏以外の地方では、人々はバイリンガルになってきているわけです。

 

 

 

さて、ここからが映画「ハゲタカ」話です。

(あいかわらず前フリが長いなあ(笑)すいません)

 

 

劉一華は湖南省の出身。

湖南省で話されているのは、7大方言のひとつの「湘語」ですから、彼の本当の母国語は映画の中では一度も話されていませんが、この言葉になります。

ただ、彼は11歳で日本にきてしまう。

1980年代の後半ごろ。

10代の思春期の頃はたぶん日本語を学んで使いこなして、日本に溶け込もうと必死になっていたはず。

しかし、その後新天地を求めてさらにアメリカに渡り英語を身につける。

さらにビジネスの世界で必要だから今度は普通話=標準中国語=マンダリン(世界中で中国語として認識されている言語をさす)を学び直すということもやったはず。

 

かなり複雑な(もしかして混乱した)言語経歴です。

彼の複雑なキャラクターを根底で構成している一番重要な要素なのかも。

 

 

一華にとっては実は映画中で話しているマンダリン(標準中国語=普通話)はあくまで仕事のために後から身に着けた言語です。

母国語の湘語については、自分を偽っていたので、おそらく来日後は真実の暴露を恐れて湖南省の出身者とは距離をおいて近づかないようにしていただろうと思われます。

いっしょに来日したはずの父親の消息は映画中では語られていないから、なんとなく来日後のどこかの時点で亡くなった可能性が高そうです。(あるいは一華を置いて失踪したとかか)

なので、長いこと湘語は使用していないのではないか、と。

それでなくともこどもの時しか使っていない言葉では、語彙も限られ自己表現するためには未熟すぎますし。

 

そんなわけで、一華が一番リラックスして普通に会話出来たのは10代の時に使っていた日本語だった可能性が高いのです。

たぶん鷲津と話していた時、そして守山と話していた時、の一華が一番「素の自分」に近い。

でも、周囲から見たらそんなことはわからない。

あくまで中国系ビジネスマンというスタンスをとっているから。

そこに一華の「孤独」と「他人とは分かり合えない」という絶望がある。

彼が鷲津に拒絶されたと思って怒りを募らせた時、そして自分の成功のために守山を切り捨てた時、それぞれの絶望の深さを思うと泣けてくるのです。

 

 

そして一華役に中国人俳優を配せず、玉山さんでやったことがすごく相乗効果になっていて、一華の得体の知れなさと同時に、どこにも所属していない漂泊の孤独感が絶妙にでていると思われます。

このキャスティングはイチかバチかの賭けのようなものだったかと思うのですが、いわゆる「神」!のキャスティングだったのでは?

ううむ、凄いです…

 

 

DVDが出たら、みなさま是非その辺もアタマのすみに置いて、観てみてくださいね!

 

 

ああ、早よ、DVDだしてくだされー!と叫んで、nyan-chan2222の役に立たない中国語講座(どこが?(大笑))を終わりにいたします。

 

 

 

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ツールが終わりましたね

727()nyan-chan2222文章事始掲示板にメモ書き投稿したものをコピー転載

 

今年はブログの方は「ハゲタカ」一色なので(笑)全然ツール・ド・フランスにはふれてないんですが、TV中継観てましたよ~
(でも、これで毎夏、身体を壊すことが多いので、今年はほどほどに観てました(笑))


昨夜、無事シャンゼリゼに到着して、今年も無事ツールが終わりました。
何と言っても今年は新城選手、別府選手が出場して、ああ、ついに久~しぶりに日本人がツールに出る~、しかも、ふたりも~とロードレースファンのみなさまがうかれていたと思うんですが、何と言ってもふたりとも完走!!ですよね!
嬉しい!
ちゃんとパリに着けたよ~!!(感涙)
ワタクシ的には5位、7位、それぞれとれたステージも嬉しかったですが、この完走がね~とっても嬉しいです!
うん。にこにこ
来年も出場できますように!


そして、もひとつ、国内チームとは分かれたといっても、やはり「スキル・シマノ」が出場!というのも凄く嬉しかったので(だいぶ前にCNNでインタヴューを 見て以来、シマノの会長のファンでしたよ、ワタクシ。日本の製造業の鑑!と思ってきたので。この不況でどんな状況なのかは気になってますが、がんばってく ださい!)
来年もスキル・シマノが出場招待されるといいな~!とも思ってます。


でもって、ついでに書くのもなんですが、やはりランス・アームストロング、凄いです。
37歳かあああ~!
信じられないような、強靭な人だ!
コンタドールもけっこう好きなんですがね~、でもランス来年ももうちょっと見てみたいです。



 


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2009年7月15日 (水)

コーヒーブレーク~お知らせと来年の大河ドラマ(改)

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当ブログは現在、映画版「ハゲタカ」の私的感想(レヴューもどき)を掲載トップにしております。

Vol.1~7まであります。

左サイドバーの「最新記事」をご覧になってくださいませ。

 

 

また、当ブログの過去記事で2007年にほぼ1年間かけて、ドラマ版「ハゲタカ」についてもつらつらと書いておりますので、ご興味を持っていただけたら、過去記事もご覧になってくださいませ。

左サイドバー「カテゴリー」の「ハゲタカ関連」をクリックしていただくと全記事読めるように設定いたしております。

 

 

当ブログ、記事へのトラックバックならびにコメントは、現在、受け付け停止させていただきました。

過去記事は閲覧のみにさせていただいております。

 

ただ、当ブログはあまりにも更新速度が遅いため(ひどい時は2~3カ月も間があいてしまって恐縮です(汗))、常々どうしたものかと思っておりましたんですが、素敵なコメントをくださる方のお話もお聞きしてみたいし…というわけで、昨年一時的に設置してみた「掲示板」を、これから1年間常設してみようか、と思いまして、「掲示板」を設置してみました。


nyan-chan2222の文章事始掲示板

右サイドバー、トップに常設いたしますので、よろしかったら何か書いていってくださいませ。

画像も貼れます。

EmailやHomePageアドレスなしでも書き込みできますので、お気軽にどうぞ。

 

(いまのところは「迷惑書き込み対策」はしていませんが、もし何か問題が発生したら、「パスワード制」にするなり、また当ブログ上でお知らせいたしますね!!)

 

 

 

あいかわらず、週末の映画「ハゲタカ」通いは、実行しております。

なんか、何度観てもまーったく!飽きないんですけど~!!(笑)

関東以外ではあさってで上映終了がほとんど、とか。

東京在住のラッキーを噛みしめております。

関東地方は、はや梅雨あけです。ひじょうに暑いです(汗)

でも負けずに今週末も行けるといいな♪

 

 

そして、昨日はとっても嬉しいNHKさんからの「お知らせ」も!!

来年の大河ドラマは、大友監督のメインディレクターで作られる、ということで、と~っても楽しみにしていたんですが、その「龍馬伝」に大森南朋さんが出演されることが決定した、とか!!

いや、実は諦めていたんです。

大森さんのご出演は、やっぱり無理かな…と(何の根拠もないんですが、期待しすぎると落胆も激しいので(苦笑))

武市半平太役、とか。

 

私はこれまで「幕末」というのはほとんど興味のない時代だったせいで、あまり知識がないのですが、尊王攘夷の暗殺部隊の親玉だった方かしらん???

(あああ、まつがった認識だったら、ごめんなさい~~!!(冷汗))

ある意味、武市半平太という人も「苛烈」に日本への「愛」を捧げた人物だった、と思っていますので(その方法の善悪はおいとくとしても)、果たして大森さんがどんな役作りをされるのか、もの凄―っく!!興味があります!!!

 

しかも、音楽が佐藤直紀さんなんですね~!!!

これがまた、もの凄~い楽しみになっております!

ああ、これでNHKホールでの演奏会も、いよいよ夢でなくなってきたか!と勝手に小躍りしてます。気が早いです(笑)

 

 

そういうわけで、いろいろと期待に満ちております。

みなさまも期待いっぱいの方、たくさんいらっしゃいますよね?!

よろしかったら、「掲示板」の方に書き込んでいってくださいませ♪

もちろん、「ハゲタカ」ネタも大歓迎!!

 

では、では、しばらくブログの方は小休止でございます。

(いつもの地下に潜る期間(笑))

また、秋口にお会いできるといいですね!!

 

 

 

 

 

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2009年7月 6日 (月)

映画「ハゲタカ」 Vol.7

Hagetaka_ban_l



5週目です。

地方はそろそろ上映終了とか。

でも、東京23区内繁華街の映画館の週末は、まだまだたくさん入ってます。

私が週末行った時も、ほぼ満席でした(ぽつぽつしか空席なし)

雰囲気でかなりリピーター率高し、とみました。

今後も都内のどこかでやっていたら、足を運ぶ人多いと思います。

 

そして、こうなってくると欲も出てきます(笑)

週末に、ドラマ版全6話プラス映画版上映、などという企画モノをやる映画館が出てきてもいいんじゃないでしょうか?

オールナイト込みで日に2回くらいしか上映できないかも、ですが。

でも、入場料設定が高めでもきっと来る人はいるぞ!とみました(かくいうワタクシも!(大笑))

東宝さん、NHKさん、映画館のみなさま、ご考慮お願いします!!

 

 

 

当ブログは純粋な映画レヴューではありませんが、映画「ハゲタカ」の内容に結構踏み込んでおりますので「ネタばれあり」の「注意喚起」をさせていただいております。

 

 

 

2008年、秋。

「今回の金融危機はすべて、青い眼で白い肌のCEOたちに責任がある!」

と過激な発言をしたのは、ブラジルのルラ・ダ・シルバ大統領。

たしか、金融危機対応のためにG8じゃ間に合わん、ということで新興国も入ったG20金融サミットが開かれた11月15日前後のことだったと思います。

ルラ大統領のこの発言は「人種差別的」と逆差別レッテルを貼られてしまい、彼は早々に謝罪するはめに陥ったのですが、

「新興国ならびに開発途上国が、先進諸国に対して、猛烈に怒っている」

ということがはっきり示された機会でもありました。

 

 

いまや、開発途上国と先進諸国のあいだに大きな断絶が横たわっているのは明白です。

先進諸国がこれまでやりたい放題をしてきて、その「欲望」がついには危機的状況を呼びこんで、世界的な金融メルトダウンの淵まできた。

だが、いったん危機が始まれば、一番弱い部分にその「負荷」が強烈にかかってくるのが、「グローバリズム」で結ばれた現在の世界。

世界的不況が始まって、飢餓線上に陥る可能性も出てきた開発途上国の人々。

彼らが「もはや泣き寝入りする気は全然ない」と猛烈に主張し始めた。

 

言ってみれば、貧困から抜け出すために、

「その車に乗せてくれ」

と言い始めたこと。

でも、間違った車に乗り込もうとしていたら、どうするのか?

あるいは、車は正しくても、その車を作る方法が間違っていたら?

売る方法が間違っていたら?

 

先をゆく者たちが、自分たちの失敗を、あとから来る者たちに伝えられない。

彼らが選び間違えていても、そのことを彼らに伝える機会がない。

たとえ世界中に公害に苦しむ都市が生まれ、貧困のスラムが生まれ、絶望的な格差社会が生まれても…

その「絶望的な分断」が、現在の世界を支配している。

 

 

ルラ大統領、あなたは概ね正しい。

ただ、「青い眼で、白い肌のCEOたち」だけではない。

その責任は「黒い眼で、黄色い肌の社長たち会長たち」にもあるのだ。

そんな風に、私は思いますが。

 

 

 

日本はかつて第二次世界大戦で無謀な戦いをして、主要都市を「焼け野原」にするという愚行のすえ、敗戦。

戦後の復興はもう二度と戦争をしない、というところから始まった。

「けして人を殺さないで強くなること」

それはつまり、

「戦争をしないで経済的に繁栄すること」

日本の一大テーマだった。

そのポリシーに従って、日本は今日までやってきたわけです。

そして、世界2位の経済大国、先進諸国の一員となった。

 

 

確かにこれまでのところ、日本は国内をふたたび「焼け野原」にしないですんでいる、幸いにも。

でも、一旦、日本国外に目を転ずれば、実は「焼け野原」は世界の隅々に出現している。

 

 

よく知られていることですが、アメリカが開発し、グローバリズム推進の道具としてきた「金融工学」は、実は「東西冷戦の兵器」のなれの果てです。

アメリカがソ連と「冷戦」を戦ってきた時代。

戦争(特に核戦争)のためのシュミレーションをやるために、大量の数学やらシステムやらが動員され、人的にも財政的にもたいへんな資源・資金の投入をおこなってきたわけです。

 

ところがソ連が崩壊、ロシアも東ヨーロッパも共産主義を捨て去って、資本主義陣営に参入してきた。

もはや冷戦シュミレーションは無用の長物。

なのに、人間も組織も大量に存在している。

そこで、金融界に転じて、軍事の民生転用をすることにする。

そして誕生したのが「金融工学」

 

その「金融工学」が生み出した「証券化」の魔法が、アメリカを並ぶもののない世界ただひとつの「超大国」にしたわけですが、同時に、それは一種の砂上の楼閣、ひとたびバブルがはじけ飛んだら…

世界を巻き込んでたいへんなことになっているのが、現在。

やはり、これは「兵器」なのですから。

富を収奪する兵器。

疑いもなく、

世界に「絶対的貧困」という「焼け野原」を出現させてきた兵器。

 

 

その「金融工学」に力を貸してきた日本が、「責任ない」とは絶対に言えない。

それを日本経済の「罪」というか。

あるいは、先進諸国の「罪」というか。

その「罪」から、目を背けることはできない。

 

 

 

鷲津政彦の壮絶な人生に、またひとつ付け加わってしまった、と人は言うでしょうか。

鷲津さんファンとしてはその痛ましさに胸が詰まりますが…

 

 

しかし、彼は絶対に目を背けない。

だから、映画ラスト、劉一華の故郷に見届けに行く。

ふつう、日本人なら見たくないもの、知りたくないもの、

自分たちが作り出した「焼け野原」を。

 

 

ひとり、荒野に立つ鷲津の眼に映ったものは何だったのか。

 

 

過去、無謀な戦争をして焼け野原になった日本国だったのか。

あるいは、現在、世界中に存在する、絶対的貧困の焼け野原だったのか…

しかし、未来。

ふたたび日本が「焼け野原」になることはないと、いったい誰に言えるだろうか…?

 

 

 

なにも日本国の外だけではなく、国内だって同様なのです。

 

「ハゲタカ」ドラマ版ではラスト、熟練工の加藤と協力して新会社を立ち上げるのに、映画版の中で、鷲津や芝野はついに派遣工の守山に直接会う機会はない。

それどころか、守山は加藤にあたる人物に出会うことさえできない。

「部品」として消耗され、同じ国に生きていながら、まるで存在しないかのような扱われ方をする存在。

本当は加藤のような人たちの「後継者」にならなければならないはずなのに。

そんな状況で「日本の本業はモノ作り」と言ってみても、虚しいだけ。

はっきり言って、これはもの凄くマズイ状況です。

 

映画「ハゲタカ」では、守山の最後は「アカマの赤い車」に乗って何処ともなく去っていきますが、これは守山が劉の「願い」を受け取って新しいスタートを切った、と解釈していいものか。

それとも「日本人の夢と希望の象徴だった赤い車」はその後継者となるべきだった青年とともに、何処かへまぎれて消えていってしまった、と解釈していいものか。

 

私には、今は、決めかねます。

はっきり言って、楽観的と悲観的、天と地ほども違う解釈ですが。

 

 

 

映画「ハゲタカ」公開の少し前。

カントクだったかプロデューサーだったか、制作された方が、

「安易な解決は描けない。現実が厳しい状況だから。でもその中で観終わって元気になるものを」

というような内容のことを言っておられたかと記憶しています。

 

経済的に厳しいということだけじゃなく、分断されて、けして交わらない状況が厳しい。

永遠の断絶感。

国内でも国外でも、それが溢れている状況が厳しい。

この映画をラストまで観て、そう思います。

回数を重ねて観るほどに、本当に思います。

なんとか、この状況の「ブレーク・スルー」を見つけ出せないものかと、切実に思います。

おそらく、映画の制作者さまたちもそう思っておられるのだと痛いほどわかります。

 

そして、

映画の中の鷲津も。芝野も。

きっと。

芝野に言わせてますよね。

「このまま終わってたまるか。まだまだこの国は捨てたもんじゃない」

 

 

 

だから、もう1本作ってください!!

この映画「ハゲタカ」の続きを。

また数年後に。

 

 

鷲津が見つめている先が観たいから。

どんな厳しい未来でも、きっと彼は眼を背けない。

きっと彼は立ち向かっていく。

新しい方法を見つけ出していく。

 

そして。

 

彼の行く道は、私たちの行く道。




 

 

 

 

 

 

 

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2009年7月 5日 (日)

コーヒーブレーク~映画「ハゲタカ」音楽雑感

今回、映画が公開されて初見の時、私の身内では

「今回の映画のイメージは「ヨハネ受難曲」だね~」

という見解で一致していたんですが、これ、言わずと知れたバッハ先生の名曲。

アメリカではかの9・11のおり、この曲が脳裏をよぎったという人、多数だったそうで…

 

 

昨日、例によって週末の「ハゲタカ」鑑賞に出かけたんですが、やっぱり頭の中をよぎったのはバッハ先生。

サウンドトラックを作られた佐藤さんのストーリー性のある音楽が、イエス・キリストの受難の物語をイメージさせるんですよね、私には。

 

2年前ドラマ版を観た時も、とても「マタイ受難曲」のイメージだな~と思ったものですが、昨日は特にスタンリー社とアカマの株式暴落のシーンの女声ソロが、

「おお、これ、マタイのアリア第39曲のイメージだぜ」

と思い、家にかえってからDVDとスコアを引っ張り出して検証。

歌詞を確認したりしてました。

以下、ちょっと書いておきます。

 

 

 

(カール・リヒター版「マタイ受難曲」 第39曲字幕)

憐みたまえ わが神よ

滴り落ちる  わが涙のゆえに

憐みたまえ わが神よ

 

ここを ごらん下さい

心も目も

あなたの御前で 激しく泣いています

憐れみたまえ!

 

 

 

そうか、鷲津さん、本当は泣いていたのか…とか思ったり…

 

 

ついでに、「マタイ」のコラールの中で一番私の好きな、第62曲の歌詞も確認しましたので、書いておきます。

 


(同じく、カール・リヒター版「マタイ受難曲」 第62曲字幕)

いつの日か 私が去り逝く時

私から離れないで下さい

私が死に直面する時

あなたは 私の盾となって下さい

恐怖と不安の闇が

私の心を覆う時

私を恐ろしき淵より救い出して下さい

あなたが先駆けて味わった不安と苦痛の力によって!

 

 

 

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2009年7月 1日 (水)

映画「ハゲタカ」 Vol.6

Hagetaka_ban_l



週末、もちろん行きました!

4回目です。(まだまだ未熟(笑))

すでに週末の生活の一部に組み込まれつつありますよ、「ハゲタカ」鑑賞(笑)

例によって23区内繁華街の映画館で、客席は満席御礼でした!!

こんな週末が少しでも長く続くといいな。

東宝さん&映画館のみなさま、よろしくご配慮お願いいたします!

 

 

 

当ブログは純粋な映画レヴューではありませんが、映画「ハゲタカ」の内容に結構踏み込んでおりますので「ネタばれあり」の「注意喚起」をさせていただいております。

 

 

 

鷲津政彦がいつから「決意」を固めていたものか…

 

 

「鷲津は映画のはじまりでは、日本を捨て、外国に去っている―。」

映画の内容が少しずつ報道され始めて、この設定を聞いて少なからず驚いたのは私だけではないはず。

ただ、現実の日本の状況を考えれば、それもむべなるかな。

ドラマ版の最終回時点の2004年からの4年間。

日本の歩んでしまった方向は、この感想文(?)でも書いてきたような状況で、けして鷲津や芝野が望んだようなものでなかったことは、明白です。

まさに「こんな国に誰がした」状態。

 

こんな日本で孤軍奮闘していたのだろうけど、理解されず、裁判にも負け、日本を後にした…。

鷲津の苦い選択が目に浮かぶようです。

それでも脳裏から日本のことが離れることもできず、うっ屈して昼間からアルコールの日々。

これまた、目に浮かぶようです。

でも、「捨てた」と言いつつも、きっといつも心は日本のことを心配して…

ああ、まったく!くっきりと目に浮かぶようですよ、鷲津さん!!(笑)

 

 

そんな鷲津を探しあてて、日本への帰還、現場への復帰を要請するのは、例によって芝野です。

芝野さんの姿を見て、「こんなとこまで追っかけてきて、くそーっ!」という気持ちと、一種の「安堵感」が交錯したんだろうな…

しかも芝野さんは「こんな腐ったマーケットを作ってきたのは俺達なんじゃないか」とか挑発的に言っちゃうし。

さぞや葛藤しただろう、鷲津さん…と観ていて苦笑いのワタクシでしたよ。

 

 

芝野という人は、ドラマ版で語られたように、「日本のバブルの時代(80年代末~90年代初め)」と「その後の失われた10年(92年ごろ~2000年代の初め)」の「責任」を我が身のこととして引き受けて、そのための「贖罪」として「企業再生家」になる道を選んだような人物です。

だから芝野には、この時の鷲津の気持ちがとてもよくわかったのだと思うのです。

 

「失われた10年」のあとに、日本を改革するといって始まった次の10年(2000年くらい~2008年)について、この「改革」が結局失敗して、全然望んでいない方向に行ってしまったことを、鷲津はきっと強く「自分の責任」として意識していただろう、ってこと。

 

鷲津はアメリカという「外圧」を使って、日本の腐った部分を大改革しようとしたのだけれど、肝心のアメリカが腐ってしまってバブルに踊ってしまい、日本の腐った層と結託して、世界中に問題をバラまいてしまった。

いまや日本とアメリカの辿った間違いが、「グローバリズム」の名のもと、世界を間違った方向に導いていこうとしている。

鷲津はそれを見つめながら、そのアメリカを率先して持ち込んだ「自分自身」に対して、内心、忸怩たるものがあったと思うのです。

それは、自分の「責任」だ、と。

 

 

鷲津はその「責任」をとるために、ついに日本に戻ってくることを選びます。

たぶん、その時点でいずれ「大ナタを振るう」ことになる可能性を、予感して。

そして、その「決意」が固まったのは、劉一華の会見をTVで見たので。

この会見で劉は「アカマ自動車の現状維持」を約束しています。

鷲津にとっては「現状維持」など、もってのほか。

 

その瞬間。

劉は鷲津にとって

「敵対する者」

のポジションになってしまった…

 

 

ホテルのレストランで待ち伏せ、劉の真意をさぐろうとした時も、鷲津にとって劉は自分と敵対する者。

ただの「成功の野心に燃える若者」に見える。

だから言い放ってしまったのでしょう。

「おまえに何がわかる」

と。

 

 

 

鷲津の、日本への秘められた「愛」は苛烈です。

もうそれは、ドラマ版の時から本当に首尾一貫しています。

いずれ日本のためになるとわかったら、どんな手段でも強行してバッサリと切りつける。

そして、返り血を浴びて、自分がどんなに「穢れた者」になり果てようとも、それを厭わない。

 

三島社長を死に追いやって後悔に暮れたその時から、もう決して同じ轍は踏むまいと決めているから。

自分の本意ではないことをやって後悔するなら、どんなことになっても、自分の本意を通そうと決めているから。

 

今回もたぶんアカマ自動車を「お引き受けしましょう」と答えた時点で、鷲津にはすでにその覚悟ができている。

この時点でアカマと日本、そしてアメリカをひっくり返して、バッサリとやる覚悟。

そして、漠然とではあるけれどその覚悟を感じている芝野。

 

 

 

かくして、鷲津はすべての手を読んで、自分の布石を打っていくわけなのですが…

どうしても、読めなかった「想定外」の事実が出てきてしまう。

 

 

劉一華の「赤い自動車」…

 

 

その写真を困惑したように見つめる鷲津の目が印象的です。

「敵対する者」のポジションにいたはずの若者。

その劉の、同じように秘められた「想い」

 

どうしても確認しないではいられなくなって、駐車場で問い詰めます。

「おまえは、誰なんだ」

と。

でも、答えはない。

 

 

これから自分がしようとしている凶行を自覚しつつ、鷲津の心に迷いはなかったのか、どうか…

だが、もはや選んでしまった。

鷲津も劉も、ふたりとも。

賽は投げられた。

 

 

 

中国(CLIC)を道連れに、アメリカ(スタンリー社)と日本(アカマ自動車)に容赦なく斬りかかる鷲津。

スタンリー株を

「売って、売って、売りまくれーっ!」

と徹底的に命ずる姿はまさに鬼神のごとし。

あまりにも歪んでしまった「グローバリズム」を正すために、いずれ誰かがやらなくてはならなかったこと、であろうけれど。

それを一身に引き受けた鷲津の血まみれの姿は、神か、悪魔か。

 

破壊者か、と。

 

 

 

そして得た勝利は完璧。

CLICならびにブルーウォール社は撤退。

スタンリー社は崩壊。

アカマは刷新。

当初の鷲津の「決意」のとおり、遂行された「大ナタ」

ついに、日本も、アメリカも、とりまく世界も、新たな段階に足を踏み出さざるを得ない。

 

 

しかし、鷲津の心は晴れない。

最後まで読めなかった「想定外」

本当のところは、どうだったのか?

劉一華の秘められた望み。

あるいは、そういった「真相」は最後までわからないまま、なのかもしれない。

ふつうなら。

 

 

だが、運命は残酷なことをする。

死にゆく劉の伝言を、鷲津に伝えたのだ。

出ることのできなかった携帯電話の「伝言」として。

「乗せてくれよ、その車に」

と。

 

鷲津はそれに言葉を返してやることはできない。

それは「過去」の声だから。

やっと劉の本当の「願い」を聞くことができたのに。

鷲津がそれを聞き届けた時点では、

すでに失われてしまった、劉の孤独な、命…

 

 

 

この映画を初めて観たおり、

私にはこの映画が「終わっていない!」ような気がして仕方なったのは、このブログにも書いたとおりです。

あとで何故かと考えてみれば、ドラマ版と比べてみれば明白なんですよね。

 

ドラマ版は鷲津が芝野に対して

「あなたは私だ」

と言い、最初否定されても、紆余曲折あって、芝野から

「俺はおまえだ」

という言葉を最終的にはもらうことができる。

 

でも、映画版では、

「俺はあんただ」

と言った劉に対して、鷲津はついに言葉を返してやることはできない。

 

失われた言葉。

届かなかったコミュニケーション。

 

その永遠の断絶感が観た者の心にぐさり!とくるし、いつまでもひっかかる、わけです。

ドラマ版を詳細に観ていて、内容を憶えていればいるほど、なんだか中途半端に投げ出されたような気がしてしまうのではないでしょうか。

 

 

まるで完璧なドラマ版の「完成した形」を打ち砕いてしまうかのような、こんな形にしたのは何故なのか?

もっとそつなく、終わらせることもできたのに。

何故に…?

私なりに、その理由を考えてみたのですが…

 

 


以下、続きます。

(うわっ、申し訳ない、あと少しです~)

 

 

 

 

 

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2009年6月25日 (木)

映画「ハゲタカ」 Vol.5

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また、週末が近づいてまいりました…

ええ、当然行きます。

またこの映画を観に行きますよ、ワタクシは。

こうなったら、見届けますとも。

「ハゲタカ」廃人の焼け野原を…

 

って、違うからっ!!!

「焼け野原」にしてどうする!

…と自分につっこんでおりますが(藁)

 

そして、やらねばならないこと山積み状態を横目に、またまたこ~んな文章を書いてます(冷汗)

で、でも、もうちょっとだけ書き進めておきたい…

よろしかったら、お付き合いくださいね!

 

 

 

当ブログは純粋な映画レヴューではありませんが、映画「ハゲタカ」の内容に結構踏み込んでおりますので「ネタばれあり」の「注意喚起」をさせていただいております。

 

 

 

アカマ自動車。

それはたぶんラストチャンス。

劉一華にとって。

彼が日本に、自分の「居場所」を作る、最後の機会だったのではないか?

 

 

もちろん、「こどもの頃憧れた赤い車」の会社ですから。

きっと特別だったでしょう。

彼は最初の記者会見できっぱり言ってるんです。

「アカマを、日本を、救いたい」

って。

 

でも初見の折、ワタクシすっかり身構えていて、古谷社長以下アカマの社員の目線で劉を観てしまっておりましたから、とにかく信じてなかったんですよね。

彼の言葉を。

まあ、「買収」しようといって乗り込んできたわけですが。

挑戦されたと受け取ってしまって、必要以上に自己防衛的になるのは、日本人の悪い癖ですね。

でもあとから見直すと、この最初の記者会見は、彼の本音がストレートにでています。

劉は言います。

日本から学んで、ともに成長したい、と。

 

 

劉がどうして守山を「見つけた」のか…

缶コーヒーを渡して話しかけるところから始まって、どんどん積極的に守山に近づく劉は、なんとも馴れ馴れしいというか、訳わからないというか、最初観ている私も???でした。

 

でも。

守山を初めて見たとき、これは自分だったかも、と思ったのではないか。

自分がアメリカに渡らず、もし日本に残っていたら。

劉一華ではなく、佐藤として生きていくことを選んでいたら。

たぶんこの「憧れの赤い車を作る会社」で働くためには、派遣工として勤務するくらいしか他に選択肢がなかっただろう、と。

 

彼の孤独が透けて見えます。

「雨は嫌だなあ…」とつぶやく時。

守山に、なぜアカマで働くのか、と問いかける時。

夢かうつつか、こどもの頃見かけた「赤い車」を語る時。

何者でもなかった出生。

彼の喪われた少年時代。

欲しかった仲間。

アカマに関わることで、今度こそ得られるのではないか。

そんな「望み」を無意識に抱いていたのではないのか。

 

最初距離をおいていた守山が、少しずつ心を開いてくれて、派遣工の扱われ方や待遇についての自分の気持ちを話してくれた時。

もしかしたら集会の計画を聞かされていた時。

劉はきっと嬉しかっただろうな、と思うのです。

 

だから、最初から守山を利用しようとしたわけではなく、自分のポジションを使って、三島由香や古谷社長に告発することで、守山たちの待遇が改善されて、なおかつ自分にとっても利益になる。

それはきっといずれ会社にとっても利益になっていくだろう。

そういう「みんなにとって、利益のある構図」を頭に描いていたのではないか、とも思うのです。

 

 

でも彼は、選び間違えた。

 

 

日本は「出るクイの打たれる社会」

「信念のある奴はめんどう」と言われてしまう社会。

目の前で古谷社長にきっぱり「リーダー(守山)はダメだ」と決められてしまった時。

はっとして、何か言いたげだった劉。

しかし、彼はそれ以上、そのことを追及することをやめてしまった。

 

そして手切れ金を渡して、守山を切り捨てた。

守山のような存在を切り捨てたこと、

それは、自分の中の佐藤を切り捨てたこと。

一方ではスタンリー社のような会社と組んでおきながら。

 

 

その苦い選択。

どうやって無理やり自分自身に納得させたのか…

きっと、納得していなかったんでしょうね。

心の底からは。

だから蓋をしていた苦しい胸のうちが、溢れ出てきてしまったんだと思うのです。

 

鷲津が、自らやって来て、再び問いかけたので。

「おまえは誰なんだ」

と。

 

 

 

スタンリー買収劇の修羅場の中で、絶望的に下がっていく株価のグラフを見ながら、

本当は、劉はどう思ったのか…

 

もう、遅い…と?

あるいは、

まだ間に合う…と?

 

 

 

その答えはわからない。

彼の唇は永遠に閉ざされてしまったから。

「俺もその車に乗せてくれ」

そう言い残して。

その言葉を、ただ鷲津に残して。

 

 

 

鷲津に送りつけられた劉の自主再建計画案。

それが届いたころを見計らって、鷲津に電話とかするつもりだったのではないか、とも思えます。

鷲津と組んでアカマに関わることができないかと、最後まで希望を捨ててなかったんではないか、とも思えます。

 

 

劉はファンド・マネージャーとしては完敗することになったので、かえってそれで自分の「本当の望み」がわかったのかもしれません。

自分の本当の「居場所」がほしい。

「かつて憧れた赤い車を作るこの会社」が、「自分の居場所」であって欲しい。

そして、

この国を、日本を選びたいのだ、と。

 

 

 

「本当はアカマを愛していたのではないのか?」

という鷲津の問いかけは

「本当は日本を愛していたのではないのか?」

という問いに聞こえます。

 

 

 

日本は「国を愛する」と堂々と言うことのできない、やっかいな国です。

すぐ「右」だの「左」だの馬鹿なレッテルを貼られてしまうから。

 

でも本当に国を愛するというのは、

「そこに住む人たちにとって、幸せな希望の場所であって欲しい」

と願う、「祈り」のようなものだと、私は思っています。

 

 

劉の祈り。

ラスト近く、アカマの赤い車を運転する守山。

それは守山であり、佐藤であり、劉であり…

彼のような存在、現場で車の部品を作っている派遣工のような存在が、自分の作った車を自分で乗れるような、そういう国であって欲しいという、そういう願い。

そういう祈り。

 

 

 

そして。

その祈りを受け取ったのは…

鷲津政彦。

 

 

ひとり、荒野に立って、

これからどこへ…?

 

 

 

ああ…やっと鷲津さんまで辿り着きました…

異常に前フリ長い感想文(?)ですが(冷汗)

あと少し、お付き合い願えれば幸いです。

 

以下、続きます。

 

 

 

 

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2009年6月22日 (月)

映画「ハゲタカ」 Vol.4

Hagetaka_ban_l



唐突ですが、最初に私の「現在の望み」を書きます~。

ええ、ブログに書いておけば、それが叶うんじゃないか、と思って。

(↑図に乗ってます。ズーズーしいです。ごめんなさい(汗))

 

「ハゲタカ」の続編を観たい、映画館で「ハゲタカ」を観たい、が叶ったので。

今度は「ハゲタカ」のテーマ(オーケストラヴァージョン)あるいは「神の鳥」あたりを、「NHKホール」で演奏してくださいませ!!

あの、ばかでかいホールで生演奏を聴きたい!のでございますよ!!

確か昨年の大河ドラマ(「篤姫」)はファンの集い&演奏会とかをNHKホールでやってましたよね~?

あそこまで大規模は無理としても、何かのコンサート(とか公開番組とか?)の時に「ハゲタカ」パートがあったら、う、嬉しいです…絶対観にいきたいですよ~!

ま、暮れの「紅白」の中で…というのでもいいんですがね!(大笑)

でも、できれば複数曲目を聴きたいかと!!!

ご考慮、お願いいたします、NHKさん!

 

というわけで、予告どおり週末土曜日に、またまた映画「ハゲタカ」観に行ってまいりました。

やはり23区内繁華街の映画館で、座席も4分の3は埋まっており、まだまだイケる感じ。

きっとリピーターも多いはず。

(私なんか、まだまだ回数的に未熟者です(笑))

このまま都内のどこかでずっと「ロングラン」がいいな。

今後も、何度も何度も噛みしめて観てみたい、ですから。

きっと「現実」の状況が違ってきたら、また映画は違ったように読み取れるはず。

その「変遷」も目撃したいから…

 

 

 

当ブログは純粋な映画レヴューではありませんが、映画「ハゲタカ」の内容に結構踏み込んでおりますので「ネタばれあり」の「注意喚起」をさせていただいております。

 

 

 

私が最初にこの映画のちらしを入手した時、まず不思議だったこと。

それは、鷲津政彦の今回の「敵」として登場するらしき人物についていたコピー文。

「救世主か?」と。

なぜこちら側が「救世主」なのだろう…、鷲津でなく?

そして、鷲津は、

「破壊者か?」と。

 

 

 

その敵、劉一華。

その存在感はもの凄い。

私の映画初見の折、彼はたいへんにエキセントリックに登場してくるのであれよあれよと引き込まれ、しかもこちらが正体不明なモノに対する警戒感を持っていることを巧みに付け込まれ、ミスリーディングされる演出で、最初は必要以上に「不気味な敵」という感覚を持ってしまっていました

(「鷲津さんの敵」と思っているから、鷲津ファンにはなおさらですよね(笑))

 

しかし、映画が折り返して後半に入ると、その感覚が徐々に崩れていく。

ストーリー的にはどんどん緊迫していくのに、何か脆くも危うく崩れ去っていく、ちょっとない感じ。

それで観る者は

「えっ?!ちょっと待って!!いままで思いこんでいたのと、この人物は違うの?この物語は違うの?」

と慌ててしまうのですが、そのままストーリーは終幕。

観終わったら、早くも

「もう1回、アタマから観たい!!」

となるわけです(笑)

それがこの深い背景・構造を持つ映画に、実にマッチしている。

しかも、再度観ても、あとにはまだまだ「謎」が残る感じで、これがなかなか解決しない。

それで、さらに3回とリピートして…むむむ!!

凄すぎです、カントク~!(笑)

完全にあなたの術中に嵌ってます!(大笑)

 

 

今回私は、どこで特にミスディレクションされてしまったのか?と気をつけて観ておりました。

ひとつは、三島由香が劉と鷲津を比べて

「決定的に何かが違う」

と断言するところ。

何が違うのか、言わないのですよね~。

だからこっちが勝手に解釈してしまう。

 

そしてもうひとつは、例の劉の「楽しかったんだろう鷲津!」のところ。

こっちは鷲津さんの味方だから(笑)劉の過激な発言に、

「ううぬ、こやつー!!(怒)」

と感情的になってしまうし、ここの演出がホラーのセオリーを逆手にとっているのでなおさら劉が不気味に見えた。

 

 

でも、考えてみましたよ。

ここで何故、劉が過激で挑発的な言葉を鷲津に投げかけてるのか?って。

この直前に鷲津から

「おまえに何がわかる」

と、拒絶されてるんですね。

 

 

 

よく考えてみると、劉にとっての鷲津は「ずっと見てきた憧れの存在」なだけではないんですよね。

NY時代の回想。

鷲津は劉に「人を殺したことがあるか?」と問いかけて、「強くなれ。強くならないと人を殺してしまう」と戒めている。

この時鷲津が使ったのは「日本語」です。

 

ホライズン時代の劉が「劉一華」名義を使っていたものか、「佐藤某」名義を使っていたものか、どちらなのかはわかりません。

たぶん鷲津に話しかけている様子では英語で話しかけてますから、すでに「劉一華」と名乗っていた可能性高いかな、とは思いますが。

 

日本から遠く離れたアメリカでホライズン社のインターン(研修生)になっていた時、なんだか活躍している先輩がいる。

その人は日本人だ。

だから、なんとなく気になる。

とても口もきいてもらえないような存在。

それが、たまたま話のできるチャンスを得た。

それで話しかけてみたら、びっくりするような話をし始めた。

 

果たして、鷲津は自分が話している相手が「日本語」がわかると思って話していたのか。

それとも「日本語」はわからない、と思っていたので、あんな核心に入った話を、ついしてしまったのか。

3回観た限りでは、まだわからないです。

(次回も観て必死に確認してしまいそうです~(苦笑))

 

ただわかるのは、その「日本語」の言葉を受け取った劉が、言葉の意味をずっとのちのちまで考え続けたであろう、ということ。

そして、「日本語」でとても重要な話をしてくれた鷲津が、劉にとっては特別な存在になったであろう、ということ。

 

 

 

11歳で来日して「日本人」になった劉は、最初「日本語」ができなかった。

それで中国人として差別されて苦労した。

と、劉の経歴が説明されています。

その後の生活は詳細説明ないのですが。

たぶん努力して持ち前の頭の良さを生かして母国語同様に日本語を身につけた劉少年は、公立中学で良い成績をとるようになる。

しかし、今度はあっという間に優等生になってみせた彼を同級生は驚異の目で見て、またしても周囲に溶け込めない。

というような状態だったのではないか、と想像します。

 

いずれにしても、異質なものを拒む日本社会の壁は高く、ともに来日した劉の父(これが本当の父であったのか、偽装の父であったのかは最後までわかりませんが)もうまく生活をたてられず。

劉はどうも日本国内では高校進学できなかった模様。

でも向上心のある彼は、何かの機会を得てアメリカに渡ることができた。

そこで苦学してカレッジに学びながら、ホライズン社の研修生になった…

 

 

彼の子供時代は中国の奥地の「貧農」

どのあたりと思うか?と当ブログの政治顧問(笑)に尋ねてみたら、

「湖南省城歩苗族自治県あたりで、どうか?」という答えが(笑)

中国の少数民族です。

(なんで苗族なのかというと1980年代にシティコープ(シティ・グループの前身)に苗族出身の伝説のファンド・マネージャーがいて、苗族は金融の才能があると言われていたから、だそうです(笑))

 

私はおそらく劉は「無戸籍児」だったのではないかと思います。

その理由は、劉が住んでいたであろう家までわかっているのに、本名がわからない、家族のこともわからない。

ということは公的記録に一切残っていない、ということだと思うから。

 

本物の劉一華が1976年生まれ(と見えたのですが、もしかして1978年生まれかも)だから、たぶん彼もそのくらいの生まれでしょう。

当時中国は、76年に周恩来、毛沢東と亡くなっており、国の大転換期。

文革の傷痕もまだ癒えていないだろうし、ましてや当時の湖南省のど田舎で、無戸籍の人たちがいても全然おかしくない。

劉は(もしかしたらその親たちも)中国に暮らしながら、中国国民にカウントされてない。

それが「残留日本人孤児の子孫」を偽装することで、初めて市民権を得る。

存在をカウントされていない者から「誰かになる」ことができる。

例えそれが「日本人」だとしても。

 

 

来日は80年代末。

ちょうどバブルで日本中が湧きかえっていた愚かな時代。

それこそ「札束でひとの顔をひっぱたいていた」時代。

その日本で、劉はたぶん周囲に溶け込むこともできず、「じっと見てきた」

日本の成功も。

失敗も。

ただ、傍観者になりながら、じっと見ているだけしかできなかった、存在。

 

せっかく「日本人」になりながらも、日本には居場所がない。

日本にいても何にもならない。

生ぬるい地獄…

 

 

劉の思春期のころ、10代のころを想像すると、胸が痛む。

日本がはじき飛ばしてしまった、彼。

拒絶してしまった、彼。

彼は、新たな自分の居場所を探してさらにアメリカに渡ることになる。

それは彼が「日本人」のパスポートを手にしたからこそ、できたことなのだけれど。

 

 

劉にとって「日本」とは何だったのか。

自分に市民権を与えてくれたところ。

でも、自分を拒絶したところ。

劉は「日本」をどう思っていたのか。

 

 

そして、たどり着いたアメリカで、劉はひとりの人物に会う。

鷲津政彦。

何かを背負っていて、でもそれを否定しようとしている男。

日本を捨ててきた男。

彼は劉に「日本語」で言った。

「強くなれ」、と。

その時から鷲津は、劉にとって特別な存在になった。

日本から遠く離れた土地で。

深く心の中にあることを話してくれた、初めての「日本人」の仲間…

 

 

 

でも、彼に再会した2008年。

鷲津からは拒絶のひとこと。

「おまえに何がわかる」

と。

 

 

 

以下、続きます。

 

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2009年6月18日 (木)

映画「ハゲタカ」 Vol.3

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微妙に「中毒」でございます。

ええ、こんなことになるって、とうにわかっていたんですがねぇ(苦笑)

どこで何をしていても、いつの間にか考えてますよ~。

あのシーンの意味は、本当は何だったんだろうか…とか。

背景には、どんな現実があったのだったっけ…とか。

そう、2年前にもドラマ「ハゲタカ」観てそうだったけど、今度はこの映画で、「中毒」に陥っています。

 

で、こりゃまずいぞ、と昨夜は気分転換にコンサートに行ってきたんですが。

行った場所がアークヒルズ(溜池山王)だったためか、なんだか出張か商談の欧米人の方々が多い場所柄。

つい鷲津さんが打ち合わせに来てるんじゃないかと、ありえぬ妄想に目が探してしまったりして…

駄目です。

末期となりつつある…(大笑)

(コンサートは良かったですよ~!N響&準・メルクルさんの「ボレロ」聴いてまいりました!素敵なおじさまになりつつあるメルクルさんにキャーッ♪となりつつ、若々しくドラマチックでありながら、とっても緻密なこの曲を堪能。しかし、ワタクシ実は2年前にも「ボレロ」(指揮者は別)を聴きに行ってる…ちょうどドラマ「ハゲタカ」にはまっていた時に。それを思い出してまたも「ハゲタカ」にアタマがトリップする始末、むむむ。)

 

まあ、そんなイカレタひと(笑)になりつつありますが、週末にはこの映画をまた観に行こうかと思ってます。

週末のお楽しみ!(笑)

そして、考える。

この映画の本当の「意味」は?

そして、「現実」は?

 

 

 

当ブログは純粋な映画レヴューではありませんが、映画「ハゲタカ」の内容に結構踏み込んでおりますので「ネタばれあり」の「注意喚起」をさせていただいております。

 

 

 

2008年11月。

金融危機に始まった今回の世界的危機が、やがて「実業」の世界も蝕みはじめた頃。

アメリカの自動車業界がその象徴になってきました。

私の手許のメモには、11月12日に初めて

「GM,クライスラー、フォードのビッグ3が危ない」

というのが出てきます。

 

でも実は「ビッグ3」に問題があるのは、この時点で始まった話ではありません。

製造業離れしてきたアメリカでは、唯一、生き残ってきた製造業である自動車産業は、いわば国策産業。

自動車業界は、それまでもたびたびアメリカ政府からの資金援助を乞い、大枚の借金をしてきたのです。

それが、この金融危機でさらに急激に状態が悪化、もう年内に操業資金が枯渇するので支援してほしい、とアメリカ連邦議会に訴えに来ます。

 

その頃、11月20日。

NYダウはすでに8000ドル割れ。

東京はもう10月末の時点で一時日経平均が7000円割れなんていうもの凄い値をつけてしまい、悪酔いしそうな乱高下状態になっていましたが、なんとか必死で安定化させようとして日銀が0.3%などというほとんどゼロ金利にしたりしています。

この世界的株の暴落に、アメリカ自動車業界はいよいよ後がない深刻な状態。

しかし救済を求めていたはずのこの議会証言は大失敗。

もっと真面目に計画を立て直してこい!ということで追い返されてしまいます。

 

 

「ハゲタカ」の映画化の話を私が知ったのは、11月16日。

この時点では、まさか舞台が自動車会社になるとは、まったく思わなかったです。(私は原作未読ですので)

のちに初めてそれを知った時、本当に驚きましたもの。

舞台に「自動車会社」を選んだのは、もの凄い「慧眼」としかいいようがないです。

 

「アカマ自動車」は日本そのものだ、と映画作中で言われていますが、同時にアメリカそのものでもあり、今回の金融危機で大打撃を受けた先進国(G8プラスEU)そのものでもある、と言えると思うから。

 

 

 

アカマ自動車の詳細な設定は、これから回を重ねて観る際にチェックしようと思っています。

今の時点での記憶では、売り上げは年5兆円(たぶん日本の業界の中ではナンバー3か4あたりではないかな?)

社長は3代目で、おそらく「大空電機」のように、敗戦後の焼け跡からの復興組の会社

(たぶん創業60~70年くらい?もしかして戦争中は軍用車両なんかを作っていた可能性大では?)

古谷現社長に言わせると「先代、先々代が「モノ作り」に固執するあまり時代に取り残されたので、自分の代では「ソフト化」を目指す」

 

しかし、この「ソフト化」が実は大問題。

執行役員の芝野がとても心配しているのがすでに最初から見てとれるし、鷲津にもひっかかるものがある…

 

新車発表会でアカマの魂と称された、「新アカマGT」がどういった位置づけになるのか、車に乗らない私にはいまいちよくわかってないのが申し訳ないのですが。

たぶん、戦後日本が復興していく中で青年や少年たちが憧れた「夢のスポーツ・カー」

その末裔という感じなのでしょうか。

しかし、この車は「ハイブリット車」で、いわゆる「エコ・カー」でもある。

このあたりがたぶん「中国企業が欲しいと思う日本の技術」なのでしょう。

でも、満を持してハイブリット車を発表したのが、2008年じゃ、ちともう遅い。

しかも、どう見てもファミリータイプでないハイブリット車というと、いったいどの辺を顧客ターゲットとして考えているのか…

 

それはたぶん日本国内では、ない。

「金融危機前夜のバブル」に乗っかって沸いている、北米、あるいはヨーロッパ。

そこで、どうやって車を売りさばくつもりだったのか。

たぶんサブプライム・ローンのような危ういローンを組ませて、そのローンが焦げ付く可能性から目を背けてどんどん売りさばく。

そのために、スタンリー・ブラザースのような危うい投資銀行とも組む。

あるいはもっと、スタンリーにそそのかされて、アカマ自動車名義の怪しげな「社債」を乱発して資金調達していた可能性もある。

 

 

これが、古谷社長の言う「ソフト化」の正体。

 

 

いつの間にか、道を見失っていたわけです。

古谷社長が従業員の生活を守らないといけない、と言ってたのはウソではないでしょうが、その結果、支配したのは売り上げ。

売るためなら手段も選ばず。

しかもそれがどんな結果を招いてしまうのか、考えることをやめてしまった…

「アカマは日本そのもの」

そして

「アメリカそのもの」

 

 

「北米事業の展開の失敗」と鷲津政彦にばっさり切り捨てられ、古谷社長は社長解任を飲むことになります。

「君ならどうしたのか」と鷲津に食い下がる社長に、鷲津は「経営は自分の仕事ではない」ときっぱり。

そう。

アメリカ型の金融は、経営に口を出しすぎた。

それも、本当の経営ではなくて、「証券化」とか「金融工学」とかのマジックを多用して、道を迷わせた。

そのことを鷲津もまた痛感して、己の過去を戒めている瞬間だ、と私は思いました。

 

 

 

現実世界の「ビッグ3」は、かろうじてフォードが現時点では破たんを免れていますが、クライスラーもGMも「連邦破産法第11条」の申請をして、現在再建中です。

 

クライスラーは大量に発行していた「社債」を一部債権者に債権放棄させています。(これは裁判にもなりました)

そして労働組合が持っていた「社債」を「新株」に転換。

労働組合が51%の株保有で最大株主になりました。そのうえで会社の経営権をイタリアのフィアット社に売却しています。

おお、こりゃアメリカ流のEBOだ、と私なんかは思ったり(笑)

 

GMは連邦資金を注入して(300億ドル追加支援)それを新株発行、買い上げに使用。

現在アメリカ政府が60%の最大株主であり、つまり国民の税金を使っていますから最大株主は「アメリカ国民」ということになります。

そのうえで、旧・GMブランドをバラ売りに出してます。

(「オペル」はカナダに、「ハマー」が中国に買われたのは聞いた人もあるでしょうね。現在バラ売りセール中です)

また一方で、新GM社を立ち上げる、という長い道のりの過程です。

 

 

いずれにしても「イバラの道」

アカマ自動車もまた、「不可能に近い」と芝野さんが言う再建の道を今後進みつつあるのでしょう。

クライスラーやGMのように。

その過程で、願わくば、今回は道に迷わないでほしい、と痛感します。

映画も。

現実も。

 

 

 

本当は作っていたのは「夢の車」だったはず。

アカマ自動車が作っていたもの。

それは日本人の夢、だったはず。

そして、そのことを教えてくれたのは、思い出させてくれたのは、劉一華。

その人。

 

いったい、彼は何者だったのか…。

 

 

以下、続きます。

 

 

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2009年6月16日 (火)

映画「ハゲタカ」 Vol.2 

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↑上映中でございます。

ワタクシは今のところ6月6日の公開初日と、翌週6月13日の両土曜日に観にいきましたが、両方とも23区内繁華街の映画館で満席御礼でございました。

行こうかどうしようかという考え中の方、是非観に行ってみて下さい。

意外とエンターテイメントのつくりです。

作劇的にも、ホラー映画的なセオリーを逆手にとっていたりして(笑)

でも、観終わったあと、ひどく心に訴えかけてくる。

そして、心にひっかかる部分を何度も反芻して、自分でじっくり考えてみたくなる。

これは、そういう映画・・・

 

 

当ブログは、しばらく映画「ハゲタカ」に関していろいろ書いてみようと思っています。

純粋な映画レヴューではありませんが、映画の内容には結構踏み込んでいくと思いますので、「ネタばれあり」の注意喚起をさせていただきます。

 

 

 

2年前。

NHKのドラマ「ハゲタカ」の放送終了後、各所で熱狂的な支持者を生んでいたこのドラマのファンの中で、最も気にされていたことがひとつ。

「このドラマの続編は作られないのか?」

 

ドラマそれ自体は見事な形でラストシーンを迎えていたので、このきっちり完結したドラマの「後日談」をさらに望むのは本当は邪道であったのかもしれない・・・

でも、あまりにも主人公の鷲津はじめとして登場人物たち全てが生き生きと描かれたこのドラマは、ドラマという枠を越えて人々の共感を呼び、どうしても「もっと観てみたい!!」という強烈な希望を湧き起こさせていたのでした。

 

 

それは、視聴者の生きる「この時代」があまりにも不透明で、この「世界」を主人公たちがどうやって生き切っていくのかを知りたい、ということであったのかもしれない・・・

今から思えば・・・。

 

 

私もまた、そういう「ハゲタカ」ファンとして、当ブログにつらつらと書いていたひとりです。

2007年4月3日の記事でこの「続編希望」について書いています。

「個人的には続編があるなら、舞台を大きくして、国際競争に晒される日本企業を守護神する「鷲津ファンド」が観てみたいです。「ハゲタカ」ではずっと攻めて打って出るパターンでしたから。今度は受けて立つ、を観たいですね。」

とか言ってるし~(笑)

望みは、かなったわけです。

もうズバリど真ん中です、今回の映画。

カントク&制作されたみなさま、ありがとうございます!!(感涙)

 

確かに、そうやって「日本企業」を守護してほしかった。

やっとバブル崩壊の後遺症から抜け出しつつあるように見えたので。

「失われた10年」から抜け出せるように見えたので。

ドラマ版「ハゲタカ」のラストにあるように、「本業に戻ってしっかりやろう。日本の本業はモノ作りにあるんだから」という言葉が聞かれつつあった時代だったので。

日本企業が、いや日本が、この先どうやって切り開いていくのか、それを護る鷲津さんが見たかったのだけれど・・・

 

ただ、その時点では私は考えも及んでいなかったことがあったんですよね。

今から振り返ると。

企業なんですから、作ったからには当然売らないといけません。

モノを売ること・・・

そのことのために、実は日本が何を「犠牲」にして、何を「代償」として支払ったのか・・・

そのことまではわかっていなかった。

アランじゃないけど「何も見えてない」だったんだよね、ワタクシも・・・。

 

 

2008年9月から10月。

いわゆるリーマン破たんショックが起こって、その後転げ落ちるように世界が金融メルト・ダウンに向かって突き進んでいくかに見えた時の話は、Vol.1に書いたとおりです。

9月末の段階では、アメリカやヨーロッパの金融機関をはじめとする世界の金融機関が大量に保有していた証券、債権が一気に不良債権化。

大手金融機関がいくつもいつ破たんしてもおかしくない非常にヤバイ状態になってきて、取り付け騒ぎなんかがちらほら出たりどんどん放置できない状態になっていく。

それで各国政府が非常に慌てて政府介入の対策に乗り出していったわけです。

 

最初、日本は比較的そういった危機的状態から遠いと思われていました。

1990年代のバブル崩壊後に長い長い時間をかけてやっと金融機関が不良債権を整理し終えたところで、日本の金融機関は今回の金融危機の直接原因のサブプライム・ローンなどの危ない証券・債券の保有率が比較的低い、ということだったので。

 

しかし、10月の第1週でその状態は予期せぬ方向へ進んでゆく。

金融危機によって欧米の金融機関が破たんの瀬戸際になってゆくと、当然普通の市民生活にも影響が出てくる。

具体的にいえば、何か買いたくても住宅も車も金融機関でローンを組むことができない、あるいは勤め先の会社が大量の不良債権を財産として所有していたので多大な損失を出し給料を払えない、あるいはそもそも会社の存続さえ出来ず倒産する、そうしてどんどん失業した人々が増えていくので、もうとても何かを買うどころではない・・・

だから、欧米の市民に自分たちの作った「モノ」を売ってきた日本の企業は「モノ」を売ることができなくなってくる。

その予想が世界を駆け巡り、メーカーを中心とした日本企業の株が大暴落。

日本同様に欧米に売ることで成り立っていたアジアの企業株も軒並み「パニック売り」という状態に陥ってしまったのです。

 

なんでこんなことになってしまったのか?

日本がモノ作りの本業に戻ろうと方向を定めてから、その売り先を主にアメリカ、ヨーロッパに定めていた。

国内はまだまだ不況の傷痕が深くとても作ったモノがはけない。

内需が足らない。

だから輸出に頼ったのだけれど、そのためには円高だと困る。

円高にならないように誘導して、限りなくゼロに近い超低金利政策をとる。

すると、その低金利を利用して、円建てでお金を借りてローンを組むということを思いつくものが出る。

グローバリズムの国際金融の時代なので国境を越えてのローンが可能となり、普通だったらローンを組むような収入のバックボーンがない外国に住む人たちにも円建て低金利ローンが可能となる。

これがサブプライム・ローンなどの不良債権の原資になっていってしまう。

しかもアメリカの金融界はさらに、「金融工学」という悪魔的テクニックでこの不良ローンを「証券化」する。

そしてその「証券化商品」を世界中の金融機関に売りさばいて、一見しただけではその危険がわからないように、まるで「地雷」のようにばら撒いて埋めてしまう。

かくして、その「地雷」が大爆発するような破たんがいつ起こってもおかしくないような危うい状況がどんどん拡大していく・・・

 

 

これが実は、映画「ハゲタカ」の舞台の直前の「世界」の状況です。

いつ、何がおこってもおかしくない。

しかし、本質が目の前から覆い隠されて、目を背けられてきた「世界」

その「世界」を形作ってきたのは、「グローバリズム」と称したものでつながった国々、人々。

世界最先端の金融技術。

アメリカと、そして日本・・・。

 

映画のはじまり。

とうとう日本に愛想尽かして海外でくさって自暴自棄的酒とバラの日々(笑)をやっている鷲津を、再び舞台上に戻そうと助力を乞いに来る芝野がいう言葉。

「こんな腐った世界(日本)を、金融界を作ってきたのは我々なのじゃないのか」

その言葉にハッとなった映画初見の日。

ああ、この映画はやはりただごとではすまない映画に仕上がっているな、と背筋を正した私なのでした。

 

 

この項、以下続きます。

 

 

 

 

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2009年6月 9日 (火)

映画「ハゲタカ」 Vol.1

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観ました。

そして、うーん・・・、やられた。

ドラマ版と違って、ラストシーンを観終わっても全然すっきりしません。

いや、けなしてません。

逆に、誉めてます。感嘆してます。

このずっと後を引く感じ、考えさせられる感じ、テーマの深さは相当のもの。

ずっと、考えていたんだよね。

あの日から。

そう、あの日からずっと・・・

 

 

 

リーマン・ブラザースの破たん後NY証券取引所で株価が大幅に下がり始め、ついにアメリカ政府が介入するかしないかということで、アメリカ下院で「金融安定化法案」を決議していた2008年9月29日。

しかし法案は可決失敗で、否決。

その日NYの株価はあれよあれよと坂を転がり落ち、その時点で「過去最大」と言われるほど暴落。

9.11事件後の株価暴落よりひどかった。

慌てて翌週10月3日、やっと「金融安定化法案」を通したけれど、もう遅い。

 

翌週6日、7日と株価は下がり続け、ついに8日の午後東京市場・日経平均が9.38%の下落率を記録した時、CNNのブレーキングニュースとなった。

事故だの地震だの以外でCNNが「東京」をブレーキングニュースにすることなんてめったにない。

それだけに事の重大さがひしひしと伝わり、普段市場のニュースなんかさして興味ももっていない私も固唾を飲んで見守ったものだ。

 

さらに10日、日本を中心としたアジア株が次々に大暴落。

パニック売り、という状況が止まらない。

このまま「東京市場」が「世界市場」を道連れにして崩壊するのか、とさえ錯覚するほど。

東京発のブレーキングニュースを連発するロンドンのCNNスタジオも、ほとんどパニック状態だった。

あんなに叫んで動揺するCNNのアンカーたちを観たのも初めて。

そしてその夜、NYの市場のオープニング・ベルとともに株価がどんどん下落していき、ほんの5分ほどの間にダウが確か800くらい下がっていくのを見た。

 

まさに音をたてて金融市場が崩壊してゆく。

こんなにも脆いものの上に私たちの生活が成り立っていた、という事実。

その、背筋も凍る感じ。

その、あまりの恐ろしさ。

いまになっても、まざまざとその時感じた感覚を思い出す事ができる・・・

 

 

この悪夢のような1週間のあいだ、そしてその後。

本当にいろいろな人たちが、途方に暮れ、悲嘆し、あるいは怒りながら、本当にいろいろな事言ったり、書いたりしていましたよね。

みんな、ややハッキョー気味だったので(失礼)良くも悪くも「その時」のなまのもの。

その後の展開で当たっているものも、はずれているものもあるのですが。

 

ジム・ロジャース(伝説のファンド・マネージャーのジョージ・ソロスのパートナーとしてクォンタム・ファンドをともに設立した人ですね)なんぞは、ウォール街の近年の在り方に批判的だったから、

「(今回のできごとは)29歳でマセラッティを乗り回しているような身の程知らずな連中に、思い知れ!ということだ」

とか吐き捨てていて、そのあまりにピンポイントな攻撃ぶりにテレビの前のワタクシは

「なんすか~!!それーっ!!!(きーっっ!!)」

と身もだえしておりましたです((笑)でも、「ハゲタカ」ファン、鷲津ファンならわかるよね?(大笑))

ただ、「ウォール街の身の程知らず」という言葉は深く心に残りました。

 

 

そして、あの日からずっと考えている。

考え続けている・・・

この「危機」の意味は何なのか。

世界はどこに向かっているのか。

 

 

 

映画「ハゲタカ」を観て、やっぱり考え続けているんだな、と感じました。

「ハゲタカ」を制作した人たちも。

そして、鷲津政彦も。

 

いやー、簡単に答えが出るとは思いません。

世界情勢も世界経済情勢も。

そして、この映画「ハゲタカ」の解釈も。

ドラマ版と同じで、繰り返し観て、味わって、分析して、我が身のことと感じなければ。

そして、たぶん時の経過ととともに、その感想も違ってくる。

「世界」が動く分、たぶんこの映画の持つ意味も揺れ動いてゆく。

「世界」と連動する映画・・・

 

 

 

またしばらくのあいだ、折にふれこのトピックは当ブログ上で書かれていくことと思われますので、「Vol.1」としました。

いま、ちと時間がないので追って細かい感想とかも書いていきたいですが。

なにより、もっと数回観て確かめてみないとね。

 

今のところざっと言えることは、これ、まるで「3部作」の真ん中ですね、ということ。

終わってない。

そう感じる理由は、またおいおいに。

もう1作、制作してください!!

(えっ?「また続編希望」は欲深い?いや、「ハゲタカ」廃人ですから!!(笑))

 

 

 

時間がない理由のひとつは、またもや我が家のパソコンの1台がクラッシュしそうだから。

(またかいな(苦笑))

バックアップ作らなくちゃー!

このパソコン、実は「訳あり」で我が家に流れ着いたお方。

パソコン・メーカーのサポートセンターに電話する時、ちょっとどきどき。

「そのパソコンは当社では登録されておりません」

と言われたらどうしようかと思いました(実際は登録されていてひと安心でしたが)

もし登録されていない身元不明パソコンだったら、パソに向かって言ってしまいそうでしたよ。

「おまえは誰なんだ・・・」

 

 

 


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2009年5月12日 (火)

やった!連勝~!!(ジロ♪)

やった!
ペタッキ連勝!!!(わっく、わっく♪♪)
マリア・ローザですよ~♪(舞い上がってます~。明日から山があるとかの噂は、この際知らんです(苦笑))

今年は思う存分うっぷん晴らしてね!!

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2009年3月31日 (火)

「過去の亡霊」からひとこと~G20への道

nyan-chan2222「世界を亡霊が徘徊しているー90年代の日本という亡霊が・・・」

当ブログの経済顧問(笑)「・・・カール・マルクス&フリードリヒ・エンゲルス?・・・あんた、それパクリです(呆れ)しかも、3月号のWEDGEにも、そんなパロディまがい書いてる人がいましたよ」

nyan-chan2222「いやまあ、パクリですが(爆)でもWEDGEの真似じゃないですよ。あれ読む前から考えていたんだから!」

 

 

 

ご無沙汰してます、nyan-chan2222です。

相変わらずバタバタしてる間に、いたずらに時間だけが過ぎゆきます。

いやまあ、いつものことですが。

このブログも長い間更新できず・・・もしかして時々訪ねて覗いていてくださった方々、申し訳ないです(冷汗)

その間、いろいろヤボ用を片付けながら・・・、まあ、「ステート・ウイズイン」を熱心に観てたり・・・(←ああっ、やっぱり!という声がどこかから聞こえてきそうです(笑)めったにドラマは観ないので、観ると大ハマリするのはいつものこと。まあ、内容的にもnyan-chan2222が観るしかないでしょ!というストーリーでしたが、2月から3月の、このクソ忙しい時期に全7回のテンション高いドラマを放送なんて(前にどっかで聞いたようなパターンだ(笑))、NHKさん、もしかして狙ってる??責任とって、是非是非、再放送をプリーズ!!!・・・ああいかん、これ以上書くと大脱線しそうなので、「ステート・ウイズイン」についてはまた日を改めて(汗))

 

 

 

まあ、そんな日々の中、先日ちょっと用事があって虎の門のスターバックスにいたわけですよ、ワタクシ。

そして、去年とはまったく光景が違ってしまったことに驚いていました。

虎ノ門のスタバは、しばらく前まではスーツ着た欧米系の外国人ビジネスマンがパソコン打ってたり、商談の合間なのかお茶しながらミーティングしてたり、が結構多かったのです。

なのに、欧米系外国人らしき人がひとりもおられず。

日本人だってビジネスマンっぽい人をほとんど見かけず。

みんなどこへ行ってしまったの?という感じ。

で、その話を知人にしたら、知人の仕事先ビルでも下のフロアの外資系金融会社が一夜にして撤退して、ひとっこひとりいなくなってしまった、という話を聞かされました。


 

やはり、世界的な金融危機なんだな、と妙に納得。

じわじわと風景が一変しつつあります。

でもこういう変化は今回が「初」ではないですね、東京は。

というよりも、CNNでもこの前言われてましたが、10年前に同じような危機的事態だったのに、どうしてまたおんなじことになってるのか、日本!(苦笑)

ただすでに通った道なので、東京では人々は悪く言えばあきらめ気味、良く言えばあわてず騒がず、今のところはしぶとい感じです。

 

でも、世界の他の地域はそうはいかないですね。

特にアメリカやヨーロッパでは、記憶にある限りこんな目にあったことないでしょうし。1929年の大恐慌の記憶なんて持ってないし。

だから、この先どうなるのか、それがわからなくてとても不安、心配、恐怖・・・

当然でしょう。

そして、みんな口をそろえてこう言うのです。

1990年代の日本のようになってしまったらどうしよう!」

90年代の日本の「失われた10年」のようにならないためには、どうしたらいいのか?」

 

 

そう。

世界を亡霊が徘徊している。

90年代の日本という亡霊が。


 

なので、ここはひとつ、当ブログの経済顧問と相談しながら、みんなが怖れる日本(苦笑)のようにならないために、ちょっとだけ世界の人たちにアドバイスを書いてみようかと思います。

つまり、題して。

「亡霊」から、ひとこと。

 

 

 

どうして10年間も(いや正確には、日本の庶民にとってはここ18年間ほどずっと)失われてしまったのか。

その一番の理由は「現実逃避」だった、と私は思います。

80年代末から90年代初頭にかけて、日本中が浮かれた「バブル景気」は、文字通り泡のように実態のないものではじけ飛んでしまったわけですが、その事実をみんななかなか正視することができなかった。特に強烈に下落した不動産価格など「時間がたてばきっといつかまたもとの価格に戻るにちがいない」と心のどこかで思っていた。

なので、バブル崩壊後じりじりと価格が下がり続けても何も手を打たずにいてしまい、やがて気がついた時には手の施しようもなく、不良債権として積みあがってしまっていた。

そしていったん不良債権の山ができてしまうと、今度はそれをひたすら隠すはめになった。

二重帳簿をつくったり、実態のない子会社につけかえた形にしたり、無意味に隠し続け、ますます不良債権が増え積みあがっていった。

90年代を通してそんなことが行われ、ついに90年代末、もうどうにもならない状況になってつぶれる銀行や証券会社が出て、初めて「これはもう絶対に元には戻らない。だからなんとかするしかないのだ」と気がついた・・・。


 

つまりは、もともとが「バブル」だったわけです。そんなに高い価値などあるはずない。底上げしていただけなのです。

もう絶対にバブル時の価格に戻ることはない。

いや、健全な経済のためには、またバブルに戻してはならなかったのです。

本当の価値がどのくらいなのか早く「査定」して、実態にみあった価格を受け入れ、バブルの時の異常な高値価格とのあいだの差=損失額を「不良債権」として確定しなければならなかったのですが、それをやらずにだらだらと現実逃避していたわけです。

もっと早くちゃんと確定していたら、価値のさらなる下落も歯止めできたろうし、負債が雪だるまのように積み増すこともなかった。

さらには不良債権を恐れて銀行が貸し渋りを始めることもなかっただろうし、ドミノ倒しのように負債が連鎖して銀行や証券会社の倒産の危機が拡大していくことも止められたはず。

重要なのは、痛い現実、真実をしっかり認めることで、それが解決の第一歩、始まりなのです。


 

日本ではやっと1998年に制定した金融再生法の下、金融庁(当時は金融監督庁)が金融機関に対して強制的に調査に入れるようにしたのですが、これだって十分でなかった。

本当のところ、日本国内の組織では問題処理のための力をなかなか発揮できず、海外からの「外圧」がかかってやっと動き出したといってもいいかもしれない。

不良債権処理に群がった海外勢のハゲタカファンドやら、2002年に導入されることになった時価会計やらの「外圧」が必要だったのです。

「外圧」がかかって本格的に「査定」が始まるまで、さらに余分な時間が失われたのはいうまでもありません。


 

しかし、そうやってなんとかバタバタと始まった「査定」が公正であったかどうか、実はあとあとまで尾を引いています。

本当に正しい「査定」がされたのかどうか。

どう考えても実態の価値より高い評価をされた不良債権もある。逆にこっそり不当に安い値段をつけられて他の屑物件と紛れ込ませて処分が行われた優良物件もあり、不当に私腹を肥やした悪者たちもいたことが、いまになって明らかになりつつあります。

こうした事態はさらに悪くすると、混乱に乗じて小手先のテクニックで「怪しい証券」をまたも新たにつくり出したり、「怪しい債権市場」をでっちあげたりする者が出てこないとも限らないということでもあります。

当時言われた「民間の活力利用」という言葉が目くらましとなった結果、いまになって日本の社会は公的なものがボロボロになりつつあり、問題が噴出していることも付け加えておきます。

もっと公的な存在の組織が不良債権処理にあたれなかったのか、あとから悔やまれても、その時にはすでに遅いのです。

 

 

先週アメリカで「バッド・バンク」構想という不良債権処理策が発表されましたが、これはやっと直視するためのスタートラインにすぎません。

肝心なのは今後どうしていくか、の方ですから。

述べてきたように、正しい「査定」がされないと意味ありません。

「バッド・バンク」をどういう組織にするか、誰が、どうやって、采配をふるうか、それこそがとても重要なのです。

おそらくすでに多額の不良債権を抱えてしまっている金融機関に、損失額の責任をとらせながら債権を吐き出させるのはとても大変でしょう。

日本の例を出したけど、欧米の銀行だって「現実逃避」してないと誰が言えるでしょう?

かなりの強制力をもって、金融機関が隠したり飛ばしたりしている不良債権をつきとめて処理させ、必要とあれば経営責任(当然民事訴訟も含みます)をとらせたり、さらには金融機関を解体したり破たんさせることも視野にいれなければならないのです。

いまアメリカは、財務省の権限強化問題の賛否で揺れているようですが、そんなのは目じゃないかも、と言っておきたいです。


 

しかも、今回のこの金融危機は一国の処理で片付く問題じゃありません。

国際的に広範囲に多種多様にばらまかれた不良債権を同時に処理していかないと、またどこかに「吹きだまり」のような真空地帯ができて、いずれそれが発火点となってまた新たな金融危機を招かないとも限らない。

実際、日本で不良債権をしょいこんだものたちが、それを解消するために別の国でまたバブルをおこそうと企てた、なんていう馬鹿な犯罪的なこともおこったのですから。

すでに世界は良くも悪くもつながっているのです。

 

 

そういうわけでアメリカ国内で財務省に権力が集中しすぎだ、などと的外れなことを議論している場合ではないです。

「査定」は速やかに、しかし公正に、やらねばならない。

極めて困難な道です。

そのためにはかなりの知力と剛腕が必要です。

むしろ一国を越えて「査定」、「処理」、「規制」、「監視」を強制的にやる国際機関をつくるくらいの覚悟がないとなかなか片付けることができず、いたずらに歳月が失われることになる・・・

それは、みんなの反面教師にして恐怖の対象たる我らが日本国を例にひくまでもありません。


 

 

みんな、90年代の日本のようになりたくなかったら、さっさと決然たる意思をもって、国際的協力をつくりあげるんだ!

屈辱を承知でそう言いたいです。


これが亡霊からの伝言。

亡霊からの忠告です。


そして、世界のみんなが良くならないと、どんなに過去の経験があったって日本はまた何度でも同じことに陥る、とも承知しています。

世界はもはや否応なく堅く密接につながっているんですから。

 

 

今週始まるG20の国際会議、そしてその後に続く道。

今後の展開を注視しています。

果たして次の一歩が踏み出せるのでしょうか。

 

 

 

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2009年1月21日 (水)

成るか?!、21世紀の真のスタート~第44代アメリカ大統領就任式

よく、「現在進行中の金融経済危機は100年一度の危機だ」という言葉が聞かれます。

そして、「1929年の世界大恐慌以来の大恐慌の可能性も秘めている」とも。

しかし、最近私は「本当にそうなのだろうか?」と思うのです。

本当に今は、「80年ぶり」の経済の危機的状況なのだろうか・・・、と。

 

 

遅ればせながら、あけましておめでとうございます(←ほんとに遅いよ!(冷汗))

またも大いに不定期更新の当ブログ、時々覗いて下さるみなさまには申し訳ございませんです。そして、いつもたいへんにありがとうございます。

ぼちぼち細々と更新していきますので、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

さて、昨夜私は家のTVでバラック・フセイン・オバマ第44代アメリカ合衆国大統領の就任式を観たわけですが、この文章を綴る間もまだまだ深夜のワシントンDCの祝賀会の様子が報道されていたりして、アメリカが、世界が、この日の来るのを本当に首を長くして待ちに待っていたことをしみじみと感じます。

やはり、ただでさえ過去8年間で問題山積だったところに持ってきて、昨年9月から始まった(いや本当はもっと前から存在していたのですが、一般の人の目にもはっきり見える形で表面化してきた)全世界を捲き込むこの金融経済危機と不況の嵐があまりにも激しく問題をつきつけてきて、たくさんの人たちがくじけそうになりながらも「希望」を託してきたのが、今日この日だった、というのがよくわかるのです。

まさに、「救世主」が正式にその仕事に就任し、着手し始める時が来るのを今か今かと待っていたのだと。

115日の選挙の日からこっち、2ヵ月半もあった待ち時間の長さ。

そしてその間おこったさまざまなこと。

逆に言えば、何も肝心なことがおこらず、進まなかったこと。

その時間の無駄さ。

その間、世界はずっと待ち続けてきた。

だから、もうそれはアメリカだけでなく、世界の希望になっているといえるでしょう。

 

 

しかし、むろん「救世主」がすべてなんとかしてくれるわけもなく、安易な解決法などないということも事実であり、オバマ新大統領の就任演説はまさにその点を戒めているものとなりました。

いわく、「すべての人々がその責任を自覚して一緒に解決に努力しなければならないのだ」と。

確かに。

すべての人々がなんとかしようと動かなければ何かを変えることなどできないでしょう。

そして、「何を」変えるのか。

それは前にも書いたけれど、現在の経済・社会システムにほかならないもの、なのではないかと私には思えるのです。

 

 

現在の世界の経済・社会システムは長らく続いたヨーロッパの覇権の時代がアメリカの覇権へと移った時に始まるのは周知の事実でしょうが、それはいつからだったのかというと、一般には第二次大戦後にドルが基軸通貨になってからだと言われているのだろうと思います。

ですが、それはさらに遡れば第一次世界大戦でヨーロッパが疲弊し、戦争の傷を受けずにすんだアメリカが経済的に繁栄していったのに、しかしその繁栄を全世界に還元することができずに繁栄ゆえにゆきすぎた資本主義がクラッシュした1929年の世界恐慌にあるのではないかと思われるのです。

 

世界恐慌からの脱出は、ルーズベルトのニューディールに始まる政策群と、不幸なことに第二次世界大戦による主に軍産系の産業需要に応えたおかげであった、といわれています。

しかし、本当の意味で1929年の世界恐慌は終結したのでしょうか?

 

結局、第二次大戦後肥大した軍事産業を抱えたアメリカはそれを持て余し、軍事によって国家の掌握と再生を果たしたために同様に肥大化した軍事産業を抱えてしまったソビエト連邦と、「冷戦」という名の架空の戦争を戦い、そのあげく朝鮮半島、インドシナ半島、中東、といった世界のあちこちで地域限定戦争の泥沼を戦うことになりました。

もちろん泥沼ですから、犠牲も矛盾も人一倍です。

しかし、そのことでなんとか世界恐慌に戻らずにすんでもいた。

束の間の脱出だとしても。

 

しかし、そのような形で維持していく経済システムとはいったい何なのか。

言ってみれば、バブルが崩壊した日本で二重帳簿を作って不良債権を架空の子会社に飛ばしていたように、戦争によってとばし帳簿を作って負債を見えないような状態にするだけのこと。

実は、何も根本的には解決していない。

1929年の恐慌から本当の意味で抜け出していない。

世界は実は、80年もの間、長い、長い、恐慌の時を生き続けてきたのではなかったのか・・・

 

 

もちろん、アメリカの歴代の大統領が就任とともに、なんとか自分の代で、はまり込んでしまったその経済・社会システムから抜け出そうと決意していたことは、彼らの名誉のためにも付け加えておきます。

しかし、残念ながらひとりもそれを果たしていないことも事実です。

それどころか、負債はどんどん目に見えないところで雪だるま式に増え、ついにどうしようもないところまで達し、ついに2008年、その無様な姿をさらすことになってしまったのでしょう。

 


そして、今度こそ、もう待ったなしのところまできてしまっている。

もう一度、本当の意味で、1929年の世界恐慌を終わらせて、新しい世界を、システムを作らなくてはならない。

たぶん、当初ルーズベルトが目指したような健全なやり方で。

 

 

その責任と決意をこの年若い新大統領は一身に背負っている。

就任の誓いをたてるオバマを観て、ほんとうにしみじみと考える。

今度こそ20世紀の悲劇を終わらせて、新しい世紀に入ることができるのでしょうか?

その道がどんなに険しくても・・・

 

果たして、成るか?

新しい21世紀の本当のスタートが!

   



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2008年11月 5日 (水)

America Votes 2008 アメリカ大統領選挙ウォッチャー記~その28アメリカ大統領選挙本選途中経過(かなり続報の追記あり)

(日本時間・415時頃)

ニュハンプシャー州、ディックスビルノッチですでに投票・開票が終わっています。(この場所についての説明は、予備選挙時の記事に書きましたのでよかったら見てください。18日の記事です。)

その結果はバラック・オバマ候補15票、ジョン・マケイン候補6票。(もうひとつの町も足すとオバマ候補32票、マケイン候補16票だそうです)

この結果は最終的な結果に必ずしも反映するとは限りませんが、参考まで、という感じでしょうか。

以下特筆すべき速報があれば順次アップします。



(日本時間・4日22時40分頃)

オバマ候補の一家がシカゴの投票所に現れ、投票しました。

非白人のアフリカ系アメリカ人の大統領候補が、自身の立候補する大統領選挙に投票する初の瞬間。
歴史の1ページが刻まれました。




(日本時間・4日23時頃)

民主党副大統領候補のジョー・バイデンがデラウェア州の投票所に現れ、同じように投票しました。



(日本時間・5日02時頃)

マケイン候補がアリゾナ州フェニックスで投票しました。

慣例に従わず本日も選挙運動の遊説をする予定(アメリカでは日本と違って選挙当日も選挙運動ができます)



(日本時間で真夜中時間帯となったため、共和党副大統領候補のサラ・ペイリンのアラスカでの投票時間は確認できず。投票後フェニックスへ)



(日本時間・5日09時頃)(以下確定予想はCNNによる)
バーモント州(3人)→民主党(以下、民)

ケンタッキー州(8人)→共和党(以下、共)

ヴァージニア州の上院議員議席はマーク・ウォーナー元知事(民主党)が当選確実
やはり下馬評のとおりヴァージニア州は全体のすう勢を決めそうな感じです。




(日本時間・5日10時頃)
ワシントンDC3人)→民

イリノイ州(21人)→民

マサチューセッツ州(12人)→民

ニュージャージー州(15人)→民

メイン州(4人)→民

メリーランド州(10人)→民

デラウェア州(3人)→民

コネチカット州(7人)→民
サウスカロライナ州(8人)→共
オクラホマ州(7人)→共
テネシー州(11人)→共



(日本時間・5日10時30分頃)
ニューハンプシャー州(4人)→民



(日本時間・5日10時40分頃)
ペンシルベニア州(21人)→民



(日本時間・5日11時頃)
ニューヨーク州(31人)→民

ミシガン州(17人)→民
ロードアイランド州(4人)→民
ウィスコンシン州(10人)→民
ミネソタ州(10人)→民
アラバマ州(9人)→共

ワイオミング州(3人)→共

ノースダコタ州(3人)→共



(日本時間・5日11時15分頃)

ジョージア州(15人)→共



(日本時間・5日11時30分頃)
オハイオ州(20人)→民

ヴァージニア州よりこちらの方が決着が早かったですね。
オハイオ州をとったのはオバマ候補にとってとても大きく、マケイン候補にとっては失ったのはとても痛い。
少なくとも、2000年、2004年とは大きく違う結果となることは決まったといえます。


(日本時間・5日11時50分頃)

ニューメキシコ州(5人)→民

ルイジアナ州(9人)→共


(日本時間・5日12時頃)
アイオワ州(7人)→民
カンサス州(6人)→共
ユタ州(5人)→共



(日本時間・5日12時10分頃)
ウェストヴァージニア州(5人)→共



(日本時間・5日12時15分頃)
アーカンソー州(6人)→共



(日本時間・5日12時20分頃)

テキサス州(34人)→共



(日本時間・5日12時25分頃)
ミシシッピ州(6人)→共



(日本時間・5日13時)

ヴァージニア州(13人)→民


ついに270人を超えました。
第44代アメリカ合衆国大統領に、バラック・フセイン・オバマ氏当選確実。

新しい歴史が作られました。

ヴァージニアは1964年リンドン・ジョンソンがとって以来、民主党がとることはない州でした。
これはアメリカの選挙地図が新しく書き換えられた瞬間でもあります。
そして、わたしなんぞはやや欧米史おたくなので(笑)南北戦争で燃え上がったヴァージニア、という歴史的記憶が甦ったりして。

その土地が新しいアメリカ、21世紀の出発点でもあるのはとても意味深いことです。



(日本時間・5日13時20分)
ジョン・マケイン候補が敗北宣言。
老鳥は、静かに舞い降りて、その翼をたたんだ。



(日本時間・5日14時)
オバマ次期大統領が勝利宣言スピーチ。
明日からアメリカを、世界を作り直すための仕事にいっしょにとりかかろうと宣言。 

どうか、新しい大統領に、新しい歴史に、幸いあれ。







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2008年11月 4日 (火)

America Votes 2008 アメリカ大統領選挙ウォッチャー記~その27アメリカ大統領選挙本選概観

アメリカ大統領選挙はご存じのように4年ごとに投票・開票が行われます。

選挙イヤーは長い予備選挙を戦うことから始まり、その経過は今回選挙ウォッチャーをやりながら記述してきた通りなのですが、最終的には11月の本選挙に全てが行き着くわけではあります。

でも今年は、予備選挙がとりわけ長く白熱し記録的なシロモノだったので、本選挙はなんだか地味になるかもね、などと密かに思っていた夏の始め頃。

これが全く大間違い。

世界中を捲き込む大金融危機の嵐の渦中に投げ込まれ、のっぴきならないアメリカ合衆国の(いやいや世界の)存亡さえもかかっているかと思われるような、劇的状況下での本選挙になってしまいました。

どこが地味なんじゃ!と自分につっこみをいれてみたりして(あああ・・・(苦笑))


そして、本選挙がついに、いよいよ今日始まります。


本選挙は11月の最初の火曜日に行われると決まってますが(なぜ火曜日なのかは57日の記事を参照してください)今年は114日火曜日。

同日夜(日本時間115日午前中)に投票が締め切られて即日開票となります。

今回の選挙は世界中から注目を集めていますがむろん日本でも例外なく、さまざまなマスコミ媒体でアメリカ大統領選挙についての解説が行われていますので、私が細かに選挙システムについて書くのもなにとは思います。(年初にこのブログでこのテーマを取り上げ始めた時から比べると、雲泥の差のもの凄い量の情報が出回っていて人々の関心の高さを表していますが、その背景にこの10か月あまりの間の世界情勢(主に金融情勢)の劇的変化を思わずにはおられません)

なので、ざっとした説明だけをして開票結果を待ちましょう(笑)

アメリカ大統領選挙は実は直接選挙ではなく、間接選挙であるのはすでにご存じのことと思われます。

各州ごとに特定数が決まっている「選挙人団」というものを選挙で選ぶのです。

各州ごとの特定数は、上院議員(各州2名)と下院議員(各州の人口比による。10年ごとの国勢調査で改正)の人数を足した人数になります。

大統領選挙立候補者は、各州ごとに人数分の自分の選挙人団候補を立てなくてはなりません。

各州民はこの選挙人団に投票する形をとって、1票でも多くとった者が州の定数の「選挙人団」を獲得することとなります。ほとんどの州では、勝者総取り方式になります。

(ネブラスカ州とメイン州だけは例外で、獲得票比率を反映して選挙人団獲得数を決めます)

例えばオハイオ州の選挙人団定数は20人。

オハイオ州で立候補する大統領候補は20人の自分の選挙人団(主に公職についている人とか党の幹部とかの人が多いようです)を選んで立候補してもらいます。

そして選挙の結果1票でも多く票を獲得した候補が、オハイオ州の20人の選挙人団すべてを獲得することとなります。

こうして各州で獲得した選挙人団の人数を足し上げて、一番多くを獲得した立候補者がアメリカ大統領に就任決定することとなるのです。


まあ客観的に考えても、すべての州で選挙人団をたてて立候補するためには大変な組織力と金力が必要なのはすぐにわかります。

だから、二大政党・共和党、民主党以外の第三党の候補者や、無所属の候補者が立候補するのはとても難しいシステムであり、このシステムに守られて過去150年間の二大政党制が続いてきたともいえるわけです。

今回もむろん、二大政党以外の候補者が立候補しているのですが(CNNによると21人も立候補しているとか。知られたところではラルフ・ネーダー氏(2000年選挙のいわくのあの人(笑))、ボブ・バー氏、シンシア・マッキーニー氏あたりでしょう)しかし、全州で立候補している人は存在しないようです。(最大30州くらいでしょうか)

やはり二大政党以外には、限界があるのです。

このシステムの問題点はいろいろ指摘され続けてきたわけですが、一番問題になったのは、かの2000年の因縁の大統領選挙の時、あれだけ揉めに揉めて最終的に最高裁が大統領を選ぶような展開になってしまい、大統領選挙を間接選挙から直接選挙に改正するべきなのではないかという議論がなされた時だったでしょうか。

アメリカ国民の中でもかなりの人々が直接選挙を望んでいると聞きます。

私なども外国人の立場からするとどうして直接選挙にしないのかと不思議でしょうがないのですが。

しかし、ことはアメリカの憲法に関わる問題なので憲法改正も視野に入れねばならず、簡単には改正できないと言います。

つまりは200年以上続いた「伝統」だというのです。

背景には、アメリカは各州政府の自治がかなりに認められた集合体であるべきという考え方があり、地方分権と中央集権との間で揺れる異なった立場が存在しながらも、アメリカは「連邦」なのだという主張が根強いせいもあるといいます。

また、ヨーロッパのような複数政党がつねに調整してどことどこが連立するかを、その時期、目的で離合集散するような政治風土がアメリカに馴染まないという主張をする者も多いといいます。

果たしてそういうもろもろの主張が本当なのかどうかは「?」ではあるのですが、これだけは本当でしょう。

つまり、アメリカの市民たちは4年に1度のこの選挙戦の過程を一種のお祭りのように楽しんでいる、と。

どんな辛い状況でも、この大きなイベント、お祭りに参加することが人々を勇気づけ、誇りを鼓舞するのでしょう。

そしてこれまでの4年間を刷新し、新しいスタートを切るための原動力にするのでしょう。


ならば、アメリカのみなさん、と私は言いたいです。

私たち世界の、アメリカの外側の市民も、もうずっと待っていた。

これまでの無駄に悲しい8年弱の時間を刷新する時がくるのを、もうずっと、ずっと待ちわびていた。

どうかあなたたちのために、そして私たちのために、今度こそ最善の、正しい選択をしてほしいのです。

どうか、今日、決意を。



<付録>

各州の選挙人団(人数は()の中)獲得確定予想。

当ブログ政治顧問団(仮)(笑)の制作による。

東部標準時間19時前後の確定(日本時間59時、以下日本時間換算は省略)

 バーモント州(3人)→民主党(以下、民)

東部標準時間20時前後の確定

 ワシントンDC3人)→民

 イリノイ州(21人)→民

 マサチューセッツ州(12人)→民

 ニュージャージー州(15人)→民

 メイン州(4人)→民

 メリーランド州(10人)→民

 デラウェア州(3人)→民

 コネチカット州(7人)→民

 ニューハンプシャー州(4人)→民

 ペンシルベニア州(21人)→民

 オクラホマ州(7人)→共和党(以下、共)

東部標準時間2015分前後の確定

 ヴァージニア州(13人)→民(激戦州、以下激)

東部標準時間2030分前後の確定

 サウスカロライナ州(8人)→共

東部標準時間21時前後の確定

 ニューヨーク州(31人)→民

 ミシガン州(17人)→民

ロードアイランド州(4人)→民

ウィスコンシン州(10人)→民

ミネソタ州(10人)→民

カンサス州(6人)→共

ワイオミング州(3人)→共

ネブラスカ州(5人)→共

東部標準時間2115分前後の確定

ノースカロライナ州(15人)→民(激)

東部標準時間2130分前後の確定

インディアナ州(11人)→民(激)

アラバマ州(9人)→共

ケンタッキー州(8人)→共

東部標準時間22時前後の確定

アイオワ州(7人)→民

オハイオ州(20人)→民(激)

東部標準時間2215分前後の確定

ニューメキシコ州(5人)→民

東部標準時間2230分前後の確定

コロラド州(9人)→民

ノースダコタ州(3人)→民(激)

フロリダ州(27人)→民(激)

ウェストヴァージニア州(5人)→共

東部標準時間2245分前後の確定

テネシー州(11人)→共

東部標準時間23時前後の確定

カリフォルニア州(55人)→民

ワシントン州(11人)→民

ハワイ州(4人)→民

オレゴン州(7人)→民

ミズーリ州(11人)→民(激)

アイダホ州(4人)→共

ミシシッピ州(6人)→共

東部標準時間2315分前後の確定

ネヴァダ州(5人)→民(激)

ジョージア州(15人)→共

ユタ州(5人)→共

テキサス州(34人)→共

アーカンソー州(6人)→共

東部標準時間2330分前後の確定

サウスダコタ州(3人)→共

東部標準時間2430分前後の確定

モンタナ州(3人)→民(激)

東部標準時間25時前後の確定

ルイジアナ州(9人)→民

アリゾナ州(10人)→共(激)

東部標準時間2645分前後の確定

アラスカ州(3人)→共

オバマ候補のかなりの大勝とみています。(オバマ候補の選挙人団獲得、最大で400人)

しかし激戦州がどちらに傾くかはまだわかりません。

もし激戦州をすべて共和党=マケイン候補側が獲得した場合、民主党282人、共和党256人。

それでもやはりオバマ候補の勝利となると考えています。

注目州はヴァージニア州。

ここでの結果は全体の傾向を決めるのではないかと考えます。

誰がどのくらい得票するか、が重要です。

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2008年10月22日 (水)

merica Votes 2008 アメリカ大統領選挙ウォッチャー記~その26ふたつの未来(大統領候補討論会 第3回 ニューヨーク州)

自分の体調がすぐれない時に、これまた大いにすぐれない状況のニュースをチェックしているのはとてもしんどいものです。

先週の私はキリキリ痛む胃を抱えながら、世界金融危機関連のニュースを見守っていたのですが、乱高下する株式市場に悪酔いしてしまいそうでした。

(特に東京市場のうろたえぶりは日本人として赤面ものです。動揺を鎮めるためになんら対策も打ち出せない政府も政府なら、いちいち海外市場の動向に23倍も過剰に反応して、自分の頭で考えようとしない投資家も投資家なんですが。でももっといけないのは、ここ15年以上も続くあまりの「不況感」に慣れきってしまっていて、考える気力もなく「ああまたか」とただただ呆れかえっている国民の状態もどうかと思います。)



そんな1週間の中でも、やはり飛び抜けて目を引いたのはヨーロッパの対処の仕方だったかと思われます。

イギリスのゴードン・ブラウン首相がすでに8日の段階でイギリス政府による主な銀行への資本注入を決定、他国もこれに続いて欲しいと記者会見で訴えました。

当初混乱のため動きの鈍かったヨーロッパ諸国もそのイギリスの動きを受け、13日にもフランスのニコラ・サルコジ大統領がイギリス同様の金融機関への資本注入をフランスでも実施すると発表。

またフランスは今回のEU議長担当国として加盟27国をまとめ上げ、加盟国の協調行動として同様の政府介入をそれぞれの国が進める方向にもっていきます。

そしてEUを中心としたG7(プラスG20 )が、アメリカにも同様の資本注入を行うことをプレッシャーをかけます。

むろんアメリカは当初は抵抗しましたが(国民の理解が得られないだとか、資本主義の原理にもとるだとか、うだうだうだ)株価は乱高下しながらどんどん下がっていくばかりとあって、ついに14日金融安定化法案で用意された資金の中から2500億ドル(25兆円強)を使って9社の大手金融機関などへの資本注入(株式の取得)をすることを発表したのでした。

金融機関の破たん懸念に即刻対応したことで、巷ではブラウン首相の手腕を高く評価されているようですが、ブラウン首相の意図に反応したサルコジ大統領の連携ぶりも見事でした。

1国が倒れたらドミノ倒しで世界中に広がってゆく、だから何としても一刻でも早く食い止めなければならない、というこの危機の本質を見抜いていたという点で2人とも一致して政策にとりかかり、10月のあたまにはもう空中分解してしまうのではないかと思われたEU の大ピンチを救い、ひいては崖っぷちに立っていた世界金融をとりあえず崖から転げ落ちるのを救ったのです。

思えば、ブラウン首相(左派)とサルコジ大統領(右派)が同じ船に乗って絶妙に連携しているさまは非常に興味深いものでした。

本来だったら政治的立場が対極にあるような2人が同じ船に乗って、暗礁だらけの海の航海をしていくさまは、もはや政治イデオロギーだのなんだの言っていたような時代を遥か後方に置いてきたこと、新しい21世紀の本当の始まりを試されたのだと強く感じたものでした。

それはまったく新しい旅の始まり。

これまでの海図にない旅の始まりだったのではないでしょうか。



その同じ頃。

1015日夜(現地時間)アメリカのニューヨーク州ホフストラ大学では、アメリカ大統領選挙のための大統領候補者討論会が行われました。

これは3回目で最後の討論会、というわけです。

ヨーロッパの劇的な展開に比べて、こちらはどういう新しい道筋を見せてくれることができるだろうか、それが私にとっては最大の興味のポイントでした。

討論会のテーマは「内政問題」

当然、前2回よりもこの金融危機について多く時間をとり、これを前提にどう各自の政策を立てて実行していくか、が焦点になるものと思われました。

ふたりの候補はそれぞれ、住宅差し押さえの90日間猶予(オバマ候補)とか不良債権化したローンの買い取りと新規ローンへの組み換え(マケイン候補)などといった新しい政策を打ち出してきていたのですが、どちらの政策もどちらが主張してもおかしくない感じで各自の差別化まではいかなくて、これは有権者にとってなかなか選び難いなと感じられるものでした。

従って、それぞれが差別化して「相手とは違う」と主張できる点はどうしても旧来からの「違い」を主張している点で、それは「税金」の設定の仕方の違い、ということになってしまっていたように思います。

すなわち、「減税」が前提で、特に富裕層に対する減税をやれば、それは経済活性化、消費活性化、雇用促進につながるとする、旧来の共和党的政策=レーガノミックスの焼き直し版をマケイン候補は掲げているのでした。

そして、「減税」すると国庫が歳入不足になってしまうために、その「減税」とセットになっているのは「歳出の制限」というわけで、いわゆる「小さい政府」論となるのですが、マケイン候補は政府歳出の全面凍結と見直しをするといいます。

ただし、同じくレーガノミックスで重要な柱となっているいわゆる「規制緩和」については、この金融危機が始まるまでは主張していたのですが、この危機の元凶とも言われているため、一切言及しないようになっていたのは当然でしょうか。

一方オバマ候補は、そのレーガノミックスを掲げて過去7年半を運営してきた現政権=ブッシュ政権が金融危機を呼び、経済も国民の生活もボロボロにしてしまったことを突き、それを立て直すためには「中産階級の復活」をさせなければならない、そのためには「減税」は低所得者と中所得者のために行い、富裕層に対しての減税を廃止する(つまり富裕層については現在より「増税」になる)ことで国庫の歳入を失わないようにする、という政策を打ち出しています。

ただ歳出については、見直しはするけれど必要なところには投資しなければならないとし、特に社会福祉や医療制度改革などの社会のセーフティ・ネット作りと次世代のための教育関連費を重視する政策も掲げています。これはいわゆる「大きい政府」論ともされているものです。


このふたつの立場がいわば真っ向から議論したディベートだった、ともいえます。

表向きには。

しかし、現実には、このふたつが対決した「ふたつの未来」は存在しなくなっています。

アメリカ合衆国にとっては。


アメリカはすでに大いにこじれてしまった3つの戦争を戦っていて、イラク戦争、アフガニスタン戦争、そしてテロとの戦争、の膨大な戦費と、肥大化したアメリカ軍の経費(復員軍人への補償費も含む)が必要となっており、アメリカ政府歳出に重くのしかかっています。

ついでに、これに加えて先月から「金融危機との戦争」も加わってしまい、いってみるなら「ウォール・ストリート軍の立て直し」とか「サブプライム戦争の復員破たんファミリーへの補償」とかをこれから実行していかなくてはならないのは明白です。

この戦争は実は前3つの戦いよりもはるかに厳しくやっかいですが、アメリカは国家として生き残るつもりがあるのなら、必ず避けて通ることができません。

いまや世界経済はグローバル化してつながってしまっているのですから、すでに世界じゅうを引きずりこんでしまっているアメリカが、戦わないで済ます方法はないのです。

もしこれを戦わないで下りてしまおうというのなら、そして本気で「小さい政府」を目指そうというのなら、まずアメリカ軍を解散して、大企業全部と手を切り、世界金融から撤退して、世界の基軸通貨であることをやめなければなりません。

ついでに、FRBの廃止、連邦政府を解散して、完全に州政府に権限移譲し、各州政府をそれぞれ独立国扱いにする。

ついでにもっと念を押すのならば、かつて日本の徳川幕府がやったように各州政府の判断で「鎖国」してしまえばもっと完璧でしょう。

つまり、アメリカ合衆国の解散。

これ以外に現代で「小さい政府」などというものが成立できるはずがないのです。

しかし、アメリカ合衆国の解散など、できるはずもない。

だからアメリカにとっては、もう選択肢は他に存在しないのです。

観念的なイデオロギー論や政治論なんぞを言っている場合ではない。

おそらく次期大統領が誰になろうともいずれ国庫の歳入不足を補うために増税することは免れないでしょうし、またどんなに充実した社会福祉政策を望もうとも、どこかで妥協して優先順位の低いものは諦めなければならないでしょう。

だから本当に必要なのは、自分のよって立つポリシーを声高に主張することでは全くなくて、より良い選択肢のために自分と違う立場の意見を取り入れることができるかが大切であり、対極の立場の人たちと同じ船に乗ることができることこそが必要とされていることなのです。

それを最重要に考えれば、誰を大統領にするのかは自ずから明白になることです。


そんな風に考えながら私はこの最後の討論会を見て、そして討論会後も各候補者たち(大統領候補たちだけでなく、副大統領候補たちも含めて)の言動をチェックしていたわけです。

そして失望を禁じえません。

アメリカはまだこんな程度の地点でとどまっているのか、と。

ヨーロッパはその間より緊密に結束し、立場の違いを越えた協調行動で市場の混乱を鎮める努力をし、各国政府が金融機関救済策を続々と打ち出しています。

アメリカでは、候補者の政策が社会主義だとか、ヨーロッパの政策が社会主義だとか、実にくだらない、時代錯誤な論戦を張っている間に。

もう一度冷戦時期に引き戻したいのか、と疑うような馬鹿な主張を声高にあげる者がいる間に。

そんな主張で国民を洗脳してしまえば、いよいよこれから金融危機が本当の意味で深く進行し、これまでよりももっと政府が関与しなければいよいよ国が破たんするという段階がきた時に、「それは社会主義だから嫌だ」と言い出す国民が必ず現れる。

それをどうやって説得するのか。

どうやって国の破たんを救うというのか。


ヨーロッパはついに「ブレトンウッズ体制」の見直しまで言い始め、いよいよ第二次大戦後から続いてきた国際通貨体制を仕切り直す時期がきたのだと感じられます。

サルコジ大統領のいわく

「我々は新しい資本主義を再構築する」

そういえばフランスはコアビタシオン(保守革新同居)を長く実行し、ミッテラン大統領にシラク首相、シラク大統領にジョスパン首相もあったっけ、と思い出します。
ならば、サルコジ大統領とブラウン首相の組み合わせだって、何も違和感なくお互い歩み寄れて当然です。

それだけヨーロッパは大人で、EU市民のために最善の道をいつだって捜そうという「心」がある。

その「心」こそがおそらく「信用」という絆に、今この金融危機のさなかに一番必要とされている「信用」というものになっていく。

それがどうしてアメリカでは成り立たないのだろう。

どうして気がつかれないのだろう。



最終討論会で最後に握手するオバマ、マケイン両候補を見ていて、これが大統領と副大統領だったら、どんなに良かっただろうか、と思えてしかたありませんでした。

しかし、アメリカにはその選択肢がありません。

少なくとも今のところは。

これがおそらく、今後のアメリカの「最大の弱点」になることと予感しながら、私は画面に見入っていたのでした。

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2008年10月 9日 (木)

America Votes 2008 アメリカ大統領選挙ウォッチャー記~その25「次期」ではなく「現在」(大統領候補討論会 第2回 テネシー州) 

私は巨大猫が好き。

大きなでぶ猫は、美しい毛並みもどっしりした骨格も撫でて楽しく見て嬉しく、心和ませてくれるから、大いに愛すべき存在です。

しかし、猫も6キロを過ぎると医者から注意を受け、7キロ超えではまず間違いなく「このままでは太りすぎです。やせましょう」と言われるでしょう。

ましてや8キロなんてなってしまったあかつきには「糖尿病になるかもしれない。結石になるかもしれない。高血圧だって、心筋症だってあぶない」と病気宣言が飛び出す可能性大で、実際なにかの病気が発病してくるかもしれない。

その時、なぜこんなことになってしまったのかと嘆いてもきっと医者に言われるだけ。

100パーセント飼い主の責任です」

つまり周りの人間がかわいい、かわいい、と甘やかして、たくさん餌を食べさせてどんどん肥らせて、ついに病気の巨大猫にしてしまったのだ、と。



失礼ながら、ここのところ世界を揺るがしているアメリカ発の「金融危機」の行く末を眺めながら、毎日こんなことが頭を駆け巡っている今日この頃の私です。

言うまでもなく、病気になった巨大なでぶ猫はこれまた失礼ながらアメリカ合衆国。

そしてみんなで甘やかしたのは世界中の国々、特にアメリカに大量に物を売ることで生業を成り立たせているアジアの国々。

もちろんその筆頭とされているのは日本であることは疑う余地もない話です。

昨日108日、それを不本意なかたちで証明して、東京マーケットは9.38%という株式市場大暴落を経験してしまいました。ここ20年で最悪だという人もいるとか。

日本はアメリカに車だの家電だののモノを売ることで成り立ってきた。

だからアメリカの金融界がメルトダウンして、やがてその影響がアメリカの市民生活に及んできたら、メイドインジャパンのモノたちは売れなくなる、日本の企業は成り立たなくなる・・・という先行き不安から、日本企業(特に製造業)の株の下落が止まらない、というわけです。

しかし、こんな話は今に始まった話ではありません。

もうずっととても不自然な、こんなバランスのとれないバランスで、世界対アメリカの関係は成り立ってきていた。

どう考えても不自然なほど大量にアメリカにモノを売ってきながら、それがおかしいと考えなかったのか。

そして、買う側のアメリカも大量に消費しながら、こうした生活ができるのはいったいなんの根拠があってなのかと疑問に感じなかったのか。

病んで、衰えていると気がついたとたん、これまでのビジネスモデル、経済モデル、金融モデル、国際関係モデルすべてが、大いに無理があったのだと気づく・・・

いまさら気がついても遅い、という声も聞こえるでしょう。

あまりにも激しい混乱の様子を見て、どうしていいかわからない、という声もあるでしょう。

でも、だからといって生きるのを止めるわけにはいかない。

だからこの無理な関係をやめて、本当にバランスのとれている関係に直していかなければならない。

それはやるのが望ましいこと、ではないのです。

それはやらねばならないこと、なのです。

誰かが愛すべきでぶ猫を捕まえて、「おまえは病気なのだよ」と言い聞かせなくてはならない。

もう今までと同じ暮らしはできないのだよ、と教えてやらなくてはならない。

そして、おまえの幸せはたくさん食べて必要以上に肥り続けて病気になることではないと、別の道を示してやらなければならない。

また、でぶ猫に餌を大量にあげることを生業としてきた人々(国々)にも新しい生業をみつけるように呼びかけて、別の道を見出させなければならない。



しかし、そのことの、どんなに困難なことか・・・

その困難を思ってため息が出たのは、本日開催された第2回アメリカ大統領候補討論会(テレビ・ディベート)を見ていた時でした。

討論会は現地時間107日夜、テネシー州ナッシュビルでタウンミーティング方式で行われました。全国から募集した質問と会場に参加した人々の質問とに両候補が答える、という方式です。

この形式はマケイン候補のほうが慣れているともいわれていたのですが、金融危機と経済問題に人々の関心が集中している時節がらこの問題への質問が集中すると思われ、内政・経済問題に強いと思われているオバマ候補の方が有利との前評判でした。

討論会自体は確かに経済問題への質問で始まり、両氏とも事の重大性を訴え、第1回の時よりもはるかに切迫したアメリカの金融状況を受けて目の前の金融危機と迫りくる不況の問題がこの大統領選のメイン・テーマとなったことを鮮明にしたのですが、残念ながら国民が今すぐ聞きたい具体策の提示はほとんどなかったと受け取られたようではあります。

確かに、先ごろ議会を通った「金融再生化法案」の責任者が決まり、問題をあぶり出すための公聴会が始まったばかりの現時点では、具体策を出してみせるのは難しいと思います。

この法案の中身、詳細がなかなか伝わってこないのですが、走りながら決めるというのが正直なところなのではないかとは思います。

だから現政権がどうするつもりなのかが見えない今の時点で、いずれそれをいやでも引き継がねばならない運命の次期政権を志す候補者たちにとって、主張できることは実は限られているのかもしれません。

そうなってくると、候補者たちのどちらがふさわしいか、を見定めるポイントは何になるのか?

ひとつはまず、この状況がどこからきているのか、何に起因しているのかを正確に把握していることに尽きると思います。

ただ現在目の前に展開している危機的状態だけでなく、それがどこから来るのか、どんな因果関係があるのか、というところまで踏み込んで理解ができているか、ということ。

その理解の上で、今までのやり方を一新する提案ができる必要がある。

私が見るところでは、どちらの候補も現時点では、おおっぴらにアメリカのこれまでのやり方、いわばライフスタイルというようなもの、それ自体に問題があるのだと、指摘できてはいません。

これまで大量にモノを消費することが正しい資本主義社会だと、市場原理だと教え込まれてきたアメリカの人々にとって、それこそコペルニクス的発想の転換が必要なことで、今すぐにはとても無理なのだと想像に難くありません。

なにも消費全てがいけないと言っているのではないけれど、いらないものを大量に消費するためにお金を使うのではなく、本当に必要なものにお金を使うことを諭さなければならないのですが、その時アメリカ人を非難するのではなく、説得しなければならない。

件のでぶ猫理論からすれば、猫を叱りつけるのではなく、心からの同情と理解をもって接して、本当に健全で深い満足度の得られるライフスタイルへ一緒に連れて行かなければならない。

これはとても大変なことです。

また、もうひとつ。

今度はアメリカに大量に売り付けることで成り立ってきた国々とこれまでとは別の付き合い方をしなければならないのは明白です。

アメリカは世界に誇る軍事力を背後に控えながら、15年間世界の盟主として冷戦後の世界をしきってきたのですが、それが世界の反対を押し切ってイラク戦争に突入したあたりから世界的な人望を失い、いままたアメリカ発の金融危機で世界中を巻き込んでしまっている。

この危機はアメリカ1国で対応しきれるものではとてもなく、世界に協力してもらわなければ乗り越えることは不可能です。

確かにアメリカの大量消費への依存型できた世界の方にも大いに問題があったのは全く否定できません。

それは各国の問題点として、特に日本人である私たちはしっかり自覚して、今後の世界の経済構造をなんとか改善していかなければならないでしょう。

アメリカだけを健全にするのではなく、世界みんなで健全にならなければ。

そしていまこそ、アメリカにはそうした世界の協力を取り付けるための本当の指導力のあるリーダーが必要なのです。

それにはたぶん軍事力や恐怖心に基づくリーダーシップではなく、もっと心からの尊敬を得られるようなリーダーシップを持っていなければなりません。

上にたって強制するのでなく、ともに手をとって協力する関係を築くこと。

これもまた、すこぶる大変なことであります。



この眩暈のするような大変な仕事を次期大統領は担っている。

そして、今現在の選挙戦は、今目の前のライバルを凌ぐためにやっているのではなく、実はもうすでに次期大統領の仕事が始まっているのだと考えた方がいい。

もし、今、選挙に勝つためだけの意味のない攻撃をしたり、選挙のくだらない茶番劇を演じたり、現実を理解していないような言動をしたりすれば、それを世界の人々はこの目で衛星回線を通じて現在進行形で目撃することができる。

そして、その事実は取り消せない。

すぐに株式市場に現実となって反映され、恐ろしい株式の暴落となって形に現れるのだ。

そのことを次期大統領候補は肝に銘じたほうがいい。

もうすでに、すべては始まっている。

アメリカは世界と協調して、世界を取り戻す気があるのか。

アメリカ1国だけしか視野になく、世界を顧みようとしなかった過去7年間をまた繰り返すつもりなのじゃないのか。

本気で世界を回復させる気があるのか。

世界は息をつめて見守っている。


大統領候補たちはアメリカの「信用」を背負っているのだと、絶対に忘れてほしくありません。

誰も愛すべき巨大猫をみすみす死なせたくはない。

100%飼い主の責任、であるならば、その「飼い主」とはアメリカ人すべてと世界の人々すべてと、

そして、誰よりアメリカ大統領その人のことであるのだから。

すでに「次期」ではなく、「現在」そのものとなった、この大統領選挙の行方を世界とともに息をつめて見守ろうと思います。

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2008年9月30日 (火)

America Votes 2008 アメリカ大統領選挙ウォッチャー記~その24メルト・ダウンの渦中で(大統領候補討論会 第1回 ミシシッピ州)

かつて、アメリカで起こった出来事は10年遅れで日本でも起こると言われていた時代があったといいます。

実際同じことが起こったのかどうかは詳細を見なければわからないのですが、おおざっぱに言ってアメリカがたどった軌跡を追いかけてきた、つまり日本がアメリカの背中をずっと追っていて必死に追いつこうとしてきたという意味でもあるでしょう。

それはもちろん敗戦で全てを失ってしまった日本にとって、戦後繁栄の極みに向かって驀進していたアメリカがとても魅惑的で輝いて見えていたからでしょうし、その背中との距離がだんだんと詰まっていくことを国の復興の証と考えたからでもあるでしょう。

いつしか10年遅れであったことが5年遅れで起こると言われ、それが3年の差になり、ついにはほとんど同時に同じことが起こるようになる・・・「グローバリズム」という言葉が他の地域と違ってさして不信も感じず受け入れられた理由でもあります。

21世紀にはいってからこっち、「グローバリズム」の名のもとに日米の時間的距離感は徐々に消えていき、せいぜいその差はマーケットが開く時差程度になってきている現在、日本人にとってはある意味「感無量」とでもいうようなことがここ2週間ほどおこっているのではないでしょうか。

ここのところアメリカで、ウォール・ストリートで、起こっている出来事はどうもいつか見たことがあるような気がする・・・。

ちょうど前世紀末、199798年ごろに日本で起こったことに酷似している。

不動産バブルが崩壊したあと、なすすべもなく放置しておいた結果、未曾有の金融危機に見舞われ、日本発の世界恐慌が始まることだけは避けなければならないと言われ、関係者が奔走していた(といわれる。奔走してホントに何か対策が出来ていたかは不明)日々。

ついに、潰れるはずがないと思われていた都市銀行や大手証券会社の一部が破たんし、次はどこが倒れるかと戦々恐々としていた日々。

では対策に公的資金を注入するか、という話になり、しかし莫大な税金の投入の是非をめぐって喧々諤々と連日ニュースが飛び交っていた日々。

ああ、これは10年前に見た光景だ。

ついに日本はアメリカに追いついて、そして追い越して逆転したのだ。

つまり日本で起こった出来事は、10年遅れでアメリカでも起こるのだ、と。


まあ、現実に今おこりつつあることはそんな感傷的なもんじゃありません。

アメリカは人口は日本の軽く2.5倍(いや実数は3倍いるんじゃないかと私なんかは疑ってますけどね(笑))国土は25倍超もあるからなのか、この度の金融危機=ウォール・ストリート・クライシスも10年前の日本の金融危機の2倍速、3倍速、いや10倍速くらいの進行のしかたです。

とにかく進行が早い。

そして危機的状況があまりにも大きすぎる。

日本の時も世界に波及しないように、って言われてましたけど、アメリカ現在進行形ですでに世界に波及してます。

それだけアメリカは世界のど真ん中に鎮座してる、とでも言いましょうか。

まあ世界の基軸通貨なんだから当たり前です。

ベア・スターンズの破たんから、ファニー・メイ並びにフレディー・マックの救済のあたりでは、世界はこれからどーなるの?くらいの反応だったのですが、リーマン・ブラザース破たん、メリル・リンチの吸収消滅あたりから株価のジェット・ローラーコースター的暴落が始まって(いや、本当の意味で上げる要素がないからこれはラージ・ヒルのジャンプ台といったほうが正しいのか)世界中の株式市場が刻々と続落して、各国で信用収縮とリセッションが起こり始めている状況です。

しかも大問題なのは、誰もこれを予期していなかったわけではなく、去年夏以来「サブプライム問題」という時限爆弾が存在していることがすでに白日の下にさらされていたわけですから、「何かがあとでおこる、きっと。でもどんな事が??」というB級ホラーのような心持ちで1年以上も待っていたのに、その間、これからおこる惨劇への対策の手がまるきり打たれてこなかった、という事実でしょう。

去年、経済問題に疎い私はアメリカでおこりつつある恐ろしげなマネーゲームの悪成果を「???」と思ってその道に詳しい人(仮に、当ブログの「経済顧問」と呼んでおこう(笑))にいろいろ聞いていました。

その時紹介された本が春山昇華さんの著作「サブプライム問題とは何か」(宝島新書)だったんですが、これはとてもとてもわかりやすくこの問題の本質を解き明かしてくれたものでした。

つまり、「証券化」という金融技術の発達によって担保などの後ろ盾もなく焦げ付きなどのリスクもどこかにまぎれこませてしまえるような資金調達が可能になったことと、24時間世界のどこかで株式市場が開いていて四六時中くるくる循環しているのだから責任の所在があいまいになったことで、まったくの素人まで投機などのマネーゲームに容易く参加できるようになり、リアリティもモラルも希薄になってしまったことの問題のつけが、これからイッキにやってくるという重い予言が綴られていたのでした。



「きっとあとでおこるに違いない大惨事」

それがついに、アメリカで始まったのです。


かくして、その混乱の中、なんとか危機にあるウォール・ストリートの金融機関を救おうとアメリカ政府が資金を供出して(つまり税金を充当して)金融機関の不良債権を買い取るために7000億ドル(70兆円強)を用意するという「金融再生化法案」を上下両院の議員が、共和・民主両党の超党派で話し合いを続けるその渦中の先週末、926日夜(日本時間927日午前中)に、当初から予定されていた「大統領候補討論会(テレビ・ディベート)」の第1回がミシシッピ州オックスフォードで開催されました。

すでにご存じでしょうが、この討論会は開催直前までこのウォール・ストリート・クライシスに振り回され、一時はマケイン候補が大統領選挙活動を停止してもこれに取り組むべきだから討論会を欠席すると言いだすなど、討論会開催そのものが危ぶまれていたのですが、結局、超党派の微妙な話し合いに大統領選挙を持ち込むべきではないという議員たちの声もあって、無事開催されるに至ったのでした。

しかし、開催前のドタバタした印象と違って実際行われた討論会は、地味で、可もなく不可もない、という印象を受けたのは私ばかりでしょうか。

それは、今回の討論テーマが「外交・安全保障」というテーマで設定されていたせいでもあるかもしれません。

正直言って、両候補の外交姿勢に微妙な違いはあるとは言え、基本はあまり変わらないし、ただイラク戦争継続をめぐってだけは大きく対立するものの、残念ながら現在の時点ではアメリカ大統領(候補)には外交に関してはほとんど選択肢がないのだな、というのがよくわかったというばかりでした。

だから本当ならば今回の金融危機を受けて、話し合うべきテーマは、「内政・経済問題」こそがふさわしかったのだろうと思われるのですが、なんといっても先ほども書いたとおり、危機の展開のスピードが速すぎる、坂を転がり落ちるほどの加速が強すぎるので、正直言ってうかつな中途半端なことは言えない、ということもたぶんあって、「これも安全保障の一部ですから」という形で討論の冒頭を少し時間を割いて、この危機に対する議会の法案をどう考えているか両候補の立場を尋ねられたのみだったのでした。

もちろん、両候補とも、早急に何らかの手を打たなければならないと言い、法案の可決にむけて自分も力を尽くしたいと訴えたのは言うまでもありません。

しかし、この時点ではまだ具体的に法案の詳細の中身までつめられていなかったのでしょう、具体的に国民を説得する言葉、事例ともあまりにも少なすぎた、としかいえません。

ただただ、国民に理解を求めて同意してもらいたい、可決にこぎつけたい、という言葉にとどまった両候補だったのです。


しかし、これは後になってアダとなったのは言うまでもありません。

この文章を書いている930日現在(日本時間)「金融再生化法案」は議会下院で13票差で否決されてしまったのでした。

そしてこの否決をうけて、アメリカの株式市場は未だかつてない大暴落を記録、1987年のブラックマンデー以来の悲惨な展開になってしまいました。

そして今になって、CNNの視聴者の声の紹介などにも、マケイン、オバマ両候補がどういう対策をとろうと考えているのか詳細を知りたかったとか、今回の議会の法案の中身についてもどんなことが話し合われているのかその中身こそを訴えてほしかった、国民を導くリーダーシップこそを見せてほしかった、といったような声が聞かれているようです。

つまり、どちらの候補も国民の説得に失敗してしまった。

もっと言えば、肝心の議会も、現政権のホワイトハウスも、まったく国民の説得に失敗している。

アメリカ国民は自分たちの税金が何故自分たちのためには使われず、ウォール・ストリートの富裕な人たちのために使われるのか、その理由が納得できないし、それを許せない。

議会も現政権もうまく説明できていないから、このまま放置しておくと、実は廻り回っていずれ一般国民のもとにも危機的状態となって波及することを理解させることができない。

ただ、富める者のための対策にしか見えないし、貧しき一般国民には関係ない対策にしか見えない。

どうしてそうなってしまうのか?

それはたぶん政治家が、政府関係者たちが、自分を最大リスクに曝してこの危機に対峙しようとしている姿勢を見せられない、ということに尽きると私は思います。

私にとって不思議でしょうがないのは、アメリカ建国以来の危機だというここに至っても、閣僚のひとりも、議員のひとりも、自分の俸給を返上して国民を説得しようという人物が出てこないことです。

まず、大統領、副大統領から自分の資産を国に納めるくらいの責任をとってしかるべきだし、もちろん救済される側の金融機関のトップたちは退職金も俸給も返上に決まっている。

それどころか、今後FBIの捜査が入るならば、責任ある者たちからこの危機に至るまでの間に不当に儲けた全財産を賠償させるくらいの気持ちでないと今後の進展は一切ないのではないか。

(これはもちろん「グローバリズム」の時代ですから、アメリカ国内だけの問題ではありません。アメリカ国外にも焼け太りした悪人たちがいっぱいいるはずです。いずれハーグの国際裁判所の経済裁判所版を国際的協力のもとに作るべきです)

とにかく、指導者が身を切って見せてこそ、国民は彼らを信じるのです。

それこそが、「信託」というものです。

そして、そういった「責任」が存在しなければ、真の「自由」なんて存在しないと知るべきです。


こうした理由で私的には、今回のアメリカ大統領候補討論会がかなり色褪せてみえてしまった次第です。

当ブログの経済顧問(仮)からこんな言葉が届いていますので紹介しておきます。

「今回の危機は実は金融システムの問題だけでなく、アメリカの社会システムの問題でもある。

アメリカには今の大量消費型の社会システムにのっかった生き方ではなく、別の生き方を考えてほしい。

果たして、家族3人で暮らすのに5つもベッド・ルームがあるような家が必要なのか?通勤に片道3時間も自家用車を運転して通うような暮らしが正しいのか?サブプライム住宅に引っかかった心理の奥にあるのはそういうことだ。

それが乗り越えられない限りこの危機は根治しない。ただの対処療法になるだけだ。新しい21世紀の社会システムに移行しなければアメリカは病み衰えていくだけだ。

かつて1992年か93年のころ。

天安門事件後の中国では、社会主義の限界が露呈し社会が停滞していく中、とにかく改革しなければ全てが崩壊してしまう瀬戸際だった。その時改革の指導者を任された朱鎔基が所信表明にこう演説したという。

「棺桶を100個用意しろ。そのひとつは私が入るために」

それまでの社会システムを変えるということはかなりの覚悟のいること。でもやらなければ社会も国家も崩壊してしまうというなら、もう覚悟を決めてやるしかない。

相討ち覚悟で改革した朱鎔基と同様のかなりの覚悟を持って、アメリカの次の指導者には進んでいってほしい」

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